一〇.

 登山部の部室として生徒会に割り当てられていたのは、かつて二年二組があったという空き教室だ。

 土曜は昼からの活動だと報告書に書いてあったので、僕らも昼食をとってからのんびりした足取りで教室に向かったというのに、引き戸を開ければたむろしていたのは登山部ではなかった。


「は? マジック部?」


 教室の中を覗くなりつい僕が呟いたのを、マジック部でクラスメイトのふうが驚いて振り返ってくる。他にもマジック部員は何人か集まっていて、みんなで和気わき藹々あいあいとなにかで遊んでいる。

 人生ゲーム……でもないな。なんのテーブルゲームだ、それは?


「涸沢? なにしに来たんだよ」


 こっちのセリフだ能天気ども、と反射で怒鳴りそうになったのを堪える。

 マジック部はもとより部活動としては破綻している。昨年はまだかろうじて手品ができる先輩がいたそうだが、卒業したことでとうとう部内にマジックを披露できる人間はいなくなった、と颯太に聞かされた。

 なら今は何しているのかというと、トランプだったりウノだったり、教室の隅っこでカードやボードゲームに興じるただのお気楽暇人グループだ。お前らこそ、いい加減『カード部』とか『ボドゲ部』に改名したらどうなんだ。


 初めからそんな調子だとわかっているから、部費は最低限で済んでいるし生徒会も見逃しているのであって、僕も時々は混ぜてもらっているし別に彼らの活動を否定したいとは思わないけれど、マジック部の部室はこことは階が違う元・一年二組の教室なはずで。

 しかもここは登山部が使っているはずで……いや本当、登山部はどうした。


「あー、今はTRPGってのを榊先輩からみんなで教わっててさ。涸沢もやる?」


 生徒会の劣悪な雰囲気をまだ察せずにいるのか、颯太はへらっと笑いかけてくる。


「二日目のメインイベントなんだよね、これ。一日目は肝試しで、最終日がキャンプファイアー。廻谷大の人らがトーチトワリング見せてくれるんだってさ」


 なんの話をしてるんだ、と聞き返すよりも早く、


「もしかして登山部のキャンプ合宿?」


 りえか会長が事の真相にたどり着いた。


「二泊三日のやつでしょう? あんたたち、あのキャンプに混ざる気でいるの?」

「え? 二泊じゃなくて三泊ですよ」


 答えたのは別のマジック部員だった。大して焦る素振りもなく、


「今年のキャンプはいつもよりも大々的にやるから、マジック部も一緒にどうですかって。榊先輩が誘ってくれたんです」


 どんな手品よりもぞっとする種明かしの最中に、噂の榊先輩は戻ってくる。

 小太りした体を揺らし、人数分のペットボトルを両手に抱え、いかにも気さくそうで穏やかな笑みを浮かべながら鼻歌まじりに歩いてきた榊先輩は、りえか会長の瞳孔開いた仁王立ち姿に、


「ひっ!」


 と血相を変え、弾みでごろんごろんとペットボトルをあたりへ転がした。


「榊先輩! お気遣いどうもありがとうございます」


 マジック部もみんな純粋で正直で、決して悪い連中ではない。落ちたペットボトルを嫌な顔ひとつせず拾い上げながら、


「休日は基本登山部の活動ないらしいのに、ゲームルールを教えるためだけに登校してもらっちゃってさ。キャンプめっちゃ楽しみだなあ、俺小学校の野外活動ぶりかも。あ、なんなら涸沢も来る?」


 颯太が善意百パーセントでそう誘ってくるのを、僕は愛想笑いでごまかすしかなかった。



   ×   ×   ×



「面目ない。確かに僕が悪かった!」


 榊先輩はまもなくりえか会長に引きずられ部室を離れ、トイレ前の人目がつかない階段あたりで壁ドン(ドンしているのは手じゃなくて足)を食らい、詰められた。


「あの報告書に事実との相違があったことは認めよう。いくら登山部の本懐が週末にあるとはいえ、律儀に毎週末出かけるというわけにもいかないだろう?」


 その釈明通り、今日は登山部は榊先輩しかいなかった。それならそれで活動日は不定期だと書けば済むものを、活動日数が部費の配当にも少なからず反映されてくる以上、多少は内容を盛っておかなければ安心できなかったのだろう。

 でもね、榊先輩。僕らが問題視しているのは、もはやそんな瑣末ごとではないんですよ。


「良い度胸してるわ、和典てめぇ。合宿日数を増やすばかりか、普段なーんもしてないマジック部が遊ぶぶんまで事務局に払わせようと企んでたの?」

「それは誤解だ、鳩ノ巣さん」


 今以上に冷や汗が似合う男はいない。榊先輩は顔をひきつらせ、何度も何度もハンカチで額を拭いながらりえか会長に媚びた笑顔を続ける。


「増額の件はきみが却下すると言ったから、仕方なく違う手を取ることにしたのさ。マジック部を誘ったのもつい昨日だ」

「わけわかんねーわ。違う手というならまずはキャンプの規模を縮小しなさいよ」

「それでは意味がないんだよ。曲がりなりにも廻谷で登山部を名乗っている以上、僕にはあのキャンプ場を守る義務がある!」


 ついに笑みを消した榊先輩が、いじめっ子に凄まれたいじめられっ子の様相から一変して強気の姿勢に出る。


「鳩ノ巣さん。この件はきみも一抹の責任を負っているんだよ?」

「はあ?」

「身に覚えがないとは言わせない。ただでさえ利用者の減少で経営が危ぶまれているというのに、最近はあの山一帯をサバイバルゲームとかいう幼稚なごっこ遊びに使う野蛮人が出てきたんだ」


