第16話:男と女
岩子はアイリーンが出て行ったあと、警察署の前で見張りに立っていた。
アイリーンは『まだ、迎えが来るには早い』と言っていたが、岩子もポイズンと同じく『あのコは早々とやってくるに違いない』と思っていたからだ。
前回、軽々と投げつけられた屈辱と反省から、岩子はストーンドラゴンの皮膚から作った鎧を着込んでいる。これで自分の重量は二倍になり、いかな超常の力を持つあの娘でも軽々とは持ち上げられないだろうし、このぐらいの重量なら自分の動きを制約することもない。
ましてや、至近距離から放たれた.50AE弾ですら弾く岩子の皮膚の上にストーンドラゴンの鎧が載っているなら、並のライフル弾すら弾くはずだ。さらに同じ岩属性の鎧の魔力により、身体能力も倍になっている。ここまでやって敵わないとしたら、あの娘は本当の化け物に違いない……そこまでやった自分の対応を自画自賛していた岩子の思考は、荒々しいエンジン音によって遮られた。
間違いない、あの音は逃がした時のエンジン音と同じだ。岩子はストーンドラゴンの皮膚で造ったバトルアックスを持ち直す。
キーッ! 甲高いブレーキ音を響かせて、GTRがデクマダウン・トオカマチ警察署の前に停車した。だが、降りて来た人物を見て岩子は怪訝な顔をする。
『……おかしい、以前見た娘と違う?』
あの娘はダークエルフではなかったはずだ。だが、匂いの半分は間違いなくあの娘のモノの気がする。
「ようデカブツ、〝ドライバー〟を返してもらいに来たぜ」
ダークエルフの不遜な言い様に、怒った岩子はバトルアックスを勢いよく振り上げる。
「小娘があぁぁぁぁぁぁ!」
自分に対する恐れを全くみせないダークエルフに向かって、岩子はアックスを振り降ろした。
ズゴーン!
バトルアックスはアスファルトを粉々に砕き、地響きを立てて地面に食い込んだ。周囲にいる誰もが、異様な音と共にダークエルフがバラバラになると思い目をそむけたが、アックスが地面にめり込む刹那の前にダークエルフは飛び退いていた。
「あぶねぇ、あぶねぇ!」
岩子は向き直ると、ニヤリと笑った。
「次は、外さへんで」
誰もが固唾を飲んで見守る中、『バンッ!』と派手な音をたてて突然、GTーRのトランクが開く。
「呼ばれて飛び出て、ジャジャジャジャーン!」
安っぽいサングラスとマスクで顔を隠した女子高生が、トランクの中のミミックから飛び出してきた。ダークエルフと岩子は、点になった目で新たな登場人物を見つめている。
「とうっ!」
顔を隠した女子高生はトランクから軽やかに飛び出してくる。
「ミ、ミストラル?」
「さん?」
「違います。私は……」
左手を腰に当て、横にしたVサインをサングラスの前に構えてポーズを決めると、女子高生は高らかに名乗る。
「〝謎の女子高生X! 通称アクション大魔王〟です!」
「なぞのじょしこうせいエックス?」
「あくしょんだいまおう?」
ミストラルは、飄々とした様子で近付いてくる。
「話は聞きました、状況は把握していますわ」
「いや、何も話してませんし!」
「いったい何しに来たんだ?」
「ハァ……」
ミストラルは心底残念と言った様子を見せて、ため息をつく。
「心外ですわ。〝ドライバー〟の身を案じるあまり、ミミックの中に身をやつし、ここまで来たというのに……」
「嘘ですね!」
「ただ暴れたくて来ただけだろう!」
メリージェーンは、ようやくミミックがムニャオ親方の店で銃を仕舞うのを断った理由が判った。膨大な魔力を持つミストラルが隠れていたので、パンパンになっていたのだ。
「まあ、なんでもよろしいじゃない? 要は〝ドライバー〟を助け出せば良いのですから」
自称謎の女子高生X=ミストラルは、そう言って岩子に対峙した。膨大な魔力が膨れ上がり、岩子をはじめ周囲の誰もが圧倒される。
「グ……グググ……」
岩子は心の底から湧き上がる恐怖で身動きも出来ない。
「ミ、ミストラ……〝アクション大魔王〟さん、やめてください! 本気なんか出さないでください! この辺り一帯を焼け野原にするつもりですか!」
「やめろ、やめるんだ!」
二人分の制止に、ミストラルは、再び「ハァ……」と呆れたようなため息をつく。
「……まったく、わたくしを何だと思っていますの? これでも〝自制〟という言葉の意味は十分理解しておりますのよ?」
「「嘘をつけ!」」
「その証に……そうですわねぇ……」
ミストラルは右手の小指を突き立てる。
「小指……この場はこの小指一本で我慢して差し上げます」
「本当ですね?」
「本当に小指一本で我慢するんだな?」
「わたくしだって、〝ドライバー〟に叱られたくはありませんもの」
そう言ってミストラルは、再び岩子に向き直る。
「さあ、わたくしの小指がお相手しますわ。遠慮なく掛かっておいでなさい」
「グ……グググ……」
岩子は一瞬ためらいを見せたが、次の瞬間!
