第25話 理解してない気持ち

「ねぇ翔利」


「……」


「ねぇ」


「……」


「よし、既成事実をつく……なんでもないです」


 怜央が翔利に手を伸ばそうとしたら、瑠伊に睨まれた事により手を引っ込めた。


 ちなみに翔利は怜央のベッドに手を枕にして寝るように倒れ込んでいる。


「確かに来てとは言ったけど毎日来て項垂れなくてもいいじゃん」


「翔利君にとってはそれだけの事なんですよ」


「そんなに大変なの?」


 翔利の祖母である華が倒れてこの病院に入院した。


 今は意識もあり元気ではあるが、少しの間寝たきりが続いた。


 それから翔利は毎日華の病室の前まで行って怜央の病室に逃げている。


「今は安静にしなきゃですけど元気ではあります。ただ……」


「翔利の事を心配してるの?」


 瑠伊が頷いて答える。


「翔利君の気持ちも少しなら分かります。大切な家族の華さんが入院したんですから、辛いのも。ですけど」


 瑠伊がそう言って翔利の手の上に自分の手をそっと乗せる。


「一度会いましょう。華さんの事が心配なら尚更です」


「……怖いんだよ」


 翔利が今までにないくらいに弱々しい声を出す。


「ばあちゃんは元気な人なんだよ。なのに倒れて入院? いくら元気でも歳には勝てないって事でしょ?」


「そうですよ。華さんも人間なんです。だからこそ、今を大切にしなきゃいけないんです」


 瑠伊自身、大切な家族をいきなり失った過去があるから、優しくも厳しく翔利に言う。


「でも……」


「あんまり駄々をこねると華さんが無理してでも翔利君のところに来ますよ」


「それは駄目」


 翔利が慌てて立ち上がる。


 絶対安静と言われている華が翔利のせいで無理をすると言うのなら、翔利は自分を許せなくなる。


「行けますか?」


「……手は繋いでてくれる?」


「怜央さんどうしましょう。大変な時なのに翔利君が可愛すぎて我を忘れそうです」


「いいからさっさと行きなさい」


 怜央が手で虫を払うように翔利と瑠伊を病室から追い出した。


 翔利と瑠伊は手を繋ぎながら華の病室に向かう。




「やっぱりかえ」


 華の病室の前まで来てまだそんな事を言う翔利を無視して瑠伊は病室の扉を開けた。


「連れて来ました」


「全く。瑠伊さんに迷惑をかけるんじゃないよ」


「……」


 翔利が久しぶりに見る華は元気だった。


 だが、手には点滴が繋がっており、少しやつれたように見える。


 どうやら個室のようで他に人はいない。


「はぁ、翔利。こっち来な」


 ため息をついた華が翔利に向かって手招きをする。


 瑠伊が動きそうにない翔利の手を引いて翔利を華の隣に立たせた。


「少し屈みな」


 瑠伊が翔利の身体を無理やり屈ませる。


 そして翔利と華の目線が合ったところで。


「歯ぁ食いしばんな」


 華はそう言うと翔利が疑問の声を上げる前にデコピンをした。


「くぁ、っ……」


 本当にやばい時は叫び声なんて出ない。


 つまりはそれだけやばい事が起こった。


「痛い、痛いとかで片付かないんだけど。いや痛いんだけど」


「やっと口を開いたかい。分かったろ? 私はまだまだ元気なんだよ。だから翔利が心配する事はないの」


「だからってデコピンは駄目でしょ。ばあちゃんのデコピンはやばいって斉藤さん言ってたよ」


 翔利は華が居ない時に斉藤さんから華の話を少し聞いた。


 斉藤さん曰く、華のデコピンはきゅうりぐらいなら割る事が出来て、りんごには指がめり込むと言っていた。


「今度会ったらお見舞いしてあげようか」


「あ、ごめん斉藤さん」


 口止めされていたのを忘れて話してしまったので、今はどこに居るのか分からないから、窓の外に謝っておいた。


「それじゃあ翔利。話しな」


「なにを?」


「三股について」


 翔利がなんの事か分からないから、瑠伊に説明を求めたがそっぽを向かれてしまった。


「あんた、瑠伊さんがいるのに二人の子とキスしたんだって?」


「あぁ、それね。したって言うかされたと言うか」


 紗良と怜央の二人からキスをされたが、どちらも不意打ちで翔利からしたら不可抗力だ。


「されて嬉しかったんだろ?」


「嬉しい……嫌ではなかった」


