第三話 困惑のまゆりん

「まゆりん、一緒に帰ろう?」

「ごめんね、今日は買い物を頼まれてて……」


「まゆりん、学校終わったら、あやのんの家で遊ぼう?」

「ごめーん。今日はダメなんだ……」


「おーい。まゆりーん……」


☆★☆


「最近のまゆりんは、ちょっと変……」


 と、あやのんが言い出すくらいなのだから、私が思ってる以上にまゆりんは変。

 ひょっとして私、避けられてる?


「さくらちゃんだけならともかく、私も避けられてるっぽい」


 パリッと気持ち良い音を立てて、お煎餅を齧る。

 あやのんのお家の、いただき物のお裾分け。

 隅田川のほとりで二人、のんびり川を進む屋形船を眺めながら、ため息をついちゃう。


「私は……まあ、友達に距離を置かれちゃうのは、慣れてるから……」


 芸能人の子供だからって、偉ぶってるとか言われたり。

 逆に、私ではなく、パパと知り合いになりたくて、グイグイと迫って来る子がいたり。

 つき合いきれずに、私の方から距離を置いたりすることもある。

 あやのんや、まゆりんみたいな普通につき合える子って、貴重なのだ。


「私は、慣れてないなぁ……。それに、まゆりんはそういう子じゃないよ……」


 納得できないのか、お煎餅をくわえたまま腕組みする、あやのん。

 あやのんが私に紹介するくらいだもん。

 あっけらかんとしたまゆりんは、私の友達にもなれるって思ってたはず。

 まゆりんは、もともと、あやのんの友達の一人。

 まゆりんの弟が、あやのんの家の剣道道場に通い始めて、その関係であやのんとまゆりんが仲良くなって……。

 五年生になって初めて、まゆりんとあやのん、そして私が同じクラスになった。

 私とあやのんは、いつも一緒にいるものだから、自然とまゆりんも一緒に話すようになって……友達になった。


「やっぱり、みんなの前でパパのお土産を渡したの……失敗だった?」

「仲良くしてるの、みんなも知ってるでしょ。コソコソやって、あとでバレるよりは良いと思うよ。ティーシャツだから、着たらひと目でお揃いだってわかるもん」

 

 私はパーカーの中に来ているティーシャツを見下ろす。

 今日はニューヨークのお土産。こんな感じでいつも着てるから、同じのを誰かが着てれば、すぐにわかっちゃう。

 近所のお店で、売ってるようなものじゃないからね。


「それに……受け取った時から、まゆりんらしくなかったよ」

「あんなに、気にする子だったんだって思った」

「ううん……いつも通りに、あっけらかんと受け取ってくれるはずなの……」


 首を傾げるばかりのあやのん。

 私だって、不思議だよ……。


 おや……あそこを行く自転車は……。


「朝井! どこ行くの?」

「香坂に、大川さん……。何してるの、こんな所で?」


 質問に質問で返すな!

 どうせ、大した用事じゃないのだろうけどさ。


「さくらちゃんと、隅田川を眺めながらガールズトーク中」

「そんな時に声をかけるなよ、香坂!」

「目が合ったのに、無視したら、あとで気不味いじゃない」

「女子の話に首ツッコむのって、男子として気不味いだろ!」


 顔を真っ赤にして、意外と照れ屋なんだ。

 ……あやのんがいるから?


「大川さんと、香坂と一緒に話してる所なんて見つかったら、周りがうるさいんだよ……」

「あの。何とかツートップとかいうやつ? 気にしなければ良いじゃん」

「男子は香坂ほど、単純にできてないの!」


 ……私の扱い、酷くない?

 テイッ! と、脇腹に肘を入れてやる。

 大げさに痛がって、やっと朝井が笑った。


「痛えなぁ……。香坂は女子同士だと遠慮するのに、何で男子相手だと遠慮が無いんだか」

「男子はさくらちゃんパパをカッコいいとは言っても、あまり食いついてこないでしょ? 女子は妬むか、グイグイ来る人が多いから、さくらちゃんも慎重になっちゃうのよ」

「そうか……香坂も意外に苦労してるんだな……」

「面倒くさいよ、女子は……」


 朝井とも、五年生になってからのつき合いだけど、男子の方がさっぱりしててつき合いやすい。

 杉本くんみたいにモテるのは、女子がからんで面倒なんだけどね。


「そんな事を言ってるってことは、話題は鈴本か?」

「ちょっと朝井くん……何か知ってるの? まゆりんの事」


 サラッと言った朝井の言葉に、あやのんが食いつく。

 一歩遅れて、私も。


「最近、まゆりんが変で、私どころか、あやのんの事まで避けてる感じなんで、どうしたんだろう? って話してたんだよ……」

「あぁ……さすがに香坂や大川さんに、直接言うヤツはいないか」


 事の起こりは、パパが来てくれた授業参観日の出来事なのだとか。

 うらら先生から禁止令が出ていたにも関わらず、まゆりんだけがパパのサインを貰っちゃった事にあるらしい。


「でも、アレはまゆりんが頼んだわけじゃないよ? 話の流れで、パパが勝手にサインしてあげちゃっただけだし……」


 ウンウンと頷くあやのん。……だよね?


