今でも澄んだ「青」が棲んでいる

誰もが青春という呪いにかかっている。
苦い経験を未だに忘れられない竹乃昇の意見には、非常に共感する。
宿痾よりも呪いのほうが、残酷さを感じやすい表現だと思った。

才能がなかったかもしれないけれど、テニスは好きだっただろう。
好きだったから、結果は残念だったけれども、一生懸命プレーする後輩たちの姿を見ては、励んでいた当時の自分自身の気持ちを思い出し、慰める。
この行為を主人公は「呪い」と呼んだ。
「どれだけ時間が経っても、ふと思い出す。あの頃に聴いた音、見た景色、語った話。きらきらした日常。あの頃感じた、ぐちゃぐちゃな気持ち。忘れようと思っても、忘れられない。鮮烈に、美しく。ぼくの身体に、焼きついている」
端的なこの書き方がよく書けていて、読み手の心にぐっと入ってくる。
誰もが、自分の青春を思い出し、呪われるだろう。

忘れようとしても忘れられない。
だから、二度と戻らない青春を思い出しては味わうために、部活系漫画や学生の日常系漫画が人気だという考え。
実にいい着眼点だと思う。
なにも、一生続くのは笹田勇気だけではない。
だからこそ、厄介なのだ。

笹田勇気が部長になれたのはどうしてだろう。
ひょっとすると、二年生の人数は少なかったのではと邪推する。
長峰では駄目だったのかしらん。