声を失くした隣の転入生に「大好き」と言わせるまで、あと……

望々おもち

伝書鳩の芹沢と、喋らずの佐倉さん


 夏は嫌いだ。


 けどもし、休み明けにとびきり可愛い美少女転校生が待ってるのだとしたら、ちょっとは好きになれるのかもしれない。


 ——たとえその女の子が、言葉を喋れない人だとしても。


                *


 僕らの暮らす町の夏休みは、なぜか八月二十日頃に終わる。


 なぜなら僕らの町は日本列島でどちらかというと北に位置するらしいからで、代わりに冬休みが気持ちちょっとだけ長いらしいのだが、年間休日数を合わせても他の都道府県に遠く及ばないのは深刻な不具合だと思う。八月三十一日までが休みという世界線は僕にとってはゲームと漫画の中だけの話だ。

 一体僕たちが何をしたというのか。


 というわけでまだまだ夏真っ盛りの八月二十日に、僕は炎天下とやかましい蝉の声にじりじり焼かれながら、溶けたタイヤのゴムみたいにかったるい表情で四週間ぶりの学校にやってきていた。


 もっとも、校舎に入ったところでうだる熱気がかわることはなく、未来ある子供達にエアコンすら買えない貧乏自治体を恨むだけになるのだが。

 なお文科省によると、全国の公立高校のエアコン普及率は九十六パーセントらしく、なぜ僕らが残り四パーセントに選ばれてしまったのかは、どう首を捻っても理解できない。


 が、そんな僕の恨みつらみを、前の席に座る親友の山田が打ち水みたいに吹き飛ばした。


「おい芹沢。今日転入生くるってよ! それもとんでもない美人の女子らしい!!」


 たった四週間前に見たばっかで懐かしさの欠片も湧いてこない顔を見て、僕はニヒルに笑った。


「あーはいはい、今日はそういう設定ね」


「おい真面目に話してるっつの!」


「夏休み前日の朝に『夏休みにYoutubeにモノマネショート動画あげて一発当ててやる』って嘘こいてたやつの話を信じろと? お前のチャンネルいまだに投稿数ゼロだが?」


「よく覚えてるなそんな昔の話……」


「夏休み短いからな。……にしても、さ」


 僕は、隣にいつのまにか生えてきている机と椅子のセットを一瞥した。


「こんなところに誰かの席あったっけ?」


 僕の知る限り、夏休み前の僕は綺麗な正方形に収まって並んだクラスの面々から一人だけはみ出す形で、窓際の一番後ろの席にいたはずだ。


 おかげで本来はペアでやる英語の教科書の音読を前にいる二人に混ぜてもらいやる羽目になっているが、三十一人という半端な数のクラスにしたお偉い誰かさんへの文句は特にはない。なぜなら他に誰もいない一番後ろは、授業中にこっそりやり忘れた課題を終わらすのに都合がいいからだ。

 なお課題の部分は、スマホゲームのログボ回収や無料ガチャに置き換えても可。


「だから、それが転入生のために用意された机なんだろ?」


「なるほど、三年生も半ばのこんな時期にねぇ……。けど転入生がくる時って『おっ丁度だれだれの隣が空いているな!』って先生が言うのがお決まりじゃん。現実だとそういうのはないってこと?」


「もしそうだとして、今まで誰も座っていない席があることに一切疑問を抱かなかった先生とか嫌すぎるだろ。掃除の時毎回下げるの誰がやるんだよ」


「違いないわ」


 なんて駄弁っていると、小太りの担任が教室にやってきた。

 ずるいことにさっきまでクーラーがんがんに効いた職員室にいたせいか、見る間にじわじわ汗が出てくる様子が面白い。僕たちの苦しみを知るがいい。


「えー、今日は転入生を紹介する」


 僕はおもわず瞬きした。

 どうやら本当に、山田の言った通りらしい。


「さ、入っておいで。佐倉さくらさん」


 教室中の視線がドアに集中する。

 もし美人じゃなかったら山田にいちゃもんつけてやるか、なんて頬杖をつきながらことの顛末を見守っていると、教室の前扉がガラガラと開き。一人の少女が現れた。

 思わず立ち上がりかけて、机の引き出しに膝を強打する。


 ……どうやら山田に謝らなきゃいけないのは僕の方らしい。


 全体的に色素の薄い、病弱そうな体躯。生気はないものの異様に整った顔立ち。

 言ってしまえば、泣く子も黙る美少女だった。


「佐倉さん、自己紹介して」


 三十一人が固唾を飲んで見守る中、名前を呼ばれた佐倉さんはこくりと頷くと黒板に向き直り、白チョークで名前を書いていった。

 下に行くにつれてどんどん斜めに曲がっていく字すら愛おしい。かつかつとチョークが跳ねるたびに肩の上で揺れるボブカットの毛先はもっともっと愛おしい。

 ……もしかして僕は、一目惚れというやつをしてしまったのだろうか?