「……でもそれ、お前たち以外に知ってるヤツっている?」

「うちの母と、まゆりんママかな?」


 首を傾げてあやのん。

 朝井は盛大にため息をついた。


「……で、それを知ってるお前たちは、その後どうした?」

「私は、そのままパパとメロンパン食べに行っちゃった」

「まゆりんとは帰る方向が違うから……母と私は、その場でバイバイしたけど」


 思わず顔を見合わせてしまう。

 事情を知ってる人、いなくなっちゃったね……。

 まさか……。


「じゃあその後、みんなでまゆりんをイジメたわけ?」

「イジメっていうか……母親連中や女子が、羨ましがって、ズルいズルいの大合唱でさ……」

「まゆりんは仲の良い友達だから、一緒にいただけじゃない。ズルいも何もないでしょう?」

「みんながそう簡単に割り切れるなら、香坂だって女子相手に苦労してないだろ?」


 ぐうの音も出ないよ、その言葉。

 それでいつも苦労してるんだから……。

 なんだか、あやのんがキレイな顔をしかめてる。


「その状況だと、次の朝にお土産を渡したのって……ダメ押しになっちゃったかしら?」

「……たぶんな。特に守谷の母親はかなりのファンみたいで、ムキになって詰め寄ってたからなぁ」


 守谷って誰だっけ……?

 あぁ、この間の家庭科でまゆりんと組んでた娘だ。

 あやのんと並ぶワンピース派だけど、シンプルなデザインを好むあやのんと違って、ちょっとロリータっぽいヒラヒラ系の娘。

 その状況で、何でまゆりんと組んでたんだろう?


「大失敗しちゃった……まゆりんに謝らないと」

「大川さんだって、悪気があったんじゃないから……でも、香坂はともかく、大川さんまで避けてるとなると、ちょっと重症かな」

「まゆりんとあやのんは、前から友達だったもんね……」

「さくらちゃんも、そんな顔をしないの。……さくらちゃんが悪いんじゃないから」


 あやのんはそう言ってくれるけど、私がパパのサインを止めるべきだったのかもしれない。

 友達だから、良いよね? って軽い気持ちで見ていたから。

 パパの手を止めるなんて、私にしかできないもん。


「朝井くん、ありがとう。原因がわかったのは大きいわ……。本当に助かっちゃった。まゆりんは私たちで何とかしてみる。その内、何かお礼をするね」

「いいよ、そんなの! ……鈴本と、また仲良しに戻れたらいいな。じゃあ!」


 極上のあやのんスマイルを向けられ、真っ赤な顔して逃げるように、浅井が自転車を走らせた。

 良いヤツなんだけど、こういう所がまだまだだね!


「まずは、まゆりんだね……。二人で謝りに行こうっか?」


 ところが、二人でまゆりんの家まで自転車を走らせたのに、まゆりんはいなかった。

 私たちと遊ぶ約束をしてると言って、どこかに行ったとか……。

 夕方まで待ったけど、まゆりんは帰ってこなかった。


☆★☆


 翌朝、あやのんと見つめ合って、気合を入れて教室に飛び込む。

 手早くランドセルを机に置いて、まゆりん確保!


「まゆりん、ごめんね。授業参観のあと一人にしちゃって!」

「パパが勝手に気を回してサインしちゃったの。まゆりんのせいじゃないのに!」

「え……えぇ……」


 まゆりんの丸い目がビックリ状態。

 あやのんと話し合って決めた、逃げられる前にたたみかける作戦!

 なるべく大きな声で、クラスのみんなに聞こえるように……。

 まずは、誤解をとかないとね!

