第16話 calor abrasador

 男の側頭部に飛び込んだ30-06弾がその脳組織や頭蓋を道連れに逆側へと抜け、大木の幹を赤とピンクの飛沫で彩った。サキを探しにジャングルへと分け入ったゲリラの分遣隊は、その最後の一人が今まさに斃れ、サキは手隙となっていた。


「ハンナ、状況は?」


《ケツに火が着きそうだ》


「そんなに焦ってどうしたの」


 無線越しに聞こえるヨハンナの焦る声――正確には声では無く思考であるが――を聞き、サキは問いかける。ヨハンナが焦りを含んだ声を出す事はそう多くない。


《違う、違う。本当にケツに火が着きそうなんだ。耳と髪もちょっと焦げた》


「自分で点けた火の始末ぐらい自分で――」


《ちーがーう! 違う!! 出来損ないのアイアンマンみてぇな野郎にケツをローストされかかってんだ》


 「それは大変」と暢気に返したサキはゆっくりと腰を上げ、弾倉に一発ずつ弾を装填しながらヨハンナの援護位置に付こうと移動を開始する。スプリングフィールドを脇へと回し、大柄なホルスターからスチェッキンを抜く。単発で扱うならばともかく、連射した際の反動が凄まじいスチェッキンは、馬鹿腕力のヨハンナに預ける予定だったがサキは狙撃担当であり、スプリングフィールド一挺とマカロフでは自衛力に乏しく、現在はサキが所持していた。

 がさり、と微かに茂みをかき分ける音をサキは捉え、姿勢を低く周囲を窺う。音は更に接近し、やがて草や枝を踏み締める足音が混じる。数は二つ、キャンプの外側方向からだった。爆発音と銃声を聞きつけ、国立公園内で哨戒活動に従事していたゲリラのパトロールが押っ取り刀で戻ってきたのだ。

 足音の感覚からして走っている事はまず間違いなく、ジャングルに慣れているようだがその速度から、周囲の警戒は疎かになっているだろう。サキは静かに身を潜め、周囲の索敵を継続する。ヨハンナの支援に向かいたいは山々だが、そのせいで自分の後背を突かれては元も子もない。サキはヨハンナの様に「特別な耳」を持たないが、それでも十二分に耳は良い方で、更に接近する複数の音を捉える。この近辺のゲリラ達が一斉に戻ってきているのだろう。その総数がどれ程の物かは想像するより他に無いが、いずれにしても早い所支援してやらねばヨハンナは包囲されて磨り潰されてしまう。勿論その程度でやられるほどヤワではないと信頼しているが、わざわざ放置する理由も無い。


 装備の金属部品が鳴らす騒音もはっきりと聞き取れる程足音が近づき、サキは左手で静かにナイフを抜く。目の前をゲリラが一人、息を切らし草や小枝を散らしながらながら駆け抜け、それを見送ったサキは続いて目の前に現れたもう一人に襲い掛かった。

 低いタックルと同時に片膝の裏を切り裂き、姿勢を崩してうつ伏せに転倒したゲリラの無防備な首筋をサキのナイフが襲う。サキの体重を乗せて突き立てられたナイフの一撃は脊椎を容易く断ち切り、数度捻りを加えた後、後頭部目掛けて力任せに切り裂いた。脊椎と脳幹、小脳を破壊されたゲリラは眼球が飛び出そうかというほど目を見開き、口を大きく開いたまま地面に突っ伏して息絶える。

 すかさずサキは片手でスチェッキンを構え、先行していたゲリラに向けて引き金を引く。眩いマズルフラッシュが夜明け直後の未だ薄暗い密林に瞬き、激しい反動によって跳ね上がった銃口は仲間の異常に振り向いたゲリラの腹部から顔面までを撫でつける様に銃弾を吐き出した。腹から胸へ、そして顔面にまで十数発の弾丸を一度に喰らったゲリラの男は、内臓の殆どと脳組織を銃弾に食い破られて仰向けに倒れ込む。

 なるほど、キツい反動もこういう使い方をすれば悪いものではない。サキは残り数発も残っていない弾倉を交換しながら鼻を鳴らす。しかしこういった撃ち方は至近でなければ効果は薄く、弾丸を必要以上に叩き込むのは結局弾の浪費でしかないのだから、普段からキャリーしている9㎜オートの方が使い勝手は良いか。そう思いつつも贅沢は言えないなと、サキは鼻で溜息を漏らした。

 キャンプでの銃声は激しさを増し、それに伴って周囲の足音もキャンプの方向へと集束していく。サキはヨハンナの援護の為に、キャンプ北側の方向へと急ぎつつも、油断なく歩き始めた。




