第12話

 聖女即位式10日前、アロンツォが婚約者であるドナテッラ・ヴェルニッツィ侯爵令嬢を伴って聖女宮を訪ねてきた。

「お時間を割いていただき、感謝いたします。こちらは、私の婚約者でドナテッラ・ヴェルニッツィ侯爵令嬢です」

「お初に御目にかかります。ドナとお呼びください。聖女様にお会いできたこと至極光栄に存じます」

「初めまして、ロゼッタ・モンティーニです。ドナ、ようこそ聖女宮へ、くつろいでくださいね」

 王宮に来てすぐの頃は挨拶するだけで手が震えていたロゼッタだったが、3ヶ月の間に随分と慣れてきたようで、憂患することがなくなったことを嬉しく思うが、泣き付いてきてくれないことを少し寂しく思う。しかし、ロゼッタが侮られないためには必要なことだとエルモンドは思った。

「聖女様は書物がお好きだとか、今は何を読んでいらっしゃるのですか?」

「私は哲学者グラムシやタッソーの理論が好きなのです。『始まりは単なる好奇心でしかない、重要なのは終わり方だ』とか『いかに自分を貶め鍛錬できるか、それが君の底力だ』なんて言葉に私は心を惹きつけられるのです。そして、グラムシやタッソーがどんな人生を歩んだのか思いを馳せるのです。こんなの若い女性には、つまらないですわよね」ロゼッタは苦笑いをした。

「そんなことはありません、聖女様がいかにご自分を律しておられるのか、私たちは見習わなければなりません」

 ドナテッラ・ヴェルニッツィは美しく、愛らしい女性だとロゼッタは思った。ちょっとした仕草がとても優雅で、流石は王太子の婚約者に選ばれるだけのことはある。

「そう言っていただけて嬉しいです。でも私も大衆小説を読むのですよ。ゴッティやジアマッティのミステリー小説は好きです。特に冒険もの、ワクワクしてしまいますわ。ゴッティの最新刊『羞恥の果てに』なんてドキドキしてしまいましたわ」

「まあ!あれをお読みになったのですか?実は私も今読んでいるところですの……」ドナテッラは顔を真っ赤にした。

「おやおや、小説を読んでいるという話で僕の愛しい婚約者殿はどうして赤面しているのかな?その小説を取り上げたほうがいいのかな?」アロンツォはドナテッラの顔を覗き込んだ。

「アロンツォ様、からかわないで下さいませ」

「ドナはお可愛いらしいですね、王太子殿下も気が気でないでしょう」

「聖女様、彼女はいったいどんな小説を読んでいるのですか?検閲したほうがいいかな?」

「フフフ、年頃の女性には必要な刺激ですわ、羞恥心に心奪われた女性の、奔放な濡れ場が赤裸々に描かれているだけですわ」

 わざと妖艶に笑うロゼッタの姿を見てエルモンドは、ゴッティの小説を排除しようと決めた。

「なるほど、僕の婚約者殿はイケナイ本を嗜んでいるようだね。まさかとは思うがポルノまで読んでいないだろうね」

「アロンツォ様!何を仰るのですか!そんなはしたないこといたしません!」頬をぷくっと膨らませてドナテッラは起こった。

「ごめんよ、あんまりドナが可愛いからついからかってしまった。許しておくれ」

「アロンツォ様は酷いわ!聖女様、聖獣を召喚なさったのでしょう?アロンツォ様を痛めつけてくださいませ」

「怖いこと言わないでくれ、ドナ。聖獣と対峙したら私なんてひとたまりもないよ」アロンツォはドナテッラの髪にキスをした。「その聖獣のことできたのです。ドナを伴ったのは、王太子が婚約者を聖女様にただ紹介しに来たと思わせるためです。聖女様も教王の死は事故ではなかったとお考えですよね」

 ロゼッタは予想していたとはいえ、次に何が出てくるのかと警戒した。「も、ということは、王太子殿下はあれが事故ではなかったと?」

「はい、事件の数ヶ月前から、業者を増やしていること、それに、いくら似ているからといって業者や料理人なら見分けがつくはずです。ドクツルタケとツクリタケ、ヴェルニッツィ侯爵に頼んで秘密裏に取り寄せたものがこちらです」アロンツォの従者が2本のキノコを持ってきて見せた。

