第06話その2(SIDE A)


 誰が自首してきたのか公表はされなかったがそれが大海千里であることは言うまでもなく、全てが自分の意志でないこともまた自明だった。


「どういうことですか。本人の自白だけを根拠にして処分するつもりですか」


 その決定を聞かされた直後、水無瀬は職員室に乗り込んで稲枝と対峙する。水無瀬には総司が伴っているが、彼は水無瀬が無茶をしないための抑え役だった。

 稲枝は「面倒ね」と口にしてため息をつき、


「本人がそう言い出したのだからそれ以上何も必要ないでしょう」


「大海千里は安土譲治からいじめを受けている。無理矢理言わされたに決まっているでしょう」


「それこそ証拠も根拠もない話ね」


「証人ならいくらでもいる。あなたの目が節穴なだけです」


 稲枝は「なによ、その態度は」と声を裏返させた。


「教師として敬ってほしいなら最低限の義務を果たしてからにしてください」


「ペンと包装紙を警察に持っていけば安土譲治の指紋が出る。証拠としては充分ではないですか?」


 総司の指摘に稲枝は「ああ」と、


「もう処分したわ。できるだけ穏便に済ませたいっていう校長の意向で」


 総司と水無瀬が唖然とし、稲枝は「してやったり」といった顔を隠している。


「なんてことを、せっかくの証拠を」


「大海君が自分の罪を認めたのだから証拠なんて必要ないでしょう。下手にそんなものが残ったままだと警察が介入してきて、彼が刑事処分を受けることにもなりかねない。一度の過ちで若者の未来を奪わないようできるだけ穏便に、が校長の意向よ」


 これ以上は何を言っても無駄であり、水無瀬は失意と憤懣を抱えて職員室を後とした。なおここでの会話は総司から葵や里緒へ、その他の友人や知り合いへと発信され、学内で拡散され、稲枝は大ひんしゅくを買うこととなる――彼女の場合はそれが平常運転なので事実上の無傷だったが、致命傷に等しいダメージを受けたのは安土譲治の方だった。

 翌日、登校した水無瀬はクラスメイトの様子を観察した。大海千里は休みで、自宅謹慎という理由は非公表(でも誰でも知っている)。安土譲治が登校してきて比較的仲が良いと見られていた男子に話しかけるが、完全に無視されている。彼は舌打ちして自分の席に着き、スマートフォンをいじって孤立感を糊塗しようとした。


「うわ変態がいる、吐きそう」


「本当、どの面下げてここにいるんだか」


「死ねばいいのにね」


 女子生徒の何人かが聞こえよがしにそう言っており、安土は苛立ちを深めた。彼に味方は一人もいない。元々孤立気味だったのが今や完全にぼっちである。安土が怒りに血走った眼を水無瀬へと向け、彼女は冷笑でそれをはね返した――少なくとも安土に対して不安や弱みを見せたりはしない。


「まず確実に彼は逆恨みを募らせているだろうね。嫌がらせがエスカレートするか、あるいはもっと短絡的な行動に及ぶか」


 総司に対しても、その不安は愚痴という形で表現された。総司は「そうだな」と心配そうに頷いて、


「しばらくは一人にならないようにした方がいい。一緒にいてくれる友達は……」


「さすがに校内は人目があるから大丈夫さ」


 左右を見回す総司に虚勢を張る水無瀬だが、ちょっと泣きたくなったのは内緒だった。


「でもそうなると下校時が一番危ない。当分一緒に帰ろうか」


「助かるよ」


 クールを装いつつも顔がにやけるのを全力で抑える水無瀬だった。が、その日の放課後。


「……これ全部、僕一人で今日中に、ですか」


 呼び出された水無瀬は稲枝から仕事を命じられた。渡されたリストには校内の女子更衣室、女子トイレ等の名前が連なっている。


「あんなことがあったのだし、隠しカメラがないかどうか確認しないとみんなが安心できないでしょう。それに穏便に、内密にことを済ませた以上事情を知らない人にやらせるわけにはいかないし。場所が場所だけに男子の手は借りられないし」