「¡Que te jodan!」


 喚きちらし銃を乱射しながら懐へ飛び込もうとするゲリラの男達に、遮蔽物から僅かに身を乗り出したヨハンナは正確に射撃を浴びせて始末する。走る勢いが殺しきれないまま、ヨハンナの至近に突っ伏す男に更に数発撃ち込んで確実にとどめを刺した。残弾心許ないとはいえ、イタチの最後っ屁でやられるのは御免被る。こういった状況であってもヨハンナは絶対に手を抜かない。


「くたばるのはテメェらの方だぜ。先に逝って黒インゲンでも煮込んで待っていやがれ」


 悪態をつきながら空になった弾倉を弾き満タンの弾倉を装着、ボルトを引いて初弾を送り込む。残った弾数は今しがた叩き込んだ物とポーチの弾倉一本分と拳銃のみ。そろそろ厳しくなってきた頃合いで、敵から武器を拝借するのも視野に入れねばならない。しかしこうもしつこく突撃されては銃を拾う事は出来ても弾を拾うには些か厳しい。ここに来て身軽さを選んで一人潜入した弊害が顔を出し始めた。

 その時、背後で土を踏む音がヨハンナの耳に届き、素早く身を翻して背後に銃口を向ける。ヨハンナはそこに居た影に引き金を引きかけるが、寸での所で押しとどまった。


「撃つな。私、敵じゃない」


「ケツから近寄るなら何か言えやい。撃っちまう所だった」


 背後からヨハンナに近寄ったのはアデラだった。危うく味方を撃ちかけたヨハンナは大きく安堵のため息をついてズルリとへたり込む。これは僥倖、手数が欲しい所に丁度表れてくれた。


「どんな調子だ」


「どんなったって、悪いね。敵はわんさと湧いて出るし、弾が効かねえ野郎まで出て来やがった」


「戦車でも出て来たのか」


「さしずめ歩く戦車ってトコだな。おまけに火を噴くと来たもんだ。タチが悪い」


 話す二人を狙った弾丸が地面で跳ね、コンテナに穴を穿って火花を散らす。アデラもその方向に応射し、弾丸がゲリラの身を隠す小屋の壁や柱を穿って木片を散らし、反撃を受けたゲリラは一時的に顔を引っ込ませた。ゲリラ達は無謀な突撃を行う者から、こうして慎重に射撃を繰り返す者まで玉石混淆で、どちらか片方ずつであれば対処は容易だが両方相手取るとなるとやや厳しい。無謀にも突撃してくる者だけ対処していれば無防備な背中を狙い撃たれ、かといって隠れながら撃って来る者に注力すればいつの間にか懐に潜り込まれている。

 早い所移動せねばそれこそ数の暴力に押し潰される。そう考えていたその時、接近する重い足音をヨハンナは聴き、素早く立ち上がると司令部テントのある方向へと駆けだした。直後、ヨハンナたちの身を隠していたコンテナの角から火炎放射器のノズルが顔を見せ、ヨハンナはそれを力任せに蹴り退けた。

 拳二つの距離も無い超至近距離、「歩く戦車」ことクラウディオの副官、エンリケはヨハンナを払い除けようともがき、やみくもに火炎を放射するが足で抑え付けられたノズルは明後日の方向へと炎をまき散らす。この放射器は重く片手で保持は困難で、加えて右手側のトリガーで燃料を放射し、左手のトリガーで着火する構造上、片方の手を離せば火焔を放射する事が出来ない。こうして懐に潜り込まれヨハンナに放射器を足で抑え付けられては文字通り手も足も出なかった。

 エンリケの脇を固める部下たちはヨハンナを狙うが、吐息が混ざり合う距離でいる状況で下手に射撃をすればエンリケの背負った燃料タンクを撃ち抜きかねず、それに構わず引き金を引く程ゲリラ達は自らの腕に自信と度胸は無かった。

 だがヨハンナは違う。放射器を片足で抑え付けたままカービンのストックを肩に押し当て狙いを定める。流石にエンリケの防護されていない脇腹や腕をこの距離で撃とうものなら貫通した弾丸が背のタンクを撃ち抜きかねず、そうなれば両名揃って火だるま確定で、それを一か八かで試す度胸は無い。しかし、それ以外の標的、脇を固めるゲリラ連中を撃つ余裕は充分にあった。

 僅かに銃口を下げて逡巡するゲリラの鼻面目掛けて銃口を指向して迷わず引き金を絞り、燃料タンクの脇を掠めるのもいとわず弾丸を叩き込む。小気味よい銃声が響き、エンリケの左後ろに控えていた部下の顔面が.30カービン弾の連打でひしゃげ、後頭部を弾けさせながら地面に沈みこんだ。それを見たエンリケの取り巻き達が射線が被らぬ様に回り込もうとするが、すかさずアデラが援護射撃を行い二人を撃ち倒し、残る数名を退散させる。