 佐倉さくらさく、とこれまた芸名みたいに綺麗な名前を黒板に書いた美少女、はこちらに向き直り、うつむいた。


 ……。


 それきり何も言わずに固まってしまう。


 先生が心配そうにおろおろし、手を貸すか悩んでいるようだった。

 けど確かに、緊張するのは分かる。六十二個の目から好奇の視線を向けられれば、誰だって用意してきた言葉の一つや二つは飛ぶ。

 ……けどそれにしても、あの瞳には緊張だけじゃない、恐怖やおびえがあるように見えるのは気のせいだろうか。


 沈黙が続き、教室がざわざわしてきたところで。

 佐倉さんは自分の鞄に震える手を突っ込み、一冊のノートを取り出した。


 それから意を決したようにばっと僕たちに向かって掲げたそのA4の見開きには、信じがたいようなことが書いてあった。



〈私は言葉を話せません〉



 クラスが水をかけたようにしんと静まり返る。ページがぱらりと捲られる。


〈失声症です。声が出せません。みなさんとの会話は筆談になります〉


 山田が振り返って何か反応を求めてくるが、僕だって今はどんな顔をすればいいか分からない。


〈驚かせてしまいまして、ごめんなさい。

 なるべくご迷惑はかけないようにいたします。よろしくおねがいいたします〉


 クラス中が、世界から切り離されたみたいに静まり返った。


 補足をするように、先生が前に出る。


「佐倉さんは今は話せないが、他はみんなと一緒だ。どうか優しく接してあげてくれ」


 それでもクラスは残酷なまでに、しんとしたままだった。


 担任の「おっ、丁度芹沢の隣が空いているな」って冗談みたいな言葉が、空虚に教室に反響した。


                *


 そのあとは夏休み明けということもありいつもより長めのHRがあり、きっとそのおかげでクラスの皆は話を受け入れる余裕ができたのだろう。


「佐倉さんってどこからきたの?」

「失声症? って生まれつきなの?」

「それって言葉自体は理解できるんだよね? 失語症とは違うんでしょ?」

「耳は聞こえる? 僕の声届いてる?」

「今までもずっと筆談で会話してきたの?」

「すっごい可愛いね! ハーフだったりする?」

「てか筆談って言ってたじゃん、ちょっと誰かノート持ってきてよ」

「ルーズリーフでもいいー?」


 隣の席の佐倉さんを囲むように、クラス中が押し寄せてきていた。

 人、人、人の波。


 そんでもって僕は、珍しくいらいらしていた。

 僕の机の周りまで人で埋め尽くされて暑苦しいからではない。もちろん配慮のかけらもない質問をぶつけるこいつらのせいで、だ。


 いくらなんでもデリカシーがなさすぎる。

 本人が話したがっているかどうか確認をする方法すら、今はコミュニケーションの取り方に戸惑いがある状態なのに、これはもう踏み込みすぎだ。


 ちらりと横目で見ると、人の隙間から見える佐倉さんは怖がっているように見えた。

 ペンを握ってはいるが、その指先はぷるぷる震えている。


 気づけば僕は——思い切り立ち上がり、群衆をつき割って、佐倉さんの手を引いていた。


「ちょっと佐倉さん借りるわ」


 ぽかんとするクラスの奴らたち。

 突然のことにびっくりする佐倉さんだが、もちろん声は出なかった。

 わっもきゃっも言わないことに複雑なものを覚えつつ、彼女を連れて学校の屋上に連れていく。ちなみに鍵がかかっていたが、ここで引き返すのは格好悪くて無理やりひっぱったら壊れた。ここは後日怒られる事で勘弁してやろう。


