第18話 Némesis

 シエナガ・デ・サパタ国立公園より東、国道116号線。S.S.G社の車列はヨハンナ達を乗せ一路マタンサスへの帰途についていた。だが、未だ警戒の緩まぬマタンサス州では主要幹線道路上に検問が敷かれており、ヨハンナ達を乗せた車列はその検問が作り出した渋滞で立ち往生していた。


 通常であれば車列は優先して通れるよう交通整理などがされるが、国道とは言え道幅が狭く、片側二車線の道路は現地住民の車で埋め尽くされて大柄なMRAPと防弾SUVを通すだけの幅を確保できなかった。そんな狭苦しい車列の中にあって、交通ルールやマナーなどどこ吹く風と言った現地人の駆るバイクだけが快適に通り抜けていく。


 車列は先頭と最後尾を無人銃塔RWSを備えたMRAPが固め、3両の防弾SUVを防御する形をとっており、ヨハンナ達は保安上の関係からそれぞれSUVの各車両に分乗させられていた。勿論理由はそれだけではない。車体内部に装甲を追加したSUVは通常のモデルより車内容積が狭くなっており、ヨハンナ等3人を一所に押し込んでは、他の隊員を乗せるスペースが無くなってしまうからでもあった。


 そしてその3両あるSUVの内、3両目の狭苦しい車内には疲労から眠りこけているヨハンナのけたたましいイビキが木霊していた。銃声、砲声、およそ戦闘騒音と呼ばれる物には慣れ親しんでいる彼らも、このイビキだけは我慢がならなかった。


「こいつウルセェぞ!! 何とかしろよ!!」


「さっきからドタマぶん殴ってるが起きやしねえ! なんだコイツ!!」


「ハリアーよりストリクス! この狐女放り出していいですか! イビキがうるさくてノイローゼになりそうです!」


 ヨハンナの両脇に座るS.S.Gのオペレーターはヨハンナの騒音に抗議しようと何度も起こそうと試みたが、身体を揺さぶってもダメ、頬をひっ叩いてもダメ、最終的に拳で頭を殴ったが、まるで死体の如く目を覚まさなかった。


 ストリクスと呼ばれた男、50がらみのマヌエル・アガッツィは1両目のSUVの中で無線から聞こえる部下達の悲痛な声と、その背後でけたたましく鳴り響くイビキに鼻で溜息を漏らす。その溜息にはヨハンナに対する憤りと、部下には申し訳ないがこちらに載せないで心底良かったという安堵が含まれていた。


「ストリクスよりハリアー、我慢しろ。どうしてもダメなら口と鼻を塞いでやれ。起きるか死ぬかして黙るだろう」


《あぁその手が、そうします。ハリアー、アウト》


「お前の連れは随分と肝が据わっているのか、単純に馬鹿なのかどっちだ? イライアス」


 マヌエルは灰色の髭を撫でながら後部座席のサキに問うた。その口ぶりはまるでサキの事を知っているかのようであった。


 事実、二人はこれが初対面という訳では無かった。当然、ハバナの街角とドロテオの居城で会った時の事は含まれない。それより前、サキがS.S.Gのロゴと社章の刻まれた社員証を首から提げていた頃の話である。


 国立公園でマヌエルらに拘束されたヨハンナ達は、当初身元不明の戦闘員とされていたが、ハバナで数度目にした事、そしてサキの存在が少なくともヨハンナ達一行がゲリラの仲間などと言う下らない存在では無いと判断する材料になっていた。


 加えて言えば、俄かには信じがたいがヨハンナ達がゲリラのキャンプを殲滅した事、これも些か真偽のほどは怪しいがCIAの要員と名乗る男を連れていた事が、その場での「処分」や、手荒な扱いの抑止に繋がっていた。


 かつて極東にある経済特区のS.S.Gの支社で勤め人をしていたサキは、自らの「仕事」の関係上マヌエルらのチームと顔を合わせる事が度々あった。サキと彼らの「仕事」は人の入れ替わりが激しく、現在のチームではマヌエル以外サキの事を知らないが、マヌエル自身はサキの事を非常に良く覚えていた。当のサキ自身はマヌエルの事はいまいち記憶に薄いようであったが。