「それなら稲枝先生も少しは受け持つべきじゃないんですか」


「わたしは忙しいのよ」


 堂々と言い放ちつつ、スマートフォンを操作する稲枝。


「自分で蒔いた種なんだから責任をもって自分で刈り取りなさい」


「責任って言葉の意味を一度辞書で引いてみるといいですよ」


 嫌味を言いつつも、その仕事をしないという選択肢は彼女にはない。SNSで総司に連絡をし、


『全部終わるのはかなり遅い時間になりそうだ』


『構わない。図書館で時間を潰している』


 ぶつくさと文句を言いつつも水無瀬は校内を順番に見て回った。近年盗撮用カメラも小型化が進んでおり、ネットを使えば簡単に手に入る。カメラがない、と判断するにはくり返しの念入りの確認を要し、


「……はあ、ようやく次で最後か」


 校舎内の確認を終えてグラウンドの片隅に設置された体育倉庫へとやってくる頃には時刻は午後八時を回っていた。部活に勤しんでいた生徒も全員下校し、グラウンドにも校舎にも人影はない。教員の一部が職員室に残っているくらいである。

 建付けの悪い扉を開いて水無瀬が倉庫内へと足を踏み入れ――次の瞬間、勢いよく引き戸が閉められる騒音。振り返るとそこに立っているのは、嫌らしい笑みを浮かべた安土譲治だ。慌てて距離を取る水無瀬だがその分出口は遠ざかった。


「……何のつもりだ、安土譲治」


「見て判らないか? 優等生様」


 安土は嬲るような物言いをし、その横にはビデオカメラを手にする大海千里がいる。唇を噛み締める水無瀬は思考回路を全力で回転させた。


「さすがにこれはただのいじめや嫌がらせじゃ済まないぞ」


「警察にでも何でも行ったらいいだろう? でもそのときはお前も道連れだぜ」


 安土は千里の手にするカメラを顎で示し、水無瀬は握り込んだ拳を震わせた。


「おとなしくしてりゃ痛い目には遭わないし、この後も黙ってりゃ平穏な学園生活は送れるぜ。それが賢い選択ってやつだろう?」


「このまま何もせずに僕を無事に帰すのが一番賢いやり方だと思うけど?」


「冗談言うなよ! 何時間も、散々待たされたんだ。めいっぱい愉しんでその分取り返さないと」


 安土の言葉に水無瀬が瞠目する。


「……まさか、稲枝が手を貸したのか。僕一人にあんな仕事を押し付けたのも」


「リストの一番最後をこの場所をしたのもな。律義にわざわざ順番通りに回るなんて、馬鹿かお前」


 安土の嘲笑に水無瀬は折れんばかりに歯を軋ませた。


「さて、暴れられても面倒だ。二、三発ぶん殴りゃおとなしくするだろう」


 嗜虐と実益を兼ねて安土がわざわざ予告し、前に進もうとしたそのとき。


「や、やめよう、こんなこと」


 声と身体を震わせながらも大海千里が安土の前へと回り込んで立ち塞がる。一瞬で激高した安土がその拳を千里の顔面に叩き込み、千里は涙と鼻血を流した。


「てめえ、誰に逆らってる」


 ぞっとするほど冷たい声に、だがそれでも、


「だめだ、こんなの」

 千里は抵抗する。安土の前蹴りがその鳩尾に突き刺さり、千里は反吐を吐いて四つん這いとなった。さらに安土はくり返し足蹴にし、千里は全身を丸めて身を守ろうとする。散々暴力を振るって息を切らした安土は、転がるビデオカメラを拾い上げた。


「おとなしく手を貸すならお前にも使わせてやろうと思ったのに。いいからもうそこで寝てろ」


 邪魔者を物理的に排除した安土が改めて水無瀬に接近しようとし、


「そこまでだ」


 総司が跳び箱をはね上げてその中から出現。安土が驚愕にのけぞり、水無瀬もまた目を真ん丸にしている。


「総司君……」


「お、お、おまえ、なんで、どうして」


「警察を呼んでいる。これ以上悪あがきしても罪が重くなるだけだからおとなしくした方がいいぞ」


「嘘つけ!!」


 総司の通告を安土は全力で否定した。


「声なんか全然しなかったぞ! どうやって通報したってんだよ! おまえもまとめてぶん殴って黙らせれば」


「……あるいはそんな頭の悪い悪あがきをするかもと想定はしたけど、想像を絶して頭悪いなお前。世の中にはこんなに愚かしい人間が堂々と生きているんだって、ある意味勉強になるよ」


