反逆者の証明

有馬 礼

 人の意識が数学的に記述可能であることが発見されて既に数世紀が経過していた。今ではこの世に生を受けた人間は全員、「人格データベース」に人格を登録することを義務付けられている。人は人生の中で数度、機関に人格データをアップロードする。生まれた時、成人した時、そして死ぬ時。特に死に際する人格データ更新は、不慮の事故等で遺体が著しく損傷して意識の大半が所在する脳が破壊されている場合を除き義務とされている。

 集められた人格データは分析され、各種人工知性体の人格構築のベースとなる。例えば軍隊における戦闘用人工知性体たち、警察などの治安維持、医療、行政……。それぞれに適した人工人格を与えられた知性体たちは適材適所の言葉そのままに自らに与えられた責務を全うする。そして、家庭の中で家事やケアを担当するメイド型人工知性体も。

 人の意識や人工知性体の研究を目的として設立された人格データベース機関は、今ではその存在目的は、人格を保存することにより人に永遠の命を生きさせることに変わっていた。現在、機関に人格を保存しないことは人権侵害の一種と見做されている。人は機関にアクセスすることにより、いつでも保存された人格たちと「面会」することができた。



 自家用宇宙空間航行機クルーザーの運転席にけたたましい警告音が響き渡っている。警察によるインターセプトを受けているのだ。


――警告。直ちに停船を命じます。この行為は、人格保存法第5条1号違反に当たります。この警告を無視した場合、無予告の銃撃を行う場合があります。なお、銃撃による肉体の損壊に対し、人格保存の保障はありません。繰り返します……。


 先ほどから同じ警告メッセージが繰り返し流れている。

 通常であれば、司法によるインターセプトを受ければ民生品のクルーザーに搭載されている人工知性体は直ちに全権限を委譲する。そのように作られているし、そうでなければならない。しかしこのクルーザーの人工知性体は意図的に「殺されて」いる。


(ハル、ごめんね、こんなことさせて)


 頭の中に声が響く。正確には声ではないが、伝えられた意識データをメイド型人工知性体ハルは音声データに変換して知覚する。今はもう失われてしまった、懐かしい声。


「いいえ。私の力が足りないばかりに、中途半端な結果になってしまいました。あなたの人格データをデータベース機関から抹消すると、必ずやり遂げるとお約束しましたのに」


 敢えて音声出力する。そのアルトは聞く者に安心を与えるよう計算されていた。見方によって男にも女にも見える中性的な顔は無表情にメインモニタを見つめている。その目は、左目は髪と同じ黒だが、右目だけはトパーズを思わせる黄色だった。今や外見だけでは本物の人間と人工知性体を区別できなくなった現代において導入された規格だ。片方だけ違う目の色により製造目的がわかる。


(彼らは私たちを攻撃できると思う?)


 メイド型人工知性体ハルはしばし沈黙する。


「その可能性は低いと判断しています。人格保存法及び人格データベース機関は『全ての人格の保存』を目的としており、保存された人格を消去することは基本的にできません。つまり、保存されていた人格が有害と判断された場合以外は、ということです。彼らは、あなたの人格を持ち出した私が有害だと判断できても、あなたの人格が有害だと今の段階では判断できない。それには、法律上、人間意識による判断を経る必要がある。この船を攻撃し、私を破壊することはすなわちあなたの人格を消去することに繋がります。それは彼らの権限の範囲を超えているため、彼らには警告を送ることしかできないのです」


 当初の計画では、データベース機関に侵入し主人の人格データを消去する予定だった。しかし、消去防止の強力な障壁を突破することができず、ハル自身に人格データを転送する方法でようやく人格データを持ち出すことができた。復元可能なオリジナルがデータベース機関に残っているのかどうか、それを確認する時間はなかった。しかし、警察が必死に追跡してくることこそがその答えを示唆していると考えられた。


(ありがとう、私のわがままを聞いてくれて)


「私はあなたのお母様により作られました。お母様は、彼女自身に代わって、私にあなたの願いを叶えるように私に命じました。私は私の存在目的を果たしているだけです」


(それが、「人格を永久に消去して、完全に死にたい」っていう、法に反した願いでも?)


「お母様はあなたの願いに気づいていました。だから、私の遵法リミッタを解除した。違法に。彼女こそが、叛逆者なのです。そしてあなたはその娘。何も不思議はありません。似た者親子というだけです」


(死は、冷酷で完全で絶対であるべきなの。死によって初めて生は完成される。生と死は相対的なものなの。死なないものは、生きてもいない。例えデータとしてでも人格が残ってしまったら、私の死は完全でなくなる。私は完全に生き、そして完全に死にたかったの。それこそが、私の存在証明なの)


「ええ、わかっていますよ。私はその願いを叶えるために存在しているのです。あなたの願いを叶えることが、私の存在証明なのです」


 警告を送るばかりで一向に攻撃してこない警察に代わって、ハルは違法に構築した自爆シーケンスを開始した。

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反逆者の証明 有馬 礼 @arimarei

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