 パワーアシスト付きの戦闘服が普及している現代では、軍民問わず女性の戦闘職種は珍しくも無い。しかしサキのように若く、まして細身で肌が白磁と見紛う程奇麗なままであるのは、世界中探してもまず存在しない。大抵は男共と変わらぬ丸太の様な手足をしているか、男と比較して細くとも女性として見るとあからさまに太い腕や脚の者ばかりである。これは良い悪いという話ではなく、戦闘職種という物の性質上そうなってしまうのだ。


 そんな中にあって硝煙と血の臭いとは無縁な、それこそファッションモデルでもしている方が自然な容姿のサキが居ては嫌でも記憶に残る。まして、護衛に囲まれたお姫様の様な立ち振る舞いではなく、単身で銃や大振りの刃物を軽々と扱って敵を屠っているとなれば猶更である。マヌエルはその記憶が鮮明に残っており、そこには好奇の感情と、些か不愉快な感情も含まれていた。


 元来戦場、戦争という物は男の物であり、サキの様な痩躯の女の出る幕ではない。それがどうだ、銀の髪を靡かせ金の瞳を雷光のように輝かせながら、鉄火場を縦横無尽に駆けぬけ、さも当然といったように屈強な男共の首を刈り取っていく。サキのその有り様は、マヌエルにとって過酷な訓練を耐え抜き、地獄の戦場を潜り抜けた自分自身の半生と、自身の存在そのものを否定されている様で不愉快極まりなかったのだ。


「多分両方だと思うよ」


 マヌエルの心中など察する余地も無いサキは、愛嬌の欠片も無いそっけない口調で答える。負傷したヨハンナに比べて激しい戦闘もなかったサキではあるが、こうして一度腰を落ち着けてしまうと溜まっていた疲れが一挙に襲ってくる。そうなると口を動かすのも億劫になり、必要最低限の言葉しか発せなくなってしまう。


 何よりサキは不機嫌であった。疲れているというのにむさい男共に脇を固められ、更にはヨハンナと引き離されている。マヌエルに気安く名前を呼ばれるのも癪だった。下の名前で呼ばれないだけマシではあるが、それでも不愉快な物は不愉快なのである。


 サキの思う所を知ってか知らずか、マヌエルは渋滞の暇潰しと言わんばかりに先に質問攻めを繰り返す。手始めに、何故この国に居るのかという単純な質問から始まり、「会社員」を止めてからの生活など、取るに足らない内容ではあるが親しくも無い相手にするには些か踏み入り過ぎな内容ばかりであった。


 いい加減うんざりしてきたサキが一言物申してやろうかと思った矢先、脇を固めていたオペレーターの一人が悪態をついた。


「クソ、ネットワークがダウンだ。マタンサスと通信が繋がらない」


「なに? エラーチェックだ。修復しろ」


「やってます。診断プログラムを走らせてますが、どうにも動きがノロい。こんな事、今まで無かったのに」


 マヌエルは全車両に連絡を繋ぎ、通信状況の診断を行わせる。だが帰ってきた答えはすべて同じ。「部隊内通信は繋がるが、長距離通信とS.S.G社のネットワークに接続が不能」であった。


 乾燥気候のイタリア南部から持ってきた車両や設備が、高温多湿なバティスタの気候にやられたか。マヌエルは舌打ちする。これだから第三諸国での仕事は嫌なのだ。蒸し暑く、湿気と熱によってあらゆる電子機器や装備品が不具合を起こす。


 こういった時には泣き言を吐いたりせず、自力で対処しリカバリーするのがプロではあるが、現代の戦場で高度な電子装備が受け持っていた部分は現場の浅知恵でリカバリーできるような物ではなく、ましてそれら電子機器はただのオペレーター程度に修理や改良が出来るほど単純な代物ではないのである。


 本部との通信が不通である以上、部隊は電子的に孤立状態であり、この状態で何らかの攻撃を受けたとして増援を呼ぶことはおろか、自分達が攻撃されている事すら伝える事が出来ない。ゲリラ達の攻撃程度容易に跳ね除ける練度と装備を部隊は備えているが、それでもマヌエルは用心に越した事は無いと、周辺警戒を厳にするよう全員に通達する。


