第13話 攪拌された頭の中で思い出したこと

 それからジクは退治の実戦をセツに、亡骸の処理方法や加工方法をヒナギクに、事務処理や結社内での立ち回り方をロカに教わりながら日々を過ごしていった。


「それで、ジクの見込みはどうかな? ロカ本部長」


 静かな会議室のなか、額に包帯を巻いたセツが薬湯の入った湯呑を口に運んだ。


「ええ。飲み込みが早くて俺もヒナギクも助かっていますよ」


 軽くうなずいて、ロカが紅茶の入ったティーカップを口に運ぶ。


「そっか。それなら、そんなに待たずにこの役目からようやく解放してもらえそうか」


 黒い蛇の紋様が刻まれた手が包帯をなでる。前日までの毒餌としての任務で負った傷痕のうえに指が触れると、銀色の眉が軽くひそめられた。


「傷、まだ痛みますか?」


「んー、痛みはないけれど、少し眩暈がするかな」


「そうですか」


「いやあ、まいったよ。今回のあやかし、頭の中を引っ掻きまわすんだから。脳クチュは痛みはそれほどでもないけれど、違和感がしばらく残るからな。ちなみに、回収されたときジクは心配しつつ興奮してたけれど、ロカ的にはどう?」


「くだらないこと聞かないでください。それより、頼まれていた調査の報告書ちゃんと読んでくださいよ」


「はいはい、ごめんごめん」


 薄灰色の目がテーブルに置かれた紙の束に視線を落とす。一番上の資料には幼いジクの写真が貼られている。


「本名、劫火院こうかいん 慈久じく。救抜衆生会に所属するあやかしの母親と人間の父親の間に生まれる。あやかしの特徴が強かったため、『人の子供を産むことで世を救うべし』という会の教えを盲信する母親から疎まれる。五歳下の弟があやかしの被害に遭って亡くなった後、激昂して襲いかかってきた母親を手にかけて逃走」


 白い指が資料をなぞっていく。


「ここまでは、ジクの父親から聞いた話と同じか」


 指が止まり薄い唇から深いため息がこぼれた。


「多分、ここから先も知っている話だけですよ。逃走中シキに拾われ、第一支部危険集団殲滅班所属となり、若干偏った教育を受けながら主に『人とあやかしの融和』を立前にした集団の殲滅任務にあたり、半妖の社員たちの一斉処分を生き延び、貴方にたぶらかされて今にいたる」


「ちょっと待て、最後に余計な一文が入ってなかったか?」


「でも事実じゃないですか。それよりも、今さらなんでジクについての資料を欲しがったんです? 危険集団殲滅班に潜入するときにだって、かなり読み込んでいたのに」


「ふふふ、私はこう見えてやきもち焼きらしいからね。愛しい子が過去に誰かを愛していなかったか、もう一度しっかり確認しておきたい気になっただけさ」


「またそうやって適当なことを言う。本当にろくでもないんですから」


 向かい合ったロカが深いため息を吐いて紅茶を口にした。


「……念のため先に言っておきますが、血統を遡って調べても貴方に呪いをかけたというあやかしとの接点はみつかりませんでしたよ」


「……そうか」


 眼鏡越しの視線に射抜かれ、セツの笑顔にうっすらと影が差す。


「なかなか鋭いなロカは」


「ジクにあなたから聞いた昔話をしたときに、髪の色が同じだと思い出したので。でも、気にしすぎだと思いますよ。人を食らう人型のあやかしが赤系統の髪色をしていることなんて、珍しくないですし」