 なのに……。


「それは別に、どうでもいい事だから……」


 と、硬い声でまゆりん。

 今度は、私達が固まっちゃう番だ。


「あやのんや、さくらちゃんが気にすることは、ないから」

「で、でも……」


 そう呟いたまま、黙り込んでしまう。

 え? え? どういうことよ、まゆりん……。

 立ち竦んだままの私たちの手を、グイと掴んで引っ張る子がいる。


「ちょっと、あなたたち……こっちに来なさい!」

「な、なによ……守谷さん……」

「いいから、来る!」


 ヒラヒラワンピの守谷姫香ちゃんに、強引に廊下に連れ出された。

 とたんに、守谷さんはこれ見よがしに、盛大なため息をついた。


「あなたたち……二人揃って、空気読め無さすぎ……」

「空気読めないって何よ? まゆりんをイジメるのを手伝えってわけ?」


 ボクシングのマネをしながら言ってやる。

 戦う準備はできてるんだから。

 ますます呆れた守谷さんは、ジト目で返した。


「私がまゆちゃんを、イジメるわけ無いでしょう! 私とまゆちゃんは、あなたと大川さんみたいなものなんだからね」

「……幼なじみ?」

「幼稚園に入る前からの、ね。そんな事も知らないで……まったく!」

「ごめん……」


 知らなかった……。あやのんもびっくり顔。

 胸の前で腕を組んで、守谷さんは口を尖らせた。


「それでね……」


 と、守谷さんが言いかけた時、教室のドアがガラッと開いた。

 ヌッと、無表情のまゆりんが出てきてひと睨み。


「姫ちゃんも、もういいから放っておいて。私の事なんだから」

「だって、まゆちゃん……」

「姫ちゃんが悪いわけじゃないの。もちろん、さくらちゃんやあやのんも、誰も悪くない。わからず屋のみんなが悪いだけ……」


 そんな言葉だけ置き去りにして、さっさと教室に戻ってしまう。

 怒鳴るのでもなく、静かな口調が逆に深刻だよ。

 残された私たちは、顔を見合わせて戸惑うだけ。

 しばらく呆気にとられていたあやのんが、ガックリと肩を落とした。


「守谷さんの言う通り、私たちは空気が読めてないみたいね……」

「まゆちゃんのことを心配してくれてるのは、わかるんだけど……」

「じゃあ、守谷さんも手を貸してよ。このままにしておけないもん」


 なのに、パタパタとサンダルの足音が……。

 うらら先生の到着に、話し合いは中断。

 三人は、すごすごと教室に戻るしかなかった……。


 けっきょく、休み時間は教室移動や着替えばかりで、話し合いができたのは昼休みになっちゃった。

 豚肉丼の給食を急いで平らげて、あやのんと合流。守谷さんと中庭の渡り廊下の横のベンチに並んで座る。


「まず最初に、お互いの知ってることを合わせておこう」


 私たちは、パパがまゆりんにサインしてあげちゃった時の事までを説明して、その後のことを守谷さんに聞く。


「新しい友達の香坂さんたちと別れた後、家も近いし、いつも通りにまゆちゃんのお母さんと一緒に帰ろうとしたの。その時に、まゆちゃんがイタズラ半分で、香坂誠也……あ、呼び捨てにしちゃってゴメン。のサインを見せてくれたの。

