愛にすべてを

「なんで迷っとるん?」


 兄貴ぃとオレの二人暮らしだった風車家へと遠慮なく上がり込んできた小型の台風・芦花さんはオレの日常を的確に破壊していった。二十三年間積み上げてきた現実は、だいぶ脆かった。二人暮らしが三人暮らしになったではない。ただのじゃあないんスよ。その一人分で、オレの平穏は押し潰される。洗濯して、取り出したウサギのぬいぐるみが、洗う前より縮んでしまって、表情が変わってしまうような……。


「ええやんか。その顔でヒッキーはもったいないって思っとったんよ。あ、ヒッキーってあの、歌手やなくて引きこもりな」

「知ってます」

「何なら次のジュノンスーパーボーイコンテストに応募したろうかなと。いい線行くんとちゃう?」

「……やめてください」

「ジョーダンやって。めっさ嫌そうな顔するやんか」


 どういう心算こころづもりなのだか存じ上げませんが、芦花さんは婚約者たる兄貴ぃよりもその弟のオレを市中引き回しの刑に処する。兄貴ぃの婚約者なんだから兄貴ぃとデートすべきじゃないスか、と連れ出されるたびに主張しているのだけど、芦花さんは「お、智司くんはこれがと思っとるんやな?」と怪しい笑みを浮かべてはぐらかした。男女が二人で出歩いて、仲睦まじくお話ししていたら、それはもう『デート』に換算される出来事だと思う。第三者視点ではオレと芦花さんとの関係性は〝アベック〟にしか見えないだろうし、実際に行く先々で幾度となく間違えられていた。否定するのも面倒になるぐらいには。

 しかし、オレと芦花さんはあくまで婚約者の弟と婚約者という関係性であり、それ以上の関係には罷り間違っても発展してはならない。そのような過ちを犯そうとするのなら、オレは芦花さんを刺し殺すと思う。オレの兄貴ぃを一番に想ってほしい。婚約者とはそういう存在だろう。オレは兄貴ぃのことが大好きだけど、兄貴ぃには幸せになってほしいとも思う。兄貴ぃはオレを見捨てない。その幸せの一部分に、オレの存在もあるはずだから。

 一時いっときは、芦花さんから色目を使われているように勘違いして、めまい吐き気頭痛に襲われたが、今はこうして横に並んで歩けるようになった。成長と慣れを感じる。まれに人混みで疲れたり低気圧のせいだったりで薬が必要になるから、頭痛薬は携帯している。

 芦花さんの気持ちが全くわからないわけでもないのだ。家に引きこもってばかりでは健康的とは言えない。こうして外を歩くべき。太陽に当たらないと、人間はバグっていく。義理の姉なりの、義理の弟オレへの心遣いでもあるのだろう。無碍にしてはならない。なぜならオレは兄貴ぃの弟だから。兄貴ぃは素晴らしい人格者であるけど、その魅力を全て芦花さんに伝えきれているとは思えない。だったらオレがオレのわがままで、芦花さんの中での兄貴ぃの評価を下げさせるわけにはいかない。


「これでわかったやろ。智司くんは世間に注目されるべきイケメンなんよ」


 今日は渋谷まで来させられて、とある芸能事務所のスカウトマンを名乗る男に声をかけられうた。芦花さんがやたら目立つ服装を好む(※本日は七色のエクステをくっつけたヘアースタイル、トラ柄のオーバーオールに厚底ブーツという組み合わせ。この人のファッションセンスはいつもこうなので、オレは慣れた。道行く人たちはたまに振り返る)ので、最初はそちらが目当てだと思った。芦花さんも「なんや? わたしか?」と食い気味だったし。

