第15話:Tell me
「あたしは〝重要な用事〟で出かけるけれど、何かあったらこの札を使ってあたしを呼ぶんだ。いいね、ポイズン」
「はい……でも……」
警察署の前で、ポイズンは瞬時にアイリーンを呼び戻すことが出来る呪符を渡されても、何かを心配して顔を上げずに返事をする。
「心配しなくてもいいわ。あの芽里っていう娘は、しばらくは来ないと思う」
「? ど、どうしてぇ?」
ポイズンは、自分が心配していることを言い当てられて、驚いてアイリーンを見上げる。
「あの娘をひとりにしておくのは危険なのよ……バロンズは誰かに託すために先に帰らせたの。あの娘だけなら来られないわ、自分が危険な存在なのは解っているだろうから」
「…………」
「解った、ポイズン?」
「……はい」
ポイズンの返事を聞くと、アイリーンは稲妻となって飛んで行った。残ったポイズンは不安な表情を隠さないまま署内に戻ると、マスターのいる留置場に向かってとぼとぼと歩いて行く。牢屋の前に立って眺めると、鉄格子の向こうに見えるマスターは少し別人に見えた。
「なんだ、湿けた顔だな、ポイズン」
マスターの言っている意味はよく解らなかったが、ポイズンは聞き返さなかった。心の中に膨らむ恐怖の方が先に立っているからだ。
「……マスター、あの芽里って女の子……あれ、なんですかぁ?」
「……なんでそんなことを聞く?」
「……怖いんです。とっても怖いんですぅ、あの子! ただの怖さじゃありません、本能的に怖く感じるんです!」
「……まあ、間違ってはいないな、ポイズン。だけど芽里だって、なりたくてああなったわけじゃない。お前にはその辛さが解るだろう」
「…………」
「むかし……まだ融合していないころだ。冷たい雨が降り続く寒い冬の日……バロンズは彼女を見つけた。当時バロンズが居たあたりにはサンソス・ニッポン軍の研究施設があってな、そこでは融合についての実験が行われていたんだ。もちろん軍が研究していたんだから、武器として使える強力な融合者を開発することだったことは想像出来るだろう?」
「…………」
「ある日、その基地からSOSが発進された。無線から最後に届いたのは『喰われていく、みんな喰われていく!』っていう言葉だけだった。雨の中、部下を連れて急行したバロンズが見たのは、基地のあった場所を中心に半径五百メートル、まるで空間ごとすっぽり無くなったような森と、雨の中立ち尽くしている芽里だけだった」
ポイズンは、その辺一帯をあの芽里って子が喰ってしまうイメージを想像して、思わずブルッと体を震わす。
「軍の本部に連絡してもまるで腫れ物扱いで、処遇をどうするか聞いても『そっちで何とかしろ』の一点張り……。困ったバロンズが俺のところに相談しに来たんだ」
「……なんでバロンズさんは、そんなにその女の子のことを気にかけていたんでしょう……」
「さあな……俺が思うに、バロンズは自分と芽里を重ねていたんだと思う」
「?」
「ヤツが半人半獣の、戦の神〝ケンタウロス〟だというのは知っているだろ? あいつはいつも言っていた……『悲しむだけの人生なんていうのはゴメンだ』ってな。アイツは雨の中立ち尽くす芽里の姿が、戦いに明け暮れる自分に見えたんだろうと俺は思う」
「……それで、芽里って子はどうなったんですか?」
「俺が引き取った」
「エエッ? そんなワケの判らない女の子を、よく引き取りましたねぇ?」
「初めて会ったときは、さすがに警戒したさ。バロンズのバカは、相談ついでに連れて来やがった。『腹が減ってどうしようもない女の子が居る』って言ってな」
「あ、ありえません! そんな半径五百メートルを消し去る女の子を、連れて来たぁ?」
「ああ、だけど店の中に入った彼女は、妙に安心した顔になってちょこちょこと入ってきてカウンターに座ると、機械みたいな抑揚のない声で言ったんだ。『コノミセデ、イチバンウマイモノヲヨコセ』ってな。俺はカチーンときてどやしつけた、『ウチの出す料理は何でも美味い! 全部一番だ!』ってな」
「マ、マスターも怖いもの知らずですねぇ……」
「そうしたらシュンとして、年相応の声で『すいません……』って謝るじゃないか。だから俺は生姜焼き定食を作ってやったんだ」
「…………」
ポイズンには想像も出来なかった。空間を喰う怪物が、コーヒーショップのカウンターに座って、生姜焼き定食を食べる姿が。
「温かい食べ物は久しぶりだったのか、それとも初めてだったのかな? 初めは控えめに食べてたけれど、一言『ウマイ!』って言うと段々ペースが上がって来て、十分ぐらいで全部平らげた。良い食べっぷりだなって感心していると『もう一つ!』って言うじゃないか。だからもう一人前作ってやったんだが、また十分くらいで食べ終わる」
「まさか……またおかわりぃ?」
「そのまさかさ、全部で五人前の生姜焼き定食を平らげちまった。モジモジしているから『何だよ?』って聞いたんだ。そうしたらあの抑揚のない声と女の子の声が合わさったような声で『アリガトウ』って言うんだ。今まで黙っていたバロンズが『そういう時は、ごちそうさまって言うのさ』って教えたら、明るい声で「ごちそうさま!」って言うじゃないか。俺はその時知ったんだ、『ああ、この子は今までウマいものを喰ったことが無かったんだ』てな」
「……あたしも、マスターの蒲焼食べて、『こんなに美味しいもの、食べたことない』って思いましたぁ」
「芽里は、普通に暮らしている分には普通の女の子でしかない。そして時が経つに連れて、自分の力をうまく使っているように見えた。だけど見ただろう、異様な力を? 芽里が自分を見失っちまうと、中のヤツが現れてありとあらゆる物を喰っちまう。そうなっちまったらどうしようもない、下手すりゃ世界ごと喰われちまうかもな……。ならあの子が、自分の力を制御出来るようになるまで美味しいものを喰わせてやろうって思ったのさ」
「何で名前が〝芽里〟って判ったんです?」
「ああ、それは俺が付けた」
「やっぱり、そうだったんですね?」
「なんでそう思う?」
「名前に愛着がある気がしたんです。なんで〝芽里〟なんですかぁ?」
「それは秘密さ」
「ちぇ」
ポイズンはプヨプヨした頬を膨らませて、むくれる。
「……でも羨ましいです。マスターにそんなに大事にされて、美味しいもの食べて、暮らせるなんて」
「貧乏暇なしだけどな……なんでそんなに芽里の事を怖がる?」
「アイリーンさんは『あのコはすぐ来ない』って言ってましたけど、あたしには解ります。あのコは必ず、すぐマスターを迎えに来ます」
「なんでそう思う? ポイズン?」
「……あたしなら絶対、そうするからです」
「強いな、ポイズン」
「あたしも少し前までは解りませんでした。でも今なら解る……大事な人のために出来ることをしようっていう気持ちが……だってそれを教えてくれたのが……」
そう言ってマスターの方を向いたポイズンは驚いて絶句した。マスターの体が光り輝いている。力と魔力に溢れ、白銀の輝きを放っている。
「ん? どうしたポイズン?」
ポイズンの唖然とした顔を眺めていたマスターだったが、ふと自分の手を見てその輝きに気付いた。
「そうか、来たんだな」
そして、輝きを増した白銀色の光はついに弾け、別人がそこに現れた。
「まったく、ケンのオヤジが余計なことをベラベラ喋りやがって……よお、ポイズン?」
〝ドライバー〟が留置場に立っていた。
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