「貴様!」


「怒るなよ、鬱陶しいぜ」


 部下を殺されたエンリケが鋼鉄製の防弾バイザーの奥で吠える。しかしヨハンナはそれを一蹴、顔面目掛けカービンの弾倉に残った弾丸を全て叩き込んだ。極至近距離での固め撃ち、だが先端が丸いラウンド・ノーズの.30カービン弾では表面を凹ませる事は出来ても増加装甲と内張りで強化された特製の防弾バイザーを貫通する事は出来なかった。しかしその衝撃力までは相殺するには至らず、至近距離の弾丸による集中打撃で脳を激しく揺さぶられたエンリケは前後不覚に陥ってよろめき、後ずさりながらその場に膝をつく。 

 ヨハンナはその機を逃さずエンリケと距離を取るべく駆けだした。弾倉を交換してカービンを脇へと回し、倒れたゲリラからライフルを取り上げて遮蔽物へと走る。しかしヨハンナは今しがた拾い上げたそれを見て舌打ちをする。ソビエト製ボルトアクションライフル、設計は一世紀半前にまで遡るそれを忌々しそうに睨むが、手元を見ず吟味せずに拾ってしまった物は仕方がない。


 遮蔽へと駆ける途上、駆け込もうとしたコンテナ裏からさらにゲリラの男達が三人躍り出てヨハンナ達に照準する。ヨハンナは小脇に抱えたライフルの一撃を今まさに銃口を持ち上げる男の腹に叩き込み、腹に銃弾を受けた男は反射的に体を区の字に曲げて倒れ、弾みで引き金が引かれたライフルの連射が地面を耕した。ヨハンナはそのままボルトを引いて次弾を送り込む事無く、手の内でライフルを前後逆に回転させると野球で使用するバットよろしく大きく振り被り、仲間と射線が被って撃てずにいた男の顔面目掛けて走る勢いを殺さずフルスイングした。

 ヴィンテージ物の銃床が男の口にめり込んで前歯から奥歯まで全ての歯をへし折り、男は宙にその白い歯と血の飛沫を飛ばし仰向けに地面に沈む。そしてヨハンナは三人目の射撃を脇へのステップで躱しながら返す刀でもう一度顔面目掛けてライフルの銃床を振り抜いた。側頭部からの一撃に三人目の男はフィギュアスケートが如く回転しながら二人目同様地面に倒れ伏す。だがヨハンナはそれだけでは止まらず、間髪入れずに強烈な踏み付けで倒れた男の喉笛を踏み潰した。気道を潰されるばかりか脊髄までへし折られた男は除脳硬直によって手足をピンと伸ばし、舌を突き出し目を剥いて幾ばくも無く息絶えた。


「お前、他人に野蛮だって言われないか」


「もう慣れたよ」


 力任せの打撃でひしゃげたライフルを放るヨハンナに若干引いた眼をしながらアデラは言う。野蛮だ蛮人だ、これまで何人に言われたか一々覚えてはいない。サキにすら言われたそのセリフは最早ヨハンナにとっては罵倒ですらなくなっていた。ヨハンナは鼻を鳴らしてそれを聞き流し、たった今喉を踏み潰したゲリラからAKを拾ってポーチから弾倉を数本抜き取りコンテナの影に転がり込む。

 直後、脳震盪から復帰したエンリケが重い足音を響かせながらヨハンナ達の後を追い始め、分厚い鋼鉄バイザーに阻まれていても聞こえるほど大声で喚き散らす。防弾装備など皆無なヨハンナたちとは対照に、装甲に包まれたエンリケは弾丸など怖くも無いといった風に開けた場所を練り歩き、バイザーの狭いスリットから遮蔽物の影に身を隠すヨハンナ達を睨みつける。視界は最悪そのものだが、脇を固める部下達が銃撃や身振りでヨハンナ達の居場所を指し示すため、索敵や戦闘に支障をきたす事はなかった。


「ふざけやがって、あんなんインチキだぜ」


 非装甲部位への命中を期待してヨハンナは腕と銃だけをコンテナの陰から出して乱射するが、当然狙いを付けない撃ち方では装甲されていない部位への命中はおろか、エンリケの身体に弾丸を送り込む事すらできていなかった。そのお返しとばかりに猛烈な火焔噴流がコンテナを撫で、咄嗟に腕を引っ込めて難を逃れたがヨハンナは危うく腕を丸焼けにされる所であった。