 遮蔽物のない屋上は地上以上にむせるような暑さに支配されていてちょっと後悔したが、大事な話をするのはここしかないと僕は古からのラブコメで学んできている。


 目の前には困惑と戸惑いを瞳に浮かべた佐倉さん。


 僕はそんな佐倉さんに問いかけた。


「さっき嫌だったでしょ?」


 ……。


「あんな質問のされ方してるの見てて、僕が勝手にいらっとしたから連れてきちゃったけど、もしかして迷惑だった?」


 ……ふるふる、佐倉さんは首を振る。


「ならよかった。僕は芹沢なぎ。まあお隣同士ってことでどうぞよろしく」


 こくこく、佐倉さんは頷く。


「……ていうかごめん、慌てたせいでペンもノートも持ってこなかったな。他に意思疎通する手段ってあるの?」


 ……。


 まずったな、これは「はい」でも「いいえ」でも返せない問いだった。


「スマホ持ってる?」


 ……。


 こくこく。


「LINEのQR見せて」


 ……。


「悪いようにはしないって。ペンと紙ないとこじゃ会話不可能だろ」


 ……。


 佐倉さんはたっぷり悩んだ末に、黙ってQRコードを見せてくれた。

 別に失声症を口実に美少女の連絡先を聞き出そうなんて卑劣な真似をしたわけじゃない。ただ今のままじゃ不便なだけだ

 読み込んだ途端、山田からの通知が届く。


〈お前転入生を早々に抜け駆けして手籠にしたクソ野郎だって騒がれてるぞ〉


 僕は〈Shitクソ? 嫉妬の間違いじゃね?〉と返し、改めて佐倉さんを見た。

 たしかに僕がぼろくそに叩かれるのも仕方がないほどの、すごい美人だ。

 これでさらに言葉が喋れないとなると、人形を相手にしているような錯覚さえある。


 ぼんやり美貌に見惚れていると、佐倉さんもこっちをちらりとみて、それからスマホに猛烈な勢いで何かをフリック入力し始めた。

 佐倉さんの指の閃きが止まると同時に、僕のスマホが震える。


〈もっともらしい理由つけて女の子の連絡先を聞き出すなんて、芹沢さんはなかなかヤリ手ですね〉


 僕はもう一度目の前の少女を見る。なんとも穢れなき清純そのものみたいな女の子だ。

 なんというか、毒々しい口調とは無縁そうな。

 ん? 目の錯覚かな?


 また恐ろしく早いフリック入力の後、連絡が来る。


〈もしかして芹沢さんはこの学校のスクールカーストTOPだったりしますか? 私のこと連れてきたのも私が可愛いから取り巻きにしようって算段ですか? あっでもでもそれはやめておいた方がいいと思います、私あなたみたいな冴えない人タイプじゃないので。あーいえ失敬。そもそもカーストTOPなんてそんな見た目じゃあり得ない話でした。〉


「うわ毒舌!! ってかLINEだとめちゃめちゃお喋りだな!!!」


 思わず突っ込む僕。しかし佐倉さんは気にせず、すかかかかかか、と高速フリック入力音を蝉のうざい声の合間に響かせる。


〈喋れない美少女だから大人しくて儚げ清楚系とでも思いましたか? そういう固定観念が病気の人を苦しめるって理解した方がいいと思います〉


「えぇ……いや、だってさっき怖がってたじゃん。手、震えてるし」


〈あれは遠慮のない質問に怒り心頭だっただけです。堪忍袋の尾がキレそうでした。私のこと喋れないからって舐めないでください。それに……筆談だと他の人に見られながらになるから緊張して言いたいこと書けないだけであって、スマホなら誰も覗いてこないから言いたいこと書けるんです。ペンで描くよりフリックの方が早いし〉


 まあ気持ちは分からないでもない。

 どんなに絵が上手いやつでも、「あのキャラ描いてよ!」って見張られながら描くと上手く描けないのと同じだろう。いや、ちょっと違うか?


