謎解きはフィールドワークのあとで -2

 ……ま、現実なんてこんなもんだよな。


 湿った土や草木の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、よくよく考えてみたら非常に失礼な感想を抱いてしまった。


 そこに広がっていたのは、拍子抜けするほどありふれた田園風景だった。一面の野菜畑。桃か何かの果樹園。立ち並ぶビニルハウス。なんとも牧歌的で、そして──どのように見ても、怪しい声には縁遠い光景。


 苦笑する。そして自らに問いかける。

 お前は何を期待してたんだ? 桃源郷か? それとも魑魅魍魎の跋扈する異界か? 考えてもみろ、ここまで来るのに使った道だって、じゃないか。それはとりもなおさず、あの道を徒歩なり車なりで日常的に使っている人が存在するということだ。

 意味のないところに道はない。廃道でもない限り、辿っていけばいつかは人の気配のするところに到達するのが世の常だ。川村さんはそこには思い至らなかったみたいだし、僕も思い至らなかった。それもこれも、あの入り口の見てくれがあんまりおどろおどろしいから悪いんだ。


 だがそれでも、根本の疑問は解消されていない──それじゃあ結局、川村さんが聞いたと言う声の正体はなんなんだ?


 その答えを与えてくれそうな家が、前方に一軒あった。おそらくは田畑の所有者の住まいであろう、瓦屋根に縁側付きの典型的な日本家屋。敷地には見事な松や柿の木が立っていた。僕はそちらの方へ歩いて行った。


 どっしりと重厚な門柱には「加藤」と書かれた表札が掲げられているだけで、チャイムの類は見当たらなかった。

 僕は逡巡してしまった。見たところ母家にはきちんとインターフォンが設けられているみたいだが、しかし……住民に無断で門をくぐって、敷地を横切っても良いものだろうか? マンション住まいの上に、一軒家と言われれば建売住宅を真っ先に連想する僕には、日本家屋を訪問する際の心得がまったくできていなかった。


 さて、どうしたものか。

 聞き取り調査を断行すべきか、それともやはり日を改めるべきか。そもそもチャイムを押したところで、住民は皆畑に出ていて不在だった……なんてことも、ありうるのではないか。


 そうして他人様の門前でまごまごしていた時、不意に思わぬ形で救いの手が差し伸べられた。


「なんだい、うちになんか用?」


 唐突にかけられた声に文字通り飛び上がり、振り返ると僕と同い年くらいの男が立っていた。


 身長は僕より上、おそらく一八〇はゆうに超えているだろう。最近伸ばしはじめたらしい坊主頭に、やや鋭い目。Tシャツにジーンズというラフな格好。片手には野球のバット。

 たぶん面識はない。にもかかわらず、彼の目つきには不審者を警戒する色は見受けられなかった。むしろ彼は、いやに馴れ馴れしい笑みを浮かべていた。


「ビビんなって。香宮だよな? 俺だよ俺。一年の時、一緒に保健委員の仕事したじゃんか」


 あれ、そうだっけ。というか同じ学校だったっけ。

 記憶の底を浚うが、なかなか思い出せない。なにしろ去年は、全委員が一堂に会する機会があんまりなかったから。

 というか、唐突に後ろにバットを持った男が現れたら、たとえそれが友人だとしてもビビるって──状況的に不審者と疑われても当然の我が身を棚に上げ、心の中で自称・元同僚氏を非難する。


 ……いや、待てよ?


「……幸正ゆきまさ君、だよね? 加藤幸正君」


「正解」


 ホームランを予告するバッターの如くバットの先端をこちらに向け、幸正君はニッと白い歯を見せた。……お願いだから、まずはそれを置いてほしい。


 思い出した。確か野球部所属で、去年一度だけ好きなプロ野球チームや選手について話したことがあったんだった。浅学な僕には彼の話している内容が半分も理解できなかったけれど、それでも感じのいい人だな、と思ったことだけは確かだ。


 ひとりで合点する薄情者の態度なんてどこ吹く風、野球少年氏はあらためて訊いた。「で、うちになんか用? つーか俺、お前に俺んちの場所教えたこと、あったっけ? それとも道にでも迷って、偶然ここに辿り着いたとか?」


 そうだ、唐突なバット男の出現で一瞬失念していたけれど、ここへは午後のお茶を飲みに来たわけではない。

 咳払いをひとつして、僕は元同僚にこう尋ねた。


「ごめん、急にお邪魔しちゃって。でもここでこうして会ったのは、まったくの偶然なんだ。……実は僕、今民俗学研究部の活動中なんだけど、ちょっと調べてることがあって……」


「ああ!」


 僕の説明を遮って、幸正君は無駄にでかい声を上げた。

 どうも彼は、僕の不得意な人種らしい。感じのいい善人なのは間違いないけれど。


「知ってる知ってる! 民俗学研ってあれだろ!? あの変な事件を解決しまくってる心霊探偵! いろんな奴が、たまに噂してるぜ!」


「……は、はぁ」


「いいよいいよ、あがってけよ! そんで話聞かてよ! 俺も知ってることは、なんでも教えてやるからさ!」


 というわけで、僕はこの加藤幸正氏に聞き取り調査をすることになった。


 渡りに船の申し出だった。にもかかわらず、この胸にわだかまっている釈然としない思い、なんとも言えない気恥ずかしさはなんなんだろう。

 ……考えるまでもない。彼の身に余る部活評ゆえだ。


 心霊探偵、ねぇ。心霊探偵!


 拝啓部長殿。うちの部は、どうやらたくさんのお客様にご好評をいただいているようですよ。

 それもこれも、皆あなたの実に精力的な活動のおかげでございます。

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