ワーク!ワーク!ワーク!

りゅうちゃん

第1話

「なぜ、働きたいのですか」 

 まだ蒸し暑さが残る夏の夕暮れ。一人の青年が長い長い登り坂をとぼとぼと歩いている。ここは東京第三地区、以前は多摩と言われていたところだ。巨大な集合住宅が立ち並び、変わり映えの無い景色が延々と続く。さらに、その先に彼の住む棟がある。ここは駅から歩いて帰るには遠すぎるが、コミュニティバスの本数は非常に少なく、タクシーもほとんど走っていない。バスの時刻に合わせて行動するか、事前にタクシーを予約しなければ、駅から延々と歩かないと行けない。この地区の住人は少なくはないが、交通の利便性は驚くほど悪い。だが、住人がいかに多くとも、日常的に駅を利用する人間がいないのだから、交通の利便性が向上しないのも、当然だともいえる。そう、彼自身も駅を使うのは数か月ぶりだった。 

 彼は今、東京第一地区と呼ばれる都心部からのここ第三地区への帰りだった。東京第一地区、そこは第三地区とは異なり、公共交通機関が非常に充実していて、駅には無料タクシーが複数台常に待機し、歩くにしても空調の効いたアーケードから出ることもなく目的地まで遊歩道で行くことが出来る。彼の目的地はアーケードの目の前にそびえ立つ真新しいオフィスビルだった。豪華なエントランスを抜け、受付に行くと、美しい女性が面接会場まで案内をしてくれた。彼が今日、ここに来たのは、この企業への就職面接の為だった。 

 現在、若者の就業率は二割以下となっている。数少ない求人に対して、求職者が溢れるほどいる状況だ。だが、かと言って町中に失業者が溢れている訳でもない。働かずとも安定した生活。そう、人々は働かずとも暮らしてゆける社会システムが構築出来たのだ。世界的な疫病の流行、戦争や壊滅的な自然災害を経て、AIやロボットが劇的に進化した。産業は人の手を必要としなくなり、ついに、人々は労働の義務から解放されたのだ。衣食住、生活に必要な物は政府が支給し、さらに嗜好品や娯楽、遊興費すら給付される。支給される衣服や食料、住宅、さらに嗜好品の製造販売から、音楽や映像、レジャー施設の運営までもが政府の管轄だ。これらはAIで選出されたエリート達が公務員として運営管理を行っている。それ以外には統治者としての政治家がいるが、AI以上の政治的判断や政策を打ち出すことも無く形式上存在しているだけであった。人の手のかかる特殊な商品やサービス、海外からの輸入品などだけが民間で取り扱える商品だ。日常生活は官製品のみで十分賄えているので、民製品の市場は大きくはない。政府からの安定した生活が保障されているこの状況では、富の分配も必要なく、経済を回す為だけの、仕事の為の仕事のような不要な仕事は淘汰されている。民間企業で行うべき業容は限られており、そのために必要な労働力も人間も限られている。 働く為にはその限られたポストを求職者たちで争い、その中から勝ち得るしかなかった。

 面接会場に入ると、中央に座らされ、目の前には会社の面接官が並んでいた。 

「まずは自己紹介からお願いできますか」

個人情報の閲覧を許可しているので、今更、説明する必要はない。個人情報から、AIを通して、知性、教養、性格、嗜好とあらゆるパーソナリティは丸裸にされている。形だけの茶番だが、やるしかない。簡潔に自己紹介を行い、引き続き会社側の説明。そして、差し障りの無い質問。まったく、寸分変わらずマニュアル通りに進めているのかと思うほど単調な会話が続いた。ようやく終わりになるかと思ったら、それまで無言であった一番奥にいる初老の紳士がおもむろに口を開いた。 

 「なぜあなたは働きたいのですか」

 急な質問で、一瞬気が動転した。質問の意図が理解できなかった。頭に『当社で』とでも付けば分かるのだが、似たような質問がすでに出ている。会社や業界、業種では無く、純粋に働くことに対する考え方を問うているのだろうか。何故、何故働くのか、働きたいのか。そんなことは考えたことも無い。物心ついた頃から、働くことがステータスだと教え込まれ、それに向けて、今まで勉強し続け、知識、教養を身に付けてきたのだから。何故そんなことを聞くのか。ただ時間だけが過ぎて行き、その沈黙に耐えきれず、思わずでた言葉は