 しかし警戒しようにも、この渋滞の中では周囲の過密すぎる車列は身を隠しながら接近するには絶好の遮蔽物となるうえ、渋滞の列を構成する民間車両はマヌエルらの車列に近すぎて監視の目が全く足りていない。イラクやアフガニスタンなどであれば、100メートル以内に接近したら射撃するとでも言えたものだが、この国でそれをやるには道も国土も狭すぎた。


 脇を通り抜けるバイクなど、最優先で警戒すべきではあるが接近に気付く頃には脇を通り抜けていった後で、誰が乗っているのか、運転手がどういう者であるのかなどを判別する暇も無い。こうしてまごついている今でさえ、恐れ知らずの現地民は50㏄の軽い音を鳴らしながらバイクでMRAPとSUVの脇を抜けて行く。


「くそぉ、鼻も口も塞いだが起きやしねえ」


「死んでんじゃねえか?」


「いや、しっかり息してやがるよ。もう胸でも揉んでやろうか コイツも女なら流石に起きるだろうよ」


 ヨハンナを乗せたSUVの中では、周辺警戒をしようにもあまりにも煩いイビキで集中できずにいた。マヌエルに言われた通りヨハンナの口と鼻を塞いでも、その強い呼吸は指の隙間からでも空気を取り入れ吐き出す始末。打つ手なしのオペレーターはヨハンナの呼吸に合わせて上下する胸に視線を落とすが―――


「いや、こんな豚みてぇなイビキしてる女の胸なんぞ揉むのは、なぁ」


「まぁ、なんか、負けだよな。やめとくか。こいつホントに女なのか」


 二人のオペレーターが互いの顔を見合わせ、肩を竦めたとほぼ同時に、ヨハンナの耳がピンと立ち、目を見開くとまるで何かに弾かれたかの如く身を起こし周囲を見回した。


「ウワァッ! いきなり起きたぞコイツ!!」


「おい、今横を通ったバイク。チェックしたのか」


 ヨハンナは驚くオペレーターを意に介さず、左の窓から車外を見ようと身を乗り出す。スモークガラス越しで車外の様子はやや見難いが、相も変わらず動かない民間車両の列と、退屈そうな運転手の姿が見て取れる。


「え、何だ急に」


「ちゃんと車列の横通るバイクもチェックしてんのかって聞いてんだ」


 オペレーターの二人は再び肩を竦める。渋滞の合間を縫って現れるバイクを一々チェックなど出来てはいない。助手席に座り、車体各部のセンサーやカメラで外部を警戒するオペレーターも「見える訳がない」と愚痴をこぼしていた。


 しかし先程まで大音量のイビキをかいて眠りこけていた女が、いきなり何を言い出すのか。もしや寝ぼけているのではないだろうか。車内のオペレーター達はヨハンナの言葉を大した重要視もせず、寝ぼけた女の妄言と決めつけ取り合う事をしなかった。


 オペレーター達は思う。何をそんなに気にする事があるのか。襲ってくる敵と言えば訓練も碌にされていない土着のゲリラで、そいつらと来たらMRAPを引き連れた車列を見れば銃を放り投げて逃げ出すのだから、この車内にいる間は心配事など何もない。此処はイラクでもアフガニスタンでもない、蒸し暑くコバエと蚊が厄介なバティスタ共和国だ。気になる事と言えばネットワークがダウンしている事だけで、それ以外は何もない。


 油断をしていると言われればその通りではあるが、12.7㎜の重機関銃を備えた装甲車両が前後を固めており、手出ししよう物ならばその不届き者を即座に挽肉に変えられる用意はあった。その驕りが彼らにはあり、油断を生んでいた。


 だがヨハンナは違う。感覚的な物に過ぎないが、ヨハンナはどうにも後頭部にヒリついた何かを感じ取っており、この狭苦しい防弾SUVが装甲付き特大棺桶に感じて仕方が無かった。根拠は何もない。しかしヨハンナの経験と勘が、危険が迫っていると告げていた。


 それはヨハンナの2つ前の車両に乗っているサキも同様で、どうせ言った所で聞き入れないだろうと口には出さなかったが、部隊の上位階層との通信が不通になった時点で何某かの攻撃を受けているか、その前兆であると踏んでいた。


