第23話 自分の心

「久しぶり、二人とも」


 翔利と瑠伊を怜央がそう言った。


 ここは断じて怜央の家ではない。


 ではどこかと言うと、翔利と怜央が入院していた病院だ。


「よくなったって言ってなかったか?」


「言ったっけ? 退院したのは事実だけど、よくはなってないよ」


 思えば確かによくなったとは言われていなかった。


 つまりあの退院はよくなったのではなく、むしろその逆という事になる。


「せめて夏休みまではもってほしかったんだけどね」


「夏休みに何かあるのか?」


「何かある訳じゃないよ。ただ次の秋は迎えられるか分からないって言われてたみたいだからさ」


 怜央は笑顔を崩さない。


 悲しい顔をしたら翔利と瑠伊が気にするのが分かっているから。


 だけどその気遣いはあまり意味がない。


 だって瑠伊はずっと気にしているのだから。


「瑠伊はどうしたの?」


「仲良くしてた同級生がヤバめの入院したら普通はこうなるだろ」


 瑠伊はずっと黙って今にも泣き出しそうな顔で怜央を見ている。


「心配って事?」


「そう」


「心配か……。つまり助からないって思ってるって事だよね」


「違っ、いますよ」


 瑠伊が慌てて否定する。


 これは怜央の嫌がらせではなく、瑠伊の気持ちを少しでも和らげようと言った事だと思う。


「瑠伊が気にする事じゃないよ。瑠伊は何も悪くないんだから」


「でも、私がテスト勉強をもう少し優しく教えていたら、何か違ったかもって……」


「勉強ぐらいで変わらないよ。学校だって無理して行ってたんだから」


「そんなに行きたかったのか?」


 翔利からしたらよく分からない感情だ。


 今は瑠伊が居るから学校も楽しいと思えるが、別にわざわざ行こうと思って行くような場所でもないと思う。


「先が長くないって言われたら、思い出ぐらいは作りたいなって思ってさ」


 怜央が小さく笑いながら言う。


「絶対に助からないと?」


「絶対ではないよ。成功率の低い手術を受けるか、奇跡に頼るか」


 つまりは助かる可能性は限りなく低いという事になる。


「まぁ助かる可能性があるなら悲しむところじゃないよな」


 翔利はそう言って瑠伊の方を見る。


「怜央が気にしないようにしてるのに、こっちが気にしてどうするの?」


「……そうですよね。私が悲しんだところで、怜央さんが元気になる訳じゃないんですよね」


「うん。だから今まで通りにして」


「はい」


 無理やりなのは分かるけど、瑠伊が笑顔になった。


「そういえば、伊藤さんとはどうなったの?」


「お前最近居なかったろ」


「僕には優秀な情報屋を知ってるからね」


「なんで怜央に相談するんだよ」


 翔利が瑠伊の方を見ると、瑠伊がサッと視線を逸らした。


「で、どうなの?」


「別にどうもないよ。毎日抱きつかれるぐらい?」


 紗良にキスをされてから数日が経っているが、あれから紗良が変わる事はなかった。


 むしろスキンシップが激しくなり、意味もなく抱きつかれたり、顔を近づけてきたりする。


 抱きつくのは許せるようで瑠伊は何もしないが、紗良が顔を近づけてくると、瑠伊が物凄い速さで紗良の口を塞ぐ。


「キスのご感想を聞かせて貰っても?」


「二度としないで欲しい」


 紗良が嫌とかではなく、意識が飛んで何も考えられなくなるからだ。


「そんなに良かったの?」


「良い悪いで言うなら良かったよ。もしもそれが……なんでもない」


 思わず本人の前で言ってしまうところだった。


 もしも瑠伊とだったらもっと良かったのかもと。


「ヘタレ」


「何か言ったか?」


「べっつにー。翔利はチキンのヘタレなんて言ってないよー」


「余計なの付いたろ。それより俺は瑠伊に聞きたい事があるけどな」


 翔利が瑠伊に険しい視線を送る。


「病室で修羅場はやめてよ?」


「瑠伊の返答次第かな」


「私が何かしたと?」


「瑠伊が怯えないって事は何の事か分かってるし、それが事実って事だよな」


 普段の瑠伊なら、翔利が隠し事を問う時に謝罪から入る。


 それが無いと言う事は、隠しきりたい事か、翔利への意趣返しの可能性が高い。


「私は別に何もしてないですよ?」


「平と何の悪巧みしてる?」


「何もしてないですよ?」


 瑠伊がポーカーフェイスで返す。


 顔に出さないように意識してるのが分かる。


 つまりは嘘をついている。


「嘘をつくなとは言わないけど、理由はあるんだよな?」


