第19話 二人だけの秘密

「翔利君……」


「まだ気にしてるの?」


 翔利と瑠伊が二年生になってしばらくが経ち、今は体力テストをやっている。


 翔利はまだ激しい運動が出来ないので軽く流している。


 それを瑠伊は申し訳なさそうにしている。


「翔利君が万全ならもっとすごかったですよね」


「ちゃんとやればそれなりにいい点取れるだろうけど、俺だよ?」


 翔利は大抵の事に対してやる気がない。


 だからたとえ万全の状態だったとしてもやる事は変わらない。


「一年の時はちゃんとやらな過ぎて理不尽に怒られたからむしろいいよ」


「ちゃんとやらなかったら怒られるものでは?」


「でもさ、一年の最初にやる体力テストでやる気ないのなんて普通は分からないじゃん?」


「それは……なるほどです」


「理不尽でしょ?」


 翔利は『天才サッカー少年』としてテレビに出た事がある。


 そのせいで、体育教師に最初から顔を覚えられていて、手を抜いていたら怒られた。


 翔利はその、自分にだけ手を抜く事を許さない態度に理不尽さを感じていた。


「だから最後まで手を抜いてやったけどね」


「そのせいで成績はギリギリだったんですよね?」


「体育は全部出れば最低限は取れるからね」


 ちなみに手を抜いたと言っても中の上ぐらいでやっていたから、普通に評価されていたら六か七は取れていたはずだった。


「だけど今はやりたくても出来ない状態を作り出せてるから好都合なんだよ」


「作り出すって言っても、本当にまだ本調子ではないですよね?」


「あと少しかかるかな? まぁ治っても当分は言わないで手を抜き続けるけど」


「翔利君が体育で手を抜くのって運動に対する反抗みたいなのですか?」


「……そうかもね」


 翔利は別に学校の授業全てで手を抜いている訳ではない。


 体育以外の教科は普通に取り組んでいる。


「期待……とは違うのかもしれないけど『出来るんだからやれ』みたいな感じに言われるとどうもやる気が失せるんだよね。あの人達を思い出して」


 翔利の言うあの人達とは両親の事だ。


 恐怖を植え付けられたとかそういうのではないけど、嫌な記憶ではある。


「いくらやりたい事がないからって、全部を受け入れる事なかったんだよね。弟が従えばあの人達が肥えていくのもあの時は興味なかったから受け入れてたけど、別にそんな事する必要なかったんだよね」


