第8話 第二王子


 魔法国エルミアの中心に位置する大王宮。

 執務室で報告を聞いていたのは、瀟洒な礼服に身を包んだ若い男だった。


 カイル・フォン・エルミア第二王子。

 美しい容姿と人好きのする社交的な性格で幾多の浮名を流してきた彼を、愚物だと思っている貴族は少なくない。


 しかし、彼らは知らなかった。


 カイルが警戒されることを避けるために、意図的に愚かしく見える風評を流しているという事実を。


(この国は腐りきっている)


 カイルは誰よりも冷静に国の裏側を見つめていた。


(腐敗した政治体制。王室以上の力を持つ《三百人委員会》。貴族たちは皆、私腹を肥やすことしか考えていない。そのせいでどれだけの民が犠牲になっているか)


 適正値をはるかに超えた重税と圧政。

 貴族が平民に行った暴力や犯罪については、もみ消されない方がむしろ珍しい。


 しかし、この状況を変えるのが極めて難しいこともカイルは理解していた。


(人を変えるのは容易なことではない。増して、エルミアの貴族社会では現在の状況が常識として認識されてしまっている。父――国王陛下も懸命に努力しているが、強大な《三百人委員会》の前にほとんど何も変えられていない)


 そんな悪政のひとつの例が、リュミオール伯爵家が所有するリネージュとその周辺地域だった。


 他の地域に比べて農業に向いていないこの地域。

 その生産性の低さを貴族たちは領民の怠惰だと決めつけた。


 重税と圧政によって領民たちは疲弊し、最後には感染症が広がって絶望的な状況にあると言う。


 領地から逃げ出したリュミオール伯爵家三男は、懸命に事態の隠蔽を図っているらしい。


(領民のことなんてまるで考えず自己の保身か)


 その上、リュミオール伯爵家当主ラヴェルは、息子が領地を放棄したという事実を隠蔽するために、身代わりとして五女である娘を領地に送ったという。


 魔法適性に何らかの問題があったというこの娘は、外に出ることも許されず屋敷の地下室に幽閉されているという噂があった。


(まだ十歳の娘を保身のために犠牲にする。むごい話だ)


 それでも、そういう後ろ暗い話に驚けなくなってしまうほどに、エルミアの貴族社会は腐敗しきっている。


(変えなければいけない。どんな手を使ってでも)


 カイルがリネージュの地に密偵を送ったのは、リュミオール伯爵領とその周辺地域における悪政と悪行の情報を収集するためだった。


 決して聞きたい話ではない。

 しかし、自分が聞かなければならないと思った。


 そうでなければ、すべてが闇に葬られてしまう。


 貴族が私腹を肥やす陰でどんなに悲惨な事態が起きていたのか。


 切り捨てられた地のことを。虐げられる弱者の声を聞くことができるのはもはや、自分だけなのだ。


 それでも、戻ってきた密偵の話を聞くためには心の準備が必要だった。


 渇いた喉を水で潤す。

 ソファーに座って目を閉じ、深く息を吐いてから言った。


「聞かせてくれ」


 戻ってきた密偵はうなずいた。


 口が開かれる。


 いったいどれだけ凄惨な光景が広がっていたのだろう。


「落ち着いて、冷静に聞いて下さい」


 密偵は言った。


「リネージュの地における感染症問題は終息した模様です」


 眉間にしわ寄せたままカイルは聞いていた。

 数秒間の空白。


 それから、困惑した様子で顔を上げた。


「………………え?」


 カイルが状況を理解するまでに少なくない時間がかかった。

 密偵は集めてきた周辺地域の情報をカイルに話した。


「いったいどうやってあの状況を……」


 呆然とするカイルに密偵は言う。


「当地に領主代行として赴任したリュミオール家の五女が絶望的な状況を覆したとのことでした。馬車に積んでいた薬を配給し、彼女自身も常人の域を遙かに超えた回復魔法で五千人以上の領民を治療したとのことで」

「だが、現地に送られた領主代行はまだ子供だったはずでは」

「十歳の少女です。しかし、それをやってのけた」


 沈黙が執務室を浸した。

 その報告を理解し受け入れるためには、いくらかの時間が必要だった。


 カイルは、密偵が伝えた内容を頭の中で想像してみた。

 たった一人で凄惨な状況を覆し、領民たちを救った十歳の少女。


 しかし、うまく想像することはできなかった。


 あまりにも現実離れしている。

 到底信じることはできない。


 実際に、この目で見てみるまでは。


「馬車を用意しろ。至急、リネージュに向かう」

「しかし、今日はドゥーク侯と森で鳥を撃つ予定では」

「他の何よりも優先すべきことがある」


 カイルは馬車に飛び乗って、リネージュに向かった。






 ◇  ◇  ◇


 ほっかむりをかぶって鍬を振り、生活魔法をかけて荒れ地を開墾していたときのことだった。


「私に会いたいって人がいる?」


 私の言葉に、ヴィンセントはうなずいた。


「はい。隣国の商会長を名乗る男です。ミーティア様の領主としての活動に興味を持ったとのことで」

「身元は確かなの?」

「精査できていません。別の人物を偽装して、私たちのことを探ろうとしている可能性もあります」


(誰かが私たちを探ろうとしてる……)


 その情報に、私は胸の高鳴りを抑えられなかった。


 こちら側を探りに来た謎の人物。


 まるで物語の中みたいな緊張感あるイベント!


 問題は、相手が貴族社会の人間だということだった。


 最強の悪女として、調子に乗っている悪徳貴族どもをぶっ飛ばしたいという願望を持つ私だけど、今はまだ領地の再建に乗り出したばかり。


 理想を形にできる力は今の私にはない。


(綺麗な薔薇には棘があるものだけど、この棘を敵に悟られてはいけない。今はまだ)


 私は思う。


(疑われない善良で平凡な領主を完璧に演じきってみせる……!)


 決意を胸に、会談の場へ向かった。



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