 一人感心して頷く総司に、安土の自制心は年単位で使い古された輪ゴムよりも簡単にぶち切れた。


「言いたいことはそれだけか?」


「それじゃあと一言だけ――先生、お願いします」


 どーれ、と跳び箱を跳ね上げて姿を現したのは虎姫若葉だ。安土は酸欠の金魚のように口を開閉させるがそこから言葉は何も出てこなかった。


「まとめてぶん殴って黙らせる、だったか。できるのならやってみればいい」


 跳び箱から出てきた若葉が一歩前に出、その分安土は後退った。それが数回くり返され、


「くそっ!」


 安土が身を翻して逃げ出そうとする。倉庫の引き戸をこじ開けて外に飛び出し、次の瞬間ぶっ倒れて顔面から地面に突っ込む。足を引っかけて転ばせたのは高月匡平で、匡平は安土の頭を踏み付けて腕をねじり上げた。悲鳴を上げて暴れる安土だが若葉が続いてその背に仁王立ちとなり、身動き一つままならない。


「おまわりさん、こっちこっち!」


 葵と里緒が制服姿の警官を案内してきて、安土はさらに暴れるが無駄な努力というものだった。安土譲治が警察に身柄を確保されたのはその直後のこと。この警察沙汰の不始末にパニックとなった校長が学校を臨時休校としたのは翌日のことだった。






「それじゃ、説明してほしいんだけど」


「説明って、どこからだ?」


「最初から」


 昨晩の一件の直後は警察による事情聴取が深夜まであり、当然ながら家族にも連絡が行き、島本家を中心とする関係者家族が翌日の朝一番に学校に乗り込んできて、学校は臨時休校となり。

 そして時刻は昼過ぎ、場所は彼等の教室。他の生徒は帰宅しており、そこに残っているのは総司・水無瀬・若葉・匡平・葵・里緒の六人だけ。学校からの事情聴取や事実関係の説明やらがあり、今は水無瀬の両親が校長を吊し上げているところだ。その場に水無瀬達を立ち会わせなかったのは、最低限の武士の情けなのかもしれなかった――校長がそれに感謝したかどうかはともかく。そうして諸々の後始末が進行する中で空白の時間ができたのが今である。


「まあ種明かしをするなら、大海に協力を持ちかけた。『安土譲治に犯罪行為を強要されそうになったら連絡してほしい。上手くすればあいつを退学に追い込めるかもしれない』って」


「……ああ、なるほど」


 ちょっと考えてみれば容易に想像がつくことだった。総司一人が急に思い立ってゴミ箱をあさったところでそんなに簡単に隠しカメラの包装紙が見つかるはずがない。それが手に入ったのは大海千里の連絡と協力があってこそなのだ。


「今から思えば向日さんの振る舞いも不自然だった。あれはわたしに隠しカメラのことを気付かせようとしていたわけか」


「島本ちゃんが気付かなかったら里緒ちゃんがカメラのことを言い出す手筈だったよ!」


「それで僕をレイプしようとしていると大海千里から連絡があって、先回りして倉庫に隠れていたと」


「そういうこと――すまない、怖い思いをさせて。もっと早く割って入れば良かったんだけどあいつを社会的に抹殺するにはぎりぎりまで待つ必要があった」


 水無瀬は複雑な顔となった。恨み言を言いたい気持ちと、その思惑に対する理解がせめぎ合っている。


「あと、大海が抵抗したせいで割り込むタイミングを外されたのもあった」


「君達がバックに着いているなら彼だって強気に出られるか」


 水無瀬が皮肉げな笑みを浮かべる。彼が安土譲治に抵抗したのはレイプの共犯にさせられないためのアピールだったのだ――


「いや、あいつはわたし達が隠れていたことに気付いていなかった」


 と口を挟むのは若葉である。


「わたし達がどこで割って入るつもりなのか判らなかったから時間を稼ごうとしたんだろう」


 なお千里は肋骨にひびが入るなどのかなりの怪我を負い、今も病院である。大海千里が安土譲治に抵抗したのは自分の身を守るためのアピールだと、水無瀬の理性が確信している。また同時に水無瀬を守るためだったと、彼女の感覚が納得していた。


