第06話(SIDE A)


「おはよー!」


「おはようございます」


 教室に入ってきた向日葵が明るく朗らかに、桂川里緒が淑やかに朝のあいさつをする。仲の良いクラスメイトの一人が「おはよう」とあいさつを返してきて、二人は自分の席へと向かおうとした。が、クラスの雰囲気がちょっとおかしい。葵が左右を見回し、嫌な空気の発生源をすぐに見つけた。


「せっかくあいつが勇気を出して初めての告白をしようってーのに、無視して帰ったのはどうかと思うぜ? 人として」


「悪趣味ないじめに付き合う義理なんかない。それだけのことだよ」


 教室の中央で対峙するのは安土譲治という男子生徒と、島本水無瀬という女子生徒の二人だ。正確を期するなら安土が水無瀬に突っかかり、水無瀬の方はうんざりしながらもそれをあしらっているところである。

 安土譲治はそれなりの高身長とそれなりに普通の面相の男子だが、品性の低さ加減がどこか顔立ちににじんでいる。一方の島本水無瀬は女子としては背が高く、凛とした容貌。ストレートの黒髪はおかっぱが少し長くなったくらい。アイドルだって充分務まりそうなくらいに美しい少女なのだが、愛想の悪さが致命的だった。


「いじめだなんてひどい言いがかりだな。何の根拠があるんだよ」


「確かにただの推測に過ぎなかったね。僕はてっきり」


 と彼女は軽く肩をすくめ、


「彼に告白を無理矢理やらせてそれを物陰から見物して物笑いの種にしようとしたけど延々待ったのに僕が来ずせっかくの企画が潰れて集めた見物人から馬鹿にされたから、朝一番に嫌みの一つでも言ってやろうと待ち構えていたのかと思っていた」


 一息に言い切る。鼻白んだ安土が、


「そんなわけねーだろ、何の根拠が」


 と言いつつも動揺しており、水無瀬が眉を寄せた。クラスの内を見回し、安土と比較的仲の良い、見物人として呼ばれそうな連中の様子をうかがう。彼等の「そんなオチかよ」という声と笑いが漏れ聞こえ、安土はさらに狼狽えた。


「……もしかして、この告白ゲームに人が集まらなかったのか? 君一人で見物していたわけ?」


「何の根拠があるんだよ!」


 噛みつくように怒鳴る安土に水無瀬は冷笑を浮かべる。


「根拠なんかないよ。でも君のその態度は『図星を突かれた』と白状しているようなものだけどね」


 安土は激発をかろうじて抑えながら反撃の糸口を探っているが、口と頭の回転では彼女の方が数段上だ。さらに水無瀬は見せつけるように嘲笑を浮かべ、


「高校生にもなって告白ゲームとかくだらないいじめをやる人間に友達がいないのは残念でもなく当然だ。小学生からやり直した方がいい」


「自己紹介か? 友達いねーのはてめーの方だろうが!」


「僕と同レベルの人間がなかなかいないのだから仕方ない」


 水無瀬は一片の迷いもなく堂々と明言する。


「君も同レベルを探すのが大変なら淡路島にモンキーセンターがあるからそこに転校するといい」


「てめえ!」


 激高した安土が水無瀬に掴みかかろうとし、だがその動きを急停止させた。元々弱かった自制心が突然強くなったわけではもちろんない。水無瀬の後ろの、教室の一番奥で、虎姫若葉が腕を組み、壁に背中を預けて佇んでいる。真剣のような若葉の眼光が安土の足を釘のように縫い留めたのだ。その隙を突き、


「そのくらいにしておいた方がいい」


 水無瀬と安土の間に三島総司が割り込んでくる。


「何だよ、関係ねー人間が入ってくんなよ!」


「さすがに暴力沙汰は見過ごせない」


「俺が何をしたよ?!」


「何もしていないな」


 だったら、と安土が言う前に、


「口喧嘩に負けて暴力に訴えようとしたのかと思ったけど勘違いならよかった。悪かったな」


 と軽く謝る総司に、安土は何も言えないでいる。さらに総司は、


「島本も言い過ぎだぞ」


「ああ、すまなかったね。面倒をかけて」


 注意された水無瀬が謝り、安土は暴力を振るうタイミングを完全に外されてしまっていた。なお水無瀬が謝ったのは総司にであり安土にではないのだが、いずれにしても彼の怒りは行き場を失いその内側を迷走する。

