最後に消える者

大橋東紀

最後に消える者

 もう中学二年生なんだから、病室は男の子とは別にして欲しい。

 隣の、空っぽのベッドを見ながら、マユは思った。


 そう思いつつも、大好きな男の子……。今、洗面所に行っているツバサと同じ部屋で、一晩を過ごせたのは嬉しかった。


 二年生になって、ツバサの隣の席になれたのはラッキーだった。

 乱暴で子供っぽい男子の中で。落ち着いた雰囲気のツバサは優しくて。内気なマユを、なにかと助けてくれた。

 毎日、なにげない言葉をかわすうちに、マユはどんどん、ツバサの事が好きになった。

 だから、この臨海学校で、もっと仲良くなれると思ったんだけど。とんでもない事になってしまった。


 マユとツバサは、自由時間に宿舎を抜け出して。海岸にある洞窟に向かい。その奥にある、小さな神社まで行ったのだ。

 洞窟の突き当りにある、小さな神社にはたどり着けたものの。その時、少し大きな地震が起こり、揺れにおびえた二人は、うずくまって動けなくなってしまった。


 数時間して、もう外が暗くなりかけた頃。

 宿舎に残った生徒たちから、二人の行先を聞いて、探しに来た先生たちに救助され。二人はそのまま、念のため地元の病院に入院させられたのだ。


 昨晩のうちに簡単な診察をされ。二人ともケガもなく一晩で退院する事になったが。宿舎に帰ったら先生に、たっぷりとお説教されるだろう。


「マユちゃん、洗面台があいたよ」


 顔を洗いに行ったツバサが帰ってきた。マユは洗面道具を手に、ツバサと入れ替わりに廊下に出ようとしたが。


「あのさ」


 不意に後ろから、ツバサに声をかけられる。


「俺たち、もう一人いなかったっけ?」


 え?

 振り返ると。ツバサは、何かむずかしい顔をしている。


「ツバサくん、何を言ってるの?」


 ツバサは、自分でもよくわからない、といった感じで答えた。


「いや、あんな神社に行こうなんて、俺もマユちゃんも言わない気がするんだよね」


 マユはドキッとした。

 少しシャイで引っ込み思案なマユ。

 マジメな優等生のツバサ。

 確かに、臨海学校を抜け出して、洞窟の奥にある神社に行こうだなんて。

 この二人なら、言いそうにない。

 マユがそう思った瞬間。


『近くに、すっごいパワースポットがあるんだって!』


 いつも聞いていたのに、今まで忘れていた女の子の声が、マユの脳裏に響いた。


『海岸にある洞窟の奥に、願いをかなえてくれる神社があるの』


 どうして、今まで忘れていたんだろう。

 臨海学校の宿舎に着くやいなや、そう言った子がいたんだ。


『みんな行かないの? 先生に見つかるのが怖い? じゃぁ、私とツバサっちだけで行こうよ』


 だからマユは慌てて、二人について行ったのだ。あの子とツバサ君を、二人きりにさせたくなくて。

 でも、「あの子」って誰?

 さっきまで綺麗に忘れていたのに。まるで、深い海の底から、何かが浮上してくるかの様に、マユは思い出した。


 ルカちゃんだ。

 地味な見た目をコンプレックスに感じて、いつも誰かの後ろにいるマユとは逆に。

 明るくて、男子にも平気で話しかける、ちょっと大人っぽい女の子。


 オシャレやファッションが大好きで。自分をキレイに見せる事が得意で。

 ユーチューバーやアイドルの事ばかり話して、いつも笑い声とざわめきの真ん中にいる、ルカ。


 そして、マユにとって最大の問題は。

 ルカも、ツバサ君の事が、好きみたいだという事。


「なになに? マユとツバサっちは、何を話してたの?」


 ルカはいつも、ツバサとマユの間に割り込んできた。

 そして、話題を強引に自分の方に引っぱって。ツバサくんと、ずっと二人だけでしゃべっちゃうんだ。


 そんなルカを見て、いつもマユは、思っていた。

 困った様な笑顔を浮かべながら、思っていた。

 私から、ツバサくんを取らないでよ!


 あなたは、他の男子にも好かれるじゃない!

 私は、ツバサ君しかいないのに……。


「マユちゃん?」


 立ちつくすマユを、ツバサが心配そうに見ていた。


「どうしたの? 気分でも悪いの?」


 意を決し、マユはツバサにたずねた。


「ツバサくん……。ルカって女の子、覚えてる?」


 帰ってきた答は、マユを絶望に突き落とした。


「誰それ? 何かのアニメ?」

「え、同じクラスのルカちゃんだよ?」

「そんな子、いたかなぁ」


 きょとん、としたツバサの顔を見て、マユはさぁっ、と血の気が引いていくのを感じた。

 私は思い出したけど、ツバサくんは、完全に忘れてるんだ。


「さっき言ったじゃない。私たち三人いなかったか、って。もう一人いたんだよ。ルカちゃんと、私と、ツバサくんで洞窟に行ったんだよ」


 マユが必死で言えばいうほど、ツバサは首をひねるばかりだった。


「う~ん、マユちゃんと二人で洞窟に行くのはおかしいなぁ、と思ったけど。そのルカちゃんという子を知らないんだよ。いや、昨日、洞窟に行った時だけじゃなくて。普段から。そんないたっけ?」


