探偵はトイレにいる -2

「何やってんですか!」悲鳴じみた声を上げてしまった。「ここ、男子トイレですよ!」


 部長──真ヶ間まがま彩子さいこは、いけしゃあしゃあと言った。「迎えに来てやったぜ、君の方でも私を探している気がしてね」


「確かに探してましたよ! だけど、誰がトイレの中まで来てくれなんて言ったんですか!」


「安心したまえよ。君が見られて困るようなものは、何も見てないから。私にピーピング・トム的な趣味はないからね」


「そういう問題じゃなくって──」


「長く高校生やってるとさぁ、いろいろあるわけよ。男子高生の雉撃ち程度じゃ動じなくなるくらいに強烈なものを見ちゃったり、知りたくなかったことを教わっちゃったり、ね……聞きたい? 君も年頃の男子なら、そういう話って興味があるでしょ?」


 僕は力無くかぶりを振った。そして、この人が目を覚ましている限りは、たとえ膀胱炎になろうと学校でトイレを使うことは極力避けようと誓った。


 真ヶ間彩子は無頼のひとである。一般常識を軽視し、良識に冷や水をぶっかけるが如き言動を好むきらいがある。今日のこの登場にしたって、僕が慌てふためくのを承知の上で、わざとやったに決まっているのだ。


「さて、座興はこの辺にしておいて、だ」仕切り直すように、部長は手を一つ打った。「聞かせてもらおうか。今日の会で得られた情報、そこで交わされたやりとりについて。できるだけ正確に報告してくれよ」


 憮然としつつも、僕は“在否を考える会”の顛末を、お望み通り細大漏らさず報告した。

 僕がした雑談がきっかけで、実際にミドウサマの儀式を行うことになったこと。罵倒と当て擦りの応酬の果てに、須羽さんが自らをのっぴきならない状況に追いやったこと。“しるし”のこと。それから、彼女たちから聞いた、儀式に必要な物品のこと。

 そうした話をしている間、部長は手洗い台のへりに腰かけて、足をぶらぶらさせていた。


「ふうん。するとやはり、私の予想通りの展開だったわけだ」僕が語り終えると、彼女は開口一番そう言った。「つまらない口喧嘩ばかりで、めぼしい新情報はほとんどなし。いやはや私は参加しなくてよかったよ。そんなものを聞かされ続けたら、退屈のあまり気が狂ってしまうからね。……おっと、君は最初から最後まで付き合ったんだっけな。ご愁傷様でした」


 人に出席を厳命しておいて、この言い草である。

 僕は呪詛の言葉を懸命に呑み込んで、何も聞こえなかったフリをした。部長に腹を立ててもエネルギーの無駄遣いだということは、長い付き合いでよくわかっている。


「で、君の見解はどうなんだい」無視されたことなんてどこ吹く風、部長は至極明るく訊いた。


「見解、と言いますと」


「だから、君自身はこの噂話について、どう思ってんの。ミドウサマは実在するのかしないのか。もしくは民俗学的な見地から、気になる点はないか」


「そうですね……」眉根を寄せて、僕は考え考え意見を述べた。「僕もこういう類の占いはやったことがないから、よくわからないんですけど……はっきりそれとわかる形で怪異が起こるというのは、他のテーブル・ターニングとは性質が違いますよね。たとえば、そう、コックリさんなんかとは」


 漢字で表すと“狐狗狸さん”となることからもわかるように、コックリさんは一部のオカルト好きからはごく低級な動物霊と見做されている。つまり占いに携わる者の指先に憑依するのが関の山で、それ以上のことは望めない。それはおそらく、キューピッドさまやエンゼルさんも同様だろう。

 だが……僕らが話題にしているミドウサマは、どうやらそうした霊の中では、頭一つ抜けた力を持っているらしい。


「気になる点はもう一つあります。必要な物品の中にあったキャンドルです」


 そこまで話したところでいったん言葉を切り、部長の顔を覗き込む。彼女は手の動きだけで「続けて」と促した。


「百本以上のキャンドル。それに儀式の終わりに起こるという、何らかの怪異……このミドウサマ、僕が思うに、どうやら百物語から影響をかなり受けてますね」


「奇遇だね。私もそれを連想したところさ」


 博識なる読者諸氏は、その名前くらいは聞いたことがあるだろう(蘊蓄うんちく話が続いて大変恐縮だが、どうかもう少しだけご辛抱願いたい)。

 夏の季語にもなっている怪談会。百本の蝋燭を立てて幽霊譚や不思議な話を語り合い、一つの話が終わるごとに一本ずつ火を吹き消していく。最後の火が消えた時、何らかの怪異が参加者たちの前に現前すると言われている──ミドウサマの儀式との共通点が見受けられるのは、単なる偶然なのだろうか?


「でも、ちょっと待って下さい」自分で類似点を指摘しておきながら、僕は疑問を呈した。「確かに似ている点は多いです。だけど……百物語とテーブル・ターニングとじゃ、ずいぶん隔たりがありませんか?」


 部長は肩をすくめてみせた。

「そんなに不思議なことでもないだろう。時代の移り変わりに伴って怪談の内容が突飛な変化を遂げたり、二つの全然異なる怪談が融合するなんてことは、ままある話じゃないか……ま、その辺の怪異談義は横に置いといて、だ。香宮君。君は本当に、百物語の最後に物怪が姿を見せたなんてことがあると思うかい? ミドウサマの儀式の終わりに、怪異が現れたなんてことが信じられるかい?」


 僕は少し首を傾げた。「さぁ……火のないところに煙は立たぬと言いますからね。実際に何かしらの、説明のつかない奇妙な現象に出くわしたから、こうして今なお語り継がれていると考えるのが妥当でしょう。違いますか?」


「違う、とまでは断言しないけどね。ただ、そう決めつけてしまうのは早計だとは言わせてもらおう」

 部長はそう言うと、唐突に人差し指を突きつけてきた。「風声鶴唳って言葉、知ってるかい」

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