蓼食う虫も

多田いづみ

蓼食う虫も

 学校でいちばん嫌いな時間、それは給食だ。


 生まれてこのかた、わたしは食べ物をおいしいと感じたことがない。親からは好き嫌いがなく、なんでも食べるいい子だと思われているようだけれど、ぜんぜんそんなんじゃない。

 がまんしているだけで実は嫌いなものが多いだとか、そういうのとも違う。

 わたしは、食べ物はどれもこれも一様に、好きではない。ただ何も食べないと死んでしまうから、しかたなく食べているだけだ。


 食べ物からはいろいろな匂い、味、食感がして、それを、ふうんとか、なるほどとか、思ったりはするけれど、おいしいとか、まずいとか、好きだとか、嫌いだとか、そんなふうに感じたことはない。


 あえて好き嫌いを言うならば、見栄えのよいものは好きだ。色のきれいなもの、かたちの美しいものはそれなりにかれる。

 くだものだとか、ゼリーだとか、ケーキだとか、そうしたデザートのたぐいは、だいたい見た目もきれいだから、興味が湧かないこともない。

 たまには評判のメニューなんかを、友だちとわざわざ遠くまで食べにいったりもする。


 でも気分が高揚するのは、供される瞬間だけ。

 たとえば、一幅の書画のように繊細に盛りつけられた高級なケーキ。

 スポンジや、クリームや、ソースが何層にも積み重なって、とっても手が込んでいる。かたちも現代彫刻のように洗練されていて美しい。色とりどりのソースやら何やらで、お皿に抽象絵画みたいな模様が描かれていることもある。


 そうやって、パティシエが丹精を込めて作りあげたものを食べるときは、なんだか申し訳ない気持ちになる。なんでこんなに美しいものを、壊して食べなきゃならない?

 ずっとそのまま見続けられたらよいのだけれど、まわりからは変に思われるし、けっきょく食べるしかない。せめておいしくいただければ罪悪感も薄まるのだろうが、わたしには何を食べたっていっしょなのだ。

 時間をかけて作った砂の城をって崩すような、憂うつな気分になる。

 

 給食にでてくる食べ物は、そこまで手が込んでいない。見た目もいいとは言えない。でも誰かが栄養のバランスを考え、たぶん心を込めて作ってくれたものだから、食べるときはやはり気まずい。

 友だちは給食を食べながらこれはおいしいだとか、あれは嫌いだとか、いろいろなことを言う。わたしはうんうんと適当にうなずいているけれど、内心はとてもあせる。

 わたしは好きも嫌いもなく、出されたものをただ機械的に咀嚼そしゃくするだけだから、その仮面ががされやしないか心配なのだ。


 食べ物の話は、聞かれても返事のしようがないから嫌いだ。友だちとしゃべっていても、話題が食べ物のことに移ると、わたしは急に無口になるらしい。

 テレビの料理番組だとか、雑誌のグルメ記事だとか、そういうのを見たり読んだりしても、何がなんだかぜんぜん理解できない。

 このままわたしは一生、食べ物がおいしい、好きだ、という感情を知らずに生きていくのだろうか?


 その日わたしは日直で、授業のあと居残って日誌を書いた。職員室まで届けにいくと、先生から教室に荷物を持っていくよう頼まれた。

 荷物は、ダンボールの箱が二つ。片手で持てるくらいのちっちゃな箱で、表には何も書かれていない。


 途中カチャカチャと音がするから想像はついたけれど、教室まで持っていって開けてみると、新品のチョークが入っていた。白いチョークと赤いチョークが一つずつ。


 ごくり。


 一瞬、何かと思ったが、それはわたしの喉が鳴った音だった。

 どうしてそんな気持ちになったのかよく分からない。たぶん新品のチョークの束を見たのがはじめてだったから。そして教室には誰もいなかったから。

 とにかくわたしは、濁りのないそのチョークの白さに、単純にして美しい姿かたちに、抗いがたい魅力を感じた。


 その直後、わたしは自分でも知らないうちに、一本のチョークを手にとり、それをかじっていた。


「うまい!」

 わたしは思わず叫んだ。

 ぼそぼそして味も香りもないけれど、体に染みるうまさだった。固くて歯ごたえも悪いそれを、わたしはひたすら咀嚼した。そして一本を食べ終わるころには、次の一本を手が掴んでいた。


 ぼりぼり、ぼりぼりぼり、ぼりぼり、ぼり――。

 まるでスナック菓子のように、わたしはチョークをかじった。これがおいしいということか! 好きということか! 生まれてはじめて経験する感情に、心も体も沸き立つ。


 わたしはチョークと出会うために生まれてきた、そんな気さえした。このまま食べ続けてなくなってしまったら先生にどう言い訳するのか、そんなことも考えられないほど、わたしは無我夢中だった。わき目も振らずに、チョークをむさぼり食べた。


 そして白のチョークがなくなると、わたしはすかさず、赤いチョークの箱に手をのばした――。

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