「ヒェッ!! あっぶねえ。腕をこんがりキツネ色に焼かれる所だった」


「殺してやる! 殺してやるぞ!!」


 火炎放射器を携え周囲に火焔をばら撒き、怒りに目を血走らせたエンリケがヨハンナに迫る。エンリケの装備する装甲服は装甲と言えば聞こえが良いが、構造用鋼を用いたそれは真っ当な防弾プレートなどに比べれば厚さの割に重く、バイタルや四肢の限定的な部分しか保護出来ていない。民生用のパワーアシスト装置をもってしても火炎放射器の燃料タンクと合わせた重量はその動きを緩慢にさせるには充分であった。しかし、ヨハンナのカービンが使用する弾薬を防ぐには充分な防御力を備え、まして凄まじい火炎を浴びせられている状況では装甲化されていない部位を狙う事すら難しく、事実ヨハンナはコンテナの裏に釘づけにされており、側面から回り込むゲリラ達の処理に終始するので精一杯であった。襲い来るゲリラ達を処理しながらエンリケに距離を詰められぬよう立ち回るにも限界がある。外周から戻ってくるゲリラ達があとどれほど居るのかも想像がつかない状況で、戦闘を長期化させれば圧倒的に不利なのはヨハンナ達の側であった。


《ハンナ》


 そこにサキの声が届く。河岸を変え、援護射撃の準備を整えた合図だろう。ヨハンナは一々確認せずとも一言声を掛けられただけで察する事が出来た。


「バーベキュー野郎が見えるか」


《見えてる。いつでも》


 サキは見えているとは言ったが、河岸を変えて射線を通したは良いものの、射線上には複数のテントが立っており、火炎をばら撒きながらヨハンナに迫るエンリケはちょうどその陰に隠れようという所であった。しかしサキは意に介さず、テント越しの未来位置に対して照準する。


Send itやっちまえ!」


「I got it」


 立木に背をもたれさせて座ったサキは、片膝を立て左の上腕に銃を載せて安定させると、深く息を吐いて引き金を絞る。撃針が雷管を打ち、瞬時に燃焼した発射装薬が弾頭を射出、反動で硬いクルミ材の銃床がサキの肩に僅かに食い込んだ。射距離は150ヤード以内、銃口から吐き出される30-06の弾頭は照準からの弾道落下無しに真っ直ぐ飛翔し、テントの生地を一枚二枚と貫き、エンリケの装甲に覆われていない無防備な脇腹へと飛び込んだ。

 強烈なパンチを脇腹に食らったかのような感覚にエンリケは怯んで立ち止まり、一瞬遅れて下半身の力が抜けて膝から崩れ落ち、同時に身を引き裂く激痛が襲った。脇腹――実際にはやや下――に飛び込んだフルメタルジャケット弾頭は骨盤を破壊し、弾道上に存在する太い血管を断ち切って入射口と反対側へと抜け、エンリケの下半身の制御を奪い去った。


「うぐがぁぁっ!!」


 エンリケの咆哮は怒りから激痛によるものへと変貌し、その凄まじい叫びと膝立ちの状態で身動きできぬ様子に、周囲の取り巻き達も思わず足を止める。


「命中。同じ位置にもう一発ぶち込め」


 ヨハンナは物陰から様子を窺い、絶叫するエンリケを見た。負傷の具合から見て長くは無いが、確実にとどめを刺すべくサキにもう一発撃ち込む様に指示を出す。サキはゆっくり息を整え、再び同じ位置に狙いを定めると、テントの空いた穴に向けてもう一発撃ち込んだ。寸分違わず、とまでは行かないが、第二射は一発目の弾道をなぞりエンリケへと向かって飛翔、そして弾丸はエンリケの背負っていた燃料タンクを撃ち抜いた。直後、大量の燃料と噴射用高圧ガスが引火して大爆発を引き起こし、周囲の取り巻き諸共エンリケは火焔をばら撒きながら吹き飛んだ。


「ウワァァァッ!!」

「ギャーッ!!」


「大当たりだ畜生め。ざまぁみやがれ」


 爆発に巻き込まれ火達磨となったゲリラ達が悶える様をヨハンナは嘲笑する。副官にして切り札であったエンリケと火炎放射兵装を失ったゲリラ達は戦意を喪失し、先程までヨハンナ達に襲い掛かっていた者達も今や背を向けて逃げ出した。

 後は簡単だった。ヨハンナとアデラは逃げる背中に向けて引き金を引き、サキも射界に収めた者を片端から撃ち殺していった。全員と迄は行かないが、キャンプに居たゲリラ達はあらかた掃討され尽くし、残されたのは燃え盛る炎と死体だけだった。


