第11話 【寂寥】

「......花魁、孤蝶花魁」 孤蝶は呼ばれていることに気が付いて、振り向いた。するとそこには蓮がいた。宵香に連れられて、髪を雨のしずくで濡らし、その黒曜石のような瞳でこちらを真摯に見つめていた。

「ああ、これは失礼を」

そういって、煙管を煙管皿に置く。

「いいえ、私もなにも言わずに来てしまいましたから」

蓮はそれだけ言うとこちらに少しだけ近づいてきた。

「孤蝶花魁。香炉は気に入って頂けましたか?」

孤蝶は、はっと香炉に目をやる。幻想的な煙がふわりふわりと漂っていた。

「ええ、とても素敵な香りです。どうもありがとう」

にっこりとほほ笑むと、蓮はほんの少しだけ頬を染めた。

「いいえ、喜んで頂けて嬉しいです」

そして、蓮は宵香が差し出した布で髪を拭く。

「今日はひどい雨ですね」

そう言って、窓から遊郭を眺めている。孤蝶はその肩に触れて、そっと頬を預ける。なぜだろうか、人肌が恋しかった。蓮が男であることよりも、蓮がそこにいてくれることに何故 かほんの少しだけ安心していた。

蓮の体温が少しずつ伝わってくる。蓮はこちらをちらっと見たが、そのまま何も言わずに二人は外を眺めていた。


雨がしとしとと音を立てて夜の街を濡らす。 孤蝶の肩に滑らせていた着物が一際大胆に開き、胸が見えるか見えないかのギリギリを保っている。その様子は気だるげで余計に淫靡だ。 蓮は雨でぬれたせいで白い着物から鎖骨など肌が透けてみえていた。そのうえ、濡れた髪を掻き揚げるさまはどこか色っぽく、煽情的に見えた。

「寂しそうですね」

蓮が呟くように言う。孤蝶は自分が蓮に甘えていることに気が付き、パッと離れた。それ でも蓮は孤蝶のすぐ近くにいた。

「花街の女は全員思っていることよ」

必死で冷たくあしらおうとするが、今日は情緒が少し狂っている。

「寂しいのなら、人の温かさを求めるものですが......」

蓮はしっとりとした声色で、耳元に囁く。

これだから、これだから男はどうしようもない。なぜなんだろうか。動けなくなる。一歩 も動けない。このまま男に堕ちてしまう。

孤蝶は今まで保ってきた矜持が砕けてしまうかと思った。体は熱く、蓮のすべてを欲して いた。ゆっくりと蓮の瞳を見つめる。甘く輝く目、厚すぎず薄すぎなくて、女のように赤い 唇、白くキリリとした線を見せている首筋、がっしりとした胸板、しなやかに筋肉のついた 腕、きゅっと引き締まった腰つき。

「私で満たしてはいかがでしょうか......孤蝶花魁」

蓮の低く、蜜のような声と吐息が耳朶をくすぐる。香の妖艶な香りがまとわりつく。どう

しても抜けられない。

「花魁! やり手さんが呼んでいます」

宵香の声で、視界がやっと明瞭になった。孤蝶はすぐに立ち上がり、蓮から離れる。

「それでは蓮様、失礼します」



蓮は自分の屋敷に戻ってから、部屋で今日の孤蝶について考えていた。

もう少しだった。もう少しで孤蝶の心を籠絡することが出来たに違いない。そうすれば、 もっと情報を得ることが出来るだろう。

と言っても、実際として孤蝶花魁から手に入れられる情報とはわずかだった。宵香が重用されていること、花街内での順列があり、それは諜報員としての順列と準じていること。

だ いたいこれぐらいだったが、それでも外側から調べるだけではわからないことだった。

孤蝶は......あの目標人物は、何か奥に秘めている気がする。そして彼女を見る度に自分の 奥にあるものが熱く蠢きだす気がする。心拍数が上がり、体温が急上昇する。腹の奥がうずくというのだろうか変な心地もする。病かと思うが、孤蝶と会わなければそれもない。

不思議だった。こんなに自分の体が自分の思ったことと反対の動きをする。


今日の孤蝶はどこか弱っていた。あんなに儚く見えたのは初めてだった。夜の街の雨はと ても冷たかったが、それに対して孤蝶の頬と手が触れていた肩にはいまだにその熱が残っているような気がしていた。


こんな自分では任務に支障をきたしてしまう。

そう思って、気を抜かないようにしていたのだが、何故か秘密はいとも簡単に彼女の手に 渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夜の毒蝶~男を信じれない遊女と感情を知らない諜報員~ 孤月 @kozukikozuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