第8話 大団円

 少しずつ分かってきた中で、浮かび上がってきた曽根川という男、捜査や聞き込みをしていると、そんなに悪いウワサも聞こえてこない。今のところ、被害者同士の共通点ということで浮かび上がってきただけで、いきなり容疑者として、捜査するわけにはいかなかった。

 それに、彼は当然のことながら、警察に対して、かなり挑戦的な感覚を持っているに違いない。確かに警察に逮捕されるような行動をし、彼が会社を首になったのは、警察は直接的な影響があったわけでもない。

 だが、冤罪を受けた人間であったり、冤罪に近い、つまり彼のように、後ろめたさがあっただけで、実際には犯罪を犯しているわけではない人間を追い詰めたりした警察に対して、そこまでの感情を抱くかということは、その人でないと分からないことであろう。

 そんな状態で、彼が今勤めている会社にいきなり聞きにいくというのも憚るものであり、密かに聞いてみると、一様に、

「仕事はきっちりすることと、まわりの人に気の遣い方も、十分に配慮が感じられ、若いのに、文句をいうこともなく、黙々と仕事に勤しんでいる」

 というのが、まわりの話であった。

 近所のウワサも、おかしなことは聞こえてこない。意見は人それぞれであるが、少なくとも、何かの犯罪に走るというようなことはないという意見が大きかったのだ。

「曽根川という男性の話をする限りでは、この数年で改心したのか、それとも、元から悪い人間ではなく、痴漢騒動としても、本当は騒ぎ立てるほどのことではなく、まわりの騒動によって、収拾がつかなくなった状況で、彼がその中で、一番貧乏くじを引いてしまうことになったのかということも考えられると思います」

 と、捜査会議の中で。一人の刑事がいうと、

「もし、後者だったとすれば、曽根川が、復讐から、今回の事件を引き起こしたと考えられないか?」

 という話をすると、今度は別の刑事が、口を挟んだ。

「これは、今回の事件に関係があるのかどうかよく分からないんですが、彼は、ここ半年くらいの間に、三回ほど大金を下ろしています。50万円単位ですね」

「50万円? 何に必要だったんだろうか?」

「脅迫されているのでは?」

「もし、そうであれば、振り込みということにならないか?」

 と刑事部長がいうと、

「足がつくのを恐れて、脅迫した側は、現金を要求したのかも知れませんと」

 と若い刑事が言った。

「そういうことであれば、脅迫している人間は、一体何をネタに脅迫しているんだろう? 今の仕事を真面目にこなしているということであれば、昔の事件のことを知っていて。それを、何も知らない今の会社の連中に話すというようなことを言われたのだとすれば、今彼は、真面目に働いているということなので、脅迫に応じることはえてしてあるかも知れないですね」

「となると、今回の犯罪と、脅迫されていたかも知れないということと、どうつながるのかな? 被害者のうちのどちらかが、脅迫した人間で、相手を殺すことで、脅迫から逃れようとしたということだろうか?」

「女が単独でそんなことをするとはなかなか思えない。被害があった女たちのバックに誰か、美人局のようなものがついているとは考えられないか? 特に最初の事件での痴漢騒動など、普通であれば、美人局が存在し、あの時は、痴漢犯罪として、露呈してしまったことで、脅迫できなくなったということであれば分かるんだけどな」

 と刑事部長がそういうと、

「あの時の騒動はひょっとするとそういうことだったのかも知れない。つまり、犯人たちは、そこまで騒ぎを大きくする気はなかったが、一応痴漢行為があったことをまわりに知らせる意味で、誰かに女が耳打ちをしたのかも知れない。今自分の身体が触られているとね。そこで、恥ずかしいから大声を出さないでほしいと言おうとしたのかも知れないけど、それを相手の男は聞く耳を持たず、痴漢の現行犯として、大いに騒ぎ立てた。犯人たちにとっては計算外ですよね。騒ぎ立てた人が、勧善懲悪な人間だったのか、それとも、自分が犯人を捕まえたという自己満足に浸りたいと思ったのだ。捕まった男だけではなく、美人局を考えていた方とすれば、完全な計算外、下手に騒がれると、自分たちの計画が水泡に帰すだけではなく、自分たちの立場も一歩間違うと危険に晒されることになる。そうは思わないんでしょうか?」

 と若い刑事が言った。

「なるほど、その考えがあるかも知れないな。そうなると、山口鈴江という女もグルだったということになるのかな? だけど、今の考えでいけば、もし犯人が曽根川だということになると矛盾している気もするな。それに、彼が脅迫される理由もハッキリしなくなってくる」

 と刑事部長は言った。

「ただ、私が一つ疑問に感じているのは、記憶喪失に陥るほどの山口鈴江は、犯人にとって、殺害する気は最初からなかったのではないかということなんですよね。もし、殺害するつもりだったら、最初の一撃が弱すぎるし、それ以上刺しているわけではない。目撃者に見られた時も、ナイフは握っていたが、殺そうという意思はなかったというではないですか? これは、脅迫という意味で考えると、誰かに対してのメッセージではないか? と私は考えます」

