第7話 僕と彼女の表の日常


週が明けて、月曜日。


朝。


「つーちゃん、まだ寝てるの?早く起きて学校行きなさいな」


「今起きたの!うるさい」


母親の声で起きたくせに元々起きていたというような世界一意味のないプライドを見せつつ、僕は起床した。


その姿は学校では何もできないくせに家族には強く当たるクズの典型だった。


「ま〜た嘘ばっかり。ママもう、お仕事行くから、お姉ちゃんと朝ごはん食べてさっさと行きなさいよ〜」


自分のことママとか言うのはいい加減やめてほしい。


などと思いながら食卓に向かうと、ぼーっとした瞳でトーストを啄む姉の姿があった。


「月夜、母さんが甘いからって甘えすぎない。そんな口聞くものじゃないよ」


三咲霧夜みさききりよ。大学生の姉である。実家に帰ってきていたのか。


「霧夜ねぇ。朝っぱらからいきなり帰ってきて母さんにご飯作らせる人が言っても説得力ないよ」


姉は、普段は二駅ほど離れたところで一人暮らしをしているのだが、実家を二十四時間空いている飯屋と勘違いでもしているのか、早朝や深夜など非常識な時間に帰ってきては、母さんが睡眠中だろうが関係なく飯を作らせて、ふらっと出て行く無法者である。僕とは違い、自分でも多少は料理できるくせにそんなことをするのだからタチが悪い。


今日も僕が学校から帰る頃には姿を消していることだろう。


「.......お姉ちゃんにも生意気な口きかない。いつもみたいによしよしして黙らせるよ?」


「ごめん、何言ってるかわかんない」


脅すような口調で何を言ってんだか。とはいえ、僕も姉の言に対して無自覚な訳でもない。


自分がクズではないと信じたかった僕は玄関に向かい、


「いってらっしゃい母さん。いつも朝ご飯ありがとう」


母さんが家を出る瞬間にそう告げてみる。


「つーちゃん!」


母さんがパッと顔を輝かせて、締まりかけた玄関の扉を再び開けようとするので扉を無理矢理閉めて鍵をかけた。


僕の母親は警察官だ。


父さんの仕事は知らない。母さんが余りにもすぐに浮気を疑い、子供のような癇癪を起こすためか、開き直って家に帰って来なくなったのであまり会う機会がないからだ。離婚とかはしてないので愛想を尽かした、尽かされたということではないと思う。


自分でいうのもあれだが、僕が昔メンヘラだったのは、遺伝子的なものが一役買っていると思われる。加えて、母親の偏愛と溺愛を受け、その愛情表現が人との関わりの常識だと思い込んでいたことも大きい。


僕も反抗期やら何やら終えて、それなりに成長したし、母さんだって成長しないわけじゃないから、今はだいぶ落ち着いた方だと思う。


姉には「月夜は永遠の反抗期」というタイトルの謎レポートを見せられたことがあるが、そんなものを僕は気にしない。


姉は基本的に何事にも入れ込みすぎず、適当かつ器用にこなす性格で、僕とはだいぶ性格が異なる。それを父さんに似たんだと、母さんは言う。


それでも僕にはそれなりに優しくしてくれるので関係は良好だ。


母さんの警察官の仕事のシフトがどうなってるのかはよく知らない。

平日の昼間から家にいることもあれば、休日に仕事に行ってる時もある。


今日はめんどくさいから行かなくていいの〜、などとほざいている時もあるが、さすがに冗談だと思いたい。鬼電がかかってきている携帯をぶっ壊していたことがあったのも多分何かの間違いだ。


