第2話 炎

                   

 紅々こうこうと立ち上る炎の群れが黒い夜空を焼きがす。

 炎を取り囲みあがる奇声。

 その炎と奇声の中で瀟洒しょうしゃな建物が消失していこうとしている。

 建物の名を本能寺と言った。

 

 轟轟ごうごうと音を立て荒れ狂う炎の波の中、静かに向かい合いたたずむ二つの人影。

 一人は痩身そうしん前髪まえがみが残った青年。

 その顔は若い女と見間違えるほどの美丈夫びじょうぶ

 もう一人は首、四肢しし体躯たいくと全てが人並み以上に大きい肌の黒い大男であった。

 青年は白い襦袢姿じゅばんすがたで、小脇こわきに白い布に包まれた何かを大事そうに抱え、黒い肌の男は着物をもろ肌脱ぎ、血に染まったのはがねで出来た棍棒を抱えている。

 痩身の美しい青年は、己より頭一つ以上大きな背の高い、黒い大男を見上げ、黙ったまま頷いた。黒い肌の男は真直ぐに美しい青年を見つめ、その合図に少し目を伏せてから、これも又、黙ったままで頷く。

 二人は互いにそれを確認すると、其々それぞれ別の荒れ狂う炎の壁の中へとその身を投じ消えて行く。




 炎が上げる消失の音と熱はけたたましく夜空に舞い上がり、炎の熱はそれを囲む者達を激しく熱し、その高揚した心をさらたかぶらせ、赤く照らされた夜陰やいんふるわせる勝鬨かちどきは狂気な奇声へ変わり、大地をつ槍と脚のきざ調しらべは乱れ加速していく。


「信長はぁああ何処どこだぁあああ!」

「信長をさがせぇえええ!」

 激しい戦場で、一人の男を探す野太い声が駆け巡る。

 

 吉兆紋きっちょうもんを染め上げた指物さしものが踊り乱れるその最前線に立つ武者姿の老女が一人、眼前の炎をにらみ付けていた。


「光秀様、此処ここは危のうございます、何卒なにとぞ後ろの馬上ばじょうにてお待ちください」

 光秀と呼ばれた鎧姿よろいすがたの老女のかたわらで、膝を突いた老臣が先程から何度もそう嘆願するのを、

「信長様の首はだか」

 その一言だけで、明智光秀あけちみつひでは切り捨てていた。

 その度に、

「信長の首をさがせえぇぇえええっ!」

「信長を逃すなっぁああああ!」

 郎党ろうとう供の怒号が赤い夜空に駆け巡る。

 夜空を焼く、その炎の熱さすらもわからぬ様子で、右手に黒鋼色くろはがねいろをしたを持ち、目の前の炎を睨み付ける光秀は、れた様にその脚を一歩前へと突き出す。それを老臣と近習二人がその胴体にしがみ付き抑えながら、自身の主人にすがりつき訴える。

「光秀様、光秀様!落ち着き下さい!」

「この激しい火の手では、生きて居れるモノなどは居りませぬ!」

 それでも光秀は冷ややかにい捨てる。

「信長様の首は未だか」

 業火ごうかあかりにてられる光秀の面相めんそうは、鬼の様な形相ぎょうそうにも、泣き叫ぶのをえるわらべの様にもみえた。眉間に深い皺を寄せ、大きく眉を吊り上げて鼻の穴が大きく開き、あご一杯に力を込めて、歯を噛み締める。その胸の奥から吐き出しそうになる物を堪える為に閉じた口は、への字に曲がっている。

 現にその目は微かににじんで見える。

 

 黒い夜空を焼く紅蓮ぐれんの炎と消失しょうしつのけたたましい音。

 その炎を囲む色とりどりの鎧武者よろいむしゃ地鳴じなりの様な勝鬨。

 拡がり、ふくれる狂気の祭り。

 その中で絞り出される冷たい呟き。

「信長様は未だか」

 その時、燃え盛る炎の中で本能寺が大きな音を立てて崩れた。

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