第19話

 しかし。


「うるさい」




 そこには衛兵隊長の姿はなく、代わりに人骨の握りこぶしがそこに存在していた。振り上げられた剣はその場に力なく落下する。地面には赤黒い液体が飛び散り、肉の形も残っていない。人骨がゆっくりとその拳を上げる。粘性のある血液が糸を引き、かろうじて残っていた塊がボトボトと落ちていく。ディジャールの服と頬にまで、その血潮が返っていた。あまりの速さに、悲鳴の一つも上がらなかった。



「はぁ……お前さぁ」



 ディジャールは今まで決して見せなかった不機嫌な表情を浮かべ、地面にへばりついているその肉を見下す。


「衛兵ごときが出しゃばるなよ……。下等で汚くて臭くて脂の乗った贅肉を振り回すことしか能のない役立たずが! 俺に気安く口利いてんじゃねえよ!」



 いつもの飄々とした様子とは打って変わり、目を血走らせ、青筋を立て、浮き上がった血管が千切れんばかりに激昂していく。



「誰がクソ野郎だ、ああ?! 王国の駄犬ごときが、俺に対して言う言葉がそれか! 身の程をわきまえろ、愚図が! 弱者が! 不敬罪だ!」



 黒く、乱雑に切られた髪が逆立つ。青いヒールの靴で地面の肉を踏みつけ、グチャグチャと音を立てる。それでも飽き足らないように、何度も何度も、その肉を踏みつけた。


「死刑だ、死刑だ、死刑だ、死刑だ、死刑、死刑、死刑、死刑、死刑、死刑! 死刑!」



 その発狂に似たような声を上げると、急に糸が切れたかのように頭を抱え、ふらふらと後ずさり始める。ガリガリと頭を引っ搔き回し、ぶつぶつと何かを唱えるように独り言を発していた。時々聞こえてくる声に、赤ん坊が泣く前のような、言葉に満たない音が混じっていた。


 そして一つ深呼吸をすると、まだ辛そうな表情を無理やり収めて、いつもの態度に戻すよう努めて言う。



「……で、単刀直入に言わせてもらうけど」


 乱れた髪を震える手で直し、頬についた返り血をぬぐう。


「王権を寄越しなさい。もしくは死になさい」



 その理性的な言葉に、ようやく皆の意識が戻っていく。この異様な緊張感が戻っていき、その現場がようやく現在の時間を流れ始める。


「どういうこと……なんだ?」


 誰かが絞りだすように発した言葉は震えていた。


「そのままの意味だ。バナ王の王権を私かアフラムに譲り渡し、この国を統治させろ、と言っている」


 ディジャールの様子がだんだんと元に戻っていく。皆はざわめき、互いに目を合わせてヒソヒソと何かを話していた。



「どうです、バナ王! 王権を譲り渡してくれますか?」



 バナ王の周囲に固まっていた者たちが離れていく。バナ王を取り囲むような、人の大きな円が出来ていた。

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