「おい、私の銃を返せ。弾倉は入ってる一本分だけで構わんから」


「馬鹿言うんじゃねえ、手を縛ってないだけ有難いと思えよ。これ以上馬鹿な事言うんだったらシートに縛り付けるぞ」


 車内に男達の笑いが満ちた瞬間、耳を劈く轟音と凄まじい衝撃が数トンにもなるSUVの車体を激しく揺らした。



 衝撃による激しい頭痛と耳鳴り、揺さぶられた脳が思考を整えるのを良しとそいない。狂った三半規管が酷い眩暈と嘔気をもたらし胃の中身が逆流しかけるが、喉まで上がった所でなんとか堪えた。


状況報告Sitrep!!》


 オペレーター達の呻き声に混じって、無線機からマヌエルの声が木霊する。半分しゃがれた50がらみの男の声は、衝撃にやられた頭には非常にやかましく、頭蓋をがんがんとハンマーで殴りつけるような不快感を与える。それは周囲の者達も同様であったが、そんな事を気にしている場合では無かった。


《状況報告だ、応答しろクソ!!》


 罵りを交えた二度目の叫びで、ようやくオペレーターの一人が無線に返答する。続いてほかの車両からも応答がある。負傷者数名、いずれも軽症。爆発の衝撃で脳震盪を起こしたり頭をぶつけた者ばかりで、大事には至っていない。しかし前後を固めていたMRAPの乗員だけが返答しなかった。


《ラプター、壊れていなければドローンを上げて周辺を確認しろ》


「了解、了解!」


 ラプター、中央のSUVに乗車した分隊のドローンオペレーターは装甲化された重いサンルーフを開き、周辺偵察用のドローンを上空に放つ。が、10メートルも飛び上がらないうちにドローンは制御を失って墜落、SUVの屋根にぶち当たってアスファルトに転がった。


「ドローンが落ちた」


 ラプター分隊のドローンオペレーターは何が起きたか理解できなかった。今の今まで敵のラッキーショットで撃墜された事は一度だけあれど、上空に放った瞬間落ちるなど、そんな事は一度たりとも無かった。ましてや銃撃など物理的な手段での撃墜ならばともかく、通信途絶からシステムダウンでの墜落は全くの想定外だった。


《撃墜されたのか》


「いえ、原因不明です。急に通信が切れて制御を失って墜ちました」


《くそっ》


 オペレーターの答えに、マヌエルは次から次に発生する不測の事態に舌打ちしてダッシュボードに拳を打ち付ける。ハバナで取り逃がした一人のゲリラ、検問所で逃がした指名手配犯のSUV、そして今回と、この国に来てからというもの何かがおかしい事ばかりであった。こんな国でのゲリラ狩りなど、モヒートを片手にやれる程度の仕事では無かったのか。


 そこにヨハンナのがなり声がマヌエルの耳を打ち据える。


《今すぐ全員を車から降ろせ、何かがおかしい。連絡の無いMRAPの連中の様子も見ないと》


「喧しい、声量を落とせ。貴様に言われんでもそうする。周囲を確認せずに降りる馬鹿が居るか。素人め」


《なんだと! 私はこの道10年のベテランだぞ。あと銃を返せ、部下に伝えろ》


 マヌエルはヨハンナの言葉を流しつつも、その言葉の通り部下に降車するよう命じる。車両は移動不能となり、今のところ敵影は無いが、この場から離脱するには降りて徒歩以外に方法はない。


 車列の全員がSUVを降りてカービンのストックを邪魔にならぬ程度に伸ばし、手早く車列の周囲に展開して周辺警戒を開始する。焼けるガソリンとエンジンオイルの臭いが鼻を突き、そこに若干の火薬の匂いが混じる。


 ヨハンナとサキ、それとオーランドも車から降ろされ、隊列中央に固めて置かれた。爆発から少し経った現在では車列の周囲から近場の運転手たちは逃げており、渋滞車列の中に残っている者は爆発を至近で受けて死亡した物か、負傷して動けずに呻き声をあげている者だけだった。


 前後を固めていたMRAPの車体側面が焼け焦げ、装甲版が強烈な圧力でひしゃげている状況を見るに、何者かがMRAPに爆薬を仕掛けて爆破したと見える。バイクを使って間をすり抜けざまに設置すれば容易な仕事だ。車内の状況は確認できず、乗員が生存しているかどうかすら不明で、例え降車命令が伝わっていてもこの状態では車外に出る事も叶わない。