「いや……なるほどね、びっくりした。けどそれなら尚更クラスの人みんなとLINE交換した方がいいんじゃないか? 筆談よりもいいんだろ?」


〈いやです。仲良くもない人とLINE交換はしたくないです〉


「僕とはしたじゃん」


〈紙もペンもなかったから仕方なくです! いきなりこんなところに連れ出したのはあなたじゃないですか! ……まさかあなたわざと!? 謀りましたね?〉


 じとりと上目遣いで睨んでくる。そんなことされてもちっとも迫力ないどころか、すげー可愛い。

 こんなに可愛いから、下手にLINE交換すると脈ありと見做されたり口説かれたりと問題が多いのだろう。美人は得するっていうが、案外面倒なことも多いのかもしれない。


「謀ってない謀ってない。けど、いくら最低限の意思疎通できるとはいえ、本音言えないってのは辛くないか?」


 ……。

 フリック入力が止まった。


 こくり。

 佐倉さんが頷く。


「そっか」


 思わぬ毒舌を浴びたせいで、ついその辺のクラスメイトの女と接するようにフランクに話しちゃったが、やっぱ、難儀してるんだな。

 そりゃそうだ。僕には喋れない世界など考えられない。


 皿を洗ってるときに妹に「そこのコップ下げてくれる?」と言えないとか。

 カラオケで思う存分好きな曲を歌えないとか。

 そもそも、電話に出られないとか。


 そう思うと、手を貸さずにいられなかった。

 病気への単なる同情心かもしれないし、一目惚れの弱みというやつかもしれない。

 だがそんなことはどうだってよかった。だって今ここに便利に使える男がいるなら、佐倉さんはそれこそ便利にこき使うっきゃないだろ?


「じゃあ佐倉さんはなんか言いたいことあるなら僕にLINEで言いなよ。それを僕が伝書鳩して、目の前にいる失礼なやつに直接声でぶつけてやるから」


 さすがにそれは悪いと思ったらしく、佐倉さんがはんなり眉を下げる。


〈それはあまりにも、芹沢さんに迷惑だと思います。それにいざとなれば私のスマホの画面を見せれば良いので〉


「迷惑じゃないよ。僕佐倉さんのこと好きだし」


 っ……


 鋭く息を呑む音が聞こえる。

 たじろぐように目を見開き、真夏のビーチで割ったスイカみたいに真っ赤に染まった佐倉さんが、何も言えないまま数秒ほど固まり……それから我に返った瞬間、スマホ画面を高速で叩き出した。


 ピロンピロンピロピロピロピピピピピピ……僕のスマホが壊れたように音を鳴らす。


「うわあスタ爆しないで!」


〈ばか! 信じらんない! 出会ってまだ五分なのに! 軽薄! ヤリチン!〉


「女の子がそんな言葉使うなよ……けど五分で始まる恋だってあるの知らないのか? 一目惚れだよ一目惚れ」


 佐倉さんは冷めた目で画面を見下ろし、送信ボタンを押すと同時に、ふんと顔を逸らす。


〈私可愛いから他の人が惚れて当然ですもの!〉


「うわ……すげー自信……」


〈でも、その話は悪くない……かも〉


 僕は文字を読んで、きょとんとする。

 目の前の佐倉さんは、ようやく頬の赤みが落ち着いてきたみたいで、神妙な面持ちで続きの文字を打つ。

 てっきり破談どころか聞く耳持たれないと思ったので、その言葉はあまりに意外だったのだ。しゅぽ、とトーク画面が更新される。


〈けど私見ての通りすっごく毒舌ですよ。それをあなたが代わりに言葉にすれば、あなたも嫌われるかもしれないのに〉


「言いたいこと我慢するよりはいいだろ。どうせ隣の席でいろいろ面倒見ることになるんだ、おまけみたいなもんだよ」


 ……。

 こくり。


〈ありがとうございます。さっきは酷いこと言ってごめんなさい。助けてくれると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします〉


 今日一番、ほのかだけれど綺麗な笑みを浮かべた佐倉さんがそこにいた。


 この日僕は、僕の一目惚れした佐倉さんのために。

 彼女の「言葉」になることを決めた。


                *


 教室に戻った瞬間、針の筵というものは実在したんだなあと僕は震え上がった。

 結局あの後、中途半端に授業をしている教室に戻る気にはなれず、学校案内の名目で佐倉さんを学校中連れまわし、一時間目は完全にサボった。

 すると当然、こうなる。


「おい芹沢ァ! 佐倉さん連れてお前なにしてたんだよ!!」

「抜け駆けかよ死ね!!」

「お前みたいな陰キャはソシャゲの女の子にでもはすはすしてろや!」


 寄ってたかって言い寄る男子どものせいで、ここは一種の地獄だった。

 無表情が多い佐倉さんすらちょっとドン引きしてるのが分かる。多分口が利けたなら「芹沢さんがいなければ自分たちが私の相手してもらえるとでも思ってたんですか? 自分を選べる立場だと思ってるのが痛々しいですね」くらい言ってそうだ。