 私と母が昔から大ファンなの、知ってるから……。悪気が無かったのわかってるし、期待通りに本気で羨ましがっちゃったわけ。……そうしたら」

「まわりのお母さんたちが、ノッて来ちゃった?」


 何度も見てきた風景だから、先回りして私が言う。

 守谷さんも渋い顔をして頷いた。

 まわりから一斉に来られると、びっくりして理性的に話したりできないよね。

 ……てゆうか、守谷さんもパパのファンだったんだ。


「知らなくてごめんね。今度、何かでパパが来た時は守谷さんにも声をかけるね」

「それは嬉しいけど、まゆちゃんの事を何とかしてからにして」

「は~い……」

「……それで、結局イジメみたいになっちゃってる?」

「そこまでは、まだいってないかな……。まゆちゃんに、香坂さんと大川さんがついてるのをみんな知ってるし……」

「「えっ、私たち? ……何で?」」


 思わず、顔を見合わせちゃうあやのんと私。

 自覚してないの? と言いたげに首を傾げて、呆れ顔の守谷さん。


「香坂さんは、それこそ香坂誠也の娘だし、男子に訴えたら、絶対にクラス中の男子は香坂さんの味方をするよ? それだけ男子に信用されてるもの。

 大川さんは、女子に影響力強いでしょ? あまり深く付き合わないけど、真っ直ぐな人だし、優しいから、友だちになりたがってる子は多いの。

 そんなあなたたちだから、ひとつ間違うと逆にクラスで孤立しちゃうもの。今のところ、お互い話しかけないような状態で済んでるのは、その為」


 そう言われても……と、あやのんと二人、ポカンとしてしまう。

 私は、女子とのつき合いが面倒くさい事になるから、距離を置いてるだけ。あやのんも、私と一緒にいることを優先して、他の子とは軽く付き合ってるだけなのにね……。

 クラスでそんなに影響力があるなんて、思ってなかったよ。

 あやのんと、まゆりんと、輪から離れて遊んでるつもりでいた。


「……まあ、何でもまゆりんの為になってるなら良いけど」

「ダメだよ、さくらちゃん。まゆりんは本当ならケラケラ笑いながら、別け隔てなくみんなと仲良くする子だもん」

「私の知ってるまゆちゃんも、そういう子だからね」


 二人から言われて、私もシュンとなる。

 だけどさ……。


「そんな風に影響力が……とか言われちゃったら、動くに動けないよ!」

「だから、困ってるのよ……私だって!」


 声を荒らげて、守谷さんも頭を抱えちゃった。

 パパに来てもらって、クラスでサイン会でもやればいいかな? とも思うけど、もうその段階じゃなくて、もっとこじれてる。


「あやのん……。何か良いアイデアはない?」

「私は……さくらちゃん慣れしてる分、こうならないようにするにはどうするか? って、いつも考えてはいるんだけど……。いざ、となると……」

「まゆちゃんが嫌がるけど、最悪は先生に相談した方が良いのかなぁ?」

「先生が絡むと、後がギクシャクするもんね……」

「うん……」


 大人に無理矢理収めさせられたって気持ちが残って、先生に言いつけた方も、言いつけられた方も、あまり良く思われない。

 それは、最後の手段だよね……。

 どうしようか? と、三人で頭を抱えていたら。


「香坂に、大川さん、守谷さんもここにいたか……」


 息を切らして、杉本くんが走ってきた。

 イケメン男子だけあって、滅多に取り乱したりしないのに、珍しい。


「どうしたの、杉本くん。私に用事? それとも、あやのん?」

「守谷さんも含めて、三人にだよ! 教室に戻って! 女子がキレちゃった!」

「まさか、まゆちゃんの事?」


 うなずく杉本くんに、守谷さんがいきなり走り出した。

 ヒラヒラのワンピースの裾が跳ね上がっても、気にしない勢いで。


「杉本くん、何で急にそんな事になっちゃったの?」

「ずっと鈴本を守ってた守谷さんが、お前と大川さん連れて話をしてるって知って、焦ったんだろうな。

 いきなり鈴本を責め始めて、吊し上げみたいになっちゃって……」

「……何やってるのっ!」


 低く唸ったあやのんの声に、私も杉本くんも慌てる。

 これは、本気で怒ってる。


「誰だって、自分が悪者にされたくないからな……。香坂と大川さんは鈴本の側だって知ってるから、守谷さんが二人に頼んで、一気に解決しようと企んだと思ったんじゃないか?」

「バカみたい!」


 私も気持ちのままに言い捨てる。

 発端はたかが、チラシに書いたマジックインキの落書きじゃない!

 直筆サインは価値があるって言うけど、ウチのクラスに何人、本当にパパのファンだという子がいるんだか。

 ただ、有名人のサインだからって騒いでるだけじゃないの?


「ヤバい雰囲気だったから、男子が手分けして、お前ら探してたんだよ……。やっと見つけられた」

「ありがとう、本当に助かったよ」

「間に合えばいいけどな……」


 あやのんも私も、全速力で階段を三階まで一気に駆け上がる。

 あやのんのワンピがめくれて、杉本くんもさすがに目を丸くするけど、ちゃんと紺色のオーバーショーツを履いてます。

 男子的には、それでも破壊力抜群みたいだけど……。

 杉本くんですら、顔真っ赤だし。


 駆け込んだ五年二組の教室は、静まり返っていた。

 男子は教室の前の方で固まって、呆然と女子の群れを見ている。

 気まずそうにソッポを向いて、教室の後ろに固まった女子達を、ヒラヒラワンピの守谷さんが肩を震わせて、睨みつけている。

 両目から、溢れる涙を拭いもしないで……。


(間に合わなかった……)