 芦花さんも(黙っていれば)可愛らし――もうちょいまともな服を着せればそこいらのアイドルグループのメンバーに加入できそうなルックスはしている。だが、話を聞いているとどうもオレのほうらしい。興味がないのでその場からすぐにでも離れたかったのに、一度食いついた芦花さんが「保護者に聞いて、折り返し連絡しますわ」と連絡先を聞き出してしまった。それからスタバに入って、今は芦花さんがオレを説得しているというわけだ。


「はあ……」


 兄貴ぃならどう答えるかをシミュレートする。


 オレじゃなくて兄貴ぃだったら、その場でスカウトマンについていっただろうか? ――怪しいからついてはいかない。それに、兄貴ぃにはオレがいる。芸能事務所が実際にどういうことをしてくれるのかは知らないが、オーディションを受けさせられたり遠くにロケに行かされたりするのだと仮定しよう。そしたら家に居られなくなる。兄貴ぃがオレを放っておくわけがない。兄貴ぃはいつでもオレのそばにいてくれる。移動教室だったか修学旅行だったかでオレがぶっ倒れた時も、駆けつけてくれたような人だ。オレよりも仕事を優先するなんて、そんなことがあってたまるか。オレより仕事を取るのか。オレの兄貴ぃはそんな薄情な人間ではない。


「智司くんなら、総平さんの好きな特撮にも出られるんちゃう?」

「特撮に、オレが?」


 兄貴ぃの名前を出されると、つい前のめりになってしまう。

 ようやっとを見つけたとでも言いたげに、芦花さんがニヤリとした。


「若手俳優の登竜門って言われとるやんか。主役とかレッドとかはむずくても、な?」


 芦花さんのおっしゃる通り、兄貴ぃは特撮が好きだ。芦花さんは熱っぽく語る兄貴ぃの話を、当初はあまり興味のなさそうな顔をしながら聞き流していたけど、いざ作品を見始めてからは態度が変わった。現在イマをときめくイケメン俳優たちの、一話から最終話までの演技を見て、ストーリーに熱中し、食事中もああだこうだと、二人してどっぷりと沼にハマっている。そんな姿を見ていると、この人が家族の一員となるのも悪くはないように思ってしまう。絆されそうになる。芦花さんは、兄貴ぃとオレっていう風車兄弟の仲に割り込んでくる侵略者。敵視すべき存在。兄貴ぃが仲良くしてほしいっていうのなら、仲良くしなくてはならないんだと頭ではわかっていても、素直に行動に移せるかといえば別問題だ。こうして二人で出かけているのもフェイク。兄貴ぃには表向き、仲良くしているように見せかけておかないと兄貴ぃが安心してくれない。


 作倉さんが兄貴ぃに芦花さんを紹介した理由はオレにはわからないけども、そばで二人を見ているオレ視点では『根本的に凝り性で真面目』なところが似ている。ひとつのことに熱中するとそれしか見えなくなるタイプ。それしか見えなくなったとしても兄貴ぃはオレが「助けて」と叫べば助けてくれる。いつだってそうだった。これからもそうあるべきだ。


「ないない。ないスよ。本気で目指している人たちに失礼スよ」

「総平さんも応援してくれると思うんやけどなあ?」

「兄貴ぃに、応援される……このオレが……」


 万が一オーディションを通ってしまったとしよう。撮影現場の入り時間も早いし、終わりも不定。兄貴ぃといられる時間は減って、画面越しの交流のようになってしまう。第一、オレが、このオレが兄貴ぃのになるわけにはいかない。オレは兄貴ぃの弟であって、オレが兄貴ぃを尊敬している。その構図が逆転するなんて、恩知らずもいいところじゃないか。オレは兄貴ぃを超えない。生まれてから死ぬまで、永久にオレは兄貴ぃの弟なのだ。そう在らなければならない。


「ま、帰って総平さんにも相談やな」

「嫌です」


 明確にノーの意思表示をする。

 芦花さんは「さよか」とつまんなそうな顔をして、空になっているオレのプラスチックのカップを握り潰した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

to the END 秋乃晃 @EM_Akino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