見苦しき闘争

「時間の無駄だな」


 そう言い放ったのは、吉川君という坊主頭の男子だ。野球部仕込みの太い腕を組んで、口の端を皮肉っぽく吊り上げている。


 たちまち須羽さんが、柳眉を逆立てた。「時間の無駄だって、どうしてそんなことが言い切れるのよ」


「だって、そのミドウサマとやらは、指の下に置いたコインを動かすしか能がねぇんだろ? そんなもん、どうやって本当の怪異か否かを第三者が見極めるんだよ。インチキのし放題じゃねえか」


「それじゃあ、あんたがシャーマン役をやればいいでしょ。あんた自身が結界の中に入って、あんた自身がミドウサマに呼びかけて、あんた自身が十円玉に指を置きなさいよ。それで、もしもちゃんと啓示があったら、今まで私に言ってきたことを全部取り消してよね」


「嫌だね」


「なんで」


「何が儀式だよ、くっだらねぇ。俺はこう見えて忙しいんだよ。月から金まで、毎日部活でね。誰かさんみたいに馬鹿げた絵空事の妖怪話を追っかけて、何かを学んだ気になってる暇人とはワケが違うの」


「ふん、何が忙しいよ。そんなこと言って、本当は怖気づいただけでしょ。小心者のあんたらしい敵前逃亡だわ」


「なんだとっ」


「やめてくれやめてくれ」今にも互いの鼻先に喰らい付きそうな二人を、僕は懸命に押し留めた。「二人とも、こんな不毛な言い争いをするために、わざわざ貴重な放課後の時間を割いたわけじゃないだろ」


 視界の隅で、三神あまねさんというオカ研部員が、何度もこくこくと頷いていた──同意を示すくらいなら、少しは仲裁の手伝いをしてほしい。この小学生と見紛うばかりの小柄な女子は、さっきからおろおろするばかりで一言も話そうとしないのだ。


 僕が所属する民俗学研究部とオカルト研が合同で主催した“第一回・ミドウサマの在否を考える会”は、いまやそもそものきっかけとなった教室内での口論の延長戦の様相を呈していた。


 気炎をあげ続けているのは須羽さんと吉川君の二人だけ。それも二人とも、ただ相手を言い負かすことばかりに汲々としており、もはやミドウサマの実在ないし非実在なんてどうでもよくなったようにさえ見える。僕がせっかく用意してきた資料──古今東西の類似する心霊現象をオカルト・科学双方の見地から考察した、簡単なレポート──は、さっきから机上の肥やしと化していた。


 そんな二人を前にして、もう一人の会の参加者たる三神さんは、傍で見ていてかわいそうになるほどその身を縮こまらせていた。まるで実験台の上にのせられたハムスターだ。そんな彼女は時折、救いを求めるような視線を僕に送ってきた。


 気の毒だとは思う。だけど、だからといって救いを求められても困るのだ。だいたいどうして、僕が二学期中間考査の直前の貴重な放課後に、本来は自習をする生徒のために解放されている空き教室くんだりまで出向いて、オカルト研と野球部員の揉め事に介入せねばならないのか。そりゃあ確かにオカ研は我が民俗学研の親類みたいなものだし、いわゆるコックリさんの類型と思われるミドウサマにもまったく関心がないと言えば嘘になる。

 だけど、こんな堂々巡りの、議論と呼ぶのも憚られる感情のぶつけ合いの仲裁を任されるいわれはない。僕は、誘われるままにこの会への協力をほいほい承諾した己のお人よしぶりに、ほとほと嫌気がさしていた。


 ここで、そろそろミドウサマについて解説をせねばなるまい。

 ミドウサマとは我が県立野羽のば高校に古くから伝わるテーブル・ターニング──霊を呼び出してお告げを受ける、占いの一種である。

 その儀式の内容にはコックリさんとの共通点が多いと言われているが、詳しいことは僕にもよくわかっていない。というのも近年はやや廃れ気味であり、せいぜいオカルト研の部誌のページの片隅にその名を留めているにすぎなかったからだ。


 それがつい最近、具体的にはざっと三週間ほど前から、にわかに僕ら現役高校生の口の端に返り咲いたのだ。いったい誰が火付け役になったのだろう? 興味深くはあったが、今はそんなことに気を取られている場合ではない。


 ともかくその噂話が発端となり、いるいないの水掛け論がクラス内で勃発したのがつい一昨日のこと。それがこじれにこじれた結果、こうして非公式の合同部活動──なにしろもうテスト直前なので、本来部活は原則的に休止となるのだ──を、三神さん主導で催すに至ったのだ。