 エンリケが爆炎と共に吹き飛ぶ様子を遠くから確認したサキは、スプリングフィールドの残弾が残り一発となり、狙撃での援護を切り上げてヨハンナとの合流を考えていた。しかしそこでキャンプに接近するエンジン音を捉える。サキは素早く物資集積場外周方向へと駆け、トラック一台がギリギリ通れる程度に開設された道路を射界に収める。土煙を巻き上げ猛スピードで接近する四輪駆動車を捉えたサキは、運転席を照準し、一拍置いて運転手の顔をはっきりと捉えるまで待ってから引き金を絞った。敵かどうかを判別する必要は無い。こんな場所にやって来る人間は全て敵だ。

 運転席に飛び込んだ弾丸はハンドルを握る男の鼻面を貫き、シートのヘッドレストに赤い花を咲かせた。運転手が死亡した事で四輪駆動車はコントロールを失いフラフラと蛇行した後、立ち木に激突して横転して停止する。エンジンルームから白煙を噴き出しタイヤを空転させる四駆はその後一切の動きを見せる事なく、完全に沈黙していた。


「車が一台来たから排除したよ。残弾無し、そっちに合流する」


 最期の一発を撃ち切ったサキは空薬莢を排出し、役目を終えたスプリングフィールドをその場に置いてキャンプのヨハンナ達に合流するべく歩き始めた。


 物資集積場の炎は集積された燃料と弾薬やその他物資をあらかた焼き尽くし、そこから延焼したテントや小屋も燃え尽きようとしていた。数日前の大雨で水分をたっぷりと含んだ樹木や地面は、表面を焦がしはしたがそれ以上に燃える事は無く、大規模な森林火災にまで発展する事なく火災は収束に向かっていた。

 ヨハンナとアデラは最後の仕上げの為に司令部テントへと足を運ぶ。散々暴れまわった後で、恐らく情報という情報は残ってはいないだろう。しかし、それでも確認程度はしておかねばならない。敵の指揮官らしき人物もその姿を未だ確認はしていないのだ。既に逃げ出したか、それとも先程吹き飛んだ男がそうであったか、そのどちらかを確認する術は今は無い。


 閉じられたテントの入り口を素早く捲り、司令部へと雪崩れ込んだヨハンナとアデラは銃口を巡らせてテント内部を確認するが、そこは既にもぬけの殻。残されていたのは燃えカスがたっぷりと詰め込まれたペール缶だけであった。機密情報の確保については期待していなかった。たった四人での襲撃、キャンプに突入したのは二人だけである以上、キャンプ内の掃討と情報確保の速度は担保できない。


「チェ、戦う兵隊共を見捨てて司令官はトンズラこいたってか」


 ハナから期待こそしていなかったが、しかし収穫無しとくれば多少の腹の立ち様もある。ましてあれだけ死力を尽くして戦った配下の兵達を見捨てて逃げ去る司令官などあまりに情けなく、そのような手合いの輩を取り逃がしたというのは、ヨハンナにとって気持ちの良いものではなかった。ペール缶を蹴っ倒し、大きくため息をついたヨハンナとアデラは司令部テントを後にする。

 二人がテントを出たその時、すぐ横で微かに響く金属音をヨハンナは聴き逃さなかった。刹那、乾いた銃声が連続して静まり返ったキャンプに響き、二人を拳銃弾の連打が襲った。素早く身を翻し、回避の姿勢を取ったヨハンナは左の肩と腕に弾丸を受けるに留まったが、完全に不意を突かれたアデラは腹と脚に数発直撃を貰ってしまう。ヨハンナは倒れるアデラの後ろ襟を引っ掴み、尚も撃ち込まれる弾丸を背と右腕に受けながら山と積まれたドラム缶の影へと逃げ込んだ。


「誰が逃げたって!?」


 銃撃の主はクラウディオだった。モーゼル拳銃を二丁拳銃で構えたクラウディオはヨハンナ達が隠れたドラム缶に頭を抑え込む様に射撃を続け、弾が切れると自身も物陰へと引っ込んだ。


「あぁ畜生、痛ぇ。弾ァ喰らったのは久方ぶりだ。おい、大丈夫かアデラ」


「腹に食らった。大丈夫に見えるか」


「あー、まぁ、痛そうだな。よし、空いた穴っぽこは押さえてろよ。可能ならコイツを撃たれた穴にねじ込んでできるだけ血を止めるんだ。私はあのヤローの相手をしてくる」


 ヨハンナはポーチから滅菌包帯のパックを取り出してアデラに渡す。使い方は単純、取り出して巻くか詰め込むかすれば良いだけ。細かな説明はせずともパックに取り扱い説明が記載されているし、包帯程度使い方はわかるだろう。分かっていてくれぬと困るのだ。


「お前は大丈夫なのか」


「大丈夫じゃねえよ。血は出てるし痛ぇし、でも酷い出血じゃあないし弾は抜けてる。小口径のFMJかなんかで、角度も良かったんだろうな。少なくともお前よりマシだ。それに此処でへばってたら二人仲良くあの世行きだぜ、サキを待ってる暇はない」