「なんだか、話が飛躍しすぎているように思えるが、どういうことが言いたいのかな?」

 と刑事部長は、若い刑事が何を言いたいのか、少し興味を持っているのであった。

「第二の殺人なんですが。第一の被害者との間の関係があまりにも薄すぎやしませんか? 本当に二人を襲った犯人が同一人物なのかと思えないほどですよね? 片方は、殺害する意思はまったくなく、そして、第二の犯罪は、明らかにとどめを刺している。ここは、二人の被害者の共通点を考えるよりも、もっとシンプルに、二人が殺されて、一番得をする人物という、オーソドックスな考え方をするべきではないかと思うんです」

 と、若い刑事は言った。

 確かに、とっかかりの時点で、共通点を見つけてしまったことで、そっちに捜査の目が向いてしまった。

 それがいいのか悪いのか、難しいところであったが、それも無理もないことだった。

 最初の被害者の身元が、なかなかすぐには分からなかったということから、分かった瞬間に、堰を切ったかのように、身元が分かった人間に重きを置いて捜査をしてしまうという傾向になるだろう。

 それを、まさか犯人側が最初から計画していたのだとすると、第一の犯罪は、

「まるで予行演習のようなものだったのではないか?」

 と思えるのだ。

 そして、実際に第二の犯行が起こり、そこでは完全に殺されるということになった。

 いきなり警察も連続的な犯罪だとは思わなかったが、それを考えた時、

「被害者の共通点」

 という考え方が、大きくクローズアップされることだろう。

 しかも、最初の被害者の身元がずっと分からなかったというもどかしさが、捜査員の焦りを生み、完全に犯人によってミスリードされる可能性があったのだ。

 この若い刑事は、考え方は、いつも、王道から離れている。異端児的な考え方をする刑事であり、捜査本部のような場所では、こういう意見を持った人間も貴重になってくることが分かっている刑事部長は、あえて、この刑事を捜査会議に参加させ、表で捜査をさせるよりも、本部にいて、まるで参謀のような働きをさせるように心がけていた。

 彼は、キャリアではないが、頭の鋭さはノンキャリア組でも群を抜いている。刑事部長は、いずれ、捜査本部に、参謀のような人間を作りたいと常々思っていた。そして、それはノンキャリアの人間であるべきだと思っていた。キャリアであれば、当たり前のことだが、ノンキャリアであれば、その経験から、頭の回転を生かすことで、さらに厚みを増した捜査ができ、さらに、キャリア組への刺激にもなると考えていたのだ。彼のような存在は、刑事部長にとっては、

「待ちに待った存在」

 だったのだ。

 今度の事件において、若い刑事の着眼点が最初からよかったのか、定番の捜査では思いもつかないような発想が生まれていく。

 しかし、一本の線が通っているので、異端的な考え方であっても、論理的には、彼の発想も実に的を得ているのだ。

「まるで、探偵のような刑事だな」

 ということで、次第に同僚からも一目置かれるようになる。

 そして、それが、ひいては、

「ノンキャリ組の星」

 と目されるようになった。

 そのおかげで、ノンキャリア組も、彼に倣って、捜査をマニュアルに載っているだけの捜査ではなく、あらゆる可能性を鑑みた捜査をしなければならないというところまで考えるようになったのだ。

 捜査は、彼の意見を中心に進められ、片方では、王道の捜査も行われていた。

 そして、いろいろ分かってくるところもあったのだ。

「やはり。曽根川という男、調べてみると、今回の事件にどこまで関係があるのかを疑問に感じるんですよ。一つには、最初の犯行があった時、彼には完璧なアリバイがあるんだす」

 というではないか。

 もちろん、アリバイ工作も考えて、アリバイ崩しも若い刑事を中心に考えられたが、どうしても崩すことができない。だからこそ、

「完璧なアリバイ」

 という言い方になったのだ。

 そして、若い刑事がいうように、第二の殺人での被害者である、斎藤優美という女性が殺されて一番、得をする人物にもアリバイがあった。目撃者もたくさんいて、防犯カメラの証拠もあった。崩すことは不可能だった。

 ただ、この男には、第一の犯罪の時、アリバイは存在しない。しかも、今度は第一の被害者である。鈴江を一番殺したいと思っている人物に、完璧なアリバイがあった。

「まさか、交換殺人?」

 と若い刑事が言い出した。

 さすがに捜査員は笑った。

「交換殺人というのは、最初に自分の殺してほしい相手を殺してもらえば、今度は自分が犯行を犯す必要がなくなるものじゃないのかな? だって、自分の邪魔者は相手が消してくれたんだからね」

 というと、

「でも、第一の被害者は死んでいないんですよ。しかも、殺す意思がないほどのケガですからね。これは、相手に対しての脅しではないかとも思えるんです。俺は犯罪をやったが、殺したわけではない。このまま放っておくと、お前が被害者が退院してくると、どうなるかな?  と言って脅して、本当に殺してもらいたい相手を殺させるというような手筈を考えていたとすれば、交換殺人という考えも、まんざらでもないと思えるんですけどね」