「何もないですよ。ただと仲良くなろうと思いまして」


 翔利の心に何かが刺さった。


「翔利、意識を保て。瑠伊の言ってる事は正しいぞ」


 怜央が翔利の意識が飛ばないように話しかけるが、翔利はあと少し何かがあったら飛ぶ。


 怜央の言う通り、瑠伊のしてる事は何も悪い事ではない。


 むしろそれをさせてるのは翔利のせいだ。


「言い訳は?」


「してもいいですけど、ただ伊藤さんのせいにするだけなら私はやめませんからね」


「……」


 何も言えなくなってしまった。


 瑠伊がしてるのは新と仲良くしてるところを翔利に見せる事。


 つまりは翔利と紗良が仲良くしてるのを見せつけられてる瑠伊が翔利へやり返しているのだ。


 だけどあれは紗良がやってる事で提案した翔利には抵抗できない。


 それに紗良は軽く話しているけど、実際は本当に辛くて仕方ないのかもしれない。


 それを考えたら、紗良の事を拒絶なんて出来ない。


「つまり俺が紗良からの抱擁を拒絶するまで平と仲良くするのはやめないって事か?」


「少し違います。私に絶対の安心をくれたらやめます」


「絶対の安心?」


「翔利には難しい問題だ」


 怜央には何の事か分かったようだけど、翔利には何も分からない。


 安心させるにはまず不安の種がなんなのか分かる必要がある。


 だけど翔利には瑠伊が何を不安に思っているのか分からない。


「私も気づいて欲しいのでヒントをあげます」


「是非に」


「自分の心に聞いてください」


「ノーヒントですか……」


「ほぼ答えなヒントじゃん」


 怜央がそう言うのならヒントなのだろうけど、自分の心に聞けと言われてもそんなの分からない。


「翔利して……今何時?」


 怜央がいきなり慌てた様子で時間を聞いてきたので、翔利がスマホの時計を確認する。


「三時前」


「ならまだ間に合うか。二人とも十分ぐらいデートしてきて」


「なんで?」


「ちょっと見られたくない時間なのと、二人だけで話す時間を……」


 怜央は言ってる途中で表情が暗くなった。


 怜央の視線の先には綺麗な女性が立っていた。


「怜央のお友達?」


「……はい」


 その女性が翔利と瑠伊を見て静かに怜央に聞いて、怜央も静かに答えた。


「お見舞いに来てくれてありがとう」


「いえ」


 とてもいい人に見える。


 見えるのだけど、怜央の反応と一切の笑顔を見せないところに何かを思う。


「怜央、死んだら駄目よ」


「……はい」


 その女性はそれだけ言っておそらく着替えを置いて帰って行った。


「ごめんね。あの人が来る時間を忘れてた」


 怜央が暗い顔からいつものふわっとした表情に戻った。


「いい人って言っていいのか?」


「翔利には分かる? 瑠伊はどう思った?」


 聞かれた瑠伊は自分を抱きながら震えていた。


 おそらく瑠伊の親権代理人だったあの人を思い出したのだと思う。


「あ、あの人、怖いです」


「聞いてこなかったけど、境遇似てるのかな?」


「俺と瑠伊は少し似てるかな。瑠伊が……怜央の母親だよな? を見て似ものを感じたんなら似てるのかもな」


 翔利も違和感はあった。


 怜央を見てるようで怜央ではない誰かを見てるような感覚が。


「伊藤さんも親絡みで何かあるんでしょ? 境遇似てると引かれ合うの?」


「知らないけど」


 もしそうなら新も家族絡みで何かなければいけなくなる。


 何かあるのは確かだけど、新はそういうのを表に出さないからよくは分からない。


「なんか暗くなっちゃった。明日また来てくれる?」


「最初から来るつもりだったよ。瑠伊は来れる?」


 瑠伊が小さく頷いた。


「じゃあ明日話すよ。僕の事とあの人、母親の事」


「無理に話さなくていいけど」


「話させて。そうしたら楽になれるかもしれないから」


 そう言う怜央を見ると、少しだけ震えていた。


「分かった。じゃあまた明日」


「うん」


 翔利は瑠伊と一緒に立ち上がり、病室の扉に向かおうとしたのを止めて振り返り怜央の隣に立った。


「何?」


「ちょっとした自己満足」


 翔利はそう言って怜央の頭を優しく撫でた。


「じゃ」


 そう言って今度こそ呆れたような笑顔を送ってくる瑠伊と一緒に病室を出た。


 だから怜央が一人嬉しくて泣いていたのは誰も知らない。

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