 ヨハンナは牽制に閃光手榴弾の最後の一個をクラウディオの方へと投げつける。火薬の炸裂と共に甲高い大音響が一瞬響き、僅かに男のくぐもった唸り声が聞こえた。上手い事クラウディオの目を潰せたのだろう。これで多少なりとも時間は稼げた。

 この隙を逃さずにヨハンナも自身の銃創に応急処置を施す。銃弾を喰らっていながら戦闘を継続するのは論外中の論外ではあるが、この状況に於いては他に選択肢はない。パックから針の無い注射器を取り出し、丸みを帯びた先端を銃創にねじ込んでプランジャーを押し込む。内部のゲル状止血剤が流れ込み、凝固していく事で応急的に出血を抑える事が出来る。注射器を抜き取り患部に包帯を巻けば応急処置は完了、当然これですぐさま戦闘復帰するのは褒められた事では無いが、出血量は未処置の状態より抑える事が出来ている為、直ちに影響が出る事は無い。

 アデラにも数本渡して必要に応じて使う様に伝えるが、使用法はたった今実践して見せたので説明はしない。本来ならばパートナーがしっかり処置をしてやるべきなのだが、敵と交戦中の逼迫した状況下では他人の面倒を見ている余裕は無いのだ。


「よくも俺の部下達を殺してくれたな! 貴様を部下達の所に送って八つ裂きにさせてやるぞ!」


「ああそうかい、じゃあ特等席で見物できるように先にお前を送ってやるぜ」


 銃弾と共に飛んでくるクラウディオの罵声に、売り言葉に買い言葉とばかりにヨハンナは罵倒で返す。所持弾数に余程余裕が有るのかクラウディオは景気良くヨハンナ達に向けて銃弾を送り込んで来る。クラウディオの持つ古いモーゼル拳銃が使用する弾薬は7.63×25㎜と、射撃が国技ともいえる合衆国でも無ければ入手は困難な弾薬であったが、トカレフ拳銃の使用する7.62×25㎜トカレフ弾と殆ど同寸であり、無加工で弾薬を流用する事が出来たのだ。ゲリラ達の使用する火器類には二次大戦時代のソ連製短機関銃が多数含まれており、その使用弾薬をそのまま使用できるためにクラウディオは古い銃であっても景気良く撃ちⅯ来ることが出来ていた。しかしトカレフ弾の特性上、モーゼル拳銃の銃身寿命を著しく短くしてしまう欠点があった。


「景気よく撃ちゃあがって、アカ野郎の癖に弾数はブルジョワジーかよ」


 ヨハンナは反撃に転ずるべく、撃ち込まれる弾数を数え、二丁拳銃で構えるモーゼルが弾切れするその瞬間を待つ。片方に十発、計ニ十発を撃ち切って、射撃が途切れたその隙を逃さずヨハンナは遮蔽物から飛び出してハイパワーの照準にクラウディオを捉える。クリップ装填のモーゼル拳銃は装填の手間が掛かり、遮蔽を取らずに無防備に姿を晒しているのは自殺行為に等しい。しかし、そんな事をクラウディオが知らぬ筈も無かった。

 クラウディオは弾が切れたその瞬間、ホルスターに拳銃を収めると同時にガンベルトやサスペンダーに多数吊るされたホルスターからもう二挺のモーゼルを抜き、ヨハンナが構え切らぬうちに銃口を向けていた。


「なにっ!?」


「かかったなアホがっ!」


 クラウディオは二丁拳銃だけでなく早抜きファストドロウの名手であった。ヨハンナは引き金を絞るより早く素早く横へと転がり、モーゼルの射線から素早く身を躱す。その刹那、ヨハンナの身体を弾丸が掠め、転がりながら逃げるヨハンナの足元で銃弾が跳ねる。無理に決着を焦っていれば、撃ち倒されていたのはヨハンナの方であった。


「避けたか。この俺に拳銃を抜かせただけはある。十年ぶりだぞ、俺がこの銃を実戦で握るのは」


「あぁどうりで一発も当たらねぇわけだ。腕が錆びついてやがるぞ」


 調子よく相手を茶化すが、その実、数発は身体を掠めており、ほんの少しでもタイミングが遅れれば穴あきチーズと化していたのはヨハンナの方であった。遮蔽物の影で息を整え、身体を苛む痛みを気合で抑え込み次の一手を模索する。

 クラウディオの射撃は二丁拳銃でまともに照準していないにも関わらず正確で、下手に身体を晒せば即座に銃弾を身体に撃ち込まれてしまう。銃だけを遮蔽から出して捲ら撃ちをしたとして、拳銃だけを撃ち抜く事はクラウディオには造作も無いだろう。もっと深刻なのは、捲ら撃ちをできるだけの弾数がヨハンナにはない事であった。