 確かに似てはいる、素人ならば知らずにとって食べるだろうが、専門家となるとこのくらいの違いは見分けられそうなものだとロゼッタは思った。

「確かによく似てはいますが、違いますね。ですが、これだけでは故意の犯行と言えないのでは?」

「確かに証拠が全くありません。しかし、手をこまねいているわけにはいかないのです。私は教王——じいやを慕っていました。本当の祖父のように……。生前、彼に言われたのです。聖女様をお守りするのが王太子である私の役目だと」

「私をいかように守るおつもりですか?」

「ヴェルニッツィ侯爵の後ろ盾を得るのです。教王が亡くなった今、聖女様には後ろ盾がありません」

「後ろ盾——ですか」

「教王の殺害を企てたのは、モディリアーニ枢機卿でしょう。そこで何故今なのかという疑問が生じます。聖女様、あなたの存在が関係していると僕は考えました。皆さんもその考えに至ったのではありませんか?」アロンツォはエルモンドとジェラルドを見た。

 警護任務中である2人はこの会話に割って入ることができないから、頷いて肯定とした。

「確かにその考えに至りましたわ。教王からは誰を信用するか厳選しなさいと言われておりましたの」

「教王は教会内の派閥争いを潜り抜けてきたお方でしたからね。聖女様はこの国で最も高い位置にいます。モディリアーニ枢機卿はあなた様を傀儡とし、実権を握るつもりでしょう。教会だけでなく、諸侯にも言えることです。水面下で聖女様の取り合いが起きているということです」

「そうすれば王室よりも発言権が得られるからですわね。まだモディリアーニ枢機卿からの接触はありませんわ」

「それについては、王室が絡んできています。陛下は第2王子のサルヴァトーレと聖女様の婚姻を望んでいます」

「結婚ですか!」想定外の寝耳に水な知らせにロゼッタは動転した。

「王室としてはモディリアーニ枢機卿へ牽制する必要がありますし、サルヴァトーレの婚約者だった令嬢は3年前に逝去せいきょされたのでちょうどいい、というのが陛下の本音でしょうね」アロンツォは無邪気に笑った。

 これほどの美男子が笑うと、とてつもない破壊力を伴うものなのだなとロゼッタは思った。

「結婚だなんて……、全く考えていませんでしたわ。王宮にきてまだ3ヶ月ほどです。慣れないことも多く、結婚を考えられる余裕はないかもしれません」

 王子と結婚できると聞いたら普通の女性は喜ぶものではないだろうか?

 あからさまに嫌そうな顔をしたロゼッタをアロンツォは笑った。

「いいのですよ、聖女様のお気持ちが1番大事ですから、サルヴァトーレには振られてしまったよと伝えておきます」

「そんな、振っただなんて、そんなつもりでは——」

「アロンツォ様、聖女様を困らせないでくださいませ!聖女様、私と友人になってくださいませ、どこへ行くにも私がお供いたしますわ。そうすれば、ヴェルニッツィ侯爵家が後ろ盾になったと言外ににおわすことができますでしょう?私はアロンツォ様の婚約者ですから、ひいては王室の後ろ盾も得たことになりますわ」

「結婚する必要はないということですわね。でも、それですとドナが危険な目に遭ってしまわないかしら、皆さんは私が権力争いに巻き込まれると思っているのでしょう?私が王室側についたとなればモディリアーニ枢機卿は私を害そうとするのではないかしら、手っ取り早く王室と教会の均衡を元に戻すことができますもの」

「聖女さま、私なら大丈夫ですわ。これでも16年間侯爵令嬢として生きてきました。私は強かな女なのですよ」ドナテッラはまるで悪女のように笑った。

「それに、ヴェルニッツィ侯爵家は優秀な密偵を多く抱えています。だからこそ他家から恐れられているのです。ヴェルニッツィ卿も恐ろしい男ですからね、ドナに手を出そうと考える馬鹿はいないでしょう」

「お父様も、2人のお兄様も凶暴ですからね、命が惜しければヴェルニッツィに手を出してはいけない、世間ではそんな風に言われておりますわ。だから安心なさってくださいませ」

「分かりました。すぐに答えは出せないわ、少し考えさせてください」

「ええ、もちろん。護衛騎士たちと相談したいところでしょう。聖女様はエルモンド卿とジェラルド卿を信頼しているようですね。ただ、2人だけでは心許ない。ドナが一緒に行動すれば、ヴェルニッツィの護衛もついてきます。更にはヴェルニッツィの情報網も利用することができる。一石二鳥ですよ」

アフタヌーンティーはこれで終いだと、アロンツォとドナは席を立った。

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