⑤ 試し行為

(まあそれはそう。とても不便そう)


台所は庶民のそれより当たり前に広大だが、様々な器具に身体?が当たるらしく基本が横移動である。


フライパンに卵焼きを転がす極薄い一枚絵イラストが、なめらかに横へとスライドしていくのを、なんとも言えない感覚で見守る。


むしろ、何故拒絶のできる焼鉢やきばち様が、この身体を受け入れざるを得なかったのかが不思議だ。どんな法によるのだろう。


一応あれから神と人間のやり取りの触りくらいは調べたが、一切の言いがかりを叩き潰そうと粘っこく書かれた法律の文章。


寝不足の千暁ちあきは早々に心が折れた。


(この辺はもう少し寝てから、調べないと理解できないな……)


   いや、基本的には信者のみんなが祈ったら

   ある程度は拒否できないんだよ?

   千暁ちあきさんだってそうだし。


(……チアキサンダッテソウダシ?!)


それはつまり、自分の勝手な思い込みがつた様や焼鉢やきばち様に何らかの影響を及ぼしたと。そういう。


(もしかして……私がつた様かわいいってばっかり思っていたから、こんなにかわいくなってしまった、とか……?!)


そっと眼鏡を直して、2本の腕で口元をおさえて、残り4本をわちゃわちゃ動かすつた様を確認する。


(……杞憂!)


そもそもつた様はかわいいので何も関係なかった。


人間風情が随分とおこがましいことを考えたものだ。


では、自身の思い込みが、一体つた様の何を変えてしまったのか。


   あ、ち、ちがっ……!違うよ違うよ!

   ほら、あたしが腕しか見えてないだけ、

   って解釈とか好きだし……!


「つたかずらの君。千暁ちあきさんにそれじゃ伝わんないよ。ちゃんと本来は手しかなくて食事を摂る必要もない神が、信者の勘違いをいいことに好き勝手に懐いて甘えてるって言わないと」


   千暁ちあきさんが見た目なんか好きにするもの

   くらいの感覚しかないからって、

   欲張りさん発揮する焼鉢やきばちさんにだけは

   言われたくないもんね!

   見た目はいいのに、降臨する時と普段使い 

   とでいっぱい見た目の違う現し身作るから

   却下されてるくせに!

   今こっそりマイページさんが言ってたよ!


にゅる、と一枚絵イラストから触手が伸びて、箸でつまんだ一切れの卵焼きを、つた様の口へと放り込んだ。


    …………おいし〜い!

    熱々で、ぶあつくて、ちょっと甘めだから

    お醤油とも合いそう!


つた様はしばらくお口を抑えていたが、おいしさを表現しようとぺちゃぱたと頬を叩いている。


幸せそうだ。とてもかわいい。


「はいはい、卵焼きが冷めますよ。ほら、君も端っこ味見してごらん。ほら、つたかずらの君、箸を……」


    あ、だめだよ焼鉢やきばちさん。


「あぁ、いえ、それは……」


つた様と同時に断りを入れようとした直後、高らかに響き渡る調子はずれなファンファーレ。


先程まで静かだった、マイページのかたである。


    お知らせ

    契約の上での対価であれば、

    神が提供する飲食物を口にするのは

    安全です。

    以下の行為がきゅうさいガイドライン

    の禁忌に当たります。

   ・神が手ずから飲食物を口にさせる行為

   →心身の変質が確定するため、事前の申請が

    必要となりました。


手ずから、の文字がびかびかと赤黒く光る。


そう。馬鹿みたいな話だが、【あーん】は己の身体が突如巨大化するなどのリスクを留意した上で、まほろの許可をとり、監視の上で覚悟を決めて行わなければならないのだ。


「おや、全員にバレるかね。それにしても、ずいぶん勤勉なマイページだ。現行法にも詳しいね」


何ら悪びれない一枚絵イラストの女の顔は、勝気な笑みをたたえたまま変化しない。


   〈You are ponpoko狸ジジイ


心なしか吐き捨てるような響きの機械音声。


   もー!!よくないおじさまですこと!!