 視界の悪さにかまけて周辺警戒が疎かになったが故の結果だが、最初から車外に人員を配置して接近するバイクを片端から迂回させるというのも現実的ではない。すべては結果論であり、今重要なのはこの状況から脱する事だけである。


 S.S.Gのオペレーター達が車列の前後を警戒する為に展開しMRAPの傍へと近寄ったところ、車内からドアを叩く音が聞こえた。まだ乗員は生きており、しかし何らかの要因で通信が出来ていなかったと考えられた。


『出してくれ!! 皆衝撃でやられちまって動けないんだ』


「待ってろ、出してやる。おい、手を貸してくれ」


 中からの叫び声に、数名が銃を背に回して車外に括りつけられているバールや斧を用いて強引にこじ開けに掛かるが、それでも酷くひしゃげたドアを開くには時間が掛かりそうだった。手を貸すよう言われたヨハンナも加わってバールを車体と扉の間にねじ込み、テコの原理で力任せにこじ開けようともビクともしない。


 ふと、一息ついたヨハンナが顎に伝う汗を拭い、車列後方へと目をやれば、こちらの様子を窺いつつ逃げていく数人の民間人の男が唐突に転んだ。転ぶ事自体は何も珍しい事では無い。慌てて逃げる者はよく脚を縺れさせて転ぶものだ。だが、その男はまるで何かに押しのけられるように―――


接敵コンタクト!!」


 ヨハンナは自分でも驚くほど素早く、反射的に身体が動いていた。バールで両手が塞がるオペレーターの腰から拳銃を奪い取り、警戒する者の頭越しに転んだ男の方向、車列後方へと連続して引き金を絞った。


 拳銃弾特有の軽い銃声が、その瞬間だけはその場の空気を引き裂く様に轟き、周囲の全員が豆鉄砲を喰らったように目を丸くした。その場の誰にも、ヨハンナの目にすら何も映ってはいないのにも拘らず、唐突の発砲とヨハンナの叫びは場を搔き乱すのには充分だった。


「正気か!?」


 弾倉を空にしたヨハンナをオペレーターの一人が乗用車に押し付けて抑え込む。それとほぼ同時に、ヨハンナの銃撃に対する返礼と言わんばかりに銃弾が車列後方から飛来し、ヨハンナを抑え込んでいたオペレーターの脇腹と側頭部を貫き、瞬時に命を奪われたオペレーターは硬直した手でヨハンナを掴んだままアスファルトに倒れ込んだ。


 それだけに留まらず更に銃弾が撃ち込まれ、警戒に当たっていた二人のオペレーターは胸と頭に直撃を喰らって地面に倒れ伏し、救助活動にの為に無防備だったオペレーターも状況を飲み込めぬままに凶弾に倒れた。


「発砲、発砲!!」

「撃たれた、畜生、撃たれた!!」


 銃弾を浴びながら辛うじて生きていたオペレーターが悲鳴の様な声で仲間に叫ぶ。尚も銃撃は止まず、狭い車列の間を弾丸の雨が飛び回り、車体を掠め、穴を穿って甲高い金属音と火花をまき散らす。盾となっていた後方警戒要員が倒れた事で遮蔽を取れずにいた中央の人員にも被害が出る。


「後方から銃撃だ、応射、応射だ!!」


 ヨハンナは倒れたまま右側頭、人間ならば耳がある位置を数度指で叩いてオペレーター達の通信チャンネルに割り込んで叫ぶ。思考するだけで通信できる筈だが、この時ばかりはヨハンナはそれを忘れていた。


 倒れたオペレーターのカービンを掴み、セレクターを弾いてスリングもそのままに車列後方に向けて乱射する。敵の頭さえ抑えられれば良い。この一直線の狭い回廊では正確な照準が無くとも十分な制圧が可能だ。しかし、せいぜい弾倉一本30発、数秒もあれば撃ち尽くしてしまう。


 しかし、ヨハンナの弾切れと同時に車列前方から数人のオペレーター達が援護射撃を開始、相互援護を行いつつヨハンナ達の下へと向かってくる。そこにはサキの姿もあり、非武装にも拘わらずヨハンナを助け出そうと駆けてきたのだ。