 そのときちょうどチャイムが鳴り、クラスメイトが自分の席へと向かう。安土もまた舌打ちをしながら移動。総司と水無瀬もまた着席した。総司の席は水無瀬のすぐ後ろである。


「ところで島本」


「何かな」


 振り返った水無瀬に総司は声を潜め、


「やっぱり同性の友達もいないよりはいた方がいいと思うんだ。何なら俺から口添えを」


「……一人もいないわけじゃないんだよ?」


 言い訳をする水無瀬の声は、あるいは泣くかと思われるくらいにどこか悲しげだった。

 ――そこは某県某市の、とある私立高校。自由な校風を売りとした進学校で、半分以上の生徒が私服である。そんな某高校の某クラスの、特筆するほどでもないある朝の一幕だった。






「あの子もねー」


 葵はそう言って苦笑のようなため息をついた。昼休み、廊下の片隅では総司が葵と里緒の二人と立ち話をしている。通りがかった二人を総司が捕まえて話しかけたところである。


「悪い子じゃないとわたしも思いはするんだけどねー。どーも周り全部を見下すような態度が鼻についちゃって」


 葵の批評に総司は「うーむ」と難しい顔をする。


「そんな風に感じることがないんだけど……桂川は? 同じクラスになってすぐは割とあいつと話していたように思うけど」


「わたしに対してはあんまりそういう態度じゃないんですけど」


 里緒はそれ以降は言葉を濁した。


「そりゃいいんちょや里緒ちゃんはね」


 と肩をすくめる葵。京大でも東大でも行きたい放題の総司と、天才バイオリン少女として有名な里緒を見下せる人間はそれ以上の何かを持っているか、そうでなければただの馬鹿だけだろう。


「正義感強いし、面白い奴なんだけどな」


「うん、それは否定しない」


 ただ彼女の正義は「目障りな奴皆死ね」的な、わりと偏った代物だし、「はたで見ていて面白い」と「友達として付き合っていて面白い」とは天地ほどに差があるのだった。


「総司君」


 と親しげに下の名を呼ぶのは水無瀬だ。笑みを浮かべて歩み寄るその背中に、葵はぶんぶんと振られる尻尾を幻視した。


「きれいどころ二人をはべらせて、モテモテだね」


「今三人目が追加されたな」


 さらっと返された水無瀬が「あはは、口が上手いね」と顔の赤さを笑いでごまかそうとする。確かにこの子ははたで見ていて面白い、と葵は内心で頷いている――JKの当然のたしなみとして、他人の色恋沙汰は何よりの娯楽だった。


「今朝やり合っていた話だけど、大海君からラブレターでももらったの?」


「まあね」


 と水無瀬はどうでもよさそうに言う。


「確かにいじめで告白ゲームとしか思えないし、無視したのは正解だっただろうな」


「どっちでも同じだったけどね」


「え……いじめじゃなく本気の告白だったとしてもですか?」


 戸惑うようなその問いに、


「彼程度のために割けるような時間も労力も僕は持っていないよ」


 水無瀬が冷たく言い放ち、三人は困ったような顔となった。

 大海千里は陰キャなオタクで勉強やスポーツでもぱっとせず、むしろいずれも不得意で、スクールカーストでは最底辺を這いずっている。中学時代は安土譲治によりいじめの標的とされていたという話で、高校となってからはさすがに露骨でひどいいじめはなくなっていた……と思われていたが、最近はそれも怪しくなってきた。きっかけを作ったのは水無瀬である。

 ひどいいじめはせずとも、安土は千里をパシリとして顎でこき使っていた。あるとき安土が掃除当番を千里に押しつけ、水無瀬がそれを見咎めたのだ。担任教師の稲枝が安土をかばうような姿勢を見せ、水無瀬は正論で二人を徹底的に追及。面子を潰された二人は水無瀬を目の敵にするようになっている。