怒ってぺちぺちと一枚絵イラストを叩くつた様。


(ぽんぽこ)


はーなるほどね、と頷く千暁ちあきである。


陽気にしたたかかと思いきや、しっかり人間不信のかたのようだ。


引き際もあっさりしているから、食べようとしてたら叱ろうとした、と言い逃れられる範疇だろう。


即断通報なマイページのかたも何も言ってこない。


(様子見、かな)


こうした毒味がてらの騙し討ちは散々喰らわされそうになったが、その都度竜宮社長や園原刑事に助けられて、回避にも慣れている。


かろんじられたのを許すかは別の話だが、まだ決定打には欠ける。


てちてちと千暁ちあきに駆け寄るつた様が、怒った様子で焼鉢やきばち様との間に立った。


6本の手で出来るだけ体を大きく見せて威嚇してから、振り向いて言う。


    焼鉢やきばちさん、人間不信で結構試し行為こういうことする

    から。

    千暁ちあきさん、一人でお話しないようにね!

    あたしとのやくそく!


つた様に両手を握られ、目と目を合わすように語りかけられる。


もう扱いが不審者に出くわした小児である。


「試し行為になるんです?これ……」


それで済むとは、随分ふんわりした話だと思う。


さすが神は違う。人がやれば立派な犯罪行為である。


基本、人体に直接取り込む、触れる……飲食物、化粧品、薬品、装身具の類いは、儀式や契約の対価以外で神から下賜される物を口にするなと言い含められる。


神の方で必要な手順を踏まず、安全性が保証されていないからだ。


(それを他人が伏せて摂取させるのも、未必の故意にあたる、って判例でたことがあったな)

 

千暁ちあきもかつて、様々なケースに直面した。


迷宮清掃員ダンジョン ジャニターとして、後始末を頼まれるからだ。


中でも神?から不死になる薬を頂いたらしい探索者シーカーが、千暁ちあきの目の前で生ける死体リビングデッドと化した案件が印象深い。


あまりの素行の悪さに、今はもう信仰が廃れて消えた神だけど。


薬を作るその神は、ダンジョンを攻略した探索者シーカーの病気平癒の願いに、今死んでしまえばこれ以上死なない、なんて勝手な解釈をされたらしい。


余命いくばくもない体を引きずり、我が子が成人するまで保てばと。


効果を確かめもせずに、神の手から薬を飲んだ被害者は、こんな自分を子どもには見せられないからと、その場で命を絶った。


たまたまそのダンジョンの他の階層を清掃していて通りがかった無関係な千暁ちあきには、当然何があったかもわからない。


こっちを見たその男が、地上まで死体を運べと勝手に命令したと思いきや、軽快に首を切って死んでしまったからだ。


まだ転送紋を描けなかった頃の千暁ちあきは、それで世を呪いつつも、持参していた納体袋で死体を引きずりながら運んだのだ。


結果、警察以外の全てから殺人の疑いをかけられたのは言うまでもない。


なんなら説明の場で男の家族に殴られかけて、何故か土下座まで迫られた。(その家族は現行犯で逮捕だった)


最初から最後までを、竜宮社長と園原刑事が元気いっぱい蹴散らしてくれなければ、今頃遺族に煽られた正義漢どもの私刑リンチで死んでいたかもしれない。


おまけに相手方は心神耗弱とかで、隔離措置は取られたようだが、罪にもならなければ、謝罪もなかった。


無論一連の騒動で休業せざるをえなかった千暁ちあきへの経済的な保障もない。


それで神にも親切顔で底意地の悪い屁理屈を捏ねたがる、小賢しい偏屈者がいるのは千暁ちあきでも知っていた。


知って。知っている。知っていたけど。


おかしい。こんな有様の事件を、これまで普通に忘れて過ごしていたなんて。


(……なんだろう、この記憶。あれ、こんなこと、あったっけ。……あった、5年前!迷宮清掃ワンオペ始めたばかりの頃!)