「いや僕は、隣の席の者として学校を案内するとかですねえ……」


「授業サボってまでやることかよ!! 佐倉さんだって授業出られなくていい迷惑だろ! それに先生もお前に任せるなんてひとことも言ってないだろが!」


 ぐ、正論は止めてくれ。耳に痛い。


「お前なんかじゃなくて俺が案内すればよかったんだ! お前に佐倉さんはどう考えても釣り合わん!」


 言われるがままになっていると、尻ポケットのスマホが鳴った。

 見ると早速、佐倉さんからの連絡だった。

 さっそく頼られてるな、と嬉しくなりつつ、それをそのまま読み上げる。演技力がないゆえに棒読みなのは勘弁してほしい。


「“あなたのお名前なんですか”」


「は?」


「“あなたのお名前なんですか”って佐倉さんが言ってる」


 状況を呑み込むにつれ、目の前の男子の顔が不可解と怒りで染まっていく。


「なんでお前がそんなこと——っもしかして佐倉さんと連絡先交換したのか!?」


「はっふざけんな死ね! ね、佐倉さん僕とも——」


「いや待て、そうじゃないだろ! 名前だよ名前! お前佐倉さんに名前聞かれてる! 興味持たれてるんだよ!」


「っああ!!」


 男は慌てて姿勢を正して佐倉さんに向き直る。


「ぼ、ぼ、ぼくは出席番号二番の石川です! 一月四日生まれの山羊座でA型! ど、ど、どうぞよろしくおねがいしますっ!!」 


 そのまままるでプロポーズの返事を求めるように九十度のお辞儀をして手を差し出す。

 が、ピロンと返ってきたのはなんとも無慈悲な返事だった


「"ちょっと生理的に無理なので近寄らないでもらえますか"」


「あぁ!? 芹沢てめえなんつって……」


「いやだから僕じゃなくて佐倉さんが——」


「は!? なんでもかんでも佐倉さんになすりつけんな! ……ね? 佐倉さん、喋れないことを良い事にこいつが全部てきとうなアフレコしてるんだろ?」


 目の前の佐倉さんはあくまでにっこりだ。


「"じゃあもっとわかりやすい表現でお教えしましょうか?"」


 それだけを僕に言わすと。

 おもむろに掲げた右手を——


 びしり。

 見事なサムズダウンにして、床の方向に突き刺すように動かした。

 絶句、やがて、女子たちによる拍手の嵐。


「ひゅー、すげえ」

 

 と山田。


 石川と名乗ったモブ男は顔面蒼白で、ちーんと石になっていた。石だけに。


 ちらりと佐倉さんの方を見ると佐倉さんはこちらに向けて、なにやら唇を動かす。

『あ』『り』『が』『と』

 声は出なかったが——筆談以外の方法で意思疎通がとれたことが、僕は純粋にすごく嬉しかった。


 なおその後としては、本当に佐倉さんが言っていたという事は僕のトーク画面を見せずとも十分だったらしく、その男子は気分が悪くなり早退。女子からは佐倉さんかっこいい! と持て囃され、僕は早速役に立つ男の証明が叶って、ご機嫌なのであった。


                *


 それからどれくらいの日数がすぎただろう。


 校内でも僕と佐倉さんは一種の名コンビとして名を馳せていた。

 「伝書鳩の芹沢と喋らずの佐倉さん」という愉快な通り名で。


 そうなるに至るまで、僕はそこそこ努力した。

 いつでもどこでもノートやスマホを使えるとは限らない。


 たとえば体育の授業、たとえば中間試験が始まる直前の教室。

 たとえば上映中の映画館、たとえば電波の届かない地下鉄の中。

 たとえば大学の入学試験会場。たとえば卒業式の予行演習中。


 だから僕は、佐倉さんが掌にフリック入力の要領でなぞってくるのを読み取って文章にする、というある意味特殊能力のようなものを努力と練習で手に入れた。

 これなら僕さえ隣にいれば、彼女はスマホがなくても好きなだけ本音を周りにぶつけることができる。


 実際、この努力は大いに役立った。受験勉強を二の次に習得してよかったと思えるほど、佐倉さんはすごく嬉しそうにしてくれた。

 掌をなぞられるのはくすぐったくて変な気分にならないでもなかったが、惚れた男の弱みで我慢はつきものだ。


 そして今日は卒業式だった。

 解散をした後、人生最後の制服姿の僕らは卒業証書の筒を持って、二人で桜の蕾がなる並木道を歩いていた。

 僕はこの日まで、毎日のように彼女の家に迎えに行って一緒に登校してきた。もちろん下校もセットだ。周りの嫉妬などくそくらえ。彼女の「言葉」になるためなのはもちろんだが、なにより佐倉さんと一緒にいたいからだ。

