八月の虚空

有澤いつき

すべて虚空に消えてしまえ

『選考結果のご連絡』


 この度は弊社の採用選考にご応募いただきありがとうございました。

 ご応募いただいた書類について、社内で厳正なる選考を行い、 誠に残念ながら、今回はご希望に添えない結果となりました。

 ご要望に添えず大変遺憾ですが、何卒ご了承お願い申し上げます。

 末筆にはなりますが、岩崎いわさき様の今後のご活躍を心よりお祈りいたしております。


 こんなメールを、もう何通見ただろう。


 数えるだけでメンタルがすり減りそうだからやめてしまいたいのに、数えることをやめられない。これらのメール一通一通が私に突きつけられた「不要」の烙印だとするならば、それらをいっそかき集めて自分が世の中にとって不必要だという証左にでもしてしまいたい気分だった。

 それでも、もう書類選考で落とされるのなんて慣れっこだ。まったく傷つかないと言ったらウソになるが、面接に進んで変に期待を持たされてから突き落とされるよりはずっと良い。メール一通で終わってしまう関係というのもお互い気楽でいいんじゃないだろうか。全然よくないけれど。


 新卒で入った会社がいわゆるブラックで、長時間労働が当たり前の環境だった。このまま長く働けるビジョンが見えなかった私は勤務して三年のタイミングで退職しかれこれ五ヶ月、現在まで転職活動を続けている。


 当たり前だけど初めての転職で右も左もわからないから、とりあえずハローワークに通って応募する仕事を探していた。窓口の人の親切だか淡白だかわからない助言に従いつつ、履歴書と職務経歴書を送ってみた。

 大体十社くらい送っても面接にこぎつけることができなかったから、不安になった私は転職エージェントなるものも追加で登録してみた。男性エージェントと一緒に書類を練り直し、「とにかく応募してみることです」という助言なのかも最早わからない言葉に従って片っ端から応募ボタンを押していく。サイトを通しての応募だから履歴書や職務経歴書をいちいち手書きしなくていいのが楽だった。そのぶん、募集もたくさんあるんだろうから、書類選考で落とされるものも数が比じゃない。応募したうち二~三割が通れば御の字ですよ、と慰めなのかわからないアドバイスをもらう。


 応募して通算二十社くらいのところでようやく面接選考に進む企業が出てきた。けれどその先の選考に進むことはできず、無慈悲に送られた選考結果メールは今まで見てきた文面とほとんど同じはずなのに、私の心の深い部分を抉った。


 もっと視野を広げていきましょう。岩崎さんはまだ二十代ですから、欲しい企業も多いと思いますよ。一度書類選考が通ればコツを掴んで通過率もあがっていくはずです。これまではいろんな業界に応募をしてきましたが、職種の方も幅広く応募してみませんか? 土日や深夜勤務が可能であれば、応募できる企業の幅も更に広がると思いますよ。


 ――ねえ、私はどこに向かって動いているの?


『また不採用通知来た。これで四十社目。キリがいいのがなんかむかつく』


 鍵アカウントでSNSに呟けば、数少ないフォロワーが気を利かせて励ましの言葉をかけてくれる。


『転職活動お疲れ様です。暑さも段違いですから、体調には気を付けてくださいね』


 優しい言葉。私のことを思って紡いでくれている言葉。それなのに、日々摩耗していく私はその優しさを素直に受け取ることができない。


『こんなに不採用になるってことは、私は社会人に向いてないってことなんですかね』


 ああ、なんて意地悪な。そんなの八つ当たりだ。わかってる、わかってるのに。どこにも吐き出せない理不尽な感情を、寄り添おうとしてくれた人にぶつけるなんて。私は甘えている。それでも優しい言葉をかけてくれることに期待している。

 なんて――見苦しい。


『そんなことありません。イワサキさんを必要としている会社は絶対にあります。だからどうか、あまりご自身を責めないでください』


「……っは、どうだか……」


 渇いた笑いがこぼれる。私以外誰もいないワンルームのベッドの上で、私は膝を抱えて嘲笑した。


「ならとっくに決まってるっつの……」


 そんなに言うなら教えてくれよ。どの会社が私を必要としてるんだ? どこに応募すれば私は内定をもらえるんだ? あとどれくらいこんな理不尽な思いをしなくちゃいけないんだ? 根拠も確信もないくせに、どの口がそんな気休めを吐くんだ?

