人身事故は繰り返す

そうざ

Repeated Personal Injury

 私は酒気帯び運転の大型ダンプカーに轢かれた。六歳になったばかりだった。

 両親によると、私は一ヶ月以上、意識不明のまま生死の境をさ迷ったが、先端医療の甲斐もあって奇跡的に一命を取り止めたらしい。

 メディアは大々的に報道した。お陰で、私のもとには全国から励ましのメッセージが届いた。私は嬉しくて仕方なかった。温かいメッセージそのものではなく、周囲の目が以前と確実に違っている事に感動したのだった。それまでの私は地味で影の薄い存在だった。それが一躍注目の的になった。文字通り、私は生まれ変わったのだ。

 でも、熱し易く冷め易いのが世間だった。

 あれだけしつこく付きまとっていた記者やレポーターと称する連中も、日に日に一人減り二人減りと姿を見せなくなった。新聞も雑誌もテレビもラジオもネットも、私を放棄した。

 退院から程なく、私は元の地味で暗い女の子に戻ってしまった。


 もう一度、大惨事に遭い、そして生還すればどうだろう。奇跡の上乗せだ。前にも増して持てはやされるに違いない。

 私は次なる事故を待望するようになっていた。

 一方で、両親は神経質なまでに私の一挙手一投足を注視するようになっていた。常にGPS端末を所持させ、ボディガードに私を見張らせた。

 愛娘を二度と悲惨な目に合わせたくない親心は理解し易い。でも、その時の私は、再び世間の脚光を浴びたいという強烈な思いに完全に憑り付かれていた。


 私は度々街中まちなかの駐車場を訪れた。発車しようとする車を見付けると、ボディガードの隙を突いて車の前に身を晒した。発車直後ならば接触しても大した怪我にはならないだろうと踏んでの計画だ。

 でも、車は決まって寸での所で急停車してしまう。

 計画が失敗する度、両親は烈火の如く私を叱り付け、その後には決まって泣き崩れた。

 それでも、私はくじけなかった。次こそはと起死回生の手段を模索し続けた。


 その日、下校途中の私は国道脇に佇み、行き交う車を物色していた。

 これまでの失敗から導き出した教訓は、命に掛かわらない事故は事故にあらず、というものだった。やるのならば派手でなければ駄目だ。

 やがて、一台のスクールバスが私の視界に入って来た。

 大丈夫、私は強運なのだから――私は素早く車道へ飛び出し、バスに向かって全速力で走った。ボディガードは追い付けない。突然現れた私に、バスはブレーキを掛ける余裕もない。

 タイヤの擦れる音が空間をつんざいた。

 これでまた皆が構ってくれる――アスファルトに身を委ねた私は、静かにほくそ笑みながら意識を失った。


 思惑通り、メディアはこぞってこの悲惨な交通事故を取り上げた。

 大破したスクールバスが事故の凄まじさを物語る。運転手は即死。乗客の幼稚園児は十三名中九名が亡くなり、残りも重症だった。

 当の私は、かすり傷一つ負わなかった。

 前回の事故で身体の大部分を機械化されていた私は、唯の悪役ヒールだった。意図的に人身事故を引き起こした悪質なサイボーグとして、私は改めて脚光を浴びた。

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