第3話 十階と十一階

 東京拘置所の十階と十一階には、死刑囚が収容されている。その十一階に、湯田聖児という囚人がいた。湯田は、三十九歳になるが、前回の出所後の短期間に、職についただけで、それ以外は、刑務所の中で人生を過ごしていた。

 初めての殺人事件の公判のときに、湯田は、己の出生の秘密を知ることができたが、それは実父、実母から聞いていたものは異なるものだった。

 聖児は、知能は高いが、成績が芳しくなかったところから学業不振児と診断されていた。親が、どの程度寄付したかは、不明だが、それなりの理系の大学に進学している。

 電気工作に夢中になる男の子は多いが、彼も、中学1年生になる頃には、電気ゴテでラジオなどを作り始めていた。

 だが、聖児が在学中、新入生の歓迎会の後、いやがる女子学生に酒を飲ませ妊娠させたときから、聖児の人生は狂い始める。聖児は父としての自覚もなく、女の大きくなる腹を見て堕胎をお願いしようと父の知り合いの産婦人科医を訪れた。

 その産婦人科医は、父の知り合いでもあったが、聖児より七歳年上の息子がいた。聖児は、その医師の息子を兄のように慕い、小さい頃は、勉強を教えてもらっていた。その息子も今は、医師となって父の医院で見習いを始めている。

 現在と違い、堕胎が半ば公然と行われていた時代だった。聖児の訪問に、その産婦人科医は、驚くこともなく、同行した女子学生の手術も何事もなく済んだ。

 その医者の息子が、聖児を食事に誘った。久しぶりの弟のような存在の訪問に、緊張感が緩んだのかも知れない。気安さのあまり、酒のせいもあってか、その息子は、聖児に自分の出自を知っているかと問いかけた。

 聖児は、自分の両親が他の子の父母と比べて、年を取っていることに劣等感を抱いていた。母の愛情の薄さも気にかかっていた。 

 彼は、この息子がおそらくは、父親である産婦人科医から彼の出生の秘密を漏らされたことを確信し、聞き出そうと思い策を巡らした。彼は、その時、酔った振りをして、そんなことはとうの昔に知っており、今更聞きたくもないという態度を示したのだ。

 息子は、いささか、気を削がれたようであったが、そうか、それならば取り立てて言うこともあるまいがと前置きして、聖児の母は、今は、聖児の父母となっている夫婦の長男と結婚した女性であること。そして本来なら、聖児の祖父となるはずだった者が、母を暴行して生まれたのが、聖児であると何の感情も交えずに語った。

 聖児は、初めて、己の出生の秘密を知った。そうか、やはりそうだったのか、今まで、常にその存在を意識しながらも、うかがい知ることができない秘密の扉の前で、途方にくれていたが、己の出生の秘密という鍵で、違和感、疑問点が溶け、哀しさ、寂しさ、憤り、不公平感が飛び出してきた。

 秘密を知ったとたん、聖児はその場から、すぐに立ち去りたいと思ったが、それでは、相手に、出生の秘密を知ったということを知らせることになると考え、聖児は、苦しい時を過ごさざるをえなかった。

 内心の憤りは、酒量を増やしたが、酒に酔ったふりをしながら、酒に酔えない自分がいた。

 深夜に帰宅した聖児は、酒の勢いを借り、既に寝ていた父を起こし、詰め寄った。

「あの産婦人科医の息子に聞いたが、俺の母親は別にいるんだって。本当か」

 寝入りばなを起こされた父親は、聖児の酒臭い息にむせながら、とうとう聖児は、己の出自を知ったかと深い溜め息をつくと同時に、

「そういうことは知らないほうがいい」

と返事を拒んだ。

 しかし、聖児の追求はやまず、

「本当のことを言え。俺の本当の母親は、どこにいるんだ」

 若いに聖児に襟首を掴まれて、老いた父親は、その手を振りほどくことができなかった。

 母も出てきたが、二人の間に入るでもなく、冷ややかに見つめている母の態度に、聖児も納得した。

「これでクリスチャンとは呆れるぜ。やはり、本当だったんだ。まさか、俺の母親が、あんたに犯されて俺が生まれたなんて。俺は、私生児か。さあ、母さんの居所を言うんだ」

 首を絞められ、喘ぎながら父親は真相を告白した。そして、母の住所も白状した。

「お前の母は、今は、別なところで結婚して子どももいる。俺が死んだら、遺産はお前のものだ。お前には、何不自由のない生活をさせてやったはずだ。これ以上、何が欲しい」

 その言い方に、聖児の怒りは頂点に達し、父親の右腕を折った。

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