 援護の甲斐もあってか後方からの銃撃は一時的に止み、MRAPの傍まで到達したオペレーター達はまだ息のある者を引っ掴んで後退を開始、同時に発煙弾を放って目くらましを掛けた。


 発煙弾の円柱状の弾体が白煙を噴き出し、視界が覆われていく僅かな一瞬、ヨハンナは微かに人間のシルエット状に空間が湾曲しているのを見逃さなかった。



「あいつら一体何者だ」


 マヌエルは吐き捨てるように呟く。激しい銃撃に何人もの仲間が倒れた以上、襲撃を受けているのは事実だ。しかし、今に至るまでヨハンナ以外誰も敵の姿を視認していない。視認できない遠距離からの攻撃かとも思われたが、それにしては銃弾が飛んでくる方向がおかしい。車列の後方からの銃撃に間違いは無いが、そちらにはヨハンナが発砲する前から警戒要員が銃口を向けていたのだ。武装した物が近寄れば間違いなく姿が見える筈なのだ。


「気にしてる場合か、さっさとトンヅラこかねぇと全員くたばっちまうぞ。増援も呼べねえんだろ」


「お前はなぜ見えた。何が見えたんだ」


 ヨハンナはマヌエルの問いに「目が良いのさ」とだけ答えると、ラプター分隊のドローンオペレーターの死体からタブレット端末を拾い上げた。


《接敵! 車列前方で接敵した!》


 そこへ車列の前方を警戒していたオペレーターの報告が飛び、それと同時に短いバースト射撃の銃声が響いた。報告が上がり、射撃したという事は敵が見えているという事だ。


 丁度挟み撃ちにされる状態で、狭い車と車の間に釘付けにされているマヌエル達は選択を迫られていた。このまま現在地を固守して応援を待つか、強引に敵を突破して追撃を振り切りつつ1キロ先の検問所まで逃げるか。敵の正体も数も不明な現状ではどちらも危険な賭けでしかない。通信は未だ回復せず、爆発と銃声に検問所も気付いているだろうが、場の混乱状況から応援は直ぐにはやって来られないだろう。


 正面からの敵の姿は見えているが、後方の敵は全く姿を捉えられていない。見えない敵より見える敵を相手取る方が楽なのは言うまでも無く、であれば前へ突破するのが妥当だろうが、もしそれが罠だとしたら。マヌエルは僅かに思案し、全員に伝える。


「突破するぞ。全員聞け、突破だ。火力を前面に指向して、強引に突破口を開く。誰が居ようが構わん、検問所まで行かなけりゃ俺たちはここで全滅だ」


「少々無謀では」


 野球帽のオペレーターがマヌエルに意見するが、戦力がある今しかチャンスは無いと一蹴する。


「貴様らにも手伝ってもらうぞ。銃と装備を拾え。撃つ相手を間違えるなよ」


 マヌエルは倒れた仲間の方を見ながら、サキとオーランド、そしてヨハンナに言い放った。なりふり構っている暇など有りはしない。この3人は素性が未だ知れず、敵か見方かも不明だが、今この場を生きて切り抜けるという点では利害は一致しているはずだから、少なくとも現状は味方になるだろうと踏んだ。


 ヨハンナはタブレット端末を操作し、マヌエルの部隊内ネットワークにアクセス、MRAPの屋根に設置されている無人銃塔の制御を強制奪取オーバーライドしてカメラ映像を自身の拡張現実ARディスプレイに表示した。


 爆発の衝撃で赤外線映像装置FLIRも暗視装置も機能を喪失し、通常の画面もレンズの損傷でひび割れが目立つが辛うじて使用には耐える。無人銃塔が生きていただけ運がいい。カメラを車体後方へと向ければ、先程焚いた煙幕が残留しており、数メートル先は視界が遮られている。だが、対向車線に漏れている煙幕が僅かに揺らぎ、透明な、人型のシルエットを浮かび上がらせた。


