第7話 【感情】

「ねえ、蓮の旦那様。花魁だけじゃなくて私たちとも遊んで行かないこと?」

日暮れ前に弧蝶の部屋から出て、帰ろうとする蓮を見とめた他の遊女たちが呼び止めた。

孤蝶も見送りに蓮と共に部屋を出た時だった。 かなり高位の遊女たちの部屋の襖が開いており、その奥から、遊女たちが声をかけたのだ。 宵香がピクリと眉を動かす。諜報の必要がないと判断された客を彼女たちは私情から呼び止めたのだ。

「いいや、またそれは今度にしましょう。あなた方のように可憐な花と戯れるのは私のよう な若輩者では至らないでしょう」

そう蓮がいうと、遊女たちは惜しそうな顔をして、少し着物を緩め、蓮を誘惑するように 体の線をちらりと見せた。孤蝶は胸の奥でグツグツと何かが煮えているような気分がした。

蓮は少し笑って、その遊女の部屋に入ると、その緩んだ衣を正した。

「孤蝶花魁のように仕草一つ一つが妖艶な方と共に過ごしただけで上がってしまいまして。 今日は退散させていただきますね」

蓮はそう言って、こちらを振り返る。

「花魁のせいで今日は眠れませんね」

その目は粋な光を忍ばせて、穏やかにほほ笑んでいた。

「それならもう少し過ごして行けばいいものを」

孤蝶はそう少し冷ややかに言う。しかし不思議とグツグツ煮えたなにかは止んでいた。

店の前で蓮は少し礼をして帰って行った。孤蝶はその姿をじっと見つめた。その蓮の黒髪がさらさらと揺れている。



「花魁、獲物が花魁の部屋に通されました」

宵香がそっと孤蝶の耳元に囁く。

「わかったわ」

視線を無理やり背けた。

部屋に入るとそこにはでっぷりと太った男がいた。

「おやおや、なんだね。孤蝶花魁の部屋に通されていたなんて。どうかされたのかな」

そうニヤニヤとこちらを見つめる。孤蝶はわざと恥ずかしそうに言う。

「私がお慕いする方が久しぶりにいらっしゃったと聞いて、やり手に無理を言いました。一 夜の夢でもよいので私と過ごして」

男は一層にやりとわらう。

「そうかそうか。それはたんと可愛がってやらなければな」

孤蝶は褥の上でゆっくりと帯を解く。その仕草一つ一つがあまりにも煽情的だった。はら りと着物が全てはだけた瞬間、男は弧蝶を抱きしめようとした。

「旦那様......」

孤蝶は一際艶やかな吐息を漏らしながら言う。 「次は嘘に気づけるような賢い方に生まれてくることを願っておきますね」

孤蝶は男の背中に深々と簪を刺した。血があふれ出るが、それを気にせず弧蝶は更に押し 込む。

男はよろよろと弧蝶から離れようとした。孤蝶の目を血走った目で見つめる。口がパクパ クと動くがなにも声は出ない。そして、血泡を吹き死んだ。

「だれがあなたを慕うのか教えて欲しいものね」

そう言いながら弧蝶はいつのまにか部屋の端にいた宵香に声をかける。

「これ、片付けていて」

「はい」


孤蝶は血で濡れた両手を見つめた。何度白く塗り直しても赤く染まる手だった。なぜか今 日は力が入り過ぎてしまった。

なぜだろうか。何か怒りを感じていたような気がする。いっ たい何に? そんな疑問が頭をよぎるが考える前に風呂に入りにいくことにした。血は乾くと面倒だ。

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