2.コリント人への第一の手紙、十章十三節

「――その微かに残った剣と甲冑の装飾、貴方はもしやセルジオ様ではありませんか?」


 聞き覚えのある懐かしい声が聞こえる。

 頭を上げ後ろを振り返るとシルベン神父が立っている。

 皺と白髪が増え、声は嗄れているが

 このような惨状でも他者を慈しむ笑みだけは彼にしか出来ないものであった。


「シルベン神父、何故ここにいるのです。」


 理解しきれていない状況を把握する為問いかける。


「貴方が死地を選ぶとするならきっとここを選ぶと、私はその時までずっとお待ちしていました。」


 そう言いながら歩み寄り、冷たくなった息子の頬を撫でる。


「こんなにも若く聡明であったのに、壮絶な旅路だったのでしょう、満身創痍の身でありながらよくぞここまでいらしてくれました。」


 とうに消え去ったと思っていた故郷の暖かさにも似た感覚に、ただ咽び泣いた。


「私は故郷も友も、そして家族も無くしました。もう振るうべき剣など何処にもありません。せめて神の身許へ召す前に、貴方からの御言葉を賜る事が出来れば、最早この世に未練はありません。」


 絶望と安堵の入り混じる声でそう告げると。


「セルジオ様の気持ち、痛い程分かりました。

ですがどうか、少しだけ待ってはいただけないでしょうか。貴方の御父様からの預かり物と、とても大事な話があるのです。」


「父上からの預かり物ですか?」


 再誕者によって帰るべき場所を失った私にとって思わぬ報せであった。

 あの父上から預かっている物だ、余程重要なものに違いない、それを知らぬまま逝くなど死んでも死に切れないと感じたセルジオは、息子を抱え神父と共に教会の一室に向かった。


 蝋燭が微かに部屋を照らし、乳香の香りで満たされた部屋に案内される。死臭に晒され続けた自身の悪臭で穢れる事を心配したが、神父は気にも留めなかった。

 或いは匂いより遥かに重要な話に違いない。

「ネストルフ様をこちらへ、お身体を清めてさせて下さい。」

 少し心惜しそうに息子の亡骸を預け、纏っていた布と衣類を取り、聖水の入った桶で身体を洗い、丁寧に布で包んだ。

 テーブルを挟んで向かい合うように椅子に座り、コップ一杯の水と二つのパンを差し出す。

 久方振りの食事を前に感謝と神への祈りを終えた瞬間、二分も立たずに平らげると、まるで待ちかねていたかのように神父が口を開いた。


「傀儡聖戦の由来はご存知ですか?」

 授業の内容を復習してきたかを聞く教師のような口調で神父が問う。


「ええ、再誕者を間近に見た者が思想も人種も分け隔てなくその力に魅入られ、共に宿願を果たす為に邪智暴虐の限りを尽くすようになる様を傀儡となぞらえた事から名付けられたと。」


「――ではその再誕者は何処から来たのか、こうまで強き力を得たのは何故か」

 神父は羊皮紙に描かれた大まかな大陸の地図を広げ、祖国エルズペスと西の大国ルカサンテ、その間にある小国サンヴェルクを指差した。

 大陸リハルトにおいて、最も信仰されているグノーシア教、二大国間でもワグナー派とドルクシス派で別れる程対立する規模であったが、小国サンヴェルクは正グノーシア教という、聖典原理主義に基づく考えが根付いており、どちらの派閥においても信徒になったのであれば、誰しも一度は巡礼する聖地なのである。

 如何に教派による対立が過激化しようと、この聖地だけは手を出してはならないという暗黙の了解があったのだが、軍事大国ルカサンテが、若き強欲な王ラドヴィアヌスに変わった年から、積極的な領土拡張及び開拓の動きが目覚ましく、サンヴェルクそのものを傀儡国家にする目論見もあった。

「元来サンヴェルクは原理主義に基づき一切の武力行使を行わず、一方で如何なる政治的政略的な要求にも応じない、あくまで聖地としての中立国家という姿勢を貫いていました。」

「しかし対立が激化するにつれ、サンヴェルクの聖遺物と聖体を愚かにも我が物にし、歴史的価値を高めることで、我々ワグナー派を異教徒だと糾弾する動きを見せたのです。」

 非難するかのように、神父はルカサンテを指差す。

「エルズペスもこの非人道行為を容認していたわけではなかったのですが、当時飢饉や蛮族問題などの対処に追われ、十分な対応をする余裕がありませんでした。

 本来再誕者を呼び起こす事は、神と生命への冒涜、ましてや由緒正しき正グノーシア教の聖遺物を使う事など言語道断なのです。

 再誕者に関する行為は、遥か昔に禁忌として禁じられ、方法が記された書物は禁書としてサンヴェルクが厳重に保管していた筈なのですが…。」

 神妙な面持ちで聞いていた、セルジオが口を開く。

「ルカサンテの手先に聖遺物ごと盗まれたか、或いは側近がサンヴェルク国王に、最早禁忌も止む無しと唆したか。」


 神父は目を閉じ心苦しそうに告げる。

「残念ながらその仮説を立証できる人物は、

この世から消え去りました。しかし、確実に断言出来る事があるとすれば、今こうしている間も、再誕者が齎す厄災の霧が広まりつつある事、そして禁忌に対抗するには我々もまた、禁忌に手を染めなければならないという事。」


 そう言いながら神父は簡素な作りの木箱を渡した。


「御父様からの預かり物です。それと伝言も預かっております。」


 箱を開けてみるとグノーシア教の物に、似ても似つかない黒い二つの金属を縦と横に交差させ、釘で磔にされた男のシンボルとそれに連なるように数珠を縄で通した奇妙な物だ。


「私達が祈る時に使うアーシマと良く似ている。

なんですかこれは」


 驚きと疑問を隠せないセルジオに神父は答える。


「――それはこの地にグノーシア教を作り、神を信じ、天に仕え、隣人を愛し敬う素晴らしさを説いた最初の再誕者が遺した聖遺物、ロザリオでございます。」















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