8. 赤の記憶

 カイトは迷っていた。


 バルシーダたちは今、疲れて攻撃を止めている。

 反撃するとしたら、岩の雨が止んでいるこの瞬間しかない。

 今のうちに魔法で攻撃すれば、一気に片付けることができる。


 しかし、カイトはこの状況にとある違和感を感じていた。

 その違和感が拭えず、反撃しようにもためらってしまう。


 日誌では、作業員がバルシーダに岩をぶつけられて怪我をしたと書いてあった。

 ただ、これだけ強力な攻撃を不意打ちで受けて、怪我程度で済むだろうか。


 それに赤い物を見たときのこの異常な凶暴性。何発も何発も岩を発射してくる敵意の強さ。


 戦闘訓練をしていないただの作業員が、生きてバルシーダから逃れられるとは思えない。


 つまり、作業員たちへの攻撃は軽いのに対し、カイトたちへの攻撃はあまりにも強いということだ。

 まるで親の敵のように岩の雨を浴びせるこの攻撃を、なぜ10年前の作業員たちには行わなかったのか。


 それがカイトが感じた違和感だった。


「この10年で何か状況が変わったのか。それとも、俺たちが入ってはいけない領域に踏み込んじまったのか……」


 カイトは、バルシーダが並んでいる場所のさらに奥の空間に目を向けた。


 もしかしたら、バルシーダたちにとって何か重要な物が奥にあり、それに近づかせないようにするために攻撃しているのではないかと考えたからだ。


 その重要な物がある領域にカイトたちは意図せず近づきすぎてしまった。

 ゆえに、まるで縄張りを守る動物のようにバルシーダたちが敵意を向けてきたのだとしたら、説明がつく。


 暗くてよく見えない中、カイトはグッと目をこらした。


 すると、奥の暗闇の中にいくつかの影がちらついているのが見える。


「あれは……もしかして……!」


 カイトが何かに気付いた瞬間、バルシーダたちが再びうなり声を上げ腕を突きつけ、岩を射出してきた。


 降り止んだと思った雨が、勢いを増してカイトに叩き付けられる。

 それらを必死にさばきながら、カイトは叫んだ。


「エニカ、そのノートの続きを読め! 何かあいつらに関するヒントが書いてるかもしれねえ!」


「は、はい!」


 カイトの声にエニカはビクッと体を跳ねさせ、ノートをペラペラとめくり始めた。


 日誌には、バルシーダについてもう少し調べてみると書いてあったはずだ。その後の進展が何かあるかもしれない。


 もしもカイトが感じた違和感が正しければ、この戦いは本当にただただ虚しいだけのものになる。



──────────


『〇〇年 12月22日

 俺はバルシーダについて一つ気になったことがあった。


 それは、なぜ赤色に向けて攻撃するのかということだ。赤色を天敵や危険な何かと勘違いしているのだろうか。

 それを知るためにいろいろ本をあさった結果、その理由がわかった。


 バルシーダは一度に多くの子供を産み、1年ほどで大人に成長するが、その大人のバルシーダだけなら赤色に何の反応も示さないらしい。


 問題は子供だ。子供のバルシーダがそばにいるとき、大人のバルシーダは赤色に向かって攻撃する。

 それは、赤色を見ると子供のバルシーダが激しく泣き叫び、ものの数分で泣き疲れて死に至るからだ。


 子供は特に色に敏感で、赤色を怖がっているのか、自身の体力を全て使い果たすまで泣き続けるらしい。

 親のバルシーダがうまく泣き止ますことができれば一命を取り留めるそうだが、子供の数が多く一斉に泣き出されると、その半数以上が死んでしまうらしいのだ。


 俺はなんともやるせない気持ちになった。俺は仲間たちと笑い合ったあの場所で仲間を傷つけたバルシーダたちを恨めしく思っていた。


 だが、その敵意の裏には子供の命を守りたいという切実な思いが隠れていたのだ。

 彼らは子供たちが無事に成長できるように、必死で赤色を排除しようとしていただけだったのだ。

 彼らにとって赤は、決して存在してはいけない禁忌の色だった。


 この事実を知ることができて本当に良かった。彼らには彼らなりの攻撃する理由があったのだ。

 彼らが地下のマグタイト鉱石に出会わないことを心から願う』


──────────



 カイトは岩を弾きながら、小さく頷いた。


「やっぱりそういうことだったのか……。こいつら、奥にいる子供に俺たちが近づかないように攻撃してたんだ」


 奥の暗闇でちらつく影。

 それは、何かを取り囲むように立っている大人のバルシーダたちだ。

 あの中心にたくさんの子供がおり、赤色を見ないように守っているのだろう。


 その手前で激しくうなりながら攻撃してくるバルシーダたちは、ただ子供の命を守るためだけに腕の砲門をカイトに向けているのだ。


「やっぱり、攻撃しなくてよかったってことだな」


 安堵するカイトの後ろで、エニカがノートを読み進める。



──────────


『〇〇年 12月29日

 最近は雨が多い。大粒の雨が屋根を叩き、一日中家の中に雨音が響いている。


 そんな中、俺は図書館に通い、バルシーダについて調べ続けた。

 彼らの正体もわかったし、子供を守るために攻撃していることもわかった。


 だが、なぜ赤なのか。他の色ではなく、なぜ赤でなければならないのか。それがどうしても気になった。


 この一週間、その答えを探し続けたが結局わからないままだ。

 最後に、20年前の少し古い文献を見つけた。明日これを読んで何もわからなければ、もう諦めようと思う』


──────────


『〇〇年 12月30日

 俺はバカだ。

 どうしようもないバカ野郎だ。