「そう、だよなぁ」


 言われたとおり、長い生の中で赤髪のあやかしは何度も退治してきた。目の前の写真に写る幼い頃のジクも、記憶にこびりついた件のあやかしと似ているわけではない。


 それでも、互いの望みを叶えると約束した日、その姿がたしかに重なった。


「……ぅ」


 昨晩、無遠慮にかき回された頭の中が鈍く疼く。


「セツっ……」


 眼鏡越しの金泥色の目に一瞬だけ焦りの色が浮かびすぐに元に戻った。


「まだ痛むようなら、薬湯の他に鎮痛剤を持ってきましょうか?」


「……さっすが本部長。いかなるときも冷静ぃ」


「ええ。俺が命じた仕事ですから、いちいち動揺なんてしていられませんよ。貴方は薄情だと罵るかもしれませんがね」


「ははは。さすがの私も仕事を七割くらい減らしてくれて、アフターケアもバッチリな上司に向かって薄情と言うほど罰当たりではないよ」


「そうですか。なら、ゆくゆくはトップに立って毒餌なんて非効率なやり方を完全に廃止する予定なので、殺してもらって全てを終わらせる、なんて罰当たりな方法もとらないでほしいものなんですがね」


「それはまことに申し訳ない。本部長殿の次のトップやその次のトップが、方針を引き継いでくれる保証がないのでね。確実に呪いを解く方法をとりたくなってしまった愚かで罰当たりな部下に、どうかなにとぞご慈悲をいただきたい!」


「……話を元に戻しましょうか」


「……そうだな」


 紋様が刻まれた手が、再び薬湯を口に運ぶ。


「つまり貴方の不安はすべて考えすぎ、と言ってさしあげたいところなんですけれどね。貴方の嫌な予感は、昔からここぞというときに的中しますから」


「そうなんだよなぁ……。まあ、遠い血縁者くらいの関係で済んでくれるならよかったんだけれど」


「そうじゃないとなると、…………てき……か……かね」


「ん?」


 突然、ロカの声に雑音が混じった。


「ロカ、今なんて言った?」


「あはは、すみません。さすがに、以前貴方に聞いたお伽話じゃないんですから、それはないですかね」


「いや、そういうことじゃなくて、うまく聞き取れなくて」


「え? だから、…が…………たか、と」


「ぅ……」


 またしても声に雑音がまじり、頭の中の疼きが酷くなっていく。


「……セツ?」


 さすがに目の前の顔にも不安げな表情が浮かぶ。


「ははは、そんなに心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。ただ、ちょっと昨日のダメージが残っているみたいだな」


「そう、ですか。なら今日はもう部屋に戻って、ゆっくりしていてください。次の仕事は当面先になるので、二人でのミーティングはまた後日にしましょう」


「んー、そうするかな。ジクもそろそろヒナギクの手伝いから帰ってくるだろうし、たまには掃除して夕飯でも作ってやらないと」


「……仕事帰りの部下に、心労をかけるようなことはしないでやってください」


 会議室の中にロカの力ないため息が響いた。



 ※※※


 一方のジクはヒナギクとともに取り掛かっていたあやかしの解体を終え、部屋に戻るところだった。


「ジク! 手伝ってくれてありがとうなんだよ!」


「いえいえ、どういたしまして」


 無邪気な笑顔に微笑みを返したが、内心穏やかではなかった。


 先ほどまで取り扱っていたのは、昨晩セツの身体をいいように嬲っていた蠕虫の集合体のようなあやかしの亡骸だった。武器に転用するからという理由で塵に返すことは禁じられていたが、作業中にバラバラにしてやりたい衝動に何度も襲われた。


「あとのお片付けはヒナギクがやっておくんだよ!」


「分かった。でも、本当に大丈夫?」


「大丈夫なんだよ! それよりも、ジクは早くセツのところに行ってあげてほしいんだよ! ロカ様が念のためにお薬を渡してるけど、お仕事のこーいしょーとかがでてるといけないから!」


「うん、ありがとう。じゃあ、あとはお願いね」


「任せてなんだよ!」


 満面の笑みに軽く手を振って作業室を後にする。


 部屋にたどり着くと、扉の内から何やら物音がした。その瞬間、出掛け際に「今回の仕事はまだ軽いほうだったから、待っている間掃除でもしとくよ」と言われたのを思い出した。掃除をするつもりで部屋の床を水浸しにしていたいつぞやの記憶も蘇り、言いようのない脱力感がジクを襲う。


