セルリアンブルー

九夏 ナナ

sprinter

 たまに、夢を見る。

 もう、はっきりとは覚えていないはずの、過去を見る。


 天候は、雲一つない快晴だった。

 それはそれは、美しいセルリアンブルー。

 天を遮るものはなく、ビルも、木々も邪魔をしない大空だ。おかげで普段より空が丸い。


 じゃりじゃりじゃりと、蝉の鳴き声。心なしか、普段よりも活発だ。


 太陽はここぞとばかりに大地を焦し、目蓋が開けられない。

 まるで鋭利な刃物のようだ。

 それほどに降り注ぐ光は凶暴で、じりりと、皮膚に紫外線が刺さっているような感触さえする。拍車をかけるように、暑く湿った空気が喉を往来。外からも中からも、体は熱せられていた。


 そんな暑さに耐えきれるはずもなく、全身にはびっしりと汗が噴き出していて、躯体のふちを伝うようにして地面へと垂れてゆく。


 体の異常といえば、もう一つ。気温の変化とは関係ないはずだけれど、どうしてか全身がこわばっている。心拍も、驚くほどに速い。

 かつての僕は、なにかを必死に堪えているようだった。


 目線の先には、びっくりするくらい長く、平坦な道。

 その長さ故か、地面から数センチの蜃気楼がじっくりと観察できる。


 地べたすら———いや、地べたの方が熱いというのに、何故だろう。僕は低姿勢のまま、両手を地につけている。


 ただ一瞬のために、動きを止めて狙いを定めた獣のように、体はぴくりとも動かない。

 ただひたすらに苦しいはずなのに、どうしてか心は高揚している。


「On Your Marks」


 拡声器を通して、男性の声が聞こえた。

 あぁ———そうか。

 封じられた記憶の、蓋が開く。


「Set」


 ほどなくして、次の言葉。

 体はまるで、プログラムされた機械のように、それに合わせて姿勢を変えた。


 懐かしさが、溢れ出す。

 自然と、口角は上がっていた。


 次に、声を発せられることはない。


 バン! と、鼓膜を刺激するような銃砲が鳴り響いたその瞬間、僕はその、ひたすらに長い一本道を駆け出したのだった。


 それはもう、戻れない夏。

 ただ一度だけ、最後に成し遂げられた新記録―――度重なる故障によって姿を消した、無名の短距離走者スプリンターの最後の思い出。

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セルリアンブルー 九夏 ナナ @nana_14

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