 苦い思いを噛みしめる。

 いちばん大事な時に側にいてあげられなくて、何が友達だ……。

 悔しくて、私も泣きそうだよ……。


「……みんな、これで満足なの?」


 声を荒げるでもなく、全く感情の無い声で、あやのんが言った。

 問われた女子たちは、くちびるを震わせるだけで誰も言い返さない。言い返すこともできない。

 これで得意気に何か言われたら、私も爆発してたよ、きっと。


「頭を冷やそうよ。こんな事……誰もするつもりじゃ無かったんでしょ?」


 ポケットからハンカチを出して、守谷さんの涙を拭ってあげるあやのん。

 気まずさだけが教室に漂ってる。

 まゆりんの机を見て、荷物が残っていない事に気づいた。

 教室の後ろの棚にも、まゆりんのランドセルだけが無い。

 あやのんに、その事を目線だけで伝えると、一瞬だけ苦い顔をした。


「明日……みんなでまゆりんに謝ろう。やりすぎちゃった分だけでも」


 女子みんなが渋々頷いてくれた時にチャイムが鳴った。

 みんな渋々、自分の席につく。

 教壇に立ったうらら先生は、ぽつんと一つだけ空いた席を見つめ、小さくくちびるを噛んだけど、何も言わずに授業を始めた。


☆★☆


「大川さん! 香坂さん!」


 次の朝──

 教室に入るなり、泣きそうな顔の守谷さんがしがみついて来た。

 指差す方向には、誰もいない机。

 後ろの棚にも、まゆりんのピンクのランドセルは無い。


「昨日……帰ってからまゆちゃんの家に行ったけど、逢ってくれなくて。手紙だけ渡してもらうようにお願いして……。今朝、集団登校一緒だから、迎えに行ったら……。

『今日は当番だから、先に行った』って言われて……でも……」


 来てないよ……ね。

 あやのんと顔を見合わせる。

 当番なんて何も無いのは、同じクラスの私たちが良く知ってる。

 まゆりん、どこに行っちゃったの?


「守屋さん、どこかまゆりんの行ってそうな所を知らない?」

「訊いてどうするの? さくらちゃん」

「だって、あやのん……まゆりんを探しに行かないと!」

「授業はどうするの? まゆりんの欠席が原因で、さくらちゃんがサボったなんて知れたら、今度こそ、おおごとになるよ?」

「だって……」


 あやのんが必死に我慢してるのに気づいて、私も言葉を飲み込む。

 まだ、ちょっとボタンをかけ違っただけ。

 まゆりんの欠席に気づいた女子たちも、動揺してるのだから、まだどうにかできるはず。


「でも、うらら先生が来ちゃったら……さすがに今日は、まゆちゃんについて何か言うわ……」


 鈴本さんも、気が急いてる。

 先生に知れちゃうと、話が大きくなっちゃう。

 お互いこじれちゃって、ただの『ごめんなさい』も素直に言えなくなっちゃう!


「あやのん……どうしよう?」

「どうしようって言われても……」


 あやのんが、くちびるを噛んだ。

 うらら先生が来るまで、あと五分。

 もう私達にできることは何もないの?

 まゆりんに何もしてあげられないの?


 その時、場違いなほど呑気な呼び出し音が鳴った。


 パパに持たされてるスマホ。発信はパパからだ。

 でも、曜日と時間を違ってない?

 学校じゃ使っちゃダメって約束なのに……。


「パパ! 私、今は教室だよ?」


 つい、電話に出るなり怒鳴っちゃう。それどころじゃないのに……。

 なのに、パパはお気楽な声。


「横に彩乃ちゃんもいるか? じゃあ、スピーカーにしてくれ」

「はい。彩乃です。」

「悪いな、彩乃ちゃん。今日さくらと一緒に、学校をサボってくれないか? 先生にもちゃんと『サボります!』って宣言して、遊びに行こうぜ!」

「何を勝手なことを言ってるのよ! 今はそれどころじゃ……って、あやのん?」


 私がパパに文句を言ってるのに、あやのんは一度置いたランドセルを背負って、もうサボる気満々だ。


「じゃあ、朝礼が終わる頃に校門に迎えに行くからな!」

「待ってよ、パパ?」

「ほら、さくらちゃん。早くサボる準備をして」


 あやのんって、たまに大胆になる……。

 あやのんに急かされるようにして、私ももう一度荷物を背負い直す。

 さっきまで一緒に悩んでいた守谷さんは、もう呆れ顔で私たちを見てる。

 教室中、男子も女子も頭の上に、大きな『?』を乗せたような顔してるよ。


「うらら先生! 大川彩乃と、香坂さくらの二人……今日は学校をサボります!」


 チャイムとともに、教室に入ってきたうらら先生に、高らかに宣言するあやのん。

 びっくり顔の先生は、教室を見回してから、ニヤリと笑った。


「不良娘には、あとで生活指導するからね」


 そう言いながら、黒板の日直の名前の隣に『サボリ 大川、香坂』と書き足す。

 パパのおかげで不良にされてしまった……。

 仕方がない!

 あやのんと一緒だし、覚悟を決めて不良娘になろう!

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