 しかし、そんな便利でお得な口実は、今日を最後に使えなくなる。

 

「今日で最後だな」


 こくり。

 佐倉さんは頷く。


「ずっとこのままがよかったなんてのは、わがままなんだろうな」


 ふるふる。

 佐倉さんは首を振る。


「わがままじゃない、か。佐倉さんも同じこと思ってくれてた?」


〈だって、君は私の言葉でしょ〉


 フリック入力が掌をさよさよ滑る。


「言葉になれなくても、一緒にいたいけどな。僕は」


〈……ありがとうね、今日までずっと〉


「同じ大学に行きたくて頑張ったけど。僕の頭じゃまあ受からないだろうな。合格発表は明日だけど、たぶん落ちてるよ。見たくないなぁ」


〈けど私が見にいくなら芹沢くんはついてくることになるでしょ。入学書類の受け取りのとき喋れないと面倒ですし、事情も話さなきゃならない。なら芹沢くんも実質強制的に、自分の番号を探しにいく事になる〉


「そうだなあ」


〈あなたなら、ぜったい大丈夫だよ。一緒の大学に行ける〉


 絶妙に噛み合わない会話に、僕は足を止める。

 佐倉さんも三歩だけ先に進んだところで、僕に気づいて同じく足を止めて振り向いた。


 こてん、と可愛らしく首を傾げる佐倉さん。三歩も離れていては、掌フリックは使えないのだ。


「……佐倉さん、さぁ」


 こくん。


「僕が佐倉さんのこと大好きってこと、いまだに馬鹿な冗談だと思ってるでしょ」


 ……。


「あの日以来なあなあになってたけど。僕は本気だよ、佐倉さんのこと。すげー好き。大好きだ。なんならあの日より今の方がずっとずっと好きだよ」


 ……。


「付き合いたいし、同じ大学にも行きたい。僕の手で幸せにしてやりたい。声が聞けなくたっていいんだ。僕の隣に佐倉さんがいてくれるだけで、いいんだ」


 ……。


「なんか言ってくれよ、一応今の告白のつもりだったんだけど」


 ……。


 沈黙は、怖かった。

 恐る恐る顔を上げてぎょっとする。

 佐倉さんは両目にうるうると涙を貯めていた。

 なんで、僕が泣かせ——


 なんて思っていると。


「——……ゎ」


 僕はを疑う。

 咲きたての花を行き交う蜜蜂のささやきのように小さな声が、聞こえた——気がした。


「……た…………し、——……は…………」


 ぎこちなく紡がれた音。

 え、今のって……


「佐倉さん、今、声——」


 忘我と僕が指摘すると、佐倉さんははっとして目を丸くし、涙を散らした。


「……喋れた。佐倉さんが、喋れた!!」


 有頂天の僕は、卒業証書と荷物の詰まったリュックを放り出し、叫んだ。

 通りすがりの犬の散歩をしているおばあちゃんや散歩中の夫婦が見てくるのも気にせず、嬉しさを声に乗せて叫びまくる。


「佐倉さんが!! 喋った!!!」


 佐倉さんも自分が信じれてないみたいでそのまま立ち尽くしていたがやがてスマホを取り出し、僕にメッセージを送ってきた。


〈私、喋れたの? 今、喋ったの?〉


「喋ったよ!!」


〈うそみたい。嬉しい〉


「嘘じゃないよ!!」


〈だって私が今あなたに伝えたかったのは……きっと今までの人生で一番、本音で、伝えたかった事だから〉


「告白の返事、してくれるの?」


〈したいけど、文字だと誠意が伝わらないでしょ。だから私は、〉


 それが、僕がその日見た最後の、佐倉さんからのLINEだった。


 視界を、彼女の柔らかな髪がふあっと翻る。


 ノートもペンもスマホも投げ出して。


 佐倉さんは、僕に抱きついてきた。

 そして初めてはっきりと僕の耳朶を、震わす。


「————…………だいすきっ」


 初めて聞いた佐倉さんの声は、桜のように綺麗で。

 僕もまた笑って抱き返しながら、


「すげー伝わったよ」


 そう悪戯っぽく言ってみせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

声を失くした隣の転入生に「大好き」と言わせるまで、あと…… 望々おもち @sakura_miya___

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画