「カクヨムWeb小説短編賞2023」いちょうとレクイエム

@rinka-rinka

いちょうとレクイエム

窓から見える一本の銀杏の木から、冬色に染まった葉っぱがはらりと舞う。

強い風が寒波を運び、街をゆく人たちは皆白い息を吐いている。

外はどのくらい寒いんだろう。

私が最後に外に出たのはもう四ヶ月も前だ。

今は暖かいエアコンの効いた部屋のベッドで一人黄昏れている。

「私、どうなっちゃうんだろ。」

これからのことについて考えると、一層気持ちも沈んでくる。

雲ひとつない青空では、二羽のムクドリが楽しそうに飛び回っている。

「ああ、もし私が鳥になれたなら、未来なんて考えずに自由に空を飛べるのかな。」

静寂が辺りを支配する。

この部屋には私以外誰もいない。返事してくれる人なんていない、

そう思っていた。

「よう、かなで!今日も来たぜ。」

あまりにも場違いすぎる大きく明るい声。

昔はあまり快く思っていなかった彼の声。

今は違う。彼がいると私の悩んでいたことなんて吹き飛んでしまう。

そう、今だけ、彼がいるときだけ自分が自分でいられる。

少しだけ、彼の顔に昔の私を重ねた。

私が彼と出会ったのは二年前。

私に辛いことがあって、公園のベンチで泣いていたとき、彼はあの明るい声で私に声をかけてくれた。

最初は面倒だなと思っていた彼の言動が、いつの間にか自分の支えになっていた。

それから、私の気持ちが恋に変わるまでそんなに時間はかからなかった。

それから彼と過ごした時間はかけがえのないものになった。

タピオカを飲んだり、プリクラを撮ったり、水族館に行ったり。

彼といる時間が、当たり前で、なくてはならないものになっていった。

彼に出会ってから毎日が活気に溢れ、明日が来るのが楽しみになったり、彼とのデートが終わると名残惜しくなったりした。

私はいつも笑顔でいられるようになった。

かけるは私の最高の彼氏なんだって、会社の同僚にも自慢した。

そう、昔は良かった。

でも、ある日を境に私はまた笑えなくなった。

ベッドから出られなくなってしまったのだ。それでも、彼は嫌な顔をせず、むしろ笑顔で私のそばにいてくれた。私はもう愛想を尽かされると思っていたのに。

彼は当然だと言わんばかりに、私を愛してくれている。

心から笑えるときは少ないけれど、彼がいることでいつも心が軽くなる。

「なんだよ。俺の顔をジロジロ見てよー。あ、さては俺に惚れたな?」

こうやって元気のない私の前でも、いつものように軽口を叩く彼には感謝してる。

何度も彼の優しさ、明るさ、強さに救われた。

照れくさくて、ありがとうを伝えられていないけど。

「もう、とっくに惚れてるわよ。今日も来てくれてありがとう、かける。仕事は大丈夫?」

「ああ、今日は有給休暇なんだ。だから暇しててさ。てか、惚れてるって相手に直接伝えるのなんだか気恥ずかしいな。」

「なによ、あなたが聞いたんじゃないの。かける、私もう…。」

「何言ってんだよ。これからだろ。かなでと俺のラブラブ生活が始まるんだから。」

ああ、そうだ。これなんだ。私がいつも彼に救われているのは。

私がどれだけ落ち込んでいても、どれだけ悲観的になっていても、彼はいつもいつも変わらない態度で私に接してくれる。

諦めるなよ、頑張れよ、生きたいだろ、彼はそんな言葉をかけることはない。

本当に私のことを理解してくれていると感じている。

「私ね、夢があるんだ。」

「唐突だな。かなでの夢って何だよ?」

「かけるのお嫁さんになること。私もかけるとラブラブ生活を送りたいなって。」

かけるはそれを聞くと、お腹を抱えて笑いだした。

「ああ、面白い。かなでって意外と乙女だよな。」

「ちょっと!意外は余計でしょ。もし私が一年後まだ生きていたら、私をかけるのお嫁さんにしてほしいな。」

「いいぜ。俺のお嫁さんになってくれ。それと、もしはいらん。」

「ふふふ。そっか。これからもよろしくね、かける。何があっても。」

「もちろんさ、何があっても俺はお前のそばにいるからな。」

かけるの言葉を心のうちで反芻する。

何があっても…か。

「大好きだ、かなで。」

「え、何か言った?」

「いいや、なんでもねえよ。」

実は聞こえていたが、恥ずかしかったので聞こえていないふりをしてしまった。

私も大好きだよ、と心のなかで呟いた。


そしてさらに半年が過ぎた。

日に日に終わりのときが近づいているのを実感している。

かけるも毎日私の元へ来て、他愛もない話をしてくれる。

愛を囁きあったりもした。

月日が経っていっても、彼は変わらない。

いつもかけるはかけるだった。

「ほら、ゆっくり食べろよ。お腹に優しくな。」

「うん。わかってる。」

最初は病院のご飯なんて美味しくなかったけど、もう何回も食べたから慣れてしまった。

かけるは笑顔で食事中も見守ってくれる。

私が一人で寂しくご飯食べなくてもすむようにと言ってくれた。