「ただいま。病み上がりなんだから大人しくし……っ!?」


 しかし、扉の中にあった状況は予想よりもはるかに厄介なものだった。


「なんだ、これ……」


 部屋中に血と果実と薬がでたらめに混ざった香りが充満している。


「セツ! セツ……!?」


 靴を脱ぎ捨て香りを辿って進むと、こめかみから血を流し壁にもたれかかるようにして床にへたり込んだセツを見つけた。

 薄灰色の目と薄い唇は虚ろに半開きになり、手には果物ナイフが軽く握られている。


「セツ!? どうしたの!?」


「ぅ……、ジ、クか……っあ!」


 甘い悲鳴とともに壁にもたれていた肩がビクリと跳ねた。よく見るとズボンの前が苦しげに押しあげられている。


「は、は……、きのうのあやかしが……っぅ、まだあたまのなかにのこっ……、てたみたいで……ぁぅ」


「そ、んな……」


「とりたひのに……っ、ほねがかたくて……あぁあぁ゛っ!?」

 

 突然、セツが頭を抱えながら床に倒れ込んだ。


「セツ!?」


「や゛、そこかきまわさないれ゛ぇ!!!」


 紋様が刻まれた手で銀色の髪を掻き乱しながら、床をのたうち回り許しを請う。それでもあやかしは満足しないらしく、華奢な身体は痙攣しつづけた。


「セ、ツ……」


 早く助けないといけないのに、痴態を前に身体が動かない。


「あ゛、ごぇんなさ……、もっやめ……くひっ!?」


 頭の中を攪拌される苦しみに苛まれて震える腕が、立ち尽くすジクの脚に伸ばされる。


「おねがっ、ジク、これとってくぇ」


 紋様の刻まれた手が裾にしがみつき、汗まみれの額が足の甲に擦り付けられた。上昇した体温が靴下越しに伝わる。


「おねがひだからぁ」


「っそう、言われても」


 中のあやかしを取り出すには頭に穴を開けないといけない。

 しかし、そんなことをすれば確実に命を奪うことになってしまう。

 自分の手で呪いを解くと約束はしたが、少なくともこんな形ではない。


「ぃ゛っ!? や゛ら゛、そこや゛め゛……あ」


 不意に苦痛と快楽に歪んでいた顔にへらりとした笑みが浮かび、裾を掴む手が床に落ちた。


「きもち、いい……」


 頭に巣食うあやかしはそのままだが、幸いにも快楽を感じる部分を刺激されているようだ。ロカから薬を受け取っているという話も聞いている。


「セツ」


「んぁ……?」


 しゃがみ込んで声をかけると、薄灰色の目が蕩けた視線を向けた。


「ロカ本部長から貰った薬、ちゃんと飲んだ?」


「あ、うん……、のんらぁ……」


 呂律の回らない返事に、ジクは自ずと口の端が吊り上がっていくのを感じた。


 薬さえ飲んでいるのなら、この痴態を堪能していてもかまわないだろう。目の前の者は自分だけのものなのだから。


 黒い感情が腹の底から湧き上がってくる。


「そう、いい子だね」


「ん……」


 銀色の髪を梳かすようになでる手に、セツは身体を震わせながら自ら頭を押し付けてくる。その姿がひどく愛らしく感じられた。


「薬飲んだなら、もうすぐ苦しいの終わるから」


「れも、あたまのなか、あつくてぐちゅぐちゅでつら……ひっ!?」


 再びあやかしが暴れまわったらしく、床に伏した身体が大きく跳ねた。


「や゛っ!?、ジクたずげえ゛っ!! これ゛とっえ゛!!」


「そんなことしたら、すごく痛くなっちゃうよ」


「い゛だぐてい゛い゛から゛っ! も゛、お゛わら゛せでっ!」


「ダメ。僕が一人前になるまで、そばにいて僕だけ愛してくれる約束でしょ? それとも、セツも僕に嘘をついたの?」