「でも逆らうのは怖い事ですよ?」


「あの人達からしたら俺がサッカーを辞める事が一番困る事だから逆らってたら逆に従えてたよ」


 あの時の翔利ならそんなめんどくさい事をわざわざしようとはしないだろうけど、今考えてみるとそうした方が楽に生きられた。


 でも多分やり始めてすぐに飽きるのが翔利なのだけど。


「てかあの人達の話はいいんだよ。気分悪くなるから」


「ごめんなさい」


「瑠伊がこれ以上俺の怪我について気にしないなら許す」


「嫌です。気にします」


 瑠伊が翔利の目を真っ直ぐ見つめる。


「私は一生その事を気にして、いつかそれを忘れられるぐらいの事を翔利君にします」


「前は忘れてくれてなかったっけ?」


「忘れたとしても無かった事にはなりませんから」


「瑠伊がそれで納得してるならいいけど」


 瑠伊の気持ちは瑠伊のものだから翔利にとやかく言う筋合いはない。


 だから翔利はその事に関しては静観の構えをする事にした。


「じゃあこの話は終わりね」


「はい」


「そろそろサボってんのバレそうだからちゃんとやる?」


 さっきも言ったが今は体力テストの途中だ。


 そんな中呑気に喋っていられたのは、翔利が早々に身体が痛む事にして上体起こしをギブアップしたので、他の人が終わるのを待っていたからだ。


 ちなみに反復横跳びと立ち幅跳びもギブアップして瑠伊とずっと話していた。


 もちろん瑠伊はちゃんとやっている。


「ただでさえ男女で組むって特例をさせて貰ってますし」


「それを言うならあそこの化け物もでしょ」


 翔利はそう言ってものすごいスピードで身体を起こしている女子を見る。


「伊藤さんの相手をできるのは平君だけですからね」


「確かに本気でやってるのは分かる」


 本気でやり過ぎてたまに紗良は新に頭突きしている。


 それでも新は手を緩ませず更には笑顔を向けている。


「ドMだよなあいつ」


「伊藤さん限定だと思いますけど」


「そこのおサボりさん達」


 翔利と瑠伊が話していたら、そこにボーイッシュな見学者が話しかけてきた。


「サボってんのは俺だけだよ」


「なんて素直な。でも見た感じ、大内さんも佐伯君を心配してる体でずっとここに居ない?」


「そういえば俺、瑠伊のやつ測ってないじゃん」


「バレましたか」


 勝手に瑠伊はちゃんとやっていると思っていたが、思えば翔利が体育教師にできそうにない競技を言って、それをサボっている間は瑠伊とずっと話していた。


「お互いの事しか見えてないんだね」


「それよりお前誰だよ。なんかどっかで見た事ある気がするけど」


 どこかは思い出せないけど、確かにどこかで何回か一瞬だけ見た気がする。


「あ、あの翔利君が人を覚えているんですか?」


「多分失礼な事を言われてるんだろうけど事実だから言い返せない」


「ちなみに大内さんは分かる?」


 瑠伊がボーイッシュな見学者を見て「えっと……」と目をキョロキョロさせている。


「まぁ話した事がある訳でもないからね。僕は波田なみだ 怜央れお。一年の三月にちょっとした病気で一年丸々入院して留年したんだ」


「つまり」


「佐伯君とは同室だったんだよ」


 そこまで言われて翔利も思い出した。


 リハビリに行く時に死んだような顔をしていた人が居た。


 それが怜央のようだ。


「印象深かったけど、印象が違いすぎて分からなかった」


「でもなんとなく分かったんだ」


「それだけ記憶に残る顔してたのと、リハビリの度に見てたからかな」


 それでも翔利が人の顔を覚えるなんて滅多にない事だ。


 おそらく華に言ったら赤飯案件になる。


「えっと、波田さんは年上になるんですか?」


「一応そうだけど、同級生として扱って欲しいな」


 怜央はそう笑顔で言う。


「瑠伊は気にする事あるの?」


「なんでですか?」


「誰にでも敬語じゃん」


「それはそうですけど、気持ちの問題です」


 そこら辺は翔利には分からない感情だ。


 翔利の周りには華以外に敬える相手がいなかったから、基本的に敬語は使わなかった。


 使うとしても相手を煽る時だけ。


「佐伯君も気にせずに……って言わなくてもか」


「気にしろと言われたら気にするけど、しなくていいならこのままで」


「よろしく」


「ところで何か用でも?」


「用っていうか、実は知り合いなんだよって言いに来たのがほとんどだよ。後は、そうだな」


 怜央はそう言って何かを考えだした。


 そして翔利と瑠伊を交互に見てから何かを思いついたようで瑠伊に近づく。


「大内さん。一目惚れしました。僕と付き合ってください」


 怜央はそう言って瑠伊に手を差し出した。


「え?」


「……」


 瑠伊は困惑した表情を浮かべ、翔利は完全に虚無の顔だ。


「僕は本気だよ。どうかな?」


「え、えっと……ごめんなさい」


 瑠伊は頭を下げながらそう言う。


「駄目か。まぁほとんど初対面だしね」


「で、でもお気持ちは嬉しいですよ。その……はい」


 なにを言えば怜央を傷つけないかを考えた末に、何も出てこなかった瑠伊であった。


「これでも顔だけには自信があったんだけど」


「確かに綺麗ですよね」


「……綺麗?」


 瑠伊の言葉に怜央が戸惑ったような顔をする。


