第2話  抵抗

 大友家の家臣団の中に、一際大きな家があった。吉岡家である。


 吉岡家は大友家の第二代目当主大友親秀おおともちかひでの流れをくむ名門であり、代々大友家に重臣として仕え、その治世を助けてきた。


 特に吉岡長増よしおかながますは大友家の長老として宗麟を助け、南蛮絡みの案件以外はすべて長増が差配していたといわれるほどに活躍した。


 また、長増は智謀と交渉力に長けており、南は伊東家、島津家と和を結び、西は肥前の龍造寺家を抑え込み、北は中国地方から九州に進出してきた毛利元就もうりもとなりをも調略によって退けるなど、大友家にとってなくてはならないほどの働きぶりであった。


 もし、長増が今少し長生きしていれば、日向国での島津との戦はなかったとさえ言われるほどで、その死は皆に惜しまれた。


 そして、それを最も強く感じている女性が豊後国鶴崎の地にいた。


 彼女の名は妙林みょうりんと言い、吉岡長増の娘であった。


 と言っても、長増との血の繋がりはない。長増の息子である鎮興しげおきの妻であり、長増とは義理の親子というわけだ。


 その夫たる鎮興はすでにいない。日向国の戦にて討ち死にを遂げており、妙林もまた“日向後家”の一人となっていた。


 そのため、吉岡家当主の座は現在、妙林の息子である統増むねますが継いでいる。若いながらも武勇に優れ、今も主家の大友家を助けるべく、丹生島にうしま城に出陣していた。


 亡き夫、そして息子の帰る家である鶴崎城を妙林は預かり、これを上手く切り盛りしていた。


 だが、それも終わりを告げようとしていた。


 日向国にて大友勢を退け、破竹の勢いにて北上する島津の軍勢がいよいよ鶴崎の地にまでやって来たのだ。


 敵方の数は多く、物見の報告から少なくとも三千はいるとの報告があった。


 一方の鶴崎城に籠る者達は、戦力と呼べるのか怪しいほどであった。ただでさえ日向での敗戦で多くの者が亡くなった上に、残りのなけなしの兵も統増に従って出陣しており、全くいないという有様だ。


 城、あるいは周辺の村々にいるのは、老人や女子供ばかりで、まともに戦える者など、ごく少数だ。


 だが、妙林は諦めなかった。偉大なる義父が育て上げた領地をなんで手放せようか、亡き夫が残した家をなんで手放せようか、息子が帰って来る場所をなんで手放せようか。


 島津襲来の報を聞いた妙林は即座に動いた。


 まず、領内の民を鶴崎城へと収容した。気性荒い薩摩隼人どもが何をするか知れたものではないし、民を守るためには、城へ避難してもらうよりなかった。


 同時に、防御設備の強化に当たった。周辺の家々から板や畳を調達し、それらを組み上げて壁と成し、少しでも守りやすくするように努めた。


 そして、鉄砲だ。


 数はそこまでないが、それでも強力な武器だ。弓は訓練がいるし、槍や刀では人を殺すのに技前がいるし、なにより敵兵の前に立たねばならない。だが、鉄砲なら、玉薬と弾丸の取り扱いだけで、人を殺すことができる。


 例え女子供であろうとも、引鉄を引くだけで、たちまち人を殺せる“兵士”となる。


 それでも不安はある。皆、怯えている。当然だ。相手は猛者揃いの薩摩隼人で、こ

ちらは老人に女子供ばかり。戦力差は如何ともし難いものがあった。


 だが、それは士気の高さと堅牢な城で補うしかない。そう考えた妙林は自らも甲冑に身を包み、弓を携え、皆の前に出てきた。



「皆、聞きなさい!」



 居並ぶ領民に妙林の声が響く。力強く、それでいて凛とした佇まいの女性に、皆が見惚れた。



「今、戦える者は皆、大殿を救うべく、出撃しています。もし、この城が、鶴崎が敵の手に渡る事でもあれば、統増を始め、若人達の帰る家を失います。退く道を無くし、なにより家中における立場と面目を失い、苦しい状況に追い込まれることでしょう。お前達はそれをよしとしますか!?」



 誰も頷く者はない。夫や息子が帰る家を失うことだけは避けねばならない。たとえ相手が誰であろうと、この城と領地だけは守り抜かねばならない。そう、皆が思っていた。



「不安も多いことでしょう。武器を持ったことのない者もいるのですから、それは当然こと。ゆえに、思い出しなさい。日向でのことを! 帰らぬ息子の顔を! 帰らぬ夫の顔を! 帰らぬ父の顔を!」



 日向での惨敗の結果、豊後の人々は多くの戦死者を出し、身内縁者に葬式を上げぬ者がいない程の人死にを出した。それは屈辱であり、何より悲しみであった。


 思い出せと言われ思い出してみれば、それは悲しみと、怒りと、屈辱の感情を呼び起こすのに十分すぎた。


 妙林の思惑通り、復讐への狂奔をもたらす呼び水となった。



「そして今、それを成した薩摩隼人共が目の前にやって来る。ならば、為すべきことはただ一つ。さあ、奮い立て! 皆、弔い合戦は今ぞ!」



 妙林が弓を持つ手を振り上げると、周囲もまた腕を振り上げ、気勢を上げた。


 それを見つめる妙林には分かっていた。皆が怖いということを。そして、それ以上に島津の連中に恨み骨髄であることを。


 怨嗟が恐怖に勝っているからこそ、目の前の者達は戦えるのだ。


 そして、この者達を死地に追いやる自分のなんと罪深いことか、そう妙林は感じずにはいられなかった。


 なにしろ、妙林はすでに夫の死後、仏門に入り、尼僧となっている身の上である。にも拘らず、武器を手に取り、民草を扇動し、戦場へと追い立てている。


 その感情を利用して。


 それでも、妙林は迷いを振り払う。自分や皆の家族の帰る家を守るため、今は阿修羅にも仁王にもなってみせようと。



               ~ 第三話に続く ~

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