善人は気取る

有耶/Uya

善人は気取る

 コンビニのレジの横に置かれた募金箱。数ヶ月前に起きた豪雨災害の支援募金を行っているらしい。名前は変わり行くが、この募金箱が消えたレジを見たことがない。それだけ世の中には助けを待つ人々が居るということだろうか。しかし募金箱の中には申し訳程度の十円玉や一円玉が積まれている。なんとなくいたたまれなくなり、私はその中に五百円玉を入れた。


 女子高生らしきバイトのレジは横目でそれを見たが、感謝の言葉を発することはなく、淡々とだるそうに仕事を続けた。それもそうだろう。彼女はこんな五十路の老爺ろうやに一端たりとも興味なんて無いのだ。


 私は別に彼女から感謝されて欲しかったわけでもないし、特別自分が善い行いをしたとは思っていない。私が寄付した五百円も支援の際には札束や預金の一部と化し、まさに塵である。

 しかし、塵が集まらねば支援は集まらない。一人一人のささやかな慈愛が大きな助けとなって多くの人々を救う。誰かが欠けたら誰かが助からない。この程度で支援にならないと諦めては誰も救えない。


 そのため、私は寄附を辞めることはない。


 ……なんて綺麗事を思い浮かべ、私はコンビニを出た。買ったタバコをコンビニの前で吸い始める。何も見えない明るい夜空に煙が薄く舞った。


 人々の善行も、結局はちょっと良いことしたら自分に見返りが来るのではないだろうかと期待する偽善、或いはその場の気まぐれである。あの場に五百円玉が無ければどうしていただろう。少なくとも小銭が無ければまず寄附はしていないだろう……気持ちの程度としてはそんなものだ。ただそれだけのことなのだ。


 私は自己を犠牲にして他人を助けるような善人では無い。都合の良いときだけ善き様に振る舞うだけだ。


 真の善人とは己を顧みずに他者を助ける。自身が果てようと、自身が助けた人が幸せならばそれで心が満たされるのが理想像たる善人だろう。アニメや漫画、ドラマなどに登場する、言わば自己犠牲の塊である。


 現実世界でそれは不可能である。人間はどれだけ他者に尽くしても、その潜在思考の中には常に自身への利益を考える本能が混ざっている。


 平和を唱えて有名になった某人物も、思考の海底には有名になってお金が欲しいと言う熱水がチムニーから湧き出していただろう。それは海面に到達するまでに水温が周りと同化し、自分にもその欲望があるか分からなくなる。だがその熱水が結果思考の海を構成する一部となっていることに変わりは無い。そのため、人間は自分にも分からない部分で常に利益を考えて生きることしかできないのだ。


 加えて私たちは「自分は善い行いをした」と思い、無意識かつ自然に自己満足する。募金をした後、普通に振る舞おうと意識してしまうのはそのためだ。


 真の善人は善行を善と思わず、当然と解釈する。


 善い行いをしたと思った時点で、私たちは所詮偽善者なのだ。


 ……しかし、それで良かったと思えた部分もある。


 一本目がフィルターまで燃え尽きた。吸い殻を横にある灰皿に押し付け、二本目に火をつける。新しい煙がまた昇った。


 ……今日もいろんなことがあった。取引先からは突然の仕様変更の依頼。それで何故か私が上に怒られる始末。理不尽だが、これが社会だ。板挟みに遭い結局は家で続きをやらなければいけない……労基の目を上手く掻い潜っている。


 そして、昨日も良いことはなかった。一昨日も、その前も、思い返すのは溜まった疲労とストレスだけだ。


 良いことがない人生。成熟し切ってもう伸び代もない人生。何の意味があって生きるのだろうと、たまには問いかけてしまうくらい何も無い日々。生きてるのかすら怪しく、別に生きていても意味ないんじゃないかと疑ってしまうこともあった。


 だからこそ、私は私が偽善者であって良かったと思う。


 偽善者だからこそ、私は自身の行いに勝手に満足し、勝手に自己を美化し、勝手に希望を持つ。この暗い現代社会では、その希望が生きる糧となる。日々積み重なる重圧を耐える力となり、私が潰れることのないよう支えてくれるのだ。


 では真の善人はどうなのか。恐らく真の善人に自己満足する必要は無い。彼らは決まって、善行によって世界をより良くしたいと言う生きる使命を持っている。そのため自分を美化する必要は無い。生きる力は使命が与えてくれる。どれだけ泥に塗れても、胸の内に宿した消えぬ炎は体を内側から照らしてくれるのだ。


 私にそんな使命は無い。私がどれだけ頑張ったところで世界にこれっぽっちも影響は無いと分かっているからだ。


 私は他の為に善い行いをしている訳では無い。わたしは私自身の為に善い行いをしている。その気持ちが揺らぐことはない。善行をやめれば、たちまち私は生きる意味を失くして腐ってゆくだろう。


 生きる希望、生きる活力を求め、私はこれからも自分のための善行を重ねる。


 笑われてもいい。貶されたっていい。これが、私が見つけた社会での生き方だ。


 泥のように重く濁り、腐った臭いが立ち込める社会で、道標となる光を見失わない手段なのだ。


 そのため、私はこれからも善人を気取る。


 ……タバコを灰皿に押し付け歩き出す。


 明日もなんとか生きていこう。

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