 ヨハンナは迷わずそのシルエットに照準、射撃ボタンを押し込んだ。銃塔に搭載されているM2重機関銃が唸りを上げて12.7㎜の徹甲焼夷曳光弾API-Tを吐き出した。


 至近距離から吐き出された赤い光跡が透明なシルエットを一撫ですると、赤い飛沫が何もなかった空間から飛び散り、3人ばかりの人間の破片と血糊がアスファルトにぶちまけられた。すかさず反対方向に照準を振り向け、同様に薄すらと見える透明の影に対して射撃を加える。重機関銃の重い射撃音がその場に轟き、吐き出された空薬莢がMRAPのルーフから零れ落ちた。


 至近距離での重機関銃による掃射は、立ち往生しているピックアップや乗用車のボディを容易く貫通し、その背後に居る透明な影をも片端から破砕する。12.7㎜弾の猛射を受けてガタガタと揺れる向こう側で赤い霧と人体だった物の破片が弾け、続いて悲痛な叫びが木霊する。


「ざまぁ見やがれ」


 ヨハンナは得意げに鼻を鳴らすが、その直後、墜ちたドローン同様に無人銃塔も機能を停止した。ヨハンナは再接続を試みるが応答は無し。自己診断プログラムとは別に、ヨハンナはネットワークとシステムをチェックした所、複数のハッキングとウィルス感染がリアルタイムで進行中だった。


「クソ、ハックされてやがる」


 ヨハンナは舌打ちして罵った。ドローンも無人銃塔も、敵のハッキングによって無力化されたのだ。敵には電子戦に長けた者が居る。遠方との通信が繋がらないのは気候が原因などではなく、ネットワークに侵入されて通信を妨害されていたのだ。


「お前らのネットは脆弱過ぎるぞ。通信が繋がらないのもドローンが落ちたのも、敵の電子戦のせいだ。少し弄ったがお前ら5、6年前のシステム使ってるな? 底辺ハッカーでもバーガー片手に侵入できるぞ」


「勝手に部隊のネットに入るんじゃねえ。部外者だろうが。奴らめ、ただのゲリラじゃないな。クソ」


 マヌエルは舌打ちをしながら部下の顔を見回す。負傷者に肩を貸す者、攻撃の先頭に立つ者、各々がマヌエルと目を合わせると首肯で準備完了を伝える。MRAPに閉じ込められている部下をいったんは見捨てる事になるのは心苦しいが、他の者達と心中させる訳にはいかない。運が良ければ後で戻って来られる、マヌエルは歯噛みしつつ移動開始の指示を出した。


 だがその時、マヌエルの部下達が踏み出す前にヨハンナが我先にと前へと進み出す。堂々と立ったままカービンを指切りで連射し、前方を塞ぐ敵に対して制圧射撃を加えながら、被弾など恐れる様子も無く悠然と歩みを進める。


 時折、敵が腕と銃だけを出してヨハンナに向けて乱射するが、狙いも付けない銃弾は車のボディを穿ち、アスファルトを抉るのみ。銃弾が顔を掠めて不快な擦過音が耳を撫でようとも意に介さない。その立ち姿は、まるで銃弾が自分に当たらないと知っているかのようだったが、実際にそんな事はあり得ず、唯々無謀のそれであった。


 そのヨハンナをサキが援護する。ヨハンナの射撃が途切れた瞬間を狙って銃撃を加えんとする敵の頭をサキが抑え、ヨハンナは前進を継続する。ヨハンナは知っているのだ、サキが傍にいるならば、必ず自分を援護するだろうと。


 ヨハンナは人差し指でマグリリースを押さえながら中指で引き金を引き、弾が切れると同時にマグリリースを押し込みカービンを捻って空の弾倉を弾き飛ばす。左手に握る弾倉を素早く差し込み、掌底でボルトを前進させ初弾を薬室に送り込んで射撃を継続、なおも歩みを止めない。


 一瞬の隙を狙って身を乗り出した襲撃者の姿に照準が重なり、単発に切り替えた射撃がその身体を捉えてパッと血の赤が散ると、顔をマスクで隠したその襲撃者は素早く車の影に引っ込んだ。仕損じたとしてもヨハンナとサキは歩みを止めない。既に彼我の距離は10メートルを割っていた。


 二人の背後に側方へと回り込む敵を警戒しながらオペレーター達が続き、更にその背後では最後尾を守るマヌエルらが発煙弾で煙幕を焚き、後方の見えない敵に牽制射を加えながら後に続いた。