「グアアアアアア!」
絶望的な叫びと共に両手でバトルアックスを振りかざすと、渾身の力を込めてミストラルに振り降ろした。
ズゴォォォォォン!
轟音が轟き、誰もが目を見開いて見ると、なんと! ミストラルは岩子が渾身の力を込めて振り降ろしたアックスを、小指一本の先端で受け止めているではないか!
受け止めた瞬間、アックスの衝撃はミストラルを通して地面に届き、足元の荒れたアスファルトを20センチほど凹ませていたが、ミストラルはまったく変わった様子はない。むしろ受け止めた衝撃に対して、満足したかのような微笑みを岩子に向けていた。
「よろしくてよ! 貴女の意地を込めた一撃、この小指に心地良いわ!」
ミストラルはそう謳う様に叫ぶと、自分が押しとどめたアックスに、小指でデコピンをくらわす。
〝ドゴゴオオオン!〟
衝撃音と共に何かが壊れる音が重なり、バラバラと音を立てて何か固いものが周囲に降り注いだ。
「イタタタタタ!」
周囲の警官たちや野次馬たちが固いものの直撃を受けて逃げまどう中、岩子は先程の位置から数歩離れたところで柄だけになったアックスを握りしめ、呆気に取られていた。
「あ……あ……あ……」
「あらあら、もう打ち止めかしら?」
そう言うと、ミストラルは小指でデコピンの構えを作ると、岩子に向けた。
岩子は脂汗を流しながらミストラルをしばらく見つめていたが、ギリッという音を立てて歯を食いしばると、警察署の前に立ちふさがる。
「冗談やない……アイリーンのあねさんの為にも、意地でもここは通さへん!」
「ごめんなさい、推して参らせて頂くわ」
岩子は体の前に腕を交差させて姿勢を低くすると、ミストラルに向かって突進を始めた。
「おおおおおおおおおお!」
アックスの数倍はある岩子の巨体は、巨大な弾丸となってミストラルに突っ込んで行く。岩子は、鎧に包んだ腕2本と体が有ればいくら何でも小指一本で留められることは無いだろうと思っていたが、相手の実力ははるかに上だった。
ミストラルは岩子の巨体の下にすっと身を沈めて潜り込むと、小指のデコピンを岩子のみぞおちに弾き出す。
「ゲフッ!」
今朝食べたものと胃液を噴き出し、岩子は動きを止める。
なんということだろう! ミストラルの小指は、岩子の腕の下の僅かな隙間を通り、岩子のみぞおちにめり込む。着込んだ鎧は前面はおろか、背中の鎧までもが貫通した衝撃波によって粉々に砕けていた。
岩子は、しばらくそのままの姿勢で立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと傾き、『ズズズン』と地響きを挙げて倒れ込む。ミストラルは小指の先の鎧の破片を「フッ」と吹き飛ばし、歩き出すが、何かが足に纏わりついてくる。
視線を落としたミストラルの目に入ったのは、倒れてもなお行く手を阻もうと自分の足を掴んでいる岩子の手だった。
「…………」
「……い……行かさへん……あ……あねさんの為にも……」
ミストラルは左目を〝カッ〟と見開き、強烈な一瞥を岩子に向ける。その眼圧はサングラスのレンズを粉々に粉砕し、岩子を一瞬にして気絶させる。ミストラルは穏やかな表情を取り戻してしゃがみ込むと、そっと岩子の頭に手を乗せた。
「あなたの意地、確かにみせてもらいましたわ。わたくしの部下になって頂きたいくらい」
そう言って立ち上がったミストラルの目に入ったのは、その強大な力に呆れかえったメリージェーンのしらけまくった視線だった。
「なんですか、メリージェーン? そのいかがわしいものを見るような目線は?」
「……デタラメだ」
「ですね」
「二人とも、ボーッとしていても始まりませんことよ。さっさと〝ドライバー〟を助け出しましょう?」
「ハイハイ」
メリージェーンはそう言って、助手席からLWMMGを左手で引っ張り出し、右手で腰のメアーズレッグを抜き出す。その様子を一瞥したミストラルが咎める。
