第3話 洞窟

 シャリン—

 シャリン—

 シャリン—

 

 真っ黒な空には月明かりはおろか、ただ一つの星影も見当たらない。

 金属がかすかに触れ合うすずやかなが、山深い山林の静謐せいひつ漆黒しっこくの中で微かに響いた。

 その漆黒の闇の中で、凸凹の白い影の行列がぼんやりと浮かんであった。

 それは天上てんじょうを目指す様に、上へ上へとのろのろと進んで行く。

 

 白い影の正体は、崩れこけむした石段をゆっくりと昇る人の列。

 その先頭を行く者が持つ錫杖しゃくじょうが、苔むした石段の上を着くたびにその涼やかな音は踊る様に聞こえて来ていた。


 列に並ぶ者達の背丈は凸凹でこぼことしていて、大人の背丈の者もいれば、その半分にも満たない子供位の背丈せたけしかない者もいた。只、皆が同じ白い着物を着て、同じ顔を隠す白い頭巾ずきんかぶり、その頭をうなれ下に向けながら、決して登る事が容易ではなさそうな急な勾配こうばいの苔むした石段を、のろのろとゆっくりした足取りで進んでいた。中には石段の上に手を着きながら、いつくばる様にしながらも上へと昇って居る者もいるほどだった。

 その行列の背の低い者は、まだ年端もゆかぬ子供の様に見て取れた。その面相めんそうはぶかぶかの白い頭巾に隠されてはっきりと覗くことは出来ないが、その白装束から覗く華奢きゃしゃな手足は、大人のそれとは決して見る事は出来ない。背の高い白装束の者達も、白い頭巾で顔が隠れてその面相を覗くことは出来ないが、そこから見える手足は、色白や日に焼けている者もあるが、細く華奢で肉薄にくうすで、着ている着物のわせからもその者もが女である事は推察すいさつできた。

 皆、足元は裸足はだしであった。

 苔むした石段は夜露よつゆをたっぷりと含みすべりやすく、素足では随分と登りにくそうに見える。

 

 只。

 一言の言葉も聴こえては来ない。

 小刻みで荒い息の音は聞こえるが、その中から悪態あくたいも、非難めいた言葉も聴こえてくることはない。


 只。

 シャリン—

 シャリン—

 シャリン—


 錫杖の金物かなものが踊る様に触れあう音が、重い暗闇の中で涼やかなに鳴る。

 白い行列は黙って真っ暗な暗闇の中を黙々と昇る。

 

 シャリン—

 シャリン—

 シャリン—

 

 どれほどその石段を登った頃だろうか音が止む。

 真っ暗な暗闇の中で白い列の歩みも止まった。

 そして、先頭で杖を持っていた者がゆっくりと振り返り、

「着きました…」

 消え入りそうな声がそう言う。

 矢張りその声は女のそれであった。

 静かで、無感情で、呟くような女の声。

 その声に石段に並ぶ白い頭巾が、ゆっくりと思い思いに上を向く。

 先頭で杖を持つ女は石段の向こうの暗闇へと消える。

 石段で待つ白い着物を着た者達にその先は見えない。

 皆、黙ってそこで待っている。

 その白い着物の胸元のふくらみに手をのせる者や、その前で両手を合わせる者もいるが、皆黙って、真っ暗な上をあおぎ見上げている。


 シャリン—

 

 石段の上で再び錫杖の音がる。

 その音に続いて、

「…行きましょう」

 暗闇の向から先程の女の声が、静かに白い着物の列をうながす。

 白い着物から覗く薄い素足がそれぞれ、一段一段と石段の苔を踏みしめながらゆっくりと、その声を追って昇って行く。

 踏まれた苔からじんわりと透きとおった水がにじみ出て、素足を濡らす。

 急勾配の石段を登り切ったそこには、小さな洞窟が口を開いる。その入り口の手前に錫杖を携えた白い着物の者が立っていた。

 

 その洞窟の口は決して大きくはない。

 その大きくはない口には、太く厚い木の格子こうしが組まれ、その格子にさらに小さな入り口があり、その入り口が今開いていた。

 子供でも身をかがめてようやくくぐれそうな入り口だった。

 その格子の奥は真っ暗な壁の様な闇。

 錫杖をたずさえた女の言葉にうながされ、石段を登って来た白い着物の者達の列が、順番にその暗闇の壁の中に消えていく。

 ゆっくりと。

 黙々と身を屈め。

 膝をつき、その両手を着いて四つん這いになりながら、格子の小さな入り口を潜って行く。

 背の低い者達もそれに習い、入り口を潜って行く。

 随分と難儀なんぎな事のように見える。

 それでも、ゆっくりと、黙々と格子の小さな入り口を潜って行く。

 誰一人、一つの愚痴もこぼすことは無い。

 最後の者が石段を登り切り暗い洞窟に消えると、それを確かめてから錫杖をたずさえた白い着物の者もゆっくりと洞窟の暗闇へと消えて行った。

 

 その後。

 暗闇の壁から、白い二本の腕が現れる。

 その手は開いた格子の入り口を閉める。

 カチャン。

 器用に格子の外側に鍵をかける。

 それの鍵がしっかりと掛かっている事を確かめると、その腕は格子の隙間を滑り、暗闇の壁の中に消えて行った。

 それから、

 

 シャリン—

 

 洞窟の暗闇から、あの錫杖が踊る最後のが、消えてしまいそうなほど小さく聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る