 一方、いじめから庇われた形の千里だが、これをきっかけにいじめが再発しているようだった。水無瀬は「目障りだ」と思えば空気を読まずに安土を攻撃して(結果的に)いじめを止めさせるのだが、自分に関わらないならただ放置である。水無瀬にとって大海千里は路傍の石同然なのだが、石ころの側がどう思うかはまた別問題なのだった。


「でも大海君は島本ちゃんのこと、結構見てるように思う。どっちの意味かは判らないけど」


 自分を守ってくれた水無瀬への憧れか、それともいじめ再発のきっかけへの逆恨みか。水無瀬は後者の可能性が高いと判断し、嫌な顔をした。


「いずれにしても注意した方がいい。結局あいつは安土に逆らえないし、安土は何をしてくるか判らない」


「具体性のない忠告だけど感謝はするよ」


 と皮肉っぽく笑う水無瀬。その程度の減らず口はいつものことなので総司も苦笑するだけだった。

 ――水無瀬がその忠告を思い出したのは翌々日のことである。






 水無瀬、葵、里緒、その他三〇人近い女子生徒が体育館の女子更衣室に入ってきた。今は体育の授業の前の休み時間、彼女達は体操服に着替えようとしているところである。

 あれ、と何かに気付いた葵がロッカーの上に手を伸ばしてそれを手に取った。


「どうしたんですか?」


「誰かの忘れ物かも」


 と葵は手にしたペンを示して言い、それを水無瀬が見咎める。


「ちょっと待って。それを」


 険しい顔の水無瀬に首を傾げながらも葵が「はい」とそれを手渡し、ハンカチ越しに受け取ったペンを水無瀬が四方八方から見回し、彼女はますます険しい顔となった。


「どうしたんですか?」


「……これ、カメラが付いている。盗撮用のペンだ」


 動揺と、声にならない悲鳴が女子更衣室を揺らした。

 ……それからしばらくの時間を経て、休み時間が終わっても授業は始まっていなかった。女子生徒は全員制服または私服のままで、更衣室の前で集まっている。そこから少し距離を置いて、こちらは全員体操服に着替えた男子生徒もまた同じようにたむろしていた。ただ、両者の空気は全くの別物だ。


「くそ、誰が……ふざけんなよ」


 憤りを吐き捨てるのは木ノ本咲夜で、表現方法に差異はあってもその怒りは全員共通だった。一方の男子生徒は……と水無瀬が密かに観察すると、


「自首するなら付き添ってやるぞ」


「そんなことを言い出す奴が怪しい。お前がやったんだろう」


「冗談じゃねーよ!」


 下手な冗談でも疑いを向けられかねず、ほとんどの者が「触らぬ神に祟りなし」という姿勢だった。また同時に、ほとんどの者が対岸の火事を愉しんでいるような様子である。例外は顔色の悪い大海千里と、嫌らしい笑いを浮かべている安土くらいか。また総司の姿が見当たらず教員を呼びに行ったのかと思っていたら、教員だけがやってきた。

 水無瀬の前へとやってきたのは担任教師の稲枝聖良だ。年齢は三〇代半ば、ヒステリックな性格でものを教えるのが下手でえこひいきが激しく、全校生徒からダントツに嫌われている教師である。彼女は面倒そうにため息をついて、