「どうした、弾を撃ちすぎて俺を仕留める分が残っていないか? お前が俺の同志に撃ち込んだ分、お前に撃ち込んで殺してやるぞ」


 クラウディオはヨハンナの反撃が無いと見てゆっくりとモーゼルの弾薬を込める。余裕たっぷりに広場の真ん中に立ち、一発ずつ固定式弾倉に弾薬をモーゼルに詰め、フル装填になった物をホルスターに収める。クラウディオは両脇に二挺、腰の背中側と前側に各二挺分のホルスターを備え、合計で六挺のモーゼルを持つ。お陰でストリッパークリップを持つスペースが無い為、隙だらけの装填しかできない欠点があったが、その早撃ちの腕前は欠点を補って余りある物だった。


「じゃあさっさとコッチに来いよ。弾ァ込めるのに時間が掛かり過ぎて日が暮れっちまうぞ」


 ヨハンナは尚も減らず口を叩きながら周囲を見回し、一つの遺体に目星を付けて手繰り寄せる。遺体の胸元には手榴弾が括りつけられていたが、使う間もなくヨハンナかアデラのどちらかに撃ち殺されていた。使われていたらヨハンナは窮地に立たされていただろうが、今はこうしてヨハンナに反撃の機会を与えてくれている。運の無い奴め。ヨハンナは胸中で独り言ちながら手榴弾をむしり取ると、遺体の首根っこを掴んで立ち上がった。


「なんだとっ!?」


 ゆっくりとヨハンナに近寄るクラウディオの眼前に人影が飛び出す。しかしクラウディオは引き金を引けない。その影はヨハンナではなく、腹や胸を銃弾で穿たれ血を流す同志であった。ヨハンナは既に事切れたゲリラの遺体を盾に、クラウディオに突撃を敢行したのだ。物言わぬ無残な死体となった同志であっても、その身体に対して銃弾を撃ち込む事をクラウディオは躊躇い、それが致命的な隙となった。

 ヨハンナは僅かに怯んだ隙に手榴弾をクラウディオの足元に転がすと同時に、盾として利用していた遺体を地面に放ってその陰に隠れるように素早く伏せる。RGD-5手榴弾、遅延信管による猶予は凡そ4秒。それを視界に捉えたクラウディオの本能は、伏せるヨハンナを撃つより先に逃げる事を選択し、素早く身を翻して駆け出した。しかし、4秒という猶予は手榴弾の最大効果範囲から脱するにはあまりに短かった。


 強烈な炸裂音が轟き、高温高圧の衝撃波と破片が周囲に死の暴風をばら撒く。ヨハンナも至近でそれを浴びるが、地面に転がしたゲリラの遺体が盾となって破片と爆風を吸収し難を逃れていた。とはいえ、その凄まじい爆音や衝撃全てから逃れられる訳では無く、耳を伏せ頭を抱える様に手で覆っていたとしても若干の見当識の喪失と耳鳴りがヨハンナを襲っていた。


「ふーっ、どうなった」


 ふらつきながらも身を起こし、衝撃に揺さ振られてぼやける視界と意識を正常に戻そうと、ヨハンナは頬を叩きながら周囲を見回す。やがて視界が正常に戻り始めるとヨハンナの眼前に―――


「ウオオォォォッ!!」


「うわああぁぁっ!?」


 眼を血走らせ全身から血に濡らしたクラウディオが飛び出し、ヨハンナに飛び掛かって逆手に持ったナイフを振り下ろす。クラウディオは手榴弾の炸裂で全身を負傷していたが、体中に括りつけたモーゼル拳銃が破片を受け止め致命傷にならず、破片と爆風で顔の半分をズタズタにされて尚ヨハンナに襲い掛かる。


「俺の愛銃をっ、よくも鉄屑にしたなぁ!」


 仰向けに倒れたヨハンナの鼻先にナイフの切っ先が迫るが、寸での所で右腕で抑えたヨハンナは、クラウディオの腹に両足を押しつけ、飛び掛かった際の勢いを逃さず背後へと投げ飛ばした。ヨハンナは間髪入れずに腰のホルスターに手を伸ばして拳銃を抜き、投げ飛ばしたクラウディオに照準、引き金を絞る。連続した発砲音と共に弾丸が打ち出されるが、しかしクラウディオは身を起こす途上の四つん這いで素早く横へと這って移動、撃ち込まれる弾丸を回避した。

 クラウディオはヨハンナから見て右方向へ円を描く様に回避しながら接近、右利きのヨハンナはクラウディオを捉え切れず接近を許してしまう。人体はその構造上、右手で銃を構えた場合右方向へと銃を振る速度は左側へと振るより幾分か遅くなるのだ。

