第3話 賢者の石


 昼下がり。

 この街が一番人通りが多くなる時間帯である。

 マルゾコが経営するこの店は大通りの隅っこなので、客が来るとなるとだいたいまっすぐこの店を目指すことになる。素通りする人間はだいたいこの街から外へと向かう足取りとなるので、おおよその向きが違ってくる。


「そろそろ来る頃だと思うんだけどな」


 マルゾコはそっと裏口から店内に戻りカウンターのすぐ裏にて待機していると、誰かが店内への扉を開けて入ってきた。


「こんにちわ!」


 白い麻のシャツに紺色のエプロンドレスが艷やかな黒髪を引き立たせ、弾けるような笑顔の女性が元気よく挨拶しながら入ってきた。


「いらっしゃいまセ、エンリーナさン。いつも主がお世話になっていまス」

「ありがとう、プルクちゃん。今日もかわいいね」

「主の趣味でス。最近はあなたの趣向も取り込んで着せ替えを楽しんでるようですのデ」

「え、私の?」

「エンリーナさんは主のお気に入りなのデ」

(プルク、余計なことを……!)

「そ、そうですか…… ところでマルゾコさん、います?」

「主なラ……」

「お、こんにちわエンリーナさん。私はここに」


 何食わぬフラスコでマルゾコは奥からプルクを押しのけ頭を覗かせた。


(すぐ裏で待ってるなら、最初から表にいればよいのでハ?)

(呼ばれることが重要なんだよ)


 茶番に見えるやりとりも、マルゾコにとっては重要なルーティン前ふりなのである。


「あ、マルゾコさん! 今日も持ってきました、よかったら!」


 そう言って、彼女は朱に染まった頬を誤魔化しつつ脇に抱えていた籠をカウンターにドカッと乗せた。


「おおう、今日も大きなデコパンを……」


 籠の中にはエンリーナお手製の巨大なパンが焼きたての黒いケムリを吐き出しながら鎮座していた。

 ……要するに、焦げている。


「い、いつも通りのデコパンですね」

「すいません、本当ならちゃんと焼けたものを渡したいんですが……」


 本来のデコパンは色々な果実や干し物を混ぜ込んだデコレーションがされたパンなのだが、彼女が作ったものの中にはたまに失敗するものが混じる。


「いやいや。むしろ私にはこのくらいがちょうどいい」


 マルゾコはカチャカチャ笑い、暗黒物質デコパンを手に神経を集中させた。

 フラスコを通じて体に張り巡らされたエーテルがじわりじわりと溢れ、暗黒物質を包み込んでいく。すっかり包み終わると、今度は暗黒物質が徐々に小さくなっていった。まるで風船がしぼむように縮んでいくと、最終的に何も残らなくなった。


「うん、火加減と言うより窯に置いた場所が悪かったのかも。今日はいいブドウを使ったんですね」


 フラスコの中身が僅かにいろどりをつややかに変え、エーテルに満ちた様を映し出す。


「そうなんです! ご近所さんからたくさん干しブドウを頂いたので、パンに練り込んでに持っていこうと」


 大霊堂とは、この街でも信仰の深い『レソラード教』の神殿である。赤子を掲げて命の尊さを示した女神『フェレメア』の像が拝されており、またその像の仕草から霊素を取り出しているようにも見えるために魔法技術の祖とも呼ばれている。


「確か、おフタリの幼い頃の住まいがあった教会でしたネ」

「そうなんです。すぐそばにある孤児院『そらのゆりかご』が当時の私たちの家でしたわ」

「まだ戦争や治安の悪さで、幼い子供が迎え入れられてるのが現実だけどね」


 マルゾコが、見えない目で遠くを見つめる。


「あ、大霊堂といえば。ちょっと時間をもらえるかな? 以前にもらった使用済み油から作る石鹸がもうじき完成するから、持っていこうと思うんだ」

「あら、もうできちゃうんですか? さすがマルゾコさんです!」


 エンリーナが目をキラキラさせる。


「じゃあ、準備しちゃうから少し待ってて下さい」


 マルゾコは再び工房へ戻り、精製反応の終えた石鹸を化粧箱に詰めて丁寧に梱包する。


「じゃあプルク、出かけてくる」

「おきをつけテ」



   Δ



 レソラード大霊堂はこの街ケルダールを東西に走るメイン街道のちょうど真ん中に存在している。

 その建物には街一番の高さを誇る鐘楼がそびえ立ち、朝と夕方を告げる鐘が鳴らされる。どこよりも高い位置に存在するその鐘から響く音は、ケルダールに居るのであれば聞き逃すことはない。


「堂主さま、いらっしゃるでしょうか」

「アルメリーさん? ま、日課のお勤め早く終わってれば会えるかもしれないですね」


 マルゾコはフラスコの中を黄色に染めてくゆらせる。好奇心からくるワクワクを表しているようだ。


「ちょっと前までは同じ孤児院のお姉さんでしたのに、いつの間にかシスターの試験に合格されて、今や霊堂のトップですからね。私、憧れます」

「私の中では、ただのドジっ子お姉さんのイメージがいまだに残ってますよ」


 通りは昼過ぎということもあって人の流れが激しく、大霊道正面の入口へ何人もの人が入っていくのが見えた。それを横目で見ながらマルゾコたちは横道に入る。いつも通っている通用口へ行くにはそちらから向かうほうが近道だからだ。


「お、ちょうど噂をすれば、かな?」


 ちょうどその時、堂主らと思われる人影が大霊道の裏口から出てくるところだった。それを見た二人は急いで駆け寄った。


「堂主さまー!」


 エンリーナが人影に声をかけると、大きい人影が動きを止めてこちらを向き、小さく手を振って反応した。


「こんにちわ、堂主さま」

「こんにちわ、アルメリーさん」

「エンリーナさん、マルゾコさん。こんにちわ」


 アルメリーはニコリと笑い、ぺこりとお辞儀を返す。


「こちら差し入れです!」

「アルメリーさん、ご依頼いただいていた物が出来上がったのでお渡しに上がりました」

「あら、エンリーナさん。いつもありがとう。マルゾコさんのは以前依頼していた石鹸ですのね。迅速な納品感謝いたします」


 エンリーナは先ほどと違いカゴいっぱいの綺麗なパンを差し出す。

 顔以外は純白の布で覆う姿がレソラード教の純潔を体現する服装なのだが、彼女の豊かな胸がそれを隠せていない。年齢はもうすぐ四十に届く頃合いなのだが、未だに聖職であることを理由に男性と付き合おうとはしない辺り、敬虔な信者であるとも言える。


「あ! エンリーナねーちゃんだ!」

「こんにちわ、エンリーナおねえちゃん!」


 隣の孤児院「そらのゆりかご」に住む数人の子供たちが、エンリーナを見かけた途端彼女に駆け寄り、手や服を掴んで孤児院へと引っ張っていく。


「あ、こら、ちょっと! だめよっ!」

「いーじゃん、あそぼうよ!」

「お夕飯まででいいから! ね?」


 子供たちの吸引力はとても強力で、あれよあれよという間にエンリーナは孤児院へと吸い込まれていった。


「あらあら…… ところでマルゾコさん、今日大鐘楼へ寄って行かれますか?」

「ええ、ぜひ」


 そういうとマルゾコはアルメリーと共に大霊堂に入って、厳重な戸締りのされた扉をくぐると、一緒に地下への階段を降り始めた。


「街の様子はどうですか?」


 アルメリーはマルゾコにぼつりと質問した。


「恐らく、うまくいってると思います。皆さんにはお世話になりっぱなしです」

「いえ。うまくいっているのなら、ひとえにマルゾコさんの努力のたまものでしょう」


 階段が終わると『大鐘楼・機械室』と書かれた扉が現れた。

 アルメリーが鍵を開けて扉をくぐると、エーテルによって錬成さつくられた白い明かりが広大な室内を強く照らし、鐘を鳴らすための巨大な装置が遥か天井を貫いて鎮座している様子を際立たせた。


「今朝もきちんと鳴ってましたね」

「ええ。滞りなく美しい音色でした」


 二人の顔は鐘の音を慈しむ表情でなく、うっすらと眉間に皺を寄せさせた。


「やはり、状況は変わらずですか?」


 鈍色に光る金属の装置を見上げながら、アルメリーはそっと尋ねた。


「軸に振れは出てきています。けど、もう少しというところで戻されてしまうんです。諦めるわけにはいきません」


 がちん、と装置が唸る。針が動き、新たな時刻を知らせる。


「ああ、神よ。どうかケルダールが一刻も早くこの呪いから解き放たれますよう……」


 手を合わせ、神に祈るアルメリー。そっと目を開け見上げると、それにつられてマルゾコも天井へと視線を送った。

 いくつもの柱、いくつもの歯車。

 だが特筆すべきはその装置に、巨大なオレンジ色に透き通る結晶石―― ことだろう。


「もう少しで終わる。もう少し」


 マルゾコはその賢者の石の中央付近、『核』に当たる部分を凝視した。

 そこにはエンリーナ…… 先ほど別れたはずの女性が中に閉じ込められていた。

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