 だが、その試みはお世辞にも成功したとは言い難かった。


 急に吉川君は言った。「いいよ、わかったよ。そこまで言うなら、その儀式とやらに参加してやるよ」


 いやに穏やかな、ねっとりした声だった。


「それでもし、お前の言う“しるし”とやらが本当にあったら、お望み通り今まで言ったことを全部撤回してやる。その代わり、もしも何もなかったら──そうだなぁ、土下座して謝ってもらおうか?」


 あからさまな挑発だった。しかし須羽さんは、その挑発に乗ってしまった。「上等よ。受けて立とうじゃない」


「ゆりちゃんっ!」三神さんが叫んだ。ちょうどその時、五時を告げるチャイムが鳴った。


「言質とったからな」彼はそう言うと、不意ににやりと笑ってみせた。安全圏から不利な立場の人間を見下す者が浮かべる類の、嫌な感じのする笑みだった。


「ところでうちの学校の床って、なんか埃っぽいよなぁ。週一で掃除してるはずなのに、なんでなんだろうなぁ。ま、せいぜい儀式の前にでも、念入りに掃き掃除しとけや。膝とか手のひらが真っ黒にならねぇようにな」

 そう言い捨てると、吉川君は見るからに重たそうな、野球部のロゴ入りのバッグを担いで教室から出ていった。まだ誰も、解散の号令などかけていないのに。出ていく際にバッグをぶつけられたドアが、まるで脅しつけるような大きな音を立てた。


 残された三神さんは、輪をかけて小さく縮こまっていた。もはや顔も上げられない様子だった。よもや自分が提案した“在否を考える会”がこんな結果を招くとは、思ってもいなかったのだろう。


 須羽さんが、そんな親友の肩を抱く。「なんであんたが落ち込んでるのよ」


「……ゆりちゃん、ごめん……」


「謝ることないでしょ、私が勝手に言い出したことなんだから。大丈夫だって、ギャフンと言わされるのはあいつの方。ミドウサマの“しるし”はきっとあるから。あんたがそれを信じないでどうするの。忘れたの? オカ研心得第一〇八条。何事も否定から入るべからず──たとえ常識的にはあり得ないような噂や怪異譚であろうと、まずはそれを最大限に尊重し、肯定の立場に立って活動に励むべし」


 残りの一から一〇七までの条文の内容も気になるけれど、今知るべきはそれではない。僕は訊いた。

「あのう、さっきから気になってるんだけど……その“しるし”って、何のことなの?」


 須羽さんに、非難するような目で見られてしまった。「あんた、そんなことも知らないままこの会に出席したの?」


「……すみません」


 怒られても困る。三神さんに声をかけられるまでは、我々民俗学研はこの噂に関してはほぼノーマークだったのだから。

 ヤマアラシ。唐突にそんなイメージが脳裏をよぎった。竹を割ったような性格の数学教師ではなく、怒ると針を逆立てて突進してくる動物の方。須羽さんを動物で喩えるなら、あの棘の多い生き物なんかうってつけではなかろうか。


 ハムスターとヤマアラシ。なんとも珍妙なコンビではないか。


 そんな、本人たちに知られたらますます怒られそうなことを考える僕をよそに、須羽さんは一つあからさまなため息を吐いた。そして、いかにもしぶしぶといった調子で解説してくれた。


「いい? ミドウサマはコックリさんとかキューピッドさまみたいな、普通のテーブル・ターニングとはわけが違うの。ミドウサマはね、降臨した際に、何らかの怪奇現象を起こしていくの」


「怪奇現象?」


 僕が思わず聞き返すと、須羽さんは重々しく頷いてみせた。「それも不信心な参加者もその存在を信じざるを得なくなるような、強烈なやつをね。私たちはそれを、“しるし”と呼んでいるわけ」


「……なるほど。それで、具体的にはどんな“しるし”が今まで観測されたのかな」


「さぁね。私たちも何か有益な情報が得られないかと部誌のバックナンバーを読み漁ったけれど、断片的な知識しか得られなかったから……ただね、一つだけわかったことがある」


 須羽さんはそう言うと、何やら意味深な笑みを浮かべてみせた。

「あのね。ミドウサマは、式の参加者、特に実際に十円玉に指を置くシャーマン役が正しく敬意を払えば、良い“しるし”を見せてくれるんだって。だけど反対に、参加者がちゃんと礼を尽くさなければ、その時は……よくない“しるし”を、つまり何か恐ろしい災いをもたらすんだって」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る