 と、若い刑事は言った。

 それを聞いて、捜査員は唸った。

「なるほど、彼の言っていることは、理にかなっている」

 と感じたのだ。

「そこで、問題になってくるのが、曽根川という男の存在だよね。彼はこの事件では、第二の殺人をさせるために、利用しようと思ったんじゃないかな? しかも、曽根川は今では真面目に働いていて。かつての事件をバラされることになると、せっかくの今までの努力は水の泡であり、今度挫折すると、さすがに立ち直れないと思うまで追い詰められれば、脅迫にも応じるでしょうね。でも、本当の目的は、交換殺人というものを曽根川の立場からであれば、看破されるかも知れないと考えると、主犯にとっては、曽根川の思考能力を阻止しておく必要がある。つまり、脅迫が本来の目的ではなく、事件にかかわらないようにさせる計画の一つだったと思えないでしょうかね?」

「でも、やつは、前の時の経験があるから、警察に協力しないのでは?」

「もちろん、そうだと思いますが、それ以上に、犯人にとっては、この男が不気味だったのかも知れない。出てきてほしくはないが、警察が彼に疑惑を抱くくらいの状況にはしておきたい。つまり、曽根川の存在は、事件が迷走した時の切り札というか、警察の目を引き付けるだけの相手でいてほしいということだったではないでしょうか?」

 というのだ。

 さらに、

「記憶喪失だった山口鈴江も、本当は途中で記憶は戻っていたのかも知れないが、自分が襲われたことが、なぜなのかということを忘れてしまっていたのかも知れない。それで怖くなって、記憶喪失のふりを続けるしかなかった。記憶が戻ると、自分が余計なことをしゃべらないとも限らないと思ったでしょうね。しかも、犯人側からすれば、彼女の記憶喪失は計算外だっただろうから、もし、計画を忘れてしまって、自分たちに不利なことばかりを思えていて、変なことを言われると困ると考えていたでしょうから、それを思うと、聞く喪失のふりをしていたというのは、実に犯人以外の皆にとってはよかったんでしょうね。おかげで、こちらも犯人像が見えてきたというもので、まさか、交換殺人などという、まるで小説の中でしか起こらないことが、現実味を帯びてくるなど、想像もしていなかったでしょうからね」

 と若い刑事は続けた。

 それを聞いて刑事部長も思わず唸って、腕を強く組むのであった。

 今回の犯罪は、多少の違いはあったが、主に、この若い刑事の推理が真相をついていた。真実かとうかというのは、裏付け捜査の中で明らかになっていくだろうが、さすがに、刑事部長が見込んだだけの若手であった。

 それにしても、今回の事件は、犯人側としても、

「まさか、警察が、探偵小説にしか起こりえないような犯罪が行われるなど、思ってもいないという、一種の裏を掻いた計画だった」

 と言ってもいいだろう。

 うまく裏を掻けるかと思ったは、どこが悪かったのか、若い刑事に言わせると、

「やはり、最初の被害者の傷があまりにも浅かったということ、そして、犯人につなげる、曽根川という男のことを、犯人側があまり調べていなかったということ。そして、第一の被害者である女が記憶喪失になってしまったということ。これは、最初、警察も欺瞞を疑ったけど、でもそれが事実だとなると、今度は記憶喪失が、犯人側からすれば計算外だったこともあって、焦りのようなものが感じられたこと。よくよく考えてみると、計画性としては、犯人側として、かなりずさんだったと思います。それだけ、探偵小説のような犯行がバレることはないとタカをくくっていたのかも知れませんね」

 と、若い刑事は言った。

「それにしても、君はよくこの事件の真相が分かったものだ。さすがに、刑事部長の見込んだだけのことはある」

 と言われたが、

「いやあ、そんなことはないんですよ。実は僕個人でも、この事件のことについて、情報が入ってきていましたからね」

 と彼は言ったが、それを聞いた同僚は、

「どういうことなんだい?」

 と聞くと、まわりは、興味津々の目で見る。

 それを見渡して、ニッコリ笑った若い刑事は、

「ふふふ、企業秘密です」

 と言って笑ったのだ。

「この事件に関しては運がよかったと言ってもいいでしょうね」

 と続けたが、皆、きょとんとしていた。

 事件が解決して、捜査本部が解散されると、皆、元々の部署に戻っていった。

 その時、若い刑事を呼ぶ声が聞こえた。

「杭瀬刑事、今回はお手柄でしたね」

 という声が聞こえた。

 そう、この若い刑事の兄が、この事件の最初から絡んでいた杭瀬であり、この事件において、最初の被害者を病院に連れて行った時に事情を聴かれただけなので、警察もまったくのノーマークだったのだ。

 若い刑事が、兄から、その時の事情を聴いただけなので、皆よりも情報があったわけではないが、杭瀬刑事にとって、閃きとなる情報をうまく引き出せたことが勝因だった。

 次回の事件でも、参謀として、杭瀬刑事が活躍したのは、言うまでもないことだったのだ……。


                 (  完  )

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探偵小説のような事件 森本 晃次 @kakku

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