五の五 エメリヒ 九月二十四日

 目的地はQ市のほぼ真東にあるのだが、だからと言って、真っすぐ草原を車で突っ切るわけにはいかないようで、エメリヒたちを乗せた二台の車は、いったん南へくだり、やがて東へ、そうして草原に入って北へと向かう予定であった。

 直線距離で十五、六キロらしいが、大回りする分二十五キロほどの行程になるそうだ。

 どれだけ走ってもまるで変化のない景色に、エメリヒは昨日の移動でうんざりしていたが、今日もまた単調な景色をぼんやりと眺め続けるだけの旅路であった。こんな景色は、ドイツにはない。日本の北海道にもそうそうないだろう。

「いっそのこと、馬で移動する方が、楽しかったかもしれないな」

 何気なく後部座席の隣の席にすわるヨンジャに日本語で話しかけた。が、「そうね」とそっけない返事が返ってくるばかりであった。

 前の助手席にすわる茂治という少年は、聞こえているのかいないのか、まったく反応をしめさない。

「なあ、お前たち」エメリヒは無聊からくるストレスにいささか尖った口調で言った。「昨日から言ってるが、いい歳した少年少女が同じ車に乗り続けて、会話がいっさいないとうのは、どういうわけだ。お前たちの年頃なら、大人の俺があきれるくらいの馬鹿話に花を咲かせるもんじゃあないのかね」

「別に話すこともないし」と無愛想に返したのはやはりヨンジャであった。

「お前ら、なんかあったのか。振ったとか振られたとか」

「そんなんじゃありません」とちょっとむきになった調子で、茂治がやっと口を開いた。

「ぎすぎすしたこの車内の空気に、お兄さんは息苦しいよ」エメリヒはあきれながら、「青春は短い。お前たちが思っているよりも、恋に浮き立つ時間はずっと短い。狭い車内に長時間揺られていれば、恋の炎が燃え始めたりしてもいいと思うがな」

「この人とはないですから」ヨンジャが冷淡に答え、「ふん」と茂治が鼻で笑って、「はあ」とエメリヒが溜め息をついた。

 ――そうだ、青春は短かった。

 エメリヒはかつての十代の日日を思い出していた。嫌味なローラント・ミュラーに腹を立て、グレートヒェン・コールと目が合って微笑みあった、あの時代は、瞬きするほどの短い年月であった。そうしてエメリヒはその短い年月に何も残せなかった。だから、グレートヒェンと再会して始まった二度目の青春を、けっして手放したくはなかった。

 そうこうしているうちに、車は道をはずれ、草原へと入っていった。

「ちょっと揺れますよ」と運転手が何気ないふうに言ったが、車は上下左右に、すわっている体が跳ねるほど、揺れた。

 三半規管がおかしくなりそうな振動に、ドアの取っ手を握ってエメリヒは耐えた。このための4WDだったか、といまさら気がついた。

 草原を走ること三キロばかり、ついに目的地に到着した。

 車が止まると、みな飛び出るように車を降りた。

 隣の車から同時に降りたブライアンと目が合って、お互い苦笑した。

「思ったよりも揺れましたね」とエメリヒが片言の日本語で言うと、

「酔わなかった自分を褒めてやりたいくらいだ」ブライアンがつかれた声で返した。

 間には環という女性が立って通訳してくれている。が、彼女の顔は真っ青で、ちょっと休ませてやりたいくらいであった。

「時詠の巫女はまだのようだね」エメリヒはあたりを見廻した。

「エメリヒ、君は、あの女性をどう思う」ブライアンが思いついたように訊いてきた。

「どうと言うと、信頼できるかどうか、という話か」

「そう」

「まあ、彼女に不審な印象はない、とは思うが」

「しかし、彼女の組織はいったいどんな組織なのか、皆目見当もつかない」

「ああ、それは俺も思った。金は潤沢にあるらしいし、人脈もありそうだ」

「だがなあエメリヒ、あの組織、規模もさだかではないし、どんな目的で動いているのかさっぱりわからんじゃないか」

「俺たちが利用されていると?」

「可能性はあるな」

「ブライアン、疑いはじめたらきりがない。俺たちはミイラにあって望みを叶えてもらうだけさ」

「ミイラね。落ち着いて考えたら、俺たちはとんでもなく奇矯な行動をしていると思わんか」

「どこにあるかもわからんミイラに、自分の未来を託すんだからな」エメリヒが苦く笑って言った。

「どこにあるんだろうな。地下かな」とブライアンが地面を見おろした。

「案外、空から降ってきたりしてな」とエメリヒが空を見あげた。

「まさか」

 そう言ってふたりはまた苦笑しあったのだった。

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