「メリージェーン、そんな無粋なものを振り回すのは構いませんが、善良な市民を傷つけたりしたら〝ドライバー〟に叱られますわよ?」
「あんたこそ、勢い余ってこの警察署を粉々に吹き飛ばしてくれるなよ。それこそ〝ドライバー〟に叱られるぜ」
二人はそんな物騒な会話を交わしながら、ゆっくりと歩いて警察署に入って行く。銃声と阿鼻叫喚の悲鳴が、外まで届いてきた
◇
轟く.338ノルマ・マグナムの連射音と.500S&Wの轟音のユニゾンに、ポイズンは思わず耳を塞ぐ。ジェミニとピアッツァが慌てて飛んできた。
「ポイズン、ほ、本当に来たぞ!」
「どうしましょう! 火力では全く歯が立ちません! ……あ、あれ? ワインディングロードのマスターはどこに?」
留置場の中にマスターではなく、〝ドライバー〟が居るワケが解らず、二人が頭に『?』マークを浮かべたとき、後ろから声が掛かる。
「なんだ? ほとんど抵抗らしい抵抗がないじゃん?」
「本当ですわね、入り口の方を見習って頂きたいわ」
右手にメアーズレッグ、左手にLWMMGを持ったメリージェーンと、左のレンズの無いサングラスとマスクで変装したつもりのミストラルが階段を降りて来た。
「ひいいいいい!」
「来たぁ!」
ジェミニとピアッツァが悲鳴を上げた時、ポイズンが声を掛ける。
「……牢屋のカギ、貸してください」
「へ?」
「警察署丸ごと消えてもいいんですか! 早く!」
「は、はい!」
「やめとけポイズン、お前の立場が悪くなるぞ」
牢屋の中の〝ドライバー〟はそう言うと、「フン」と気合を入れて牢屋の入り口に蹴りを入れた。鉄製の閂が飴のようにまがり、牢屋の扉が勢いよく開くと〝ドライバー〟は悠然と留置場の中から出てくる。
「ありがとうよ、ポイズン」
ポイズンは何かを言いたげな表情で、〝ドライバー〟を見上げている。〝ドライバー〟はポイズンの気持ちを受け止めるように微笑んで、メリージェーンに近付く。
「なんだ? わざわざ二人でお出迎えとは、大層なことだな」
「え? 判るんですか?」
「まあな」
「しょうがないじゃないですか、あたし一人で行くなって言われちゃうし……」
「私だって、私のままでは大手を振って来れないではないか!」
「そりゃそうだろうな、でも有難いぜ」
「〝ドライバー〟、わたくしに謝辞はありませんの?」
「お嬢はひと暴れしに来ただけだろう?」
意地悪な物言いに、ミストラルはマスクを吹き飛ばすほどの勢いで頬を膨らます。
「だが、心意気は有難いぜ」
「あら! そう言って頂けると、やっぱり嬉しいわ」
そう言ってミストラルは頬を赤く染める。
「これを親方から預かってるぞ」
メリージェーンは、背中に差してあった油紙に包まれたものを〝ドライバー〟に渡す。〝ドライバー〟は油紙を開いて中を確認する。
「うひゃあ、こりゃ凄い! 親方、マジで恩に着るぜ」
〝ドライバー〟は満面の笑みを浮かべる。
「でも〝ドライバー〟、様子が変ですのよ」
「ああ?」
「思ったより抵抗が少ない。署内に人が居ねぇ様な気がするんだが……」
「何かあったのか?」
〝ドライバー〟は振り返り、ジェミニに尋ねる。
「は、はい! 『闇米の取り締まりをするから、人員を貸せ』という要請が州知事からありまして、署員のほとんどが応援に行っています」
「やっべえ! お市婆さんが危ない! 芽里、ジェーン、ミストラル、来い!」
〝ドライバー〟が駆け出そうとすると、ポイズンが口を開いた。
「……いま、アイリーンさんを呼びました」
「ポイズン……」
ポイズンの右手に光る呪符を見ながら、〝ドライバー〟は『しょうがない』といった顔でポイズンを見つめる。
「どうせ、立ち止まってくれませんよね」
「悪いな、ポイズン」
「いつかあたしが、もっと強くなったら……」
ポイズンはメリージェーンを一瞥して、〝ドライバー〟に視線を戻す。
「あたし、絶対あなたを捕まえに行きます!」
「……イイ女になれよ、ポイズン」