 ヨハンナが襲撃者の一人が引っ込んだ車まで接近した瞬間、姿を現したのと同じ場所から片手で銃を持った姿が飛び出してくる。此処まで接近されていたのが予想外だったか、目を大きく見開いた襲撃者の驚愕した表情に、ヨハンナは迷わず左の拳を叩き込んだ。


 もんどりを打って倒れる黒髪の襲撃者にとどめを刺す事なく、ヨハンナは素早く銃口を左へと振って今まさにヨハンナに照準している襲撃者に銃弾を叩き込む。コンマ数秒、ヨハンナの方が反応が早く、二人の襲撃者は指を掛けた引き金を引く事なく胸と顔面に5、6発の弾丸を受けてアスファルトに沈んだ。


「クリアだ、行け!!」


 ヨハンナは叫んで後続の者に手で合図する。車列前方を塞いでいた敵は排除、後は逃げるだけ。先行していたヨハンナとサキが後続の援護を引き継ぎ、負傷者を抱えた者と、それを援護する者達を離脱させる。


最後尾ラストマンだ」


 横を通り過ぎるマヌエルがヨハンナの肩を叩き、同時にカービンの弾倉を数本差しだす。マヌエルに続くオペレーター達は先程見たより幾分か数が少ない。後方から追いすがる敵との戦闘で、更に数人やられたようだった。ヨハンナは弾倉を受け取るが、拘束される際に武装解除されていたヨハンナは弾倉を保持するポーチ類を外しており、受け取った弾倉を仕方なくズボンのベルトに差し込んだ。


 煙幕越しの射撃が掠め、それに応射しつつヨハンナ達もマヌエルの後を追ってその場を離脱する。ヨハンナは目を凝らして煙幕を見るが、敵がその煙幕から此方側へと現れる事は無く、50メートルほど車列から離れてしまえば銃撃される事も無くなっていた。




「本当に貴方は運がいいわね」


 ライ―サは大の字で倒れているナナカの頬を張って目覚めさせ、鼻血を流すその顔を可笑しそうに覗き込んでいた。当のナナカと言えば、強烈な左ストレートを鼻面に食らい、受け身も取れずに倒れた事で後頭部を強打し、顔の前と後ろの痛みに顔を顰めていた。


「鼻が折れたかも…」


「鼻で済めばいいでしょ、まぁ女の顔にはちょっと痛手だけれど」


 見回す周囲には、3人の遺体が転がり、どれも銃弾を複数浴びせられ、内2つは顔面に叩き込まれた弾丸で酷く損壊していた。目を背けたくなる光景だったが、ナナカは既に慣れていた。


 ライ―サに助け起こされたナナカは頭痛と眩暈に苛まれながらも部隊の離脱方向へと歩き出す。襲撃は失敗、敵の半数は仕留めたが、肝心の標的の奪取は達成できなかった。


 周囲では透明な影たちが倒れた仲間の銃器と装備を回収した後、遺体を焼夷手榴弾で処分していく。他の手が空いてる者達は擱座した敵MRAPのひしゃげたドアを指向性爆薬で爆破し、車内に残っている敵に銃撃を浴びせて始末していく。その様子を眺めながらライ―サは唸る。最初は良かった。通信を遮断し、バイクで先行したチームが車列を爆破し、ドローンは落とした。あとは部隊がじっくりと料理していくだけだったのだが、此処まで想定外の損害が出るとは。


 ライ―サにとって想定外だったのは、敵がこちらの存在を即座に認識して反撃して来た事だ。一瞬だけ見えたあの金髪狐耳、やたら勘が冴えているのか、それとも此方を視認できるだけの何かを備えていたのか。真偽のほどは不明だが、注意するべき人物だろう。


「死体の処理は終了しました。敵の情報端末、その他情報源になりそうな物は確保、撤収準備良し」


「よし、撤収。憲兵隊と雇われ連中の増援が直ぐに来るわよ」


 透明な影たちが風景に溶け込む中、ライ―サは一度乗用車の屋根に上って遠く見えるマヌエルらの姿を見た。装備は自分達に劣る。恐らくは練度すらも。しかし圧倒できると踏んで油断したか、自分達の能力と装備に驕ったか。


 しかし狩りの標的は手強い程面白い。ライ―サは鼻を鳴らしてそれを見送ると、仲間の後を追って姿を消した。


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