【短編】元カノと同窓会を抜け出した。

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元カノと同窓会を抜け出した。

 西宮にしみやあずさと目が合った瞬間、俺は思わず目を逸らしてしまった。

 ビールの入ったグラスから口を離し、近くのテーブルに置く。

 口の中に残ったビールを飲み込んでも、いつも苦みの後にやってくる爽快なのど越しは感じられない。

 ただ苦いだけ。

 まるで、爽快さを感じる前に、時間が止まってしまったかのようだった。


「……」


 ちらっと梓の方をに視線を戻せば、彼女はまだこちらを見つめていた。

 怒っている……という感じではない。

 それもそうだ。

 俺と梓が大ゲンカの末に別れたのは、高校を卒業した直後のこと。

 あれからもう3年が経っている。


「ふぅ……」


 梓が小さく息を吐いたことが、その肩の動きで分かる。

 そして彼女は意を決したように、まっすぐにこちらへ歩いてきた。

 俺はその場を動くことができない。


「……久しぶり」


 向かい合って立ち、梓がぼそっと呟いた。

 こちらに顔を向けているようで、視線はなかなか合わない。

 彼女も俺も目が泳いでいる。


「久しぶり……だな」


 そう返して、俺は再びビールのグラスを手に取った。

 一口飲んだが、やはり苦いだけ。

 さっきまでは美味しく飲んでいたはずなのに。


「……」

「……」


 2人の間を気まずい沈黙が流れる。

 話しかけてきたわりに、梓は何も言おうとしない。

 俺は残っていたビールを無理やり一気に飲み干すと、テーブルにグラスを置いた。

 元気にしてるかとか、最近どうだとか、いくらでも声の掛けようはあるはずなのに、互いに何も言わない。

 何も言えない。


「……っ」


 不意に、梓が俺の右手首を掴んだ。

 そのまま無言で、俺を引っ張っていく。

 少し驚いたが、俺は抵抗するわけでもなく、ただ彼女に身を任せた。

 みんなが立食しながら歓談するなかを、静かに2人で通り抜けていく。

 そのまま会場を出て、エレベーターに乗って下の階へ向かう間、俺はずっと梓の手が細かく震えているのを感じていた。


「こっち」


 彼女に連れられて入ったのは、さっきまでの賑やかな雰囲気とは打って変わったバー。

 俺たち以外に客はおらず、バーテンダーが静かにカウンターにたたずんでいる。

 カウンターの端の方の席を選ぶと、俺たちは隣り合って座った。


「何かお作りいたしましょうか」

「お任せでお願いします」

「俺もお任せで」

「かしこまりました」


 バーテンダーは一礼すると、手際よくカクテルを作り始めた。

 ピアノ調の静かで悲し気な音楽と、シェイカーのカラカラという音だけが響く。

 俺たちの間には、何の会話もない。


「お待たせいたしました」


 俺たちの前に、それぞれ別々のカクテルが置かれた。


「カカオフィズでございます」


 梓の前には、茶色っぽいカクテル。

 輪切りにしたレモンが入っていて、炭酸の細かな泡がロンググラスの上へと立ち昇っている。


「ギムレットでございます」


 俺の前に置かれたのは、カクテルグラスに注がれた透明のカクテルだった。

 わずかに口に含んでみれば、ライムの香りとほのかな甘さを感じる。

 そしてその奥には、ピリッとしたスパイシーさもあった。

 梓も自分に供されたカカオフィズを飲んだところで、ようやく口を開く。


「最近、どう」

「……ぼちぼちかな」

「そっか」

「うん」


 微妙な沈黙の最中に、俺はギムレットを再び少しだけ飲む。

 そして今度は俺の方から尋ねた。


「梓はどうなんだ?」

「同じくぼちぼち」

「そっか」

「うん」


 隣にいる梓は、酒の入ったグラスを持っていること以外、高校時代とあまり変わらないように感じる。

 整った顔に浮かぶ機嫌が良いのか悪いのかよく分からない表情。

 でも俺は、それが決して怒っているわけでも何でもないことを知っていた。

 この顔は、梓が何か言いたいことがあるのに切り出せない時にする顔だ。


「大学、楽しいか?」

「まあまあ」


 俺の質問にそう答えて、梓はカクテルを飲み進める。

 いつの間にかグラスの3分の2くらいまで減っているが、顔が赤くなったりする様子はない。

 アルコールに強い体質みたいだ。

 これは、高校時代には知るはずもなかった梓の一面だった。


「彼女とかいるの」

「いや」


 短く答えて、それから「いるわけがないだろ」と心の中でぼやく。

 そしてまた、「梓はいるんだろうな」と。

 元カノを前にうぬぼれるわけでもないが、これほどの女性を他の男たちが放っておくはずがない。

 そう思っていただけに、梓の次の言葉は意外なものだった。


「私もいない」

「……そうなんだ」

「うん」


 再び訪れた沈黙。

 それを梓の声が破る。


「すいません。またお任せで違うものをください」

「かしこまりました」

「俺もお願いします」

「かしこまりました」


 バーテンダーは、やはり2人に別々のものを提供した。

 梓にはモヒート、俺にはネグローニ。

 口の中に広がる苦みが、さっきのビールの苦みと、そして卒業直後の苦い思い出をよみがえらせる。