 その瞬間。ユナは、鮮やかに思い出した。


『ルカちゃんが、いなくなりますように』


 昨日、洞窟の奥にある、なんでも願いをかなえてくれると言う神社。

 実際は、古びた木製の、小さな苔むした祠だったけど。

 そこの神様に向かって、心の中で、マユは願ってしまったのだ。


 どうしよう。

 私が願ったから。

 神様がそれをかなえて、ルカちゃんが消えちゃったんだ。


 今、ここにいないだけではなく。

 みんなの記憶からも消えて、最初から、いなかった事になったんだ。


「ツバサくん!」


 マユはツバサにすがりついた。


「お願い、昨日の洞窟に、もう一回行って!」

「えっ、そんな事をしたら、また怒られるよ」


 ためらうツバサを見て、マユは思った。

 昨日の今日だもん。当たり前だよね。


 でも……。


 もう一度、あの洞窟に行って、あの祠の神様に、お願いしなくちゃ。

 ルカちゃんを返して下さいって!

 思いつめるマユの耳に、ツバサの優しい声が聞こえた。


「何か忘れて来たの? あの洞窟に」


 マユは、こくりと頷いた。


「そうか。じゃぁ、行かなきゃならないね」


 顔を上げると。いつものように優しく微笑んだツバサが、そこにいた。

 マユは思った。だから、ツバサくんって大好き。


 そこから、用心深く、そして大胆に。昨日、臨海学校の宿舎を抜け出したように、マユとツバサは病院を抜け出した。

 途中、何人かの看護師さんや、お医者さんとすれ違ったが。

 皆、忙しいのか二人には目もくれない。

 数時間後に退院予定の中学生二人が、勝手に病室を抜け出すなんて、思いもしないのだろう。


 外へ出た二人は、ひなびた漁村を通り抜けて、昨日も行った海岸へと急いだ。


 波の荒々しい音が響く中。断崖にぽっかりと口を開けた洞窟を見て、マユは怖くなった。

 昨日もそうだった。あの時、一人ででも、帰れば良かったんだ。

 でも、もう逃げられない。消えてしまったルカちゃんを元に戻さなきゃ。


洞窟の入り口から、ツバサとマユは入って行った。


中は、ひんやりとした空気が漂っていて、足元には時折、小さな水たまりが現れた。


マユが、どうやって水たまりをまたごうか迷っていると、ツバサが手をつないでくれた。

ホッとすると同時に、マユは思いだす。


そうだ、昨日はここで。ルカが、よろけたふりをしてツバサに抱きついたのだ。

そしてそのまま、ずっと彼の腕に自分の腕をからめていた。それを見て、マユはカチンと来て。ルカなんか消えればいいと思ったんだ。


ズキン、と心が痛み、マユは思い出していた。ルカちゃんは別に、嫌なだけの女の子だった訳じゃない。私にだって優しくしてくれたんだ。


「一人が好きなの?」


 皆の中にうまく、とけこめず。教室でも、一人で本を読んでいることが多かった私に、ルカちゃんは声をかけてくれた。


「好きって言うか……。他にする事ないから……」

「じゃぁさ、今日、皆で隣町のショッピングモール行くんだけど」


 二カッと笑うと、ルカちゃんは言ってくれた。


「マユも行こうよ。アタシたち一緒に遊んだ事ないから、絶対、楽しいよ」


 ルカちゃんは別に、イジワルな子でも、嫌な子でもなかったんだ。

 ごめんね、ルカちゃん。神様にお願いして、戻してあげるからね。

 そう決心すると、マユは先に進んだ。


 二人は奇妙な形をした岩が続く洞窟を、奥へと進んで行った。

 一歩進むごとに、自分たちの足音が妙に大きく反響する。

 やがて洞窟の終わりに辿り着く。そこには昨日のまま、小さな祠が佇んでいた。

 マユは覚悟を決めた。もう、この祠に祈るしかない。

 祠の前に両ひざをつき。マユは両手を合わせて拝みだした。


「マ、マユちゃん?」


 驚くツバサの前で。頭を垂れ、必死に祠を拝みながら、マユは心の中で繰り返す。

 神様、お願いです! 

 ルカちゃんを元に戻してください。私が悪かったです! 

 私はどうなってもいいから、ルカちゃんを戻してください!


 その時。

 

 一陣の風が洞窟の中を吹き抜け、マユの髪を揺らした。


「う~ん」


 突然、祠の後ろから、女の子の声がする。


「やだ、アタシ、なんか寝ちゃってた?」


 声とともに。祠と岩壁の隙間で、横になっていた女の子が立ち上がる。


「ルカちゃん!」

「おはよー。てか、今、何時? アタシなんで、こんな所で寝ちゃってたのかな?」

「もう! マズいよ。先生に怒られちゃうよ」


 祠と岩壁の隙間から、這い出て来たルカは、白い歯を見せてニッ、と笑った。


「早く帰ろうよ、ツバサっち。お腹すいちゃった」


 そう言うとルカは、ツバサの手を取り、洞窟の出口に向けて歩き出した。


「ここの神様、やっぱりすごいね。ツバサっちと二人きりになりたい、とお願いしたら、もうかなっちゃったよ」


 その言葉を聞いて。ツバサは顔を真っ赤にして、そして。

 祠の方を振り返って言った。


「あれ? 俺たち、もう一人いなかったっけ?」


 

 









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最後に消える者 大橋東紀 @TOHKI9865

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