現に僕は普通に生活させてもらえているし、大丈夫なんだろう。たぶん。


そんなことを考えながら支度を整え、食卓からパン一枚に目玉焼きを乗せたものを口の中いっぱいに詰め込み、僕は家を出た。


優雅に食事を続けながら、無言でひらひらと手を上げて僕を見送る姉が心底羨ましかった。


「おぇ」


朝は嫌いだ。眠り足りない身体を引き摺るだけでも死にたくなるのに、学校での惨めな生活を思えば鬱にもなれる。

寝不足特有の僕を襲う謎の吐き気はそれを助長するし、月曜日などもってのほかだ。


「けど......」


今日の通学路での僕は、ほんの少しだけ足取りが軽い気がした。


革靴から瞬足くんに履き替えたような足取りだ。


コーナーで差をつけようとして、パンを咥えた美少女とぶつかれそうな気さえする。


友達ができた。


いつまで続く関係かはわからないけれど。


それだけで、ほんの少しでも鬱屈した気持ちが和らぐとは思ってもみなかった。


ま、表の金髪氷織とじゃ話せることなんてないし、実際はいつもと変わらぬ学校生活が待っているだけなのだが。


そんなことを考えながら、学校に到着した僕は、教室の扉を開けた。


「おい、修斗。昨日の試合見たか?」


「あー、あれか。燐の好きな選手が活躍してたか」


「そうそう、でさー」


あー、このパターンか。僕は寝起きが悪いので、当然登校も遅いことが多い。


登校が遅いとどうなるか。


見ての通り、自分の席がリア充に占領されてしまうのだ。


だが、僕のように、それを何度も経験していればそれなりの対策もある。


まずはここで臆さず、自分の席に向かう。


そして無言で鞄だけを机の脇にそっとかける。


さりげなさは必要だが、自分が登校してきたということだけはしっかりと奴らに認知させなければならない。


この時不機嫌な顔をしていたりしてはいけない、声をかけるのもよろしくない。


これらをしてしまうと、相手の反感を買ってしまう可能性がある。


そして、そのままUターンを決め、手を洗ったり、シャボネットでシャボン玉つくって遊んだりして奴らが席を離れる時間を与えてやる。


最後に再び教室へと戻る。


これで普通のリア充なら、大体八割くらいの確率で退いてくれている。


しかし、今回僕の席を座っているのはあの逆巻修斗さかまきしゅうと。僕の前の席に座る成瀬燐なるせりんとの会話に夢中な様子だった。


奴らはリア充の中のリア充。陽の中の陽。


そう簡単にはいかないかも知れない。


幸先悪いな、などと思いながら手をピカピカにした僕が教室へと舞い戻ると、


「だから今日あのプレー練習しようと思ってさ。だから修斗、今日サッカー部に顔出してくれない?」


「はぁ?なんでだよ」


「信頼できる上手いやつがもう一人必要なんだって。頼む」


「高くつくぞ?」


「男子ってすぐ夢見るわよね。そんなの簡単にできっこないって」


案の定さら会話は弾んでおり、なんなら潮海雨音しおみあまねが会話に加わっている始末だ。


「あ、もしかして昨日のサッカーの話?アタシも混ぜろよ。なんかイケメンの選手活躍してたねー」


あーもう、また新手か。


潮海に背中から被さるように会話に入っていったのは松原瑠衣子まつばらるいこだ。茶髪巻き髪女子。


「わっと。もう、るいるいもそんなの見てたの?」


美人で気が強くて、普通のクラスの女ボスって感じだ。氷織や潮海と比べるのは、さすがに酷だろうけれど。

カーストトップ四人とは違う中学だが、有名人だったらしく、中学時代からの顔見知りのようだ。このクラスに来てからは特に潮海と仲良くなったみたいだ。


くそ、全員ぶっ殺してやりたい。そこは僕の席だろが。鞄置いてったろがい。


自分の席にすら自分の意思で座ることが叶わない事実に惨めな気持ちが湧いてくる。


「ぐぅ……くそが」


おっとこんなことで泣きそうになるな僕。


落ち着けこのくらいよくあることじゃないか。

始業まで廊下なりトイレなりで待っていれば済む話だ。この程度の惨め、毎日想定していることだろう。


「うぇ〜。寝不足ー。もう動けないー」


クラス内カーストトップの会話にだらだらとした足取りで最後に加わったのは完全に金髪モードに入っている氷織だった。


「おはよ。ひおりん。ほんとに眠そうね」


「おはよー、あまち。さかま、席譲ってー」


「あ?俺に命令か?」


氷織の軽い頼みに、逆巻が突っかかったことで、周囲の三人が少し気まずげに顔を見合わせるが、氷織は気にした様子もなく言葉を返す。


「そういうのどうでもいい。眠いの」


「はっ。ま、冗談だけどな」


それに逆巻は楽しげに笑みを浮かべて、案外あっさりと席を譲り、氷織がそこに座った。


僕の席だけどねそれ。


「てかそこ、そもそも修斗の席じゃないでしょ」


潮海が冷静なツッコミを入れたところで、僕の席で項垂れていた氷織が一瞬こちらに視線を向ける。


そして、ブカっとした袖の上から定規で手首を切るジェスチャーをした。


即ち、今のうちに私を殺って、と。


……リスカを合図に使うなっての。


などと思いながら席に向かい、そっと声をかける。


「あ……あの」


「ふぇ?あぁ、ここ三咲くんの席だったね。ごめんね〜。今、私達退くからね〜」


耳を澄ましていなければ聞こえないような呟きに、氷織がすかさず少しオーバーに反応してくれた。


「おい、お前動けねぇっつってたろ」


「今回復したー」


ふわふわとした口調で真っ先に氷織がそういって席を空け、移動すると、自然と他の四人もそれに続いていった。


本当にあれは氷織なのだと改めて実感しながら、視線で感謝を告げ、僕は自分の席に座ることができた。


僕にヘイトを集めないための最大限気を遣ったやり方に、少し感動すら覚えた。


ピロン、と携帯に何かの通知が入る音がした。


ソシャゲのイベント通知かと思ったが、どうやらメッセージアプリからのようだ。

母さんかな。


えーっと……


『(氷織)私……頑張った?』


は?


氷織からメッセージ?


連絡先を交換した覚えなどない。

そもそも、僕の連絡相手など家族以外には一人もいないのだ。


まさか、先週末か?


「おーい、ひおりん?そんなに爪噛まないの。じと目かわいいけど」


「ん〜?にゃにがー?」


「いや、だから爪」


マホヤミに夢中になってたとき?

でも携帯のロックとか……


「アッハ、何やってんのひおりんうける。ガキじゃないんだから」


「やめといた方がいいぞ、有栖川。修斗が変な目で見てる」


いいや、考えんとこ。

五分ほど記憶の海を彷徨った結果、そう結論づける。


「あぁ?見てねぇだろ。適当なこと言うな燐」


「マジ?逆巻くん、こういうの好み?」


でも初めての、家族以外の連絡先か。

もうちょっとその感動を生で噛み締めたかったなぁ。

やっぱリアタイと録画じゃ違うんだよなぁ。


「お前も乗っかんなよ、瑠衣子」


「えぇ、しゃかまきみょい(さかまきもい)」


「じゃあやめろ!あざといんだよ」


「ちょ、ひおりんいい加減やめなさいって。爪割れ——」


あ、既読つけなきゃ。


「もうやめてるよ〜?」


「私をからかって楽しい?」


えっと、返信しなきゃ。


『(三咲)頑張ったね。ありがとう』


『(氷織)にへへ』


「嬉しい」


「楽しい超えて!?なんか微妙に会話が噛み合ってないような……」


氷織は返信早いなーなどと思いながら、初の友達との連絡を噛み締めたところで始業のチャイムが鳴った。

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