〝ドライバー〟はポイズンに微笑むと、駆け出した。メリージェーンとミストラルがそれに続く。
階段に消えてゆく〝ドライバー〟の姿は水の中の景色のようだと、そんなことを思いながらポイズンは涙でくしゃくしゃになった顔で立ち尽くしていた。
◇
階段を駆け上がりながら。〝ドライバー〟は二倍に増幅された、まるで汚らわしいものを見るような目つきに気付く。
「な、なんだよ」
「本当に女ったらしなんですね! あんな幼い子まで毒牙にかけて……」
「ロリエロ法違反で、逮捕だ! タイホ!」
「それになんですか、あの上から目線のセリフ? 『イイ女になれよ』ですって? キモイ! キモすぎる!」
「まったくだ! イイ女かどうかなど、価値観は万人によって違うであろう!」
「……いや、そこは男と女の機微ってものがあってだな……」
「ああ、〝ドライバー〟は、あんないたいけな少女まで凌辱してしまうのね! いかがわしくて素敵だわ!」
「やめてくれ!」
「「黙っていろ!」」
メリージェーンから二人分のツッコミを、ミストラルからは下劣な評価を受けながら階段を駆け上がり、警察署から飛び出した〝ドライバー〟だったが、
「まさか、このまま行けるとは思っていないわよね」
GTRの前に、ウェディングドレスをなびかせてアイリーンが立ちふさがった。〝重要な用事〟とは、ウェディングドレスの試着だったようだ。
「綺麗だぜ、アイリーン」
「そう思うなら、行かないでよ」
「……すまない」
「やっぱり、あの娘の為なの?」
「……すまない」
「あんな娘のどこがいいの? ヒギンズ教授じゃあるまいし、まだファーストキスも知らない様な娘の相手をして何が楽しいの?!」
その時、〝ドライバー〟には『カチーン』というゴングにも似た音が聞こえた気がした。いきなりメリージェーンは〝ドライバー〟の襟首を捕まえて引き寄せると、唇を奪う。唇と唇を重ね、ただ相手の温もりだけを感じるような幼いキス。
メーリージェーンの唐突な行動に、あのミストラルですら手で口を抑え、頬を赤らめて立ち尽くしていた。メリージェーンはやがてゆっくりと〝ドライバー〟から唇を離し、滲んだ唾液を革ジャンの袖で拭き取ると誇らしそうにアイリーンを見て言い放つ。
「ファーストキスなんざ、くれてやったぜ」
メリージェーンの言葉に、アイリーンの顔色が変わった。犬歯をむき出しにして魔力を放出し、周囲の空気を帯電させると、自分の周りに二十個もの球電を出現させる。
「その女を殺して! 次にあの娘を殺して! アンタをあたしのモノにしてやるわ!」
そう言うやいなや、アイリーンは二十個の球電すべてをメリージェーンに向けて射出する。だが、その一瞬前に〝ドライバー〟は油紙の中から親方に渡されたブツを抜き出し、メリージェーンの前に躍り出ていた。
アイリーンは、〝ドライバー〟が抜き出したブツを見て唖然とする。
長い……同じルガーでも、〝ドライバー〟が使っているルガーより8インチ、〝アーティラリー=砲兵〟と呼ばれるモデルよりも4インチは長い。そして、その長い銃身とバランスを取るかのように握り=グリップの後ろに取り外し可能な銃床が取り付けてある。
だが、アイリーンが最も唖然としたのは弾倉だ。グリップの下から機械仕掛けの缶詰のような丸いものが銃の左側に飛び出しているのが見える。
『スネイル(=かたつむり)マガジン!?』
ルガー拳銃には、装弾数を増やす為に旧ドイツの先人が考えたオプションがあった。それが今〝ドライバー〟が持つ、32発の装弾数を誇る〝スネイルマガジン〟である。
発想は単純で、たくさんの弾丸を収納するために下部にらせん状の構造を持った円形の部分を設け、そこから長く強めなスプリングで押し出していくというシンプルな機構だ。
だがしかし、ただスプリングを強くするだけでは下から押し上げる力によって、機関部の作動の妨げになってしまう。それ故、オリジナルでまともな作動をする個体は稀だったが、類まれなる職人技を持つムニャオ親方だからこそ、スムーズな作動と多弾数化を成し遂げられたと言っても過言ではない。