 そんなに私のことを心配してくれるなら、ぬるま湯みたいな言葉じゃなくて内定をくれよ。


 ああ。最低だ。最低だ、私は。


 もう見えない。何も見えない。ハキハキ喋るエージェントの示す提案も。同じ文言の履歴書を何度も書く時間も。採用条件を満たす企業に片っ端から応募をかけていく自分の未来も。慈愛に満ちた言葉を突っ返す天邪鬼な自身も。

 全部消えてしまえばいいのに。なかったことにして、まっさらな状態でまた始められたらいいのに。そうしたら、……そうしたら、私は違う選択肢を選ぶことができたんだろうか。

 そもそも、私はどこかで何かを間違えたんだろうか。今の私の境遇はこれまでの私のツケなんだろうか。そんなに私は悪いことをして生きてきたんだろうか。過酷な労働環境から離れたいと思ったことが罪だったんだろうか。一度退職をしてしまうと人生はもう詰みなんだろうか。私なんて世界の誰にも必要とされていないんだろうか。


 虚空の中では何も見えない。


『イワサキさん、カウンセリングを受けてみたらどうですか?』


 ぽっ、と。SNSの通知が来たかと思えば、フォロワーからのリプライにはそんな提案が書かれていた。

 カウンセリング? それってメンタルを病んでいる人が受けるものじゃないのか? それとも、フォロワーには私が精神を病んでいるように見えたんだろうか。あながち間違ってないかもしれない。


『精神科に行けってことですか?』

『いえ、キャリアカウンセリングです。ハロワとか自治体とかでお仕事に関する無料の相談窓口があるんです。もしよかったら調べてみてください』


「…………」


 虚ろな瞳で私はそのリプライをずっと見つめていた。画面が真っ黒になって、表情の削ぎ落された自身の顔が映り込むことでようやく我に返る。ひどい顔をしていた。


「キャリア、カウンセリング……」


 うわごとのように呟いて、緩慢な動きでスマホのブラウザを起動する。検索ワードに「キャリアカウンセリング 無料」と入力。地名も入れれば相談窓口はすぐに検索上位に現れた。


『就職や転職、現在のお仕事の悩みなど、キャリアに関するご相談を無料で行っています。ひとりで抱え込まず、まずはキャリアコンサルタントとじっくりお話ししてみませんか?』


 藁にも縋る思いで、私は予約フォームを選択した。


 ***


「本日担当します、キャリアコンサルタントの日高ひだかです。よろしくお願いします」


 日高さんは四十代くらいの女性だった。やや小太りで丸眼鏡が印象的だ。キャリアに関するコンサルタントというと、それこそ過日の男性エージェントのようにハキハキ喋る押しの強い男性を想像していたけど(そういえば、あの人もキャリアコンサルタントの資格云々と言っていたような気もする)、それとは真反対の印象にある人だった。柔和で穏やか、優しそう。ちょっと私は拍子抜けしてしまった。失礼を承知で言うと、近所にいるおばさんみたいだった。


「岩崎です」


 何を言えばいいかわからなくて、ぼそぼそと私は名乗った。日高さんはそんな私に向かって静かに微笑んでから、手元に置いている資料を確認し始めた。予約の際に事前のアンケートをとられたから、それだろうか。


「岩崎さんはこちらの利用は初めてですか?」

「はい……」

「そうだったんですね。何か、利用してみようと思ったきっかけなどがあったんでしょうか」

「それは、その」


 私は簡単に経緯を話した。新卒で三年勤めた会社を労働環境を理由に辞めたこと。それから今まで転職活動を続けてきたこと。四十社応募してきたが、内定は一社ももらえなかったこと。無料の個別相談を紹介されて予約してみたこと。