がり、と二の腕に、シャツ越しに爪を立てて反応を堪えた。


遅れて、真夏に放置されたゴミ箱を開け放ったように、ぶわ、と小蝿こばえじみた不快感が全身に広がる。


みちみちと突き刺さる爪からの痛みだけに、なんとか意識を逸らす。


これは怒りと憎しみだ。


あの当時、千暁ちあきは彼女を犠牲にして幸せになろうとした全てが心底疎ましく、めちゃくちゃになれと望んでいた。


結局加害者側の誰も責任を取らず、昇華されない殺意としてくすぶってもいた記憶だったのに。


親類関係のことじゃなかったから、あまり読み返していない方の記録だったんだろう。


(これは、井守いもりに盗られていた記憶が戻ってきている?……よくないなぁ、報復はどんな理由があれ犯罪だ。犯罪だけはしない、しないんだよ、しちゃだめだ)


千暁ちあきは、憂さ晴らしで散々にされたのにどうして?


残念ながら警察以外の人間には、加護なしノースキルに平均的な一般人の法は機能しないのが現状である。


     千暁ちあきさん!はぐ!


「はい!」


まあそんな今更どうでもいいことより、優先すべきはつた様である。


ちぃちゃい6本の腕が、全て千暁ちあきに向かってのばされたのを、疑問もなく即座に抱え上げる。


千暁ちあきの肩に顎を置くと、ふにふにと頰が触れた。


腕の長さが足りないらしく、千暁ちあきの背中の両サイドをなんとかぽんぽんしてくる。


     ゆっくり息してー……

     吸ってー……

     吐いてー……


(あっこれ宥められてますね……!)


つた様の指示に従う。


時折意識が鮮明に蘇る記憶に逸れて、叫び出したい気分になると、きゅむきゅむと全ての腕で、きつく抱きしめられた。


ゆっくり呼吸するうちに、つた様の薄荷に似た香気のおかげなのか、身体の内外から虫にたかられたような不快感が少しずつ落ち着いてきた。


     落ち着いた?


「……はい」


すりすりと頭を肩にこすりつけられる感触がこそばゆい。


     あたし、千暁ちあきさんが大好きなんだ。

     千暁ちあきさんに辛い想いさせるのは

     絶対許さないからね!


「私も、つた様が」


     きゃー!まだダメ!


もちもちとした手で、口を塞がれた。


(りふじん!)


しばらくぷるぷると震えていたつた様だったが、拳を振り上げて焼鉢やきばち様に抗議を始めた。


    こらー!みんな自分のことだけでも

    ほんとに大変なんだから!

    焼鉢やきばちさんのことだけ考えるのは

    無理なんだからね!

    千暁ちあきさんはそういう神の後始末を

    散々押しつけられた子なの!

    よくないことばっかり知ってるから、

    今更神に期待も希望もないの!

    自分でイメージを作って切り売りしてる

    くせして、それに疲れたからって、

    文句言わなそうな人を選んで当たるの

    最低だよ焼鉢やきばちさん!


「……今、記録全部読めた。軽率なことをしたよ。ごめんなさい!」


よくよく見れば、蛍光ピンクじみたネオンカラーに光る注射器のアニメーションが、直接一枚絵イラストの額に突き刺さっている。


マイページの方の仕業だろうな。


今し方、失言神と書かれた、職場の宴会じみたしょぼいタスキまで追加された。


「ええ、今後はやめてくださいね」


直角に一枚絵イラストを折って謝るので許した。


あとは別にそういう神なんだなという目で見るだけなので構わない。


2度目があればさよならするだけだ。【権能スキル】も返そう。


「はい!重々承知しております!」


読まれてた。


一枚絵イラストが、丁寧に足元から折り畳まれて床に伏した。ぴろぴろと触手がのびて、床についている。


(自分にされた土下座?初体験だな……)


特にそれですっきりする訳でもないのに、何故みんな千暁ちあきに土下座させたがったのか不思議だ。



…………

焼鉢やきばち様のキャラに迷って遅れました。

次回、焼鉢やきばち様視点。

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ハナエムマホロニカ:迷宮清掃員は今日をやり過ごしたい。 潮 結(しお むすび) @s10kob3-k0me

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