「はい。なんて言いますか、上手く言えないんですけど、とにかく綺麗って思いました」


 怜央が驚いたような顔で瑠伊を見つめる。


「どうかしました?」


「いや、奪ってでも一緒に居たい人だなって」


「あ、嘘だったんですか」


「最初は嘘のつもりだったよ。今は本気になりそうだけど。なんで今になって分かったの?」


「だって翔利君が怒らないで静観してるので」


 当の翔利は内心では混乱している。


 内心が混乱してるせいで、顔に出す余裕がないのだ。


「佐伯君は何か言いたい事があるのかな?」


「ある。さっきから体育教師が睨んでるけど、それを無視しても聞きたい事が」


 さっきから体育教師が翔利達を睨んでいる。


 怜央は見学だが、翔利と瑠伊は翔利の身体が危ないから端で出来るやつが始まるまで待っている状態だ。


 それなのに見学者と話しているのだから睨まれるのは分かる。


「ちなみに翔利君って後なにが出来るんですか?」


「ハンドボール投げじゃない?」


 握力と長座体前屈は終わったから、残すはハンドボール投げと持久走だけになる。


 記録を気にしなければハンドボール投げは出来そうだけど、持久走は美味なところだ。


「やらなくていいものはやらないからね」


「翔利君らしいです。お話を止めてすいません」


 瑠伊はそう言って頭を下げてからその場を離れた。


 どうやら体育教師に翔利が何なら出来るのかを知らせに行ってくれたらしい。


「それで話って? 大内さんに手を出すなとか? でもそれは大内さんが魅力的だから仕方ないんだよ」


「それは同意見。だからむしろいいよ」


「あれ?」


「俺が聞きたいのは、そっちなのかどうか」


 翔利の言葉に怜央はぽかんとした顔をする。


「そっちって?」


「いや、だから。女の子が好きなのかって」


「……それってどういう意味? それじゃあまるで僕が同性愛者みたいじゃないか」


「だからそうなのかって聞いてるんだけど」


 翔利のシンプルな疑問に怜央が口を開いては閉じるを繰り返している。


「回りくどかったか。瑠伊にいつも怒られるんだよな。だからさ、波田はだろ、だけど瑠伊に告白してたからそうなのかなって」


「……なんで分かったの?」


「あぁ、ほんとにそっちなのか」


 別に翔利は女子が女子を好きだと言っても気にはしない。


 それはその人の個性なのだから。


 だけど相手が瑠伊なら話が別で、少し難しくなる。


 瑠伊は翔利の視点では女子が好きとかではない。


 だから怜央の気持ちに答えはしないだろうけど、少しモヤつきはする。


 だけど瑠伊に女友達ができるのなら話は変わる。


「瑠伊の友達までなら許すけど、狙うなら俺だって黙って見てな」


「いや、違くてさ。なんで僕が女子だって分かったのか聞いてるの」


「え? なんでって、なんで?」


 翔利にはその質問の意味が分からなかった。


 翔利からしたら怜央は女子だったから。


「ちょっと付いてきて」


 怜央が困惑しながら困惑している翔利を、外に移動し始めているクラスの女子の元に連れて行った。


「あ、怜央君。病気大丈夫なの?」


「うん。運動は出来ないけど、普通に生活するぐらいは出来るみたいだから」


「それなら良かったよ。でも怜央君みたいなかっこいい人と一緒のクラスになれて嬉しい」


「……そうだね」


 怜央はその後に一言二言話して女子と離れる。


「分かった?」


「あいつが人の病気を喜ぶ屑だって事は分かった」


「それは少し思ったけど、違くて。僕の事を君付けで呼んでたのと、僕をかっこいいって言ってたでしょ?」


「別に女子に君付けもかっこいいって言うのもあるでしょ」


 それは男子に可愛いと言ったりするのと同じだ。


 瑠伊だって翔利に言う。


「じゃ、じゃあ。佐伯君は僕を見た時なんて思ったの?」


「初対面の時?」


「じゃあ両方」


「最初は生きる理由を失ったって印象かな。悲劇のヒロイン的な」


 そうは言うが、翔利は悲劇のヒロインがどういう意味なのかはよく分かっていない。


「泣きそう。結構本気だったんだよ?」


「俺はお前の事は知らないから。それで今回は、どこかで見た誰か、かな」


「え、てことは、悲劇のヒロインだと思ったから僕の事を女子だと思ったの?」


「知らない。多分答えとしては勘が一番正しいんじゃないかな」


 翔利だってよく分かっていない。


 怜央は最初から女子だと思っていたのだから、それがなんでか聞かれても答えられる訳がない。


「男として見て欲しいならそうするけど?」


「……いや、佐伯君は僕を女子として見て」


「瑠伊は?」


「気づいたらそうして貰うよ。だからこれは今だけ二人の秘密ね」


 怜央は可愛い笑顔とウインクでそう言う。


「可愛い顔も出来るんだ」


「くっ、僕の女の子の部分が喜んでる」


 怜央はそう言って胸を押さえた。


 そこに瑠伊が戻ってきて「どうしたんですか?」と翔利に聞いてきたので「中二病って病に侵されてる」と適当に答えると瑠伊が「大丈夫ですか!」と本気で心配したので冗談の伝えたら少し本気で叱られた。

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