「働かざる者、食うべからず」

初老の紳士の顔色は窺えなかったが、

「しっかり働いて、しっかり食べて下さい」

と、そして司会の男性が今後の事務手続きについて説明を行い終了となった。

 面接からの帰り道、「なぜあなたは働きたいのですか」という質問が頭から離れなかった。この第三地区は働いていない人ばかりだ。早期退職で隠居しているような人もいるが、大半は求職中であり、仕事が決まれば、都心に出て行く。中には競争倍率の高さから、初めから就職することを諦めている人も少なくないだろう。当たり前のように仕事を求めたが、なぜ働くのだろうか。なぜ働きたいのだろうか。 生活の為か、別に働かずとも安定した生活が政府によって保障されている。いやそれどころか、かなり余裕のある生活を送ることが出来る。それでは、経験を積むため、成長する為か。確かに仕事をすることで経験は積め、成長もするだろう。でも、何の為に。経験を積んだところで、仕事以外では役に立つことはあるのか。仕事をすることで成長するかもしれないが、仕事をしないと成長しない訳ではない。そもそも、成長したいのか。成長とは何なのか。社会的意義。そんなもの自体はあるのか。会社自体無くなっても社会は困らないこの時代に。ただ働いていた人間の仕事が無くなるだけだ。やはり、金の為か。確かにお金があれば、より良い生活ができるが、政府の支給品で十分満足できるのに、何が欲しいのだろうか。残念ながら、僕には欲しいものなどは無かった。 

 そんなことを考えながら家に帰ると、見計らったようにメールが届いた。それは、内定の連絡だった。承諾か否か。承諾すれば、契約や研修の資料がダウンロード出来る有効期限付きのメールだ。僥倖であるはずなのに、働くことに疑問を持った僕は、内定の喜びよりも、不安、このまま働いてよいのだろうかという思いのほうが強かった。時間は刻々と過ぎて行く。悩んだ。非常に悩んだが、悩んだところで答えが出る訳でもない 結局、僕は働くことに対する是非の判断はせず、問題は先送りにすることにした。そして、今は働く権利を確保することに。就職しても、辞めることは出来る。今辞退してしまえば、次に就職するチャンスがあるとは限らない。承諾すれば自分の意志で辞める選択権は得られるが、辞退すれば、その選択権すら手に入れられない。そう、働いているうちに、何か、その意義ややりがいが見えてくるかもしれない。消極的な理由ではあるが、私は承諾することにした。

 入社して感じたのは、仕事が想像していたのとは全く異なっているということだった。事前資料で業務内容は理解したつもりだったが、これほど単調だとは思わなかった。単調で単純な仕事ばかりだ。しかし、その量は恐ろしく膨大であった。企業理念は「全力で挑まない者は去れ」働く必要が無くなった現在では、労働者を守る法律など無い。嫌なら辞めれば良いだけだから。労働市場は供給過多。不満を言う人間を雇用する必要もなかった。会社で生き残るためには、働いて、働いて、その上さらに、働かなければならなかった。働きはじめは、あまりの過酷さに幾度も辞めようかと思った。だが、辞めるのは何時でも出来る。続けていれば、やりがいや仕事の意義が見えてくるかもしれない。辞めてしまえば、それすら分かることはない。さらに、辞めるという選択肢すら無くしてしまう。今使うべきか否か。もう少しだけ、我慢してみよう。いつでも辞めれるのだから。それでも、この時はまだ余裕があったのだろう。今はそのようなことを考える暇も無いほど忙しい。膨大な業務を限られた期間で実行していく。ここに残りたいなら、過酷でも無理でもこなすしか無い。こなせなくなれば、ここから退場させられてしまう。考えるな、考える暇があるなら、目の前の仕事をしろ。考えたら終わらない。終わらす為に、今日も会長からの差し入れを片手に、深夜まで働き続けるのだ。

 「以上が今回の報告となります」

期待通りの報告であった。 

「彼の様子はどうですか」

「予想以上の働きです。 会長の慧眼には感服いたします。 正直彼には気概のようなものは感じられなかったので、この職場に耐えきれるとはおもいませんでした」「彼のように明確な目的や希望がない方が、落胆や絶望を感じることが少ない。 だから余計な事を考えずに、働いてくれる」

「そう言うことだったのですね。彼の働きもあり、今期も前期を超える利益が確保できました」

「あなたには期待してますよ。彼らをもっともっと働かせて、さらなる利益を当社にもたらして下さい」

「ご期待に添えるよう尽力致します」 

 当初の予想を超える利益であったが、まだ足りない。もっともっと稼がなけば。企業を存続させるには、さらなる利益を上げて、会社を大きく、強くするしかない。 そして、それゆえにより多くの利益を得なければならない。稼いで、稼いで、さらに稼がなければならない。それが私の責務だ。「何のために」 いや、余計なことを考えていけない。立ち止まって考える暇はない。迷いは、ここから退場することを意味する。ここに残りたければ、何も考えず、働いて、働いて、さらに働くしかない。

 彼も最後まで知ることは無いだろう、働くことの目的を。そして、使うことも無いだろう、辞める権利を。働いて、働いて、働き続けるのだ。いずれ働け無くなるその時まで。

                   了

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