「……まあ、この次ゲームじゃなく告白してきたなら、話を聞いてあげるくらいはしようかな」


「え? 島本ちゃんの乙女回路にきゅんきゅん来たの?」


「いや、それはない」


 身を乗り出す葵と即座に否定する水無瀬。


「そりゃそうか。白馬の王子様は他にいるもんね」


 と葵がにやにやし、水無瀬は苦虫を嚙み潰したようになりながらも赤面した。


「でも、それにしても」


 水無瀬は話を変えるようと、総司と他の四人をぐるりと見回し、


「ちょっと不思議な組み合わせのように見えるね。向日さんや桂川さんはともかく高月君や虎姫さんとはあまり接点がなかったように思うんだが」


「ああ、最近よく話すようになった。事故って病院に行っただろう?」


 学外行事でバスでの移動中、トラックにぶつけられたバスが横転するという結構大きな事故があったのだが、それはもうの話である。


「そこの待合室で長い時間この五人一緒で、いっぱいおしゃべりして仲良くなったんだ!」


 と葵が胸を張り、水無瀬が「なるほど」と頷く。そこに、彼女のスマートフォンが着信音を発した。その画面を見た水無瀬が何とも言い難い、不思議な表情となる。


「どうした?」


 これ、と水無瀬がスマートフォンを見せ、五人がそれを覗き込む。そこに表示されているのは笑顔の水無瀬父と水無瀬母が並んでいる写真だった――水無瀬父は土下座する校長の頭に足を乗せて気取ったポーズを取っており、まるでハンターが狩った獲物を誇示するかのようだ。

 今回の事態に誰よりも激烈に反応したのが水無瀬の両親であることは言うまでもない。島本家は大病院を経営する名家であり、地元の政治家だって顎で使えるくらいの力がある――実際今回も、県会議員やら教育委員会やらの偉いさんを何人も同行させている。持てる人脈と権力を総動員して校長を殴りに行ったわけで、その成果がこの写真だった。

 なお稲枝聖良は「何も知らない、安土譲治が勝手にやったこと」としらを切り通しているが、島本家の圧力を受けた警察が徹底的に追及している……という話である。たとえそれを逃れられようと、少なくともこの学校には彼女の席はもう存在しなかった。


『三島君の志望学科、今からでも医学部にならない? 頑張って説得して!』


 写真に次いで表示されたのは水無瀬母からのメッセージだ。慌ててそれを隠したがちょっと遅かったようで、葵は獲物を前にした飢えた肉食獣のような、良い笑顔となっている。


「実際どうなの? いいんちょ。確か法学部志望だっけ」


「弁護士と医者を同時に目指すのはちょっと無理があるな」


『医師でなくても理事にはなれるから! 弁護士歓迎!』


 という母親からのメッセージを水無瀬は見なかったことにする。


「確かご両親も弁護士なんですよね」


「まあね。別に親の仕事を継ぐ必要はないけど、やっぱり影響はされるらしい」


 と他人事のように言う総司。


『今度三島さんと食事会をするから! 向こうの家とはうまくやっていけそうよ!』


 総司と水無瀬を無視してどんどん話が進み、外堀内堀が埋まっていく。水無瀬はスマートフォンをサイレントモードとした。


「島本ちゃんはお医者さんになるわけ?」


「僕の場合病院を継ぐのは既定路線だね、別に文句はないけど。そういう向日さんは?」


「さあ。どこか適当な大学に入って適当な会社に入って、ってことになるんじゃない? この歳でしっかり将来考えてる人の方が珍しいと思うよ」


 そうでしょうか、とちょっと不思議そうな里緒。彼女もまた人生をバイオリンに捧げることは既定路線だった。


「虎姫さんは?」


「警察の知り合いに誘われている。他にやりたいこともないし、悪くないと思っている」


「高月君は?」


「まだ検討段階だけど、自衛隊に行くことを考えている。レンジャーなり第一空挺団なりで本格的な戦い方をしっかりと学びたい」


 へえ、と驚く水無瀬。


「ある程度身に着いたなら退役して、海外に行って傭兵になるとか外人部隊に入るとかして実戦経験を積んで、その後は戦艦のコックになるか田舎でスローライフ……」


 その考え――というよりは妄想に一同が白い目となり、


「いや冗談だから」


 と笑顔で言う匡平。葵と里緒と水無瀬はそれを素直に受け取って笑い、総司と若葉は疑わしい目をしたままだった。


「でも面白いね! 二十年三十年経ったらみんなどんな大人になってるんだろうね!」


「同窓会は盛り上がりそうだな」


 二十年後、三十年後の同窓会では近況報告を大いに語り合い――今回の出来事も「そう言えばこんなこともあった」と笑って話せるようになるだろう。総司達はまだ見ぬ明日を夢見て、光の中を未来へと向かって歩き続けていく。

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