白い家(仮)

水都クリス

第1話

あれは私の一番古い記憶


白とベージュとゴールドを基調にしたインテリアの、真っ白なソファの上にママが座って本を読んでいて、パパはその隣でコーヒーを飲みながらクラシック音楽を聴いている。ママもパパもとても綺麗な顔をしているせいで、その風景はまるで一枚の絵のようだった。

ローテーブルの上には結婚祝いでもらったという、ママのお気に入りのウェッジウッドのティーカップセットが美味しそうな湯気を立てている。

パパに

「コーヒー美味しい?」

と聞くと、

「とても苦いよ。一口飲んでごらん」

と言って薦めてくれた。私はそれを一口飲むと、そのあまりの苦さに顔を顰めた。

「なんでパパはこんな苦い物飲むの?」

「美和には少し早かったかな」

と言ってパパは茶目っけたっぷりにウインクした。

「口の中が苦いだろう?クッキーを食べなさい」

パパの言うまま口直しにテーブルの上のクッキーを頬張ると、

「まぁ美和ったら。お行儀が悪い」

ママに嗜められた。


そのママが庭で育てた薔薇が、ダイニングテーブルの中央に、白い花瓶の中に生けられていて、その匂いが部屋中を甘く満たしていた。

私が椅子によじ登って切り花に触れようとすると、ママからお叱りを受けた。

「花は見て楽しむものよ、ベタベタ触るんじゃありません」

パパは

「いいじゃないか、花くらい」

と言って私を庇ってくれたけど、ママはさも嫌そうに眉間に皺を寄せた。

「ダメよ。せっかく咲かせたのに。ここまで綺麗に咲かせるのにどれだけ手間がかかったか。見なさい、庭を」

ママは庭へと私を促した。


庭は芝生が青々と茂り、門扉のすぐ横の庭の出入り口には、白いアーチが設置してあり、そのアーチには見事な赤い薔薇が蔦を這わせていた。花壇にはデルフィニウムやカンパニュラなんかが今を盛りと咲き誇っていた。

「綺麗でしょう?ぜーんぶ、ママが咲かせたのよ」

ママは誇らしげに微笑んだ。私はコクリと頷いた。

「ね?お花が綺麗に咲く為には手間がとてもかかるのよ。肥料をあげてお水をあげて、雑草も抜かなきゃならないし。だからお花を大事にしてね」

「はい、ママ」

その時、花壇にサッカーボールが投げ込まれた。

「わ!ごめん!ママ!」

道路で友達と遊んでいたお兄ちゃんが蹴ったボールが花壇を直撃したのだった。

「もー、しょうがないわね男の子は」

ママはそう言うだけで、ボールをすぐにお兄ちゃんに返した。私はたまらず、

「お兄ちゃん!」

と呼んだ。お兄ちゃんは

「美和、おいで」

と言って両手を広げた。私は裸足のまま庭に降りてお兄ちゃんに抱きついた。

この時の感情を、あの時は言葉にできなかった。でも今なら分かる。ただただ私は寂しかった。ママに冷遇されて、お兄ちゃんと贔屓されて、幼少の頃はこの感情が常に付き纏っていた気がする。

パパは優しかったし、いつもママから私を庇ってくれたけれど、仕事が忙しくて家に居る時間が少なかった。

でも、お兄ちゃんはいつも私のそばにいてくれて、いつも私を守ってくれた。


「美和、どうした?」

お兄ちゃんに聞かれても、うまく言葉にできない私はいつも、

「なんでもない」

と答えるので精一杯だった。

芝生のチクチクした感触が、足の裏にくすぐったい。

「美和ったら裸足のままで…あの子は女の子のに、お行儀が良くないんだわ」

ママの小言も、お兄ちゃんの腕の中では聞こえないフリができた。


ママが気まぐれに歌ってくれる子守唄よりも、お兄ちゃんが私を呼ぶ声の方が落ち着いた。

「美和、大丈夫だからね」

いつものお兄ちゃんのセリフ。

私はこれを聞くと、本当に全てが大丈夫な気がしてくるのだ。全てが、だ。


恐らくお兄ちゃんは、私が母から冷遇されているのに気付いていたんだと思う。

だからこそ、いつも繰り返し〝大丈夫〟と言っていてくれてたのだ。


何故自分がママに冷遇されるのか、その理由は後々分かるようになる。


だが今は、素晴らしき兄の事を語りたい。



これはさっきの記憶よりもう少し新しい記憶。私が五歳か六歳頃だったと思う。

日曜日の公園での事だ。

その公園にはいつも近くの小学校の子ども達が集まっていた。

そこへお兄ちゃんが現れ、

「鬼ごっこする人この指とーまーれ!」

と、人差し指を掲げた。すると、公園中から子ども達が集まってきたのだ。

「やるやるー!」

「やりたーい!」

お兄ちゃんが遊びに誘えば、学年問わず皆んなが誘いに乗ってくる。私はそんなお兄ちゃんを、ブランコに乗って少し遠くから眺める。

何故かって?

「美和も鬼ごっこしようよ」

お兄ちゃんが直々に誘いにきてくれるのを待っているのである。

「美和、すぐ捕まっちゃうからやらない!」

と、こう言えば、お兄ちゃんは

「仕方ないなぁ」

と言いながら、その場に腰を下ろしてくれる。

「ほら、おんぶしてやるから」

すると、私は待ってましたとばかりに、二つ返事でOKすると、お兄ちゃんの背中に飛び乗った。

「しっかり捕まってろよ」

そう言ってお兄ちゃんは走り出した。私を背中に乗せていても、お兄ちゃんは誰よりも速かった。鬼役の子が文句を言うほどに。

「ちぇーっ陽平は捕まらないから面白くないよ」

何を言われてもいい。お兄ちゃんが速いのは事実なのだから。


「美和ちゃんはいいなぁ」

そんな羨望の声も、私には心地よかった。

速い速いお兄ちゃんの背中に乗れば、どこまでも行ける気がした。



そして多分、これは同じ頃の記憶だったと思う。

「陽平、また全教科満点取ったのね」

ママの弾むような声がする。

「たまたまだよ」

「たまたまで毎回満点は取れないわよ。陽平は勉強が出来る子なの。ちゃんと授業を理解してる証拠。理解力が高いのよ」

そう、お兄ちゃんは足が速いだけじゃなく、勉強もできた。

テストが返ってくる度に、ママがあまりにも嬉しそうなので、最初、テストとはママが喜ぶ母の日のような行事なのかと思っていたほどだ。


「陽平君は勉強も運動もできるのに、それを一切鼻にかける事もしませんし、クラスの誰とも仲良くできて、本当に良い子です。クラスをまとめてくれる事も多々あって、大変助かっています」

とは、当時の担任の先生の評価だ。お兄ちゃんの個人面談に私がついて行った時、先生からそう言われたママの顔も、いまだに良く覚えている。

そんな日の夜は、決まってお兄ちゃんの大好物の唐揚げかハンバーグだった。


当時の私はというと、

「美和は6歳になってやっと字に興味が出て名前が書けるようになったのよ。陽平は5歳の時にはスラスラ書けていたのに」

と、真夜中にママを嘆かせた。

「いいじゃないか。人それぞれなんだから。美和は絵が好きなんだから。それでいいよ」

二人の会話を階段の上で盗み聞きしていると、お兄ちゃんがやってきて、私の頭をポンッと撫でて

「もう寝よう」

と言った。お陰でママの

「絵が上手でも将来なんの役にも立たない」

という声は遠くに聞こえた。
















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