 おそらく奥多摩にある『かごもりキャンプ場』の話をしているのだろう。廻谷大の登山サークルの親が経営しているという、例の。

 サバイバルゲームと言ったら、軍人の格好をしたりエアガンの撃ち合いをする、アクティヴなオタクが熱狂的に遊んでいるというアレだろう。廻谷でも今年から新たに『サバゲー部』が立ち上がっていた。

 この後も部室に行くつもりだったけれど、もしかしてなにか関係あるのだろうか。


「特に幅を利かせているのが久山ひさやまくんだよ! それこそ毎週のようにキャンプ場に乗り込んでは、日に日に学内外からメンバーも集めて増やしていってる。鳩ノ巣さんも彼と去年、全国大会に出ていただろう?」

「あれはサバゲーじゃなくてFPSね」りえか会長が訂正を入れる。

「あっちはパソコンゲームだから。外出て鉄砲撃つわけじゃないから。あたしもしいに誘われて、興味本位でちょっとかじってみただけよ」


 クイズでもeスポーツでも、少しかじっただけで全国優勝しちゃうあたりが彼女らしい。

 でもそんな経緯で出場していたのか。元から好きだったとかでもなく。りえか会長もなかなかにアクティヴというか、後輩に誘われた程度で始められるフットワークの軽さには若干見習いたい部分がある。


「で、それがなんだって言うの? まさかキャンプ場に無許可で使ってるわけじゃないでしょう?」

「彼の親父さん、自衛隊上がりで都内にいくつか土地も持ってて、すでに屋内のフィールドでオーナーやってるという話じゃないか」


 榊先輩は怒りに声を震わせ、小ぶりな腹を膨らませた。


「そのオーナーが『鳩ノ巣グループ』から支援金をもらって、あのキャンプ場を買収しようとしているんだ! なあ、由々しき事態だと思わないかい? 登山部はこれでも廻谷の創立から続いてきた歴史ある組織なんだ。もしあのキャンプ場がなくなったらその歴史はどうなる? 活動さえままならなくなってしまうよ!」

「だからって、そのキャンプ場のために学校がお金出せっていうの? 無茶苦茶かよ」

「無茶なものか。きみたち生徒会がサバゲー部を贔屓しているのもわかっているんだ!」


 いやいや、と僕は二人の脇で首を振る。贔屓するどころか、新設された部だから他よりも割り当てられた部費の額はずっと少ないはずだ。

 久山椎夜先輩がそんな経営者の息子だったというのは初耳だけれど、今の話を聞いた限りじゃあ、学校に頼るどころか自分もしくは親の資金と人脈で活動のほとんどを賄えているということじゃないのか。

 りえか会長も心当たりはさっぱりないようで、榊先輩の言いがかりに顔を歪ませた。



「……山もキャンプ場も、他に活動できる場所はいくらだってある。あんたたち登山部は、そこのキャンプ場を使わせてもらっていただけの立場。それ以上もそれ以下もない」


 自分の心を落ち着かせるように一息吐いたりえか会長を、榊先輩は忌々しげに見上げしめっぽい視線で対抗する。


「学生の領分を超えた付き合いをしようとするのはしておきなさい。部活動だって企業だって、いくら歴史が長くても廃れる時は廃れるのよ」

「きみがそれを言うのかい?」


 せせら笑うように鼻を鳴らして、


「確かに盛者必衰は世の常さ。ほんの少しのしくじりや不手際でそれまでの積み重ねが全部パーになる──きみのお父さんみたいにね」


 皮肉めいた口振りに、僕は思わず二人とは反対側の壁にもたれかかっていた背中を起こした。

 今度はなにを言い出すんだ、榊先輩? ヤケを起こした人間はどこまでもなりふり構わなくなるんだろうか。


「あぁん? 学校のせいにするんじゃないわよ。登山部の問題は部長のあんたがどうにかして当然でしょう。報告虚偽の責任を取るのもあんた」

「廻谷はもともと学業よりも部活動に力を入れてることを強みにしていた学校だろう? 前はここまで生徒任せじゃなかったさ。そう、状況が大きく変わったのは……二年前のあの件あたりかな?」


 ちらりと。

 そこまで言うと榊先輩は、なぜか僕の顔色を伺ってくる。観察されていたのは僕自身だったのか、それとも。


「今日は塚本さんはいないんだ。滝口くんはまあどこにいるか察しが付くけど……そうか」


 ハンカチで口元を覆い、訳知り顔でぼそりと呟いた。


「彼女もいよいよ、人様の面倒を見ている場合じゃなくなってきたんだね」

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