 私が話している間、日高さんは静かにうなずきながら話を聞いてくれていた。


「それは……苦しい状況だったと思います。それでも諦めずに転職活動を続けてこられた岩崎さんは、一生懸命頑張れる方なんだと思いますよ」


 そう言われた瞬間、私の世界が滲んで見えた。


 ぼろぼろと涙があふれては止まらなくなり、無様にしゃくりあげる。日高さんが柔和な表情のままボックスティッシュを差し出してくれる。嗚咽を漏らしながら私は何度もうなずき、それを受け取った。

 わかったことがある。私はずっと誰かに話を聞いてほしかったんだ。ぐちゃぐちゃになって袋小路でもうどこに進んでいるのかもわからなくなってしまっためちゃくちゃな自分を、誰かに聞いてほしかったんだ。

 そして認めてほしかった。内定という成果をひとつもあげられなかった私のこれまでの道筋を、結果メールだけで終わらせてなんてほしくなかった。何も結果を得られなくても、その間私が何もしてこなかったわけじゃない。書類を再検討して面接練習をして応募先を広げてみて、そんな風にがむしゃらに走ってきたこの五ヶ月を、誰かに認めてほしかった。答えなんてなくてもいいから、ただ、聞いてくれるだけで今は良かった。


「日高さんは……私のこと、励ましたりしないんですね」


 無遠慮に私はそんなことを口走っていた。日高さんが目を丸くする。


「ああいえ、すみません悪い意味じゃなくって……ずっと私の話を聞いてくれて、すごく頷いたりしてくれたけど、無責任に『大丈夫だよ』とかは言わないんだなって思って」

「そうですね……これは私から見た岩崎さんになりますが」


 日高さんはそう前置きしてから語る。


「岩崎さんはこれまでずっと転職活動を頑張ってこられてきて、でも思うようにいかなくて……どうしたらいいか、ご自身では見えなくなってしまっているのかなと、お話を聞いていて思ったんです。そうであれば、変に前向きに励ますのではなくて、今は岩崎さんの感じている見えない部分やどうしようもない部分をお話しいただいて、そこから岩崎さんが本当にやりたいことや大切にしていることを考えていければいいのかなと、私は思っています」

「やりたいこと、ですか」

「はい。これまでの転職活動で、それが見えにくくなっているのかもしれません」


 まずは自己理解、それから職業理解をしていきましょうと日高さんは言った。履歴書や職務経歴書を作るときにも自己PRや長所は考えたし、ハローワークや転職エージェントの人ともすり合わせてきた。別に初めてのことじゃない。それなのに、今一番その提案が腑に落ちる。そうか、私は私を見失っていたのか。


 虚空の中においては何も見えない。だからこそ、まずは自分自身を確かめること。実在している自分を見つめ、見直し、足をしっかりとつけること。そうしたら、何もないはずの虚空のどこかに、光差す場所を見つけることもできるんだろうか。


「ありがとう、ございます」

「いえいえ。また一緒に考えていきましょう」


 やっぱり穏やかな笑顔の日高さんに見送られ、私は面談を終えた。建物から出てきた私を迎えたのは八月の強烈な日差しだった。三十度を超えることが当たり前になっていた夏の日差しは、スーツを着て就職活動をするにはあまりに過酷な環境だ。

 時計を確認しようとスマホを開いたら、また通知メールが来ていた。『選考結果のご連絡』というタイトルから中身を開かなくても予想はつく。だけどもう苦しくはなかった。転職エージェントのサイトを開いて応募企業を探すことが日課になってしまっていたが、それは少し休もうと思う。依然として暑さは厳しい。どこか涼しいカフェに入って、今日は美味しいコーヒーでも飲んでから帰ろう。

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