 素手の距離へと接近したクラウディオはヨハンナの拳銃を手刀で弾き落とし、返す刀で裏拳を繰り出して顎を狙うが、それをヨハンナは右腕で受け止める。クラウディオは自身の腕を襲う鈍痛に顔を顰める、如何に負傷しているとはいえ女の右腕程度に押し負ける筈が無い。しかしヨハンナの右腕は地に根を張った大木の様に硬くビクともしない。


「死ねっ! 死ねぇこのくたばり損ないめぇ!!」


 僅かな隙を逃さずヨハンナは左のフックで脇腹を打ち、怯んだクラウディオの顎に右フックを叩き込む。脳を揺さぶられ膝を突くクラウディオの顔面に追い打ちの足蹴りを食らわせ、地面に沈んだ隙にヨハンナは取り落とした拳銃を拾い上げる。しかしなおも立ち上がり、体勢を立て直したクラウディオに再び弾き落とされ、左の頬に強烈な拳を喰らってよろめいてしまう。

 追撃に繰り出される膝蹴りにヨハンナは肘で迎撃し、低いタックルでクラウディオの腰を捉えると力任せに押し倒してマウントを取り、顔面に殴打の嵐を降らせた。


「くたばれこの野郎! 死ねっ、この野郎、殺してやるっ!」


「死ぬのは貴様の方だ!!」


 ヨハンナの口汚い罵倒と拳の乱打の中で、クラウディオはブーツに忍ばせた小型ナイフを抜くと、ヨハンナの脇腹目掛けて突き出した。ヨハンナは咄嗟に右手の掌でそれを受けて刃が手を貫くが、根元まで刃が深々と突き刺さったままクラウディオの左手を掴んで捻り上げ、強引にナイフをむしり取ると胸倉を掴んで引っ張り起こし、鼻面目掛けて頭突きを見舞ってから昏倒させると、右手に刺さったナイフを引き抜き、口と鼻から血を噴き出すクラウディオの眉間に深々と突き立てた。


「テメェの部下が死ぬ時の悲鳴を聞かせてやりたかったぜ!」


 眼を大きく見開いたまま遂に事切れたクラウディオに対し、ヨハンナは捨て台詞を口中の血と共に吐き捨てた。




「酷い有様、大丈夫なの」


「大丈夫に見えるか」


「概ね普段通りって感じに見えるけど」


 クラウディオを仕留めてから暫くして、サキはアデラに治療を施すヨハンナに合流する。辺りは静まり返り、炎の燻る音だけが聞こえていた。陽は完全に昇り、頭上を覆っていたカモフラージュネットも燃え落ちた事でキャンプ内には充分な陽光が差し込み、周囲はすっかり明るくなっていた。

 サキは数人ナイフで仕留めた際に泥が付着した程度で、相変わらず無傷で小奇麗なままであったが、ヨハンナとアデラの二人は着衣を血と土に塗れさせた正に満身創痍といった状態であった。それでも二人が口がきける程度に元気であるのは、銃弾の当たり所が良かった、運が良かったという事の証左だろう。


「散々暴れて、少しは気が済んだ?」


「私は子供か。まぁ…こんだけやりゃ充分だろ。此処まで痛めつけてやりゃあこの地域の連中は組織的活動は出来んだろ。後は国軍やら憲兵隊の仕事だ。私らはバラデロでバカンスの再開って洒落込める」


 ヨハンナの答えにサキは静かに胸を撫で下ろす。これでまだ満足せずに、バティスタ全土のゲリラを殺して回る等と言い出そうものなら、ヨハンナをこの場で殴り倒し、担いででも出国しようかと真面目に考えていた。

 ゲリラ達の持つ機密情報の殆どは灰燼に帰し、ヨハンナ達の特徴を示した口伝程度の情報も既に消滅しただろう。これで心置きなくバカンスへと戻る事が出来る。長い寄り道だったが、旅という物には往々にして予期せぬアクシデントが付きまとう物で、この数日間の出来事も、バラデロでモヒートをやりながら夕日を眺めていれば、良い笑い話へと転化するに違いない。


 サキとヨハンナは互いの顔を見つめ合い、一仕事終えた達成感にニヤリと笑みを浮かべた。その時であった。


『おぉい、誰かいないのか!? 助けてくれ!』


 唐突に響く助けを求める声。それはゲリラ達とは違う、流暢なブルックリン訛りの英語だった。先程まで笑みを浮かべていたヨハンナとサキの顔は一瞬にして凍り付き、恐らく降り掛かるであろう面倒事に大きなため息をつくのだった。


「今度はなんだよ」


「もう無視しちゃおうか?」





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