第10話 道具には付喪神が憑くと言いますが

 古来、日本の文化において長らく使い込まれた道具には、長い年月を経ることによって『カミ』が宿るとされています。

 所謂、『付喪神(または、九十九神)』に関するお話しです。

 ちなみに、これら『付喪神』が妖怪ともども徒党を組んで夜中に跋扈する姿が『百鬼夜行』と言われています(諸説あり)。


 閑話休題それはさておき

 さて、人間に長らく愛され続け、やがて数千年以上の歴史を誇る『貨幣』には、一体どのような『カミ』が宿るというのでしょうか?

 まぁ、ロクデモナイが降臨しているような気もするのですが…。


 そうですよねぇ…

 どんなバケモノが『貨幣』にまとわりついているかなどは、もはや語るまでもないのかも知れませんね。

 でも、語らんことには進まんのです(笑


 実際『貨幣』で手に入れられないのは『人間の寿命』ぐらいでしょうから、余程とんでもない『付喪神バケモノ』なんでしょうねぇ。

 何せ人間の欲望と渇望に寄り添って育った『道具』ですから、その怨念やら何やらの凄まじいエネルギーを吸収して…アナ恐ろしきは『人の念』と言ったところでしょうか。


 『貨幣』を見ているだけで『付喪神バケモノ』の輪郭が見え隠れしてくるのも、『貨幣』という道具の特殊性かも知れません。

 『付喪神バケモノ』の姿は、人種、宗教、世界観、言語、価値観…etc と諸々の組み合わせで、千差万別の形態を取るのかも知れませんが、一つだけ言えることは、その姿は『絶対神』に似て非なるものであろう…と思ってしまう。


 こうして考えてみると『貨幣』という『道具』は人間の世界に一番浸透し、我々の生活からは、もはや切り離すことが敵わぬ『モノ』に成り上がっているのですね。

 或いは、このそのものを持って、臨済する『付喪神バケモノ』というのが『貨幣』の実態なのかも知れません。


 いずれにしても、我々はとんでもないものを飼い慣らしているのか、飼い慣らされているのか、そんな事を考えることさえ放棄した上で、『貨幣』と付き合い続けなければならないのかも知れません。


 なんだか「~かも知れません。」が跋扈するお間抜けな話でまとまるのが心苦しいところではあるが、あなたの目に映る『貨幣』という『道具』はどのようなものに見えるのだろうか?

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