 紗良とキスした時は頭がショートして、怜央の時はからかいだと思っていたから何も思わなかった。


 だけど確かに嬉しかったのかもしれない。


「モテるのはいい。だけどそんな事を続けてたら本命には逃げられるよ」


「本命……」


 翔利は無意識に瑠伊の手を握る力を強めた。


「私は翔利の子供を見るまでないんだよ」


「なんでそんな事言うのさ」


 いつもならと言うのに。


「死なないよね。元気なんだよね」


「最近家に居なかっただろ?」


 華が急に話を変えた。


 確かに華は最近家に居る時間が少なかった気がする。


 怜央が来た勉強会の時も居なかった。


「いつもの日課でしょ?」


「それも出来てなかったんだよ。翔利には言ってなかったけど最近はずっと病院通いしててね。もう終わりも近いみたいだよ」


 言われて思い出す。


 華が時折胸を押さえていた事を。


「歳は取りたくないね。いくら走り込んだって、逝く時はいきなりくるんだから」


「ばあちゃんは死なないよ」


「どうしてだい?」


「俺の子供見るんでしょ? 約束する。絶対にばあちゃんに俺の子供を見せるって」


 華が泣き出しそうな顔で「そうかい」と優しく言う。


「これは死ねないじゃないか。あの翔利が子供を作る約束をしてくれたんだから」


「俺が約束したんだからばあちゃんも守ってよ」


「分かってる。後五年は生きるよ」


「……」


 翔利は察してしまった。


 それはつまり、普通にしてたら五年はもたないという事だと。


「約束、だからね」


 翔利の言葉に華が笑顔で答える。


「帰るね」


 翔利はそう言って立ち上がる。


 これ以上ここに居たら泣き出してしまうと思ったからだ。


「そうしな。瑠伊さん」


「分かってます」


 華が瑠伊に視線を送るとそれだけで瑠伊は全てを察したように頷いた。


 そして翔利と瑠伊は華の病室を後にした。


「華さん元気でしたよね?」


「全然だよ。あんな弱気のばあちゃん初めて見た」


 いつもの華なら弱気な発言なんてしない。


 なのにさっきは弱気な事しか言っていなかった。


「ばあちゃんが瑠伊に家事を教え込んだのだってこれを予想してでしょ?」


「最初は違うかもですけど、途中からはそうだったのかもしれません」


 華はずっと自分がいきなりいなくなる事を不安に思っていた。


 もしも翔利が一人になったらどうなるのかが心配で。


「ばあちゃんって後どれぐらい大丈夫なの?」


「華さん次第みたいです。普段のトレーニングのおかげで体力はあるので、数年は大丈夫かもしれませんけど、それも確実とは言えないと」


「そうだよね……」


 今回だっていきなり倒れたのだから、いきなりいなくなる可能性だってある。


 もしもそんな事になったらと考えるだけで翔利は泣きそうになる。


「瑠伊」


「なんですか?」


「結婚しよ」


「……なんで今言ったのか理由を聞いても?」


「だって、ばあちゃんが……」


 華の願い。


 翔利の子供を見る事。


 ずっと言われ続けた事だ。


 翔利はそれを叶えたい。


「華さんが亡くなる前に子供を見せたいと?」


「うん」


「つまり私である必要はないんですね」


 瑠伊がそう冷たい声で言うと繋いだ手を離した。


「私はそんな理由で翔利君と結婚したくありません」


「そんなって……。ばあちゃんの願いは『そんな』なの?」


「華さんの最期かもしれないお願いを適当に叶えたくないだけです」


「何それ? 瑠伊の中ではばあちゃんはもう居ない人なの? それに俺が適当な気持ちでそう言ったって?」


 翔利が瑠伊を睨みつけながら言う。


「病院です。少し静かに話してください」


「答えて。瑠伊はばあちゃんはどうでもいいの? それとも俺がばあちゃんを適当に扱ってるって言ってるの?」


「どうでもいい訳ないですよ。翔利君が華さんを大切に思ってるのも分かってます」


「なら」


「だけど、翔利君は誰の気持ちも理解してません。だからお断りします」


 瑠伊はそう言って一人で歩き出した。


 残された翔利はその場に崩れ落ちた。

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