第5話 伝言

 目を開くと、隣にいたこがらしがじっとこちらを見ていた。


「いたな、樹氷じゅひょう

「うん、いた」


 あんなにふざけていた凩なのに、どこか安堵した表情に見えた。

 後ろを振り返ると、少し離れた所にかね夕凪ゆうなぎが立っていた。


「兄ちゃんはいたか?」

「うん」

「そうか」


 矩は笑ったが、頬が少し引き攣っていてちょっと無理があり過ぎる。何と言葉をかけようか迷っているうちに、


「樹氷は元気でしたか」

 隣から夕凪が口を挟んだ。


「相変わらずだったぞー。矩と一緒でオレを邪険にしてくる」


 凩が飄々と答えると、夕凪は「そうですか」と神妙な顔で頷いていた。

 露草つゆくさは矩に視線を戻した。彼女は樹氷のいる桜の樹をじっと見上げていた。


「矩。樹氷から伝言を預かってる」

「え――?」


 矩が目を見開いてこちらを振り返った。全く予想だにしなかったとその表情が言っていた。


「兄ちゃんが……? 何て……?」


 彼女の声は微かに震えていた。露草は矩を真っ直ぐに見て、


「『昔のことは忘れて前だけを見ろ』って」

「昔……前……」


 矩はその言葉を刻み込むように口の中で繰り返す。そして、ふいに下を向いて黙り込んだ。


「……矩?」


 まさか泣いているのだろうかと焦った露草の前で、彼女は「はあー」と大きく息を吐き出した。

 上げた顔に雫はなく、困ったように眉を八の字にしていた。


「何となく言いたいことは分かったけど……」

「けど?」

「ちょっと偉そうだなと思った」


 兄ちゃんのくせに、とぶつぶつ呟く矩に、露草は肩の力が抜けてしまった。

(そうだよな。矩はこんなんで泣くようなやつじゃない)

 彼女が夕凪にもぶつくさと樹氷に対する愚痴を言っているのを聞きながら、露草は桜の樹を見上げた。

(樹氷、いつかちゃんと話してやれよ)

 矩だけでなく、夕凪にも。


「あー、一仕事終えたら腹減ったなー」


 凩がうーんと伸びをしながら言った。


「そもそも今日『魔検』だったの忘れて寝坊したから朝ごはんまともに食ってねーし」

「お前なあ……」


 矩が呆れた顔をする。


「言っとくけど、オレは矩みたいに起きたら夕凪がご飯を用意してくれてるような恵まれた環境じゃねえんだよ」

「だったら城にある部屋に帰れば良いだろ。そこに帰りたくなくて小屋に寝泊まりしてる凩の都合だ」


 バッサリ言い捨てる矩に凩は「つめたーい」と泣いたふりをする。


「えっと、凩は城に住んでるのか?」


 先程の矩の言葉から露草が確認すると、凩は首を横に振った。


「部屋はあるけど住んでない。――ああ、丁度良いな」

「?」

「お昼だし、今からみんなでオレの小屋に行こうぜ」


 名案だとばかりににっかり笑う凩。


「凩。ちゃんと食材はあるのですよね?」


 夕凪が念のためにと確認すると、彼は「多分」と曖昧な返事をして視線を逸らした。

 露草と矩と夕凪の鋭い視線が凩に集中する。食事のこととなると「多分」では済ませられないところがある――特に矩は。


「……一週間くらい前に買ったパンがあったかなあ」

「カビ生えてませんよね?」

「……さあ、保証はないなあ」

「……」


 露草たちは半眼になった。凩はそんなものを食べて生活しているのだろうか……。

 後は何があったかなあと必死に考える凩を放って、露草たちは顔を見合わせた。


「とりあえず行ってみましょうか。凩の食事事情が気になります」

「オレも」

「きっと悲惨だろうよ」


 とにかく行ってみなくては分からない。あまり楽しみな訪問とは言えないが、露草は矩たちと共に凩の住んでいるという小屋に向かうことになった。

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