三の三 ヨンジャ 七月二十九日

 小川由里おがわ ゆりという同級生は面白い子だな、とヨンジャは思う。

 夏期講習の初日に隣の席に並んで座った彼女はヨンジャに語った。

 ――みんな私のことをユリッペっていうの。ペって言うのは、日本では昔からあだ名でよく使われるんだけど、私のペは、ペ・ヨンジョンからきているの。小学生の頃、私がヨン様のファンだって言ったら、悪ガキに名付けられたわ。ペ・ヨンジョンファンならユリッペだよな、って。ヨン様からあだ名をつけるんだったら、ユリヨンにするべきなのだわ、そう思わない?

 いや知らないよ、という言葉が喉元まで出て来つつもどうにかこうにか飲み込んで、ヨンジャはにっと微笑んでごまかしたものであった。

 今日も夏期講習が終わった後に由里に誘われて学校から一キロほど離れたショッピングセンターに足を運んだ。

「私ずっと食べたかったんだけど、ひとりでくるのも恥ずかしいし、かといっていっしょに来てくれるような友達もいないし、悶悶としていたのよ」

 彼女はフードコートへとヨンジャを誘って、ラーメン店スマキヤでラーメンを注文した。

 そうして出来てきたラーメンをすすりながら、彼女は話すのであった。

「うん、この庶民的な味が最高だわ。おいしくもなければまずくもない、絶妙なバランスの味付けが飽きさせない秘訣なのよ」

 そうして、ラーメンを頬張りながら、自分のこれまで観てきた韓流ドラマの話をしてくる。

 由里は相当な韓流ファンらしく、韓国育ちのヨンジャが知らない俳優のことや、名前だけ知っているようなドラマのあらすじも話すし、Kポップアイドルや食べ物についてもそうとうな知識を保有しているのであった。それはもう彼女の血肉になっているように思えるくらいだ。

「韓国でもラーメンは食べるのでしょう」由里が言った。「いえラーメンよりもジャージャー麺の方がよく食べるのかしら」

「そうね、ラーメンも食べるけど」

「やっぱり辛いラーメンをよく食べる?あ、偏見は良くないわね。韓国料理と言えば辛いと言うのはまったくの偏見だわ。韓国だって辛くない料理なんていくらでもあるでしょう。日本の料理と言えばたんぱくな味付けだくらいの偏見だわ」

 由里は幼い顔立ちをして、制服の胸がはちきれんばかりに膨らんでいいて、その可愛い顔立ちとボディーラインによって男子生徒からの熱視線にはことかかないようであるが、反対に女生徒からの視線は冷え冷えとしたもののようだった。媚びているとか、腹黒いとか、そんなふうに思われて一部の女子からはあからさまにではないにせよ、陰で悪口を言われたり、根拠のない噂を流されたり、クラスではあまり陽当たりの良い場所には居所がなかったようであった。ヨンジャも、トイレなどで陰口に花を咲かせる女生徒たちから漏れ聞こえる、由里への誹謗を耳にしたことが、一度ならずあったものだった。

 しかし、由里と知り合ってこうして話をしてみると、けっして屈託顔をすることもないし、ほがらかな笑みはヨンジャの心もなごませるようだし、なぜ今まで接点がほとんどなかったのか不思議なくらいであった。

「ねえ、すずちゃん」

 と彼女はヨンジャのことをそう呼んだ。

「鈴ちゃんは、夏期講習が終わったら韓国へ帰るの?」

「ううん、しばらくは大阪のおばあちゃんの家ですごして、それから一週間か十日くらいは韓国に帰るつもり」

「大阪のお祖母ちゃん……」

 そうつぶやいて、由里はヨンジャのことをじっと見つめてくるのだった。あからさまに何かの言葉を待っている、という顔つきであった。

「よかったら遊びに来る?」

 とたんに、由里の顔がぱっとはじけて笑顔に変じた。

「え、いいの?友達になってまだ間がないから、さすがにないかなあ、なんて思ってたんだけど、そう、誘ってくれるのなら、ぜひうかがいたいわ」

 こういう所が、クラスの女生徒をして小川由里は腹黒いと言わせる所以ゆえんなのかもしれない。

 ははは、とヨンジャは少しひきつった笑みを浮かべた。

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