「まったく、余計な仕事を。面倒な」


「うわはっきり言っちゃってるよこの人」


 葵が小声でびっくりし、水無瀬もまた開いた口が塞がらなかった。


「面倒なら関わらなくて結構。僕が警察に行って被害届を出します」


「誰が勝手なことをしていいと言ったの? 警察に届けるかどうかは学校として判断することよ」


「警察に届けないこともあると?」


 そうねえ、と稲枝は勿体ぶった態度で男子生徒に向き直った。


「私がやりました、と今すぐに名乗り出るなら学内だけの穏便な処分にして警察沙汰にはしないこともやぶさかではないけど?」


 水無瀬は舌打ちを禁じ得なかった。穏便な処分など名ばかりで、犯人をさらし者にする気満々ではないか。


「今すぐ名乗り出れば穏便に済ませてくれるってよ。どうする?」


 大海千里の肩をなれなれしく抱き、顔を寄せて小声で言う安土。千里は今にも倒れそうで、稲枝はそんな彼の動きを待つように、彼に注視している。


「……安土譲治」


 水無瀬が忌々しげにその名を呼び、彼が好機とばかりに、


「なんだよ! 俺が犯人だって言いたいのかよ、根拠は?! 疑うなら警察に行って指紋でも何でも調べてもらえよ! 俺が犯人じゃなかったらてめえただじゃすまさねえぞ!」


 思う存分の反撃に、その快感に安土は酔ったような笑みで顔を歪めた。安土が大海千里に無理矢理やらせたのだと、彼の態度が何よりも雄弁に物語っている。だがそれは心証だけで証拠は何もなく、水無瀬は唇を噛み締めた。ペンを調べても検出されるのは大海千里の指紋だけだろう。

 盗撮が成功したならそれをネタに水無瀬に嫌がらせをし、失敗しても大海千里を生贄に差し出すだけ。安土自身は何も失うことのない、完璧な計画だった――周囲の評価を除いては。今、自分が女子生徒からどんな目を向けられているのか判らないのだろうか? 道端にぶちまけられた酔っ払いのゲ〇だってもう少し暖かな目で見てもらえるに違いなく、水無瀬からすれば不思議としか言いようがなかった。

 自首を促されても大海千里は動けない。稲枝はわざとらしくため息をつき、


「仕方ないわね。警察を呼びましょうか」


 と携帯を取り出した。そこに、


「ああ、ちょうどよかった」


 と姿を現したのは総司である。


「これも一緒に警察に提出してください」


 と手に持っているビニール袋を全員に見せつけるように掲げた。その中に入っているのは何かの紙箱のようで、


「おまえ……! それ……!」


 安土が目に見えて狼狽した。素知らぬ顔を装うのに完全に失敗していて、顔を赤くしたり青くしたり、いても立ってもいられない有様だ。


「総司君、それは?」


「ゴミ箱をあさって見つけてきた。そのペンの包装紙だ」


「どうしてそんなことが判るのよ」


 咎めるような稲枝の問いに総司はスマートフォンの画面を見せつける。そこに表示されているのはとある通販サイトで検索した、ペン型隠しカメラのラインナップだった。


「形と外寸からして盗撮に使われたペンはこれと同一だと思われる。その型番がこの紙箱に書いてある」


「ペンに指紋がなくても包装紙にあれば、少なくとも共犯者であることは明確だ。あるいは主犯か、教唆犯か」


 水無瀬が安土に向けるのは、養豚場の豚がソーセージ工場に出荷されるのを見送るような目だった。安土はこの窮地から脱する方策を血眼で探すが見つけられず、火で炙られた鉄板に載せられた猫ほどにも落ち着きのない有様だった。何とか反撃したいと熱望していて、でも今何を言っても藪蛇にしかならないと判っていて、切歯扼腕している。なお藪蛇云々についてはもう今さらな話なのだが、それを判っていないのは彼一人のようだった。


「それじゃ警察を呼んでもらえますか、稲枝先生」


「ちょ……ちょっと待って」


 が、稲枝は目を泳がせた。


「勝手に警察を呼ぶと怒られるから校長に相談して、判断してもらうから」


「さっきすぐに呼ぼうとしてたのは何だったの?」


 思わず葵が突っ込み、稲枝は嫌な顔となって舌打ちした。


「いいから! あなた達は授業に戻りなさい! わたしは職員室に戻って相談します!」


 逃げるように足早にその場から立ち去る稲枝を、誰もが不満げな顔で見送った。結局その時間の体育は授業にならず、授業をまともに受けたのはその次の時間から――とある男子生徒が自首してきたため警察には通報せず、学内の処分だけで済ませるという結論が知らされたのはその日の夕方のことだった。

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