〝ドライバー〟は銃床を肩のくぼみにしっかりと押し付け、両手でルガーを握る。完璧なウィーバー・スタイルで構えると、自然にサイトは右目の前にフロントとリアがフィックスした状態で見えた。迫りくる二十個の球電に怖気もせず、〝ドライバー〟は狙いをつけて引き金を引いた。
「ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガン!」
20発分の発射音が、まるで機関銃の発射音のように鳴り響き、アイリーンの放った二〇個の球電は全て霧散した。
「な……」
アイリーンが気付いた時には、もう遅かった。はじけ飛んだ球電のキラキラと輝くイフェクトに紛れて、すでに〝ドライバー〟はアイリーンの目の前に迫っている。
「!」
アイリーンは慌ててベイビールガーを抜き出そうとするが、もう遅かった。特製のルガーを左手に持ち替えた〝ドライバー〟は、アイリーンのベイビールガーをもぎ取る。もぎ取られたベイビールガーが自分に向けられているのを見て、
『殺られる!』
アイリーンは死を覚悟して目を閉じた。
だが9ミリルガーの発砲音は聞こえず、アイリーンのハートを貫いたのは弾丸ではなく深い慈愛のこもった抱擁だった。
〝ドライバー〟は両手にルガーを握ったまま、アイリーンを抱きしめる。
「……すまない、アイリーン」
その言葉は、ベイビールガーに込められたホローポイントの弾丸よりも深くアイリーンを抉る。
「……うん」
アイリーンは心の痛みに涙し、〝ドライバー〟をギュッと抱きしめた。
今なら解る、『この人は抱きしめたくとも、抱きしめられない。両手に武器を握ったままじゃ、あたしをしっかり抱けないんだ』ということが。
「すまない、もう行かなきゃ」
〝ドライバー〟は静かにアイリーンの両手をほどくと、GTRに向かった。うずくまったアイリーンが、〝ドライバー〟に向かってすがるように叫ぶ
「ワインディングロードのマスターに伝えて! 『あなたの料理をまた食べに行くわ』って!」
「わかった、アイリーン」
「〝ドライバー〟、急げ!」
メリージェーンが助手席から叫ぶ。
「あいよ、相棒」
GTRは排気音を轟かせて、警察署を後にした。
◇
「あのアイリーンという女の、最後の言葉はなんですの?」
「ウブなお嬢様には解らない、大人の女の心意気さ」
後部座席のミストラルの問いに〝ドライバー〟は、ハンドルを握ったまま薄ら笑いを浮かべる。ミストラルは子ども扱いされて、頬を膨らませた。
メリージェーンは助手席の窓枠に肘をつくと、少し曇った視線で外の風景を眺めながら、ためらいがちに呟く。
「愛されていたんですね、〝ドライバー〟」
「モテる男はつらいよ」
「何で茶化すんですか! アイリーンさんの一途な気持ちを何だと思っているんですか!」
メリージェーンは助手席から、〝ドライバー〟をポカスカと叩く。
「……男と女の間には、超えられない溝があるのさ」
「まったくもう……意味が解りません」
メリージェーンは開け放った窓に肘をついて、外を向く。
「でも……」
「?」
言葉を変に区切ったメリージェーンを怪訝な顔で見る〝ドライバー〟に、ソッポを向いたメリージェーン《芽里》がつぶやいた。
「ありがとうございます」
メリージェーン《芽里》の精一杯の感謝の言葉は、〝ドライバー〟の胸に深く刻み込まれ、〝ドライバー〟は大人の笑みで返す。
「な、何だ、メリー? その照れまくったセリフは?」
「せ、せっかく良いところなんですから、すこし見て見ぬフリしてくれませんか? ジェーンさん!」
一人でボケツッコミを繰り返すメリージェーンをよそに、〝ドライバー〟はGTRのアクセルを踏み込んだ。
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