 俺は自分自身を心底恨む。こんな人間が今ものうのうと生きていていいのか。


 今すぐにでもこの命を絶って贖罪をするべきじゃないのか。


 俺みたいなバカでアホでクソったれなやつなんて死んでしまえばいいんだ』


──────────



 急にゼイム・ラートの様子が変わった。

 一体何があったのか。唐突に自身を罵り始める。


 その文字は強く濃く、乱雑に書き殴られていた。



──────────


『〇〇年 12月31日

 今日も雨だ。俺にはお似合いの天気だろう。

 昨日俺は近くの海沿いまで行って崖から飛び降りようとしたが、怖じ気づいて戻ってきてしまった。俺はとんだ臆病者だったらしい。


 昨日、図書館で見つけた古い文献を読んだ。そこには、バルシーダたちの過去の記録が書いてあった。


 20年前、彼らは森の中で暮らしていた。日当たりの良い地形を見つけて、そこで青い空を仰ぎ見ながら平和に暮らしていたという。


 当然と言えば当然の話だ。彼らは人の形をしているが、あくまで植物だ。日光を浴びたがるのは当然の感情だろう。


 だが、その平穏な暮らしは一夜にして失われた。真夜中に山火事が発生し、バルシーダの大半が森と共に焼き払われ死んだのだ。


 暗闇の中、赤々と燃えさかる炎。仲間たちを焼き殺し、無慈悲に大切なものを奪っていくその炎を見て、生き残ったバルシーダたちはどれほどの恐怖を覚えただろうか。


 そして、その炎を安全な場所で見下ろしながら高笑いする人間の姿も見たはずだ。

 その腕に刻まれた赤い鷲のエンブレムも含めてな。


 そう、この山火事を起こしたのはルータス盗賊団だった。

 立地の良いその場所に新たな拠点を作るため、木々と一緒にバルシーダを葬ったのだ。


 その夜、煌々と燃える炎に照らされて光る赤い鷲を見て、バルシーダたちはどれほどの怒りを覚えただろうか。

 自分たちの平和な世界を薙ぎ払った死神の赤。彼らがどれほどの苦痛を味わったのか、俺には想像もできない。


 仲間たちを灰と化した赤い炎に対する恐怖。

 平穏な暮らしを奪った赤い鷲のエンブレムに対する怒り。

 消したくても消せない赤の記憶。


 世代を超えてもなお燃え続ける恐怖と怒りの感情。その辛さは、子供にはあまりにも耐え難い。


 これが、バルシーダが赤を嫌う理由だ』


──────────



 カイトに岩を放つバルシーダたちの目はつり上がり、肩を上下させ息を荒げている。



──────────


『その事実を知ったとき、俺は思い出した。思い出したくもない遠い過去の罪を。


 俺は20年前、20歳の頃、ルータス盗賊団に所属していた。貧乏で、食うのに困って生きるために入団した。


 今は足を洗ったが、あの頃はルータス盗賊団の下っ端として働いていた。

 命令を忠実に実行し、悪いことをたくさんした。あのときの俺はただのバカなガキだった。


 そして、俺がした悪いことの中には、拠点の設置場所を確保するため森に火を付けるというものもあった。

 それが、そこに住まう者たちに決して消えない赤の記憶を植え付けることになるとも知らずに。


 あの高笑いしていた盗賊団の中には、俺もいたんだ。俺が、彼らの仲間を殺し、住む場所を奪い、その記憶を真っ赤に染めた張本人だった。


 大切な人の体が灰になっていくのを見て、彼らがどれほどの悲しみを味わっただろう。

 家族や友人の断末魔を聞いて、どれほどの苦しみを感じただろう。

 その耐え難い苦痛の末に、彼らは赤色から逃れるため、地下で暮らすことを選んだ。いや、選ばされたのだ。


 すべて俺のせいだ。俺が彼らを青く温かく広がる地上の世界から、暗く冷たく狭い地中へと引きずり下ろした。

 本当は空を眺めたいはずだ。緑の木々とともに暮らしたいはずだ。

 そんな彼らを、俺は岩の牢獄に閉じ込めた。日の当たらない暗く深い世界に縛り付けた。


 赤色のないその世界でも、彼らの心の奥には今もなお、恐怖と怒りの炎がメラメラと燃え盛っているだろう。


 今日は年の終わりだが、俺の罪は終わらない。永遠に消えない、消してはいけない罪が俺にはある。


 今さら何ができるわけでもないが、明日、地下への扉を閉ざしに行こうと思う。

 万が一にも彼らが赤いマグタイトのある地下の採掘場に入らないように、その扉を閉じに行く。固く、固く閉ざしに行く。


 俺にはもうそれしかできない。死ぬこともできない臆病な俺は、この罪を一生背負って生きていく。

 いくらこれからの人生をまっとうに生きようとも、俺の足には重い鉄球が付いたまま、永遠にとれることはない。

 それでいい。俺の人生なんてもうどうでもいい。


 だがせめて、彼らだけは幸せに生きてほしい。

 俺が言えた口ではないが、家族や仲間たちと一緒に、幸せに暮らしてほしい。それだけが俺の救いだ。


 俺にそんなことを願う資格がないのはわかってる。だが、どうしても願わずにはいられない。


 ああ神様、どうか、もう何者にも危害を加えられることなく彼らが生きることを許してほしい。


 どうか、もう二度と怖い思いをしないように平穏に暮らしてほしい。


 どうか、どうか、幸せになってほしい。


 赤の記憶を忘れるくらい幸せな未来を、彼らに与えてほしい。

 捧げられるものは何でも捧げる。


 だから、どうか神様、彼らを守ってください。どうか、お願いします。

 彼らの世界を、彼らがこれから進む道を、明るく照らしてください。


 お願いします。

 どうか……お願いします……』


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