「あ……、ちがっ……」


 蕩けた目に僅かながら正気が戻り、どこか悲しげな表情が首を小さく横に振った。


「よかった。なら、薬が効くまでお利口に待ってようね」


「え……あがっ!?」


 銀色の髪をなでていた手が、予告もなしに頭を鷲掴みにした。見開かれた薄灰色の目からは涙が飛び散る。


「や゛め゛っ、はなしでっ」


「ここじゃ身体が痛くなっちゃうから、ベッドまでいくよ」


 頭を掴む手に爪を立てられても、ジクは意に介することなく寝室に向かって歩きだす。


「わ゛かった、じぶんでい゛くから゛、はな゛しれ」


「だめだよ。そんな状態で歩いたらあぶないから」


「でも……」


「わがまま言わないで」


「……っく!?」


 頭を掴む力を強めると、軽い痙攣とともに爪を立てていた手が離れた。


「そう、いい子だね。このまま大人しくしてて」


「ぅ……」


 脱力した身体を引きずって寝室へ運び、優しく抱き上げてベッドへ寝かせる。


「ぅ……、ぁ……」


 虚な薄灰色の目からは涙があふれ、半開きになった薄い唇からは微かな喘ぎと浅い呼吸が漏れている。


「薬が効くまで、気を紛らわせてあげるから」


「い゛……」


 首が弱々しく横に振られるのを無視して、ジクはセツの意識が飛ぶまで快楽を与え続けた。


※※※


「……ぅ、……けほっ」


 行為が終わると、セツが腕の中で軽く咳き込んだ。


 覗き込んだ顔には口の端から塵混じりの唾液を垂らした、虚ながらもどこか穏やかな笑みが浮かんでいる。快感に意識が飛ぶと同時に薬が効いたのだろう。少なくとも、頭に穴を開けて中身を取り出す必要は感じられない。


「よかった……」


 ジクは脱力しきった身体をキツく抱きしめた。


 これでまだ一緒にいられる。

 これでまた頭をなでて褒めてもらえる。

 これでまだ自分だけを愛していてもらえる。


 これでまた苦痛と快楽に歪む美しい顔を独り占めできる。

 これでまだ甘美な血肉を貪り続けられる。


「え……うわっ!?」


 戸惑うほど暗い独占欲が湧き上がるとともに、頭の中に大量の映像が流れ込んだ。


 積み上がる退治人の死体。

 涙と血を流しながら悶える黒髪の青年。

 地下牢と赤い絨毯の広間がある石造りの城。

 白い寝巻き姿で虚に微笑む銀髪の青年。

 胸に突き刺さった骨。

 白い花畑。

 口に詰め込まれた泥。


 自分だけのものにしたかった相手。


「ジク……」


「あ」


 背中をなでる手のひらの温かさでジクは我に返った。


「だい、じょうぶ、か……?」


 途切れ途切れの声があやすように問いかける。いつのまにか、セツが意識と僅かながらの正気を取り戻している。


「また、こわいゆめでも、みた、か?」


 悪い夢と言われれば間違いなくそうなのだろう。


 なにせ──


「ジク……? っ!? ああ、そうか」


 覗き込んだ顔に、恐怖と落胆の色が浮かぶ。


「魂が帰ってきてしまったんだな……」


 薄灰色の目が閉じられ、再び身体が脱力する。


 ──愛しい人に呪いをかけた張本人が自分だと思い出してしまったのだから。



「……うん。ごめんね、セツ」


 ジクはもたれかかった銀色の髪をなでながら、震える声でつぶやく。


「だって、今度こそずっと君と一緒に居たかったから」


 その声がセツの耳に届いたかは定かではなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る