ある日、私が食事中ゆっくり食べず胃腸に負担をかけてしまったときも、ずっとそばで看病してくれた。

かけるがそばにいてくれて、私はいつも元気をもらっていた。

それと同時に、私は何も返すことができないと自分の無力さを嘆いた。


今日はまた検査の日だ。

重い身体を起こして、容態を見てもらう。

「十日目辺りが峠でしょう。」

無機質な声で白衣の先生は言った。

予想はしていたつもりだった。

身体は日に日に衰弱している。

あと、一週間生きられたら僥倖だと思っていた。

けど、いざ死に直面すると怖くなってきた。

程なくしてかけるがやってきた。

「あと、十日も生きられるって。思ってたよりも三日長かった。」

そう言った私の声は震えていた。

「そうか、良かったな。俺もお前といられる時間が三日増えたってことだな。」

かけるは悲しんでいるような声ではなく、いつもどおりの明るい声で言う。

「窓から見える銀杏の木があるだろ。銀杏の花言葉って知ってるか?」

「ううん。知らない。」

「長寿とか鎮魂なんだって。お前が長生きするように、もしくは、お前に万が一のことがあっても安らかに眠れるように、あそこに銀杏の木があるんじゃないのか?なんてな。」

「そうかもね。かけるは私に色んなものをくれるけど、私はあなたに何も返すことができない。私はそれがたまらなく申し訳ないの。」

「いいんだって。そんなこと気にすんな。与えられたから、同じように返さないといけないなんてことないんだ。俺はお前とこうやって会って話したり、笑い合ったりできるだけで嬉しいんだからさ。そうだ、かなで、何かしてほしいことはあるか?なんでもいいぜ。」

「またそうやって私に優しくしてくれるんだから。そうね…うーん、特に思いつかないかな。」

かけるがいてくれるだけで私は満足しているから。

「あ、でもやっぱり一つだけ。十日目は最期のときまで私の手を握っていてほしい。かけるのぬくもりを感じたまま、星になりたい。」

「わかった。お前が安らかな眠りにつくまで、そばで手を繋いでいてやる。」

「ありがとう。じゃあ、また明日ね。」

また明日…か。もうすぐまた明日すら言えなくなるんだね。


十日目を迎えた。

今日は私のベッドの周りに、かけるだけじゃなくてたくさんの人がいる。

かけるはベッドの横で私の手を握ってくれている。

もうすぐ、時計の針は夜の九時を指し示す。

もう僅かばかりの時間しか残っていない。

「かける。今まで私といてくれてありがとう。あなたと出会えてよかった。」

「何言ってんだ。これからも一緒だろ?俺もお前と出会えてよかった。」

「ああ…かける…。」

私はかけるの目尻に光るものを見つけた。

いつも明るく振る舞っていたかけるの、私の前で涙を見せたことがなかった彼の頬にしずくがつたう。それは私達の手に落ちて弾けた。

「あれ…なんで俺…泣いて…。」

「かける。今くらいは泣いてもいいんだよ。誰も笑わないし。」

「…ああ。そうするよ。」

堰が切れたようにしずくが溢れている。

今まで明るく振る舞っていたけど、本当は相当辛かったんだよね。

それを私に悟られたくなくて、あんなに元気な声音で話しかけてくれていたんだね。

「もうすぐ、お別れだね。」

「そうだな。」

「私、お星さまになって、空からかけるを見守ってるね。」

「ああ、ずっと俺のことを見ていてくれ。」

もうすぐ、今日が終わる。

「かける…。」

「何?」

「大好きだよ…。世界で一番…。」

「俺も大好きだ。俺は宇宙で一番な。」

その言葉を聞くと、かなでは微笑みを浮かべながら、ゆっくりと目を閉じた。


今晩は満月が夜空に輝いている。

かなで、お星さまにはなれそうか?

お前なら、あの月よりもきれいに輝けるはずさ。

だって。お前は一人じゃない、俺がそばにいるんだから。


ありがとう、かける。

そんな声が聞こえたような気がした。

最期までかなでは幸せそうだった。

俺もいつまでも泣いてたらだめだな。

俺は袖で涙を拭った。

前を向き、かなでの分まで人生を懸命に歩もう。

「かなで、あとは俺に任せろ。俺たちはずっと一緒だからな。お前と行きたかったところがまだいっぱいあるんだ。さあ、かなで。俺と一緒に行こう。この前お前が俺のお嫁さんになりたいって言ってたし、ウエディングドレスでも見に行こうか。盛大な結婚式を挙げたいもんな。誓いのキスもしてさ。マイハウスを持って、子宝にも恵まれて、幸せな家庭を築こう。一緒に幸せになろう。さて、新婚旅行はどこに行こうか。ハワイ?日本内でもいいぜ。かなでが行きたいところに…」

さっき拭った水滴がまた、溢れてきた。

そうか。俺って意外と弱いんだな。

「かなで、お前の方がよっぽど強いよ…。どうやったらそんなに心が強くなれるんだ?今度教えてくれよ…。」

かなでが言葉を発することはなかった。

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