第12話

 玉座の間はもう閑散としていた。あの嵐のような出来事があってから、各大臣を解散させ、護衛として立っていた衛兵たちも、二人の襲撃によって傷ついた者の手当に回らせた。そこに残ったのは、大きな玉座に腰かけるバナ王の姿だけであった。


 キィンとした静寂が耳をつんざく。バナ王は伸ばしていた背筋を丸め、礼服のマントを手荒に脱ぎ捨てた。真紅の鮮やかな、重々しいマントである。その重さが、王という立場の責任のためなのか、それとも前任者の血の怨念によるものなのか、それはバナ王には判断が付かなかった。


 自身の黒い髭を撫で、彼は深い溜息を吐いた。大樹の幹のようにこわばった手のひらが頬に当たる。ざらざらとした皺の跡がくっきりと分かり、胸の内に老いという言葉が渦巻いた。



 二度目の溜息を吐こうと、バナ王が息を吸うとともに、玉座の間の扉が控えめに開いた。ノックもなしに静かに開いたその扉の傍らには、栗色の髪を一本の三つ編みにした、麗しい少女が立っていた。



「ティフル、どうした」



 バナ王はその少女の名を呼ぶ。彼女は小さく「あっ」と呟き、すぐに王への敬礼をして、玉座の間へ足を踏み入れた。


「ごめんなさい、まさかお父様がいらっしゃるとは思わなくて……」


 ティフルと呼ばれた少女は、クリミズイ王国の王女であった。温厚で柔和な性格の持ち主であり、穏やかで品のある所作は、その年齢にそぐわないほど大人びたものである。


 彼女はゆったりとした白い長袖のワンピースに身を包み、細い四肢を丁寧に動かして、扉を閉める。バナ王は玉座に座りなおしていた。



「……あの二人が来たんですって?」


 それは極めて慎重に出された言葉であった。ティフルは平静を装っているものの、言葉の端に緊張が重なっている。


「お前は会っていないのだろうな」


 落ちる沈黙を嫌うように、バナ王はすぐに言った。ティフルはその意図を読み取ったのであろう、穏やかな表情を見せて返事をする。


「ええ。部屋から出ていないもの」


「ならば良い。早く部屋に戻りなさい。いつお前が病にかかるか、分かったものじゃない」


「ご心配ありがとう、でも、ずっと部屋の中じゃ、落ち着かなくて」


「だからと言って勝手に出歩くな。私はお前のことが心配なのだ」


 バナ王はなるべく口調が強くならないよう気を付けて、言葉を選んでいた。あくまでもティフルのためであるということを、念を押して言った。


「だいたい、何故お前がここにいる? 用件は召使いに任せろと言っておいたはずだが」


「少し……お城の様子が気になって。大騒ぎだったから。何があったのか聞いても、召使いも知らないみたいだったし」


 騒ぎについてどこまで知っている、とは、聞くことが出来なかった。彼女の口ぶりからして、大まかなことは耳に入っているのだろうと予想される。しかし、それはあえて言及しないままにしておくことにした。この騒ぎが彼女にとっても大きな衝撃であることは、容易に想像がついた。


「そうか。わかったなら、すぐに部屋に戻りなさい」


「そうします」


 ティフルは落ち着いた動作で踵を返す。バナ王の言葉に素直に従うところは、幼いころから変わっていなかった。




 彼女が玉座の間の扉へ華奢な手をかけたその時、彼女は振り返らずに言った。


「……ソリバを行かせたというのは本当ですか」



 彼女には珍しく、声の調子が低い。しかしバナ王はそれに気づかないフリをした。何気もない様子を装って、


「ああ」


 と短く答えた。


 ティフルは呟くように「そうですか」と返して、すぐに自室へと向かう。先ほどの落ち着いた動作はわずかに乱れ、いつにもまして大きな扉の開閉音が鳴り響く。


 キィンという静寂が落ちた。バナ王は再び溜息を落とした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る