 でもそれを包み込むような甘味が、梓との楽しかった時のことを思い出させた。


「ごめん」


 モヒートのグラスから口を離し、梓が静かに呟く。

 そして俺の方に視線を向けた。

 黒い瞳が小さく揺れ、きゅっと口を引き結んでいる。


「あの時のこと、謝りたくて」


 あの時のこと。

 俺と梓がケンカした時のこと。

 あの時は2人とも、将来に漠然とした不安を抱えていた。

 一緒に目指していた大学には梓だけ合格できず、それから彼女は俺を前にどこか引け目を感じているような雰囲気があった。

 俺も「梓が一生懸命やったのは知ってるから」と口では言いながら、もちろん悔しさやもどかしさを感じていた。

 そうやって小さなすれ違いが生まれると、今まで全く気にならなかった細かいことも目につくようになる。

 それが積もり積もって、あの時に何かも思い出せないほど小さなことをきっかけに爆発したのだ。


「ひどいこと言ったし、傷つけたし、ごめんなさい」

「梓……」


 泣きそうな表情になった梓を前に、俺はいつまで身を委ねっきりでいるんだと、自分を殴りたくなる。

 話しかけてくれたのも梓。

 ここへ連れてきてくれたのも梓。

 会話を切り出してくれたのも梓。

 そして先に謝ったのも、梓。

 情けない。

 さっきまでと違って、ネグローニの苦みだけを強く感じる。


「俺の方こそ、ごめん」


 このまま苦いままじゃ嫌だ。

 そんな気持ちを抱えて、俺は梓への謝罪を口にした。


「ずっと梓が頑張ってたことも、一番近くで見てたはずなのに。俺の方こそひどいこと言ったし、傷つけた。本当にごめんなさい」

「……いいよ」


 そう言った梓の目から、つーっと一筋の涙がこぼれ落ちる。

 彼女はそれを拭うと、モヒートを一口飲んで言った。


「何で私が彼氏作らなかったか分かる?」

「その口ぶりだと、作ろうと思えば作れたんだな」

「うん。でも……結局さ、忘れらんないんだよ。比べちゃうんだよ」

「……」

「寂しくってさ。でも他の誰かと付き合うこと考えても、全く渇きが癒される気がしなくて。私さ……」


 少し間を置いて、梓は俺の目をまっすぐに見つめる。


「今もまだ、大好きなんだよ」

「……っ」


 もう逃げない。

 目を逸らしたりはしない。

 俺はまっすぐに彼女を見つめ返して口を開く。


「何で俺が彼女を作らなかったか分かる?」

「誰にも告白してもらえないから」

「ちげーよ」

「ふふっ」


 ここへ来て初めて、梓の顔に笑顔が浮かぶ。

 少しいたずらっぽくて、でも愛嬌があって憎めない笑顔。

 俺が彼女を大好きになった理由のひとつ。


「俺もまだ、梓のことが大好きなんだよ」


 大学に行けば、そりゃかわいい子はいっぱいいる。

 見た目だけじゃなくて、性格がすごく素敵な人もいる。

 話が合う人だっている。

 でも誰ひとりとして、梓を超えてくることはない。

 どうしても、どうしても、梓のことが忘れられなかった。


「もう一回、やり直したい。梓と一緒に」


 俺の言葉に応じるように、梓がカウンターに置いた俺の手に自分の手を重ね合わせる。

 何度も繋いだ手から、懐かしい温かさが伝わってきた。


「私ももう一回、あなたの彼女になりたい」


 俺はそっともう片方の手を重ねて、梓の手を包み込んだ。


「もう絶対、寂しい思いはさせないから」

「約束だよ。私も絶対、寂しい思いはさせないから」

「うん、約束」


 梓の目に涙が浮かぶ。

 それを隠すように、彼女は俺の肩に顔を寄せる。

 俺はそっと彼女を抱き締めた。



 元カノと同窓会を抜け出した。

 元カノと高校卒業の直後から続いていた呪縛を抜け出した。



「ネバダでございます。本来のレシピからは、少しアレンジを加えておりますが」


 バーテンダーが、ストローを2つ挿したグラスをカウンターに置く。

 注文してないのにという表情の俺たちを見て、バーテンダーは穏やかに微笑んだ。


「花に花言葉があるように、カクテルにもカクテル言葉というものがございます。ネバダのカクテル言葉は『誓い』。約束を絶対に裏切らないという『誓い』を現したカクテルなのです。こちらはちょっとしたサービスですので、受け取ってくださると幸いです」

「「『誓い』……」」


 俺と梓は、お互いに顔を近づけてカクテルを口に含む。

 甘い。

 でもただ甘いだけじゃない。

 酸味もあるし、苦みもわずかに感じる。

 ただ甘いだけじゃない恋。


「私たちみたいだね」


 涙を拭った梓が、そう言って笑った。










 ※ ※ あとがき ※ ※


 お読みいただきありがとうございました。

 バーテンダーが言っていた通り、カクテルにはカクテル言葉というものがあるようです。


 カカオフィズ……恋する胸の痛み

 ギムレット……長い別れを想う

 モヒート……心の渇きを癒して

 ネグローニ……初恋


 作者未成年なので、どれも飲んだことないんですけどね……()


 もしこの作品を面白いと思っていただけましたら、★でレビューしていただけると泣いて喜びます。

 本当にお読みいただきありがとうございました!

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