第18話 魔術戦
査問会議当日。
私はヴィンセントが用意してくれた馬車で、東部地域最大の街であるオルフェンに向かった。
「手はず通り私たちは別行動ですね」
「絶対にお役に立てる仕事をしてみせます」
見送ってくれるシエルと元暴徒さんたち。
所要時間は二時間ほど。
心地良く揺れる馬車の中で、私はゆっくり身支度を調えていた。
「これとこれだとどっちが悪女っぽいかしら?」
「そこはこの髪飾りを使うと良いのではないかと」
「ほんとだわ!」
同行してくれるヴィンセント。
同じ趣味を持つ先輩であり、《優雅で完全なる執事》である彼は、私の意図を汲んで求めている以上の意見を出してくれる。
意見を交換し合う中で、私の装いはさらに洗練されたクールでスタイリッシュなものになっていた。
(かっこいい……! これが私……!)
鏡の前でポーズを取って、頬をゆるめる。
しばしの間、悦に浸っていた私が思い至ったのは自分の身体にあるひとつの問題だった。
(身長が……もうちょっと身長があれば完璧なのに……)
身長が足りないので、背伸びしたくてがんばっている子供感がどうしても否めないのだ。
(牛乳がんばって飲んだり、ぶら下がって身長伸ばすやつやったり努力してるのになぜ……)
理不尽でままならないことばかりの不条理な世界の一面がそこにあった。
努力は報われるとは限らない。
報われずに終わってしまうこともある。
それでも、歯を食いしばってがんばらなければいけないのだろう。
あきらめてしまえば何も変えられないから。
自分を変えられるのは自分だけだから。
(よし! がんばって明日からはもっと牛乳を飲もう! ぶら下がる体操しよう!)
決意を新たにしつつ、窓の外を見つめる。
馬車は森を横断して作られた狭い道を進んでいた。
見通しが悪く、人通りの少ないこの道はリネージュからオルフェンに向かうためには絶対に通らなければならないものだった。
(……あれ? 鳥や獣の声がしないような)
かすかな違和感。
前世で田舎暮らしをしていた私の感覚として、このくらい鬱蒼と茂った森の中だともう少し鳥や獣の声が聞こえるもの。
(この森には鳥や獣がいない……?)
いや、それはおかしい。
ありえない。
だとすれば、考えられるのはひとつの可能性。
(鳥はこのあたりにいる何かを警戒して逃げ去った)
いったい何が起きているのか。
意識を集中し、外の気配からその何かを突き止めようとしていたそのときだった。
「ひっ! 化物! 化物が……!」
御者さんの悲鳴。
地鳴りと枝が折れる音。
空を覆う翼。
大樹のような腕。
鏃のようなトゲのついた尻尾が蛇のように蠢いている。
「ドラゴン……!」
そこにいたのは巨大な火竜だった。
馬たちが悲鳴をあげて後ずさる。
「
冷静なヴィンセントの声には、緊張の色が混じっている。
「比較的小型だと思いますが、この大きさでも危険度は災害級。町をひとつ壊滅させ、千人以上の被害者が出たという記録もあったはずです」
「どうしてこんなところに
この森は危険な魔物が生息していない安全な地域だったはずだ。
こんな怪物がいるのはどう考えてもおかしい。
「召喚魔法ですね。腕の立つ魔術師が近くにいると思われます」
「もしかして、私たちを狙って」
「その可能性は高いかと」
このレベルの召喚魔法が使えるとなると、魔法国の中でも相当の手練れ。
シェーンハイト伯は手段を選ばず、実力行使で私たちを消そうと考えたのだろう。
「私が竜を引きつけます。ミーティア様は安全なところへ避難を」
「ダメ……! それじゃ、ヴィンセントが……」
「ミーティア様は腐敗したこの国の希望です。どんな手を使っても絶対に守り抜きます」
御者に引き返すよう指示を出して、ヴィンセントは馬車を飛び降りる。
「ダメ……!」
引き留めようと伸ばした手は届かなかった。
御者さんが私を抱き留めている。
「ダメです。逃げましょう! 私たちにできることは何もありません!」
必死の形相で駆け出す馬たち。
遠ざかるヴィンセントの背中。
ヴィンセントが死を覚悟しているのが感覚的にわかった。
誰よりも優秀で何でもできちゃうヴィンセントだけど、いくらなんでも相手が悪すぎる。
だけど、ヴィンセントは逃げずに戦うことを選んだ。
主人である私を守るために。
このままではいけないと思った。
ここでヴィンセントを見捨てたらきっと、私は命よりも大切な何かを失ってしまう。
「下ろして」
御者さんは首を振った。
「いけません。ここで戻ってもミーティア様にできることは何も――」
私は息を深く吐いてから言った。
「下ろしなさいって言っているでしょう」
御者さんの目が見開かれる。
動揺。
まさか十歳の少女に気圧されるとは思っていなかったのだろう。
隙を突いて腕を振り払う。
馬車から飛び降りて、ヴィンセントの元へ走った。
『私にできることは何もない』と御者さんは言った。
その言葉は正しい。
私は生活魔法以外の魔法適性を持たない落ちこぼれで、敵は召喚魔法で
力の差は明らか。
魔法国の常識の中で私と敵魔術師には決して埋められない力の差がある。
だけど、怖いとは思わなかった。
能力で劣っていてたとしても、大切なのは使い方。
知恵と工夫でひっくり返せることを証明する。
何より、私は世界一かっこいい悪女になる女なのだから。
どんなに厳しい状況でも、大切な仲間は絶対に見捨てない。
(待っててヴィンセント……絶対に私がなんとかするから……!)
◆ ◆ ◆
主人を庇うために、
その判断が、魔術師は信じられなかった。
無謀を通り越して愚かと言わざるをえない選択。
腕に覚えがあるのかもしれないが、人間が
時間を稼げたとしても持って数秒。
命を捧げるにしてはあまりにもささやかすぎる成果。
しかし、だからといって手をゆるめるほど彼は甘い世界で生きてきていない。
隙を見せればその隙を徹底的に突いて勝利を確定させる。
結果としてその判断は彼を救うことになった。
(速い……あの執事、ただ者じゃない)
その一瞬で彼は気づかされた。
狂気的な反復で磨き上げられたその動きは、もはや人間業の域を超えている。
(おそらく相当名のある相手……強さを表に出さず、こちらの油断を誘っていたところも油断ならない……)
並の魔術師ならまず勝つことは不可能だろう。
しかし、彼は魔法国裏社会の中で屈指の実力者として知られる凄腕だった。
従えている
このレベルの
必然、執事の狙いは術者に向いていた。
術者を仕留め、召喚魔法を無効化する。
召喚魔法を使う魔術師に対する最も効果的な戦略。
しかし、今回は相手が悪かった。
魔術師の個人能力は
長身の執事は人間離れした動きで対等に渡り合っていたが、次第に体力を消耗し追い詰められていった。
(命を捨てて時間を稼ぎ、主人を守り抜いたか。大したものだ)
できるなら、もう少し早く仕留めたいところだったが、執事の実力は想像以上だった。
勝ちを急いで隙を見せれば何が起きるかわからない。
時間をかける以外の選択肢が無かったというのが正直な感覚だった。
勝負には勝ったが、主人を守るという目的を果たされたことを考えると結果的には痛み分けというところだろう。
(ミーティア・リュミオールは、後で追いかけて仕留めれば良い)
肩で息をする執事を見下ろして魔術師は思う。
(まずはここでこの執事を確実に仕留める)
巨大な爪が大地を掴む。
空への咆哮は、ブレスの準備だ。
放たれるのはすべてを一瞬で蒸発させる業火。
顎門の先で圧縮された魔力が空間を歪める。
敗北を悟った執事が唇を噛んだそのときだった。
強大な魔力の気配。
背筋に液体窒素を流し込まれたかのような悪寒。
息ができない。
ひりつくような魔力圧の質に魔術師は絶句する。
(いったい何者……)
現れた想定外の第三者。
しかし、本能的に理解していた。
手段を選んでいる余裕はない。
そこにいるのは、持てる力のすべてを尽くして仕留めにいかなければならない敵だ。
ブレスの照準を現れた第三者に変更する。
放たれる光の線がすべてを焼き尽くす。
振動する大地。
瞼の裏を赤く染める光。
肌を焼く熱風。
圧倒的な暴力がすべてを蹂躙したその直後、目を開けた魔術師が見たのはまったく想定していない光景だった。
すべてを蒸発させるブレスに対して、傷ひとつ負うこと無く近づいてくる小さな少女。
首筋を伝う冷たい汗。
竜の身体が痙攣するように揺れたのはそのときだった。
かすかな異変は見る見るうちに大きなものへと変わっていく。
大地を揺らしながら、崩れ落ちる巨体。
火竜は意識を刈り取られ、力なく倒れている。
(いったい、何が……)
混乱。
しかし、考えている時間は無い。
展開する魔法式。
放たれる攻撃魔法。
しかし、少女の身体に傷一つつけることができない。
(なんで……どうして……?)
何より恐ろしいのは、彼女は魔法式を展開していないことだった。
通常魔法として知られる防御魔法も魔術障壁も何一つ使っていない。
(でたらめすぎる……)
空間が歪むほど圧縮された魔力の気配。
酸素を求めて暴れ回る身体。
しかし、息を吸うことができない。
暴力的なまでの魔力圧。
何かが彼の呼吸を阻害している。
朦朧とする意識。
霞む視界。
頬に刺さる小石の感触。
ざらつく砂の味。
「《草木に水をあげる魔法》。初級の生活魔法として、この国では軽んじられていますが生活魔法の研究をし続けた私は気づきました」
異質な魔力の気配を纏った少女は言う。
「《小さく軽いものを浮かせる魔法》。この生活魔法と組み合わせ、流れる水をそのままの位置で固定化すれば二つの魔法はまったく違う効果を発揮する」
彼を見下ろしにっこりと目を細めた。
「知ってました? コップ一杯の水で人って窒息するんです」
水魔法によって気道を塞ぎ窒息させる。
生き物の体内に直接魔法を作用させるのは常人の域をはるかに超越した魔法制御力が必要なはず。
微笑む少女が彼には怪物に見えた。
さながら、裏社会の頂点に君臨する悪女のような――
(この子はいったい……)
疑問の答えが得られることはなかった。
薄れゆく